存在の涯てを物語る

トーマスはこの女が永遠に自分のものだと思うと力がみなぎってくるのを感じた。

普通ならば手の届かない種類の存在だったのだ。


玲子の無垢な美しい顔、そのむだのない引き締まった四肢、とくに脚の美しさは神々しいほどだった。


玲子はトーマスの抱擁とキスとそれ以上の侵入を非常に特別な感覚で受け止め、それを特別な関係と関連付けようとしていた。この初めての接触、それが結婚なのだと解釈した。


しかしそれ以上の感激があったわけではない。経験の無い花嫁には映画のような展開がまっているわけでもなかったし、それで特に不満をもつべきだとも思わなかったのだ。

夫の動き、あえぎ、におい、それらをそんなものなのだと受け止めて、特別に不快でもなく、彼が喜んでいるので充分な気がした。


「どうだった?」

「どうって?」

「いい感じだった?」 「ええ」と玲子は含み笑いした。

「本当に?」

「まあね、いやあね、恥ずかしいわ」

「そのうち、きっと良くなるから」

トーマスは軽く額にキスして立ち上がった。

「キミってほんとに純粋培養だね、そこがいいのさ、ぼくに頼って」

「頼るほかないわね」

「ぼくが引っ張っていくから任せて」



オーストリアに居ることがなんとなくいたたまれない気持ちのある玲子のために、二年後にトーマスはドイツに移ってくれた。


しかしすぐに仕事先が見つからなかったので、トーマスは当分教職の空きを待つことになり、玲子も気晴らしになるというので少し働くことにした。

デュッセルドルフの日本人補習校がドイツ語のできる秘書を探していると日本人会の会報で読んだことから始まった。



一方、結婚生活はしだいにトーマスを苛立たせていた。

 玲子を美しく飾り、超ミニのスカートと高いヒールの靴をはかせて連れまわりたかったのだが、彼女にはあまり自分をひけらかすようで嫌がるのだった。


夫婦生活ではさしたる進展がなく、しだいにトーマスを不機嫌な自信を失うような気分に陥らせた。


すると言葉でしだいにそのことを批判するようになり、玲子の気持ちがトーマスを愛していないとなじるようになった。


事あるごとに玲子の言うことなすことを、失敗と無能だとして嘲笑し批判し、いつまでも笑い馬鹿にし、人間として貶めた。


玲子はますます失敗し、自信を失い、トーマスの強制を苦痛に感じる。しかしどうしたらいいのか考える余裕もなくなった。おどおどと夫の顔と機嫌を伺って過ごし、へつらうように笑うのだった。さすがに子供を作ろうとは思わなかった。まだ母親にはなれない、とまるでキャリアを失ったせいであるかのような言い訳をした。


自分が人間であるという尊厳を次第に失っていき、我慢するばかり、瞳を伏せてばかり、意味のない笑い声をたてるばかりの玲子になってしまった。そのときに週末の二日間だけであれ、外の世界へでかけ、人並みに働いて報酬を得るという可能性が浮かんできたのだ。




麻子クルトは日本語補習校で教え始めてから三年目になっていた。


新しい秘書がはいってきた、と聞いた。教師の半分は留学している大学生であり、後の半分は結婚によりここに住んでいる女性達である。その大部分は、生活に満足しているようだった。数人が鬱屈を抱いている様だった。麻子クルトは後者の一人であり、休み時間には所在投げにタバコを吸う人物であった。


 美しい脚を丸出しにしたハイヒールの秘書を麻子は興味無げに見て、軽く会釈した。

 

 十歳以上若いらしいその秘書は、完璧に振る舞い、事務仕事も挨拶も堂にいったものだったので、そのミニスカートの異常さが際立った。その作ったような元気さも偽者くさかった。それは麻子だけが感じたものだっただろう。


「ゲルプホーフさん、見事なおみあしねえ、ほんとに」

「あのですね、今日ね、夫がちょっといなかったので普通丈のスカートをはいてでようとしたんです。そしたら見つかってしまって、またこんなミニ姿」


玲子は急に事実を喋っている自分に驚いたが、もう言い換えることはできない。


麻子は眉をしかめた。煙を口から静かに吹きだして、ああ、わかるわあ、うちもそんなところよ、とベージュのパンツの脚を伸ばした。でも、と玲子がいいかける。


「大丈夫、でかける時間にはうちは眠ってるから」

「まあ、いいなあ」

「男ってねえ、支配したいのよねえ」


支配欲なのか、と玲子は思った。いやな感じがした。淋しい感じがした。



おはようございます。今日も体操の指導ご立派でした」


麻子がそう話しかけたのは、もう若くはないが学生の飯島徹である。

まじめそうで、めったに笑わない。逆に信頼に値するという感じを与える。

玲子はすでに全教師に関するおおよその情報を校長から聞いていた。校長は日本から派遣されてきている。


飯島はすでに結婚しているのだが、どんな経緯かはわからないが、妻はロシア人で妊娠しており、まだ出国が認められないのを待っているのである。それで少しさびしそうなんだわ、と玲子は思った。


麻子には日本でのキャリアを捨て、たしか子供も置いて再婚してきたという噂のみがあった。

熱烈な恋愛だったのだろうと思う反面、麻子の屈託した様子が気になった。それでいきなり自分のことを喋りだしたのだろうか、玲子は自分に問うた。


「飯島先生、お茶がありますわよ、さあどうぞ」

「これは有難いです。日本茶ですね」

「いかがですか、お淋しいでしょうねえ」


玲子が社交辞令ではなく、率直な性格のせいで問題に切り込んでいく。おや、というように麻子クルトが見ていた。日本人の典型みたいな行動をするかと思うと、これはまた違うわねえ、とひとりごちた。


「まあそうです。でも、妻とはあまり心が通わないような気がして。言葉もほとんど通じないんですよ」

「まあ」 「ええっ」

女性二人にそんな反応をされた飯島は少しあわてた風に付け加えた。


「でもなんとか頑張らなくちゃと思ってますよ、なにしろすぐに子供が出来たのでそれが第一ですから」

「ひょっとして誘惑されたのかな?」

麻子クルトが冷やかしではなく、本気で尋ねた。飯島徹は黙っていた。


鴎外の舞姫ではないが、ひとを哀れと思う心情から関係が生じることもあるし、と麻子クルトは飯島の結婚に危ういものを想像した。玲子はもう隠しようもなく心配そうな顔になってじっと見つめている。



玲子とともに夫のトーマスが仕事場に顔を出すようになったのは、仕事を始めて二ヶ月もたたないころであった。

ワープロやコピー機が事務室に置かれるようになり、トーマスが玲子の仕事を手伝うということであった。校長にも異存はなく、むしろ頼りにしていた。


麻子クルトは、しかし次第にトーマスの言動から夫と似た支配欲を敏感に感じた。


まず相手の無能を笑う、批判する。認めるまでそれを止めない。

玲子が少し操作に手間取っていると、ああ、またか、ほんとに何度教えても覚えないね、君は、と笑って言う。

笑っているのは人前だからであろう。


玲子は緊張してますます手元が危なくなり、ついにギブアップして、はい、あなたの言うとおりよ、と無理に笑いながら言った。

麻子には彼らの結婚生活が、共感や理解や暖かさの決してない、楽しくないものであることを確信した。


トーマスですら、楽しくないのだ。そもそも楽しく生活するには自己中心的過ぎ、他人に厳しすぎるタイプであろう。


玲子が次第に人間として壊れていくであろうことは麻子には目に見えていた。(この麻子と言う人間にも、玲子と同じような人生を断ち切られるという構造が作られていますしね、夫婦間の愛憎が複雑なものとなっていました。

それでも、幸せとは言わないまでせめて我慢できるほどであればよかったのですが、残念ながらそれですらないとすると、なにか目に見えぬ悪意のようなものがどこかで働いているようでした。


わたしらも別にピンポイントで明らかな意思を行使するわけではないのです。いろいろな次元ですこしずつ色が重なっていき、ちょうど日本画で色を重ね重ねして描いていき、ついにはある色がおのずと実現されていくのにも似て、現実の世界が動いていくのです。


玲子の場合は、好事魔多しの典型であるようですね。

その輝かしい才能に嫉妬した誰かが強力な影響を与え、一方トーマスと言う個人がある種のトラウマを抱えるような性格と環境にあった、そういうリアル世界での個人的な事情も影響するのは事実です。


そしてまさにそこでこそ、もうひとつ次元の異なるなんらかの作用がまた働いて、際限もなく影響が積み重なっていく、ということになるのです。

それにして、近い親戚のもつ守護天使のような愛情の影響は侮れません、その力を信じ、安心していいのです。


麻子は彼女を憎むリアルかつ上位の感情に取り囲まれていましたが、強力に護ってくれた彼女の亡き祖父のような意識もあったのです。その力に助けられて、彼女は自分を失わず、冷静に夫の罵声にも動揺せず流れるように未来を信じて生きてきたのです。


二組の、構造の相似した夫婦関係が、二人の女性の関係をすこし親しいものに変えていくわけです)

少し肌寒くなったころ、いつのまにか玲子の境遇に興味を持った人々が、次第に彼女の演奏会を計画していった。


校長が教職員を自宅に招いたとき、好奇心から玲子にピアノを少し弾いて聞かせてくれ、と頼んだ。


「もう五年間ピアノに触っていないのですったら、とても」

「どうせさあ、われわれはずぶの素人なのだから、まあ気軽に練習のつもりで、みんな聞きたいんだよ」


 玲子は、麻子をちらと見た。聞かせて、頑張って、という目差しがわかった。

「じゃあ、短いのをやってみますね」


玲子は譜面も何もないピアノに向かい、指を深くまげたり伸ばしたりした。凍りついた関節をゆるめているようだった。


何の曲ともいわず、いきなり彼女は鍵盤を押した。上半身が前に傾いた、そのとたんに音の洪水があふれだした。


きらきらする水玉が転がりだし、色を変え、大きさを変え、重音になり、和音になり、しかもひとつひとつが際立ってくっきりと聞き分けられた。一本一本の指の動きのとおりに音が無限の色合いで部屋中を充たした。


感動の余り、麻子の目にたちまち涙がたまった。息を弾ませた。他の誰をも見ず、音楽に対峙している玲子を見つめていた。息を呑む気配はもちろん全員にみられたのである。


比較的短い曲で、玲子はショパンです、といい、ああ、久しぶりで汗かいちゃった、と台所へ消えた。

麻子は彼女の顔が泣きそうなのを見逃さなかった。だれがこんなとき悲しみにくれないだろう、拍手と歓声の中、玲子は比較的すばやく立ち直り笑って見せた。


間もないころ日本の大使夫人がピアノを聞かせると言う会があった。

みんな招かれたとき、麻子は音楽大を卒業したと言う夫人の演奏の平板さに辟易していた。

ふと後ろの玲子を見ると、その指が音に合わせて空で踊っていた。音楽が玲子の体に染み付いて居ることを悲しく思った。


こうして年が暮れていき、玲子のクリスマス演奏会が借りている小学校の体育館で行われることになった。

校長がどんな宣伝をしたのか、ほぼ一杯の人々が固い折りたたみ椅子に座って待っていた。


カーテンの奥から不思議な音が聞こえてくる。ピアノの指の練習、あるいは調律であるかのような、聞いたこともない和音や、旋律、不協和音、断裂した音、などである。

正しいメロディは全くなく、玲子が指の動きを思い出させているらしいと麻子には思われた。


隣にはいつのまにか、飯島徹が座っていた。

二人が玲子の一番の理解者であるかのような気がして、麻子は飯島と無言の挨拶を交わした。というのも、一度ならず玲子と飯島が同じ地下鉄に乗り、静かに話し合っているのを目撃したからである。

お互いに心の闇をかかえているのだと麻子は理解した。


玲子は、少しドレス風な服を着て、困惑した感じもありながら輝いて見えた。


最初の一音で、また麻子は感極まってしまった。音楽そのものの優れた演奏が与える感動もさることながら、玲子と一心同体であるかのようで、玲子のかわりに泣いているかのようだった。


ピアノ演奏でこんなに音の一つ一つがその美しさ、その深さが聞き分けられることを麻子は経験したことがなかった。西洋音楽は充分に耳にしていたのであるが。


音の美しさへの感動、それほどの美を引き出す能力をもちながら諦めた運命への悲しみ、玲子という稀有な人物の生活への心配、それらが麻子を圧倒したのだ。


涙は止めどもなく溢れた。曲の間中ほとんど嗚咽していた。飯島徹にはきっとわかっていただろう。わかってほしかったかもしれない。そんな全身全霊からの感動の涙を流したことはなかったのだから。


彼も涙していたのかもしれない。直立して座り、身動きひとつせず、麻子の動揺を気づいた風もみせなかったが。

麻子はほほを素手で拭い続けた。体中の水分が涙になったような気がした。



翌春にはついに飯島徹の妻がやってきた。本当に舞姫を思わせるような女性であり、たしかに夫婦の間に対話が成立せず、ギクシャクした感じを与えたが、恐らく妻はおとなしいひとであるのだろう。


麻子クルトは、飯島と玲子の間に心が通い合っていると信じたがった。情実ではなくても、あるいはそうでないゆえにより深い交流があるとどうしても見えるのだった。



また一年が過ぎるころ、日本学を専攻した麻子の夫がついに日本に職を見つけて一家で渡航するということになった。玲


子は麻子から観葉植物をみんなもらい受けた。トーマスがそんなたくさんどこに置くんだ、といったが玲子はもらうと言って聞かなかった。


五歳だという麻子の子供が特別な雰囲気を持っているのを見たとき、玲子は自分にもこんな子供が授かるかもしれないと思った。

玲子が日本語で話しかけると、その子はしっかりしたドイツ語で答えた。黒い瞳をくるくるさせてたまらなく愛らしかった。


(ここに典型的なわたしらの次元の作用関係の原型がみられますね。

 玲子、麻子、新島,その子供達、かれらは将来にわたり、お互いに実際に護られ気にかけられるのです。親族でなくてもね。

 彼らはやがてリアルな世界ではばらばらになり、二度と会わないでしょう。

 でも思いはつながっているのですから。


玲子 ゲルプホーフは、すぐに子供を生みました。

その写真など麻子クルトは日本で受け取っていましたが、返事を書くことが出来ませんでした。


玲子の夫は、彼らの子供が幼いうちに思いもかけず病死しました。

玲子は彼の牢獄から自由になり、ピアノを教えながら生活を立て直し、それなりの名声を得て暮らしています。

麻子クルトはそのことは知らないで、玲子を心配しているでしょうが、自分のことのほうで大変さがもっと増していくのですね。


麻子自身の罪で巻き起こした強力な恨みの源泉がありその影響によって抗いがたく不幸が次々に襲うのですが、彼女を護る力も強いので、ともかくしっかりと生きていくことは可能でした。


それ以上の実生活上の成功やキャリアを得るにはチャンスが遮られたままでした。


またお喋りになりますが、この宇宙にある物質の極小の材料の数や種類は不変だということをご存知でしたか。


科学者ががんばってここまでは解き明かしていますが、その根源の仕組みはとうてい人間だけの次元では解き明かせないことでしょう。

ここで創造主とかの存在をもってくるつもりではありません、仕組みというしっかりした概念では把握できない種類の、必然と偶然の無限の積み重ねの産物として星や石や生物や人間が次第に現在のこんな形となり、生物は適者生存の基本法則で絶滅あるいは進化していくのだとわたしらは思っています。

それは、理の当然なのです。

 

 わたしらだって、正確無比ではなく、あなたたちを護ろうとしているだけです。確率の問題なのです。

 この原子をこう押せば数珠つながりにこんな結果になるだろう、ということはわかります。

 しかしその前に、護るってどういう意味でしょうか。一人を護れば、他方にその被害をうける存在があるかもしれません。いつかはみな生を終えるのですから、できるだけ苦痛なくできるだけ幸せに全うして欲しいとは思います。


でもそれも相対的なものですから、本人がバランスよく考えてくれるといいのですが、人間の進化はまだそこまで進んでいません。そこがわたしらの限度でしょうか。このただ今の現在の人々に対する保護の限界です。はらはらして見守っているしかないことも多いのです。


耐え難い死の苦しみを味わって死んだひとの意識が歴代積み重なって大きな不安の塊を作っている、それは事実です。人間の業というべきでしょう。


それが実現するくらいなら、あっという間に意識もなく心臓が止まったほうが楽ですから、わたしらはそちらの道を選ぶよう助力しているつもりです。

大災害で命を失った場合、この例が多いのですが、残された家族はおおきな衝撃に悩むのが普通です。悲しみは悲しみとして、もし身内が余り苦しまずにあの世にいかれたのなら、そのほうを喜んであげて欲しいものです。


人間社会では安楽死、尊厳死という考えにはまだいたっていません。それは悪用されると言う恐れがあるからで、そこには人類としての倫理的進化の要があるわけです。

あるいは社会的に子供を立派に育て上げる環境の整備が必要なわけです。そうすれば、歪んだ脳のために自他ともに苦しむことはなくなり易いでしょう。


つまり、いわゆるトラウマと言う影響で、本人があくまでもたとえば母親を憎んでいると、母親は救いの手をさしのべたくてもそれが届かない、本人はますます悪循環の中にまきこまれるのです。


これは生きている人間の側でなんとか知識を理解し、克服する方法を開発し学んで欲しい部分です。



東天
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