存在の涯てを物語る

『挫折のストレス実験?』


富士という姓の一族は、昔は紀伊半島熊野に修験者であった先祖をもつ。


山頂の高い樹の上から、晴れて澄んだ早朝には遠くに富士を拝むことが出来る、そのこと自体がその時期から秘伝のようにして言い伝えられたのである。(余談ですが、こんな風に先祖のちょっとした徳の高さ、こだわりの無さ、純粋さが遺伝子の発現に良い結果をもたらしうるようですね)


一部の別れが富士と名乗って海岸へとおりてきた。

波の静かな小さな湾で余りよそ者とは子をなさずに、遺伝子が純粋培養されていったと思われる。(思われる、と今わたしらが言うのは、あなたがたの立場でものを言ってしまったせいです、念のため)



昭和三十年をすぎたころ、ある地所もちの富士家に玉のような女の子がうまれた。

赤子であるのにすべらかな皮膚と高貴な目鼻立ちは誰の目にも明らかだった。また遺伝子のよき果実が実ったのである。


名前は玲子と名づけられた。麗子では余りに目立ちすぎるだろうとかえって心配する声があったためである。


玲子の後には男児が二人生まれたが、この子達は体が弱くすこしおっとりしすぎていた。(全てに実は意味があるように、地上の意味ではないが、負のように見えるものにも、存在の徳は秘められているのです。玲子は弟達をいたわり導き護るという徳をえるチャンスを与えられたのですし、弟達は姉を徳あるものにするというチャンスに恵まれて生まれたのですから)


玲子は強い心身をもっていた。色白で細身の体にはむだな肉が無く、強い筋肉と筋、骨をなだらかな曲線でおおう輝く皮膚があった。

二親には全身全霊で愛され、それを実感して育った。弟が生まれると本能的に護り手になって、ストレス耐性を強めていった。

 


紀伊半島の突端に近いいろいろな崖を知り尽くしていた玲子は、弟達にも危険の無い高さから始めて、二人を水に慣らさせた。夏は自由と冒険とに溢れていた。玲子自身も海に潜るのが何よりも好きだった、ピアノを除けば。


 光がさんさんと差し込む、ちょうど快適な水温に身をまかせていると、青い空の透けて見える蒼い水の中は静かでもあり、音に満ちてもいる。

泡がどこらともなく浮き上がって好きな高さまでのぼり、あるいは消えるとき、その小さな気球がピアノの音を発する。


 どの音のひとつとして同じものは無く、異なる質感を揺れを色合いを感情を抱いていた。

玲子はうっとりとして、自分の指がその音をおって正確にうごいているのにも気づかないほど没頭してしまう。



遠くで「お姉ちゃん」と呼んでいた声が、急にはっきりと聞こえた。彼らのことを思い出し、ザポンと海面から飛び出して見せる。

双子のような兄弟が嬉しそうに可愛く笑った。玲子は二人の存在が大好きでたまらず、バスタオルで濡れた体を包んでさすってやる。


「耳、よく拭いて、それから片足でトントン跳んで、頭をかたむけーっ。水、入ってないよね?」

「はあい、からっぽだよ」

「お姉ちゃんはまだトントン跳んでないよ」

「はいよ」


玲子は適当に跳んでみせる。頭を傾けて。(この行為にしっかり注意を払わなかったのは彼女の小さな間違いでありました。あるいはそこに遺伝子の負荷がもともとかかっていたのかもしれません。彼女のピアノの才能が正の負荷の結果であるとすればそういうことになるでしょう。しかし、実はそう簡単に生物学的なことだけで決まってくるわけでもありませんが)



恐らく楽器は弦楽器でも、あるいは琴でもよかったのだが、玲子の強靭な長い指と強い肩、ペダルを踏む美しい脚の強弱、などの利点をピアノと言う楽器が求めていた。

また海産物を販売する家は裕福で高価な楽器やレッスン、それに留学までもまかなうことができた。玲子がウィーンの国立音楽院に合格したからである。中学を出たとたんであった。


その歳ですでに技能は完璧であった。

本場の教育によって驚くような速さで玲子は曲の文化的な真髄を把握した。ひとつの音も疎かにしなかった。それを表現しうる優しく強い指と神経、感情を併せ持っていた。


一人一人の作曲家、ひとつひとつのピアノ曲、玲子は夢の中のようにその中で生きていった。彼女が引くと曲がいきなり立ち上った。音のなにひとつとして無駄なく、表現の極限まで差異と解釈を与えられていた。


そこに玲子はもう存在しないかのように、楽の音だけが、音の世界のみが提示された。


成人したころ、玲子はやっとコンテストに参加することにオーケーした。

大人として豊かな成人として世に出ることを待っていたのだ。周囲の期待を裏切らず、結果は大成功であった。


玲子は彗星のように現れ、スターになるすべての素質を備えていた。(玲子の弱みは、彼女が余りに純粋でひとの悪意や欠点を知らず、またピアニストである以外の、家事能力のような女性的な部分を知らない、かのように、つまり無能な天使のようにみえたことでありましょう。そんな愚かさとは縁遠かったのですが、善意の純粋な女性であることは確かでした。それは人間として危険な事態を招きかねなかったのですね、ま、それはともかく。


どの家系にも、影響力の多少の程度に応じて、恩義を感じて共に働こうとするものたち、逆に恨みをいだき隙あらば怨念を反映させたいと思うものたち、わたしらにもお互いに基本的な感情の動きがあるわけですね。

過去の世界の詳細はもう重要ではなくとも、少しのプラスなりマイナスなりの影響が現世の人間の運命にふりかかるのは避けられません。

生を受けたからには、できるだけ負の攻撃をかいくぐってその人物が幸せになるようわたしらは努力しますが、理の当然と言いますか、計算の結果、運不運の矢が当たってしまいます)



すでにコンサートツアーが告示され、富士玲子のポスターも曲目とともに美しく仕上がっていた。


玲子はおびえたり興奮するでもなく、そんな流れにゆうゆうとやすやすと乗っていった。それは彼女に与えられた運命のように身に添っていたのだ。



珍しくマイナス十五度になったある朝、玲子はコホンと小さな咳をした。


一週間ほど微熱があったり、また引いたりして、風邪ひとつ引いたことの無かった玲子の無知が悪く作用した。

練習していると、右の耳が少し詰ったように感じた。しかしまた気にならなくなった。そうして数日が過ぎた。



ウィーンのあちこちの広告塔には、白いドレスの玲子のポスターが貼られていた。


風の吹き上がる広場のそんなところを通りかかったとき、ポスターを見上げていた若い男が、玲子に気づき、驚いて大きく笑った。そのまま近づいてきて、自己紹介をしサインをもらいたいと言う。

彼のもっていた本に、玲子は少し照れながらローマ字でサインした。お名前は、と尋ね、トーマス ゲルプホーフさんへと書いた。


彼はわら色の髪の小柄でやせた人だった。風に髪が乱れ、大きな笑い顔をまたみせた。



外を歩いたせいか、また耳が詰った感じがした。

翌日起きるともうそれが始まっていた。玲子ははじめてあわてた。


週末だったので月曜日を待ったがその間にもまるでよくなる気配がなくなってしまった。(子供のころ、海に潜って耳に水がはいったことは数知れずあったが、それが遠因であろうとはだれにもわからないことでした。これまで支障がなかったことこそむしろ護られていたわけなのですが)


滲出性中耳炎の悪化で急速に聴覚が衰えていった。


それが演奏家にとって何を意味するか、するべきことはあきらかであった。


玲子は一度だけ、絶望して崩れ落ちて号泣した。弟か恋人か、子供か、大切なもの永遠に喪ったひとのように取り返しの付かない地獄が始まったのである。もはや完璧な演奏は無理だった。専門家ならすぐに気づくだろう。できるだけ傷が広がらないうちにツアーを取りやめにしなければならなかった。少なくとも回復するまでは。


この報はかなりセンセーショナルに広まっていった。

新聞の小さな記事にもなり、玲子の心をわけのわからない不安で充たした。


広告塔からポスターが引き上げられた。シュテファン広場を通っていくとき、誰かが手を振っているような気がした。広告塔の前にあの男が立っていた。手には丸めたポスターを持っていて、それを高く振り回している。



彼は、トーマス ゲルプホーフは近づいてきて、薄蒼いまじめそうな瞳で、玲子の不運に同情の言葉を述べた。そしてポスターを大切にする、きっと再起できると言った。


人前で涙をこぼそうとは玲子自身思ってもみなかったのだが、はらはらと、ちょうど降ってきた白い雪のように若い頬を零れ落ちた。

男は思わず玲子を抱きとめた、彼女が倒れそうにみえたからだ、そうあとで聞いた。

事実彼と知り合ってから、玲子はまともに歩くこともできなくなった。

治療は見込みが無く、ピアノに触ることも出来なくなった。



数ヵ月後、玲子はピアノから離れた。手離した。その隙間にトーマスが入ってきた。


彼は第一印象に似合わぬ確信と自信をみせて、弱った玲子の心を左右した。

ビザが切れそうになったときトーマスは、彼はギムナジウムの理系の教師だったのだが、玲子に結婚を提案した。

長年暮らしたヨーロッパを離れることのできない玲子がいた。


(人間の進化の中には、興味深い示唆がみうけられるものです。同属への帰属と慣れは基本的な心情で、これがあるので弱い人類も生き延びたし、動物一般にもあてはまるのです。

 しかし一方では、チンパンジーのメスはしばしば他のグループへ入り込んで新しい生活を始めたりします。オスも青年になるとしばしば馴染みの場所を去り、冒険と好奇心の旅に出て行きますが、ホモサピエンスも同じ理由、願望、行動を示しています。

 ある意味他民族への好奇心はごく自然なものでありましょう。

 玲子が音楽を通じて他民族の文化に喜んで触れていったこと、トーマスが自国の女性と比して温和にみえる日本人との生活を決心したのも同じ理由ではあります。


 しかしもうひとつ、彼らにそっと触れている指先と情動があったのも事実です。


玲子のおじの一人が第二次世界大戦後ソ連に抑留されていたとき、隣り合うドイツ人収容所の一人のドイツ人と知り合いになりました。言葉は通じなかったのですが、食べ物をお互いにやりとりして飢えをしのぐ仲間になっていったのです。


時には無言の散歩にでかけたりしました。

玲子のおじが先に釈放されることになったとき、着たきりすずめの軍服がぼろぼろになっていたので、そのドイツ人になにか手に入らないかと頼んだのです。

彼は最近亡くなった同僚のコートを持ってきてくれました。それをおじは帰国後長い間着ていました。とても丈夫なものだったのです。そこにもまたもうひとつの心情が絡まっていたことでしょう。


わたしらにはわかるのですが、玲子はこのその後まもなく亡くなったおじの意識に導かれ護られて彼女の道を歩んできたのです。

もうひとつわかっているのは、トーマスの長兄が例のドイツ人であり、玲子とトーマスが近づいたのも彼ら二人の懐かしい気持ちが働いたのです。


しかし、そのコートの持ち主はどう思ったでしょうか。その人物が自分のコートの行く先をどう思ったか、批判的だったか、友好的だったかその小さな心根が、やはり影響を及ぼすはずでした。

その人物はかなりの人種差別主義に染まっていました。たとえアジア人であっても憎悪したのです。


そんないくつかのそれ自体小さな心の渦が玲子とトーマスの間に漂っていたのです。ひとは無力なのではありませんが、影響を非常に受けやすい、ほとんどその意のままともなりやすいのです、残念ながら)



ふたりは戸籍課でのささやかな式をすませた。

手をつないで、見知らぬ人からのささやかな祝福を受けながら、玲子は誓いの言葉に対し、はい、とは言ったもののそれが本心かどうか自分でもわかっていないことに気づいていた。


しかし、頭を振った。そんなことを気にしていても仕方ない、前進するのみだ。


トーマスはこの女が永遠に自分のものだと思うと力がみなぎってくるのを感じた。

普通ならば手の届かない種類の存在だったのだ。


玲子の無垢な美しい顔、そのむだのない引き締まった四肢、とくに脚の美しさは神々しいほどだった。


玲子はトーマスの抱擁とキスとそれ以上の侵入を非常に特別な感覚で受け止め、それを特別な関係と関連付けようとしていた。この初めての接触、それが結婚なのだと解釈した。


しかしそれ以上の感激があったわけではない。経験の無い花嫁には映画のような展開がまっているわけでもなかったし、それで特に不満をもつべきだとも思わなかったのだ。

夫の動き、あえぎ、におい、それらをそんなものなのだと受け止めて、特別に不快でもなく、彼が喜んでいるので充分な気がした。


「どうだった?」

「どうって?」

「いい感じだった?」 「ええ」と玲子は含み笑いした。

「本当に?」

「まあね、いやあね、恥ずかしいわ」

「そのうち、きっと良くなるから」

トーマスは軽く額にキスして立ち上がった。

「キミってほんとに純粋培養だね、そこがいいのさ、ぼくに頼って」

「頼るほかないわね」

「ぼくが引っ張っていくから任せて」



オーストリアに居ることがなんとなくいたたまれない気持ちのある玲子のために、二年後にトーマスはドイツに移ってくれた。


しかしすぐに仕事先が見つからなかったので、トーマスは当分教職の空きを待つことになり、玲子も気晴らしになるというので少し働くことにした。

デュッセルドルフの日本人補習校がドイツ語のできる秘書を探していると日本人会の会報で読んだことから始まった。



一方、結婚生活はしだいにトーマスを苛立たせていた。

 玲子を美しく飾り、超ミニのスカートと高いヒールの靴をはかせて連れまわりたかったのだが、彼女にはあまり自分をひけらかすようで嫌がるのだった。


夫婦生活ではさしたる進展がなく、しだいにトーマスを不機嫌な自信を失うような気分に陥らせた。


すると言葉でしだいにそのことを批判するようになり、玲子の気持ちがトーマスを愛していないとなじるようになった。


事あるごとに玲子の言うことなすことを、失敗と無能だとして嘲笑し批判し、いつまでも笑い馬鹿にし、人間として貶めた。


玲子はますます失敗し、自信を失い、トーマスの強制を苦痛に感じる。しかしどうしたらいいのか考える余裕もなくなった。おどおどと夫の顔と機嫌を伺って過ごし、へつらうように笑うのだった。さすがに子供を作ろうとは思わなかった。まだ母親にはなれない、とまるでキャリアを失ったせいであるかのような言い訳をした。


自分が人間であるという尊厳を次第に失っていき、我慢するばかり、瞳を伏せてばかり、意味のない笑い声をたてるばかりの玲子になってしまった。そのときに週末の二日間だけであれ、外の世界へでかけ、人並みに働いて報酬を得るという可能性が浮かんできたのだ。




麻子クルトは日本語補習校で教え始めてから三年目になっていた。


新しい秘書がはいってきた、と聞いた。教師の半分は留学している大学生であり、後の半分は結婚によりここに住んでいる女性達である。その大部分は、生活に満足しているようだった。数人が鬱屈を抱いている様だった。麻子クルトは後者の一人であり、休み時間には所在投げにタバコを吸う人物であった。


東天
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