夢見ごこち

しかし、と瑤子は思う。「尋常じゃない人物」って具体的にどんな人なんだ? いやもう、あの人気占い師マルグリットも焼きが回ったのかな!? と心の中で毒づいたが、そのような謎めいたことを言われてしまうと、是が非でも確かめたくなる。たかが占い、当たると思うほうが馬鹿だ、と自分のどこかは言っている。

というか、自分は予備校をさぼりたいだけだというのは分かっている。だが、東京タワーから下界を見下ろす快感と、「あんたの悩みを全てクリアに消し去ってくれる」人物を見たい誘惑に、どこの女子高生が勝てるだろうか。

 

瑤子は、11時に小竹向原の家を出て、有楽町線に乗り、有楽町駅で都営三田線に乗り換え、芝公園の駅に着いたところなのだ。

 

 

【2】

 

予想はしていたが、チケット売り場は混んでおり、あらかじめコンビニで入場チケットを買ったのは正解だった。夏休みだけあって家族連れの姿が多く、瑤子は5歳くらいの男の子を連れたご夫婦2組と、祖父母、両親、小学生という家族と一緒にエレベーターに乗った。「しかし暑いね」と髪の毛の薄いお父さんが言い、つばの広い帽子をかぶって顔が見えないお母さんが「東京は年々暑くなるねえ」と応じていた。

この家族のうちで「尋常ではない人物」が誰かいるのだろうか? もしわたしが小説家で、尋常ではない人物をこの家族の中に設定するとしたら、子供にするだろうな。子供が実はヴァンパイア、という設定にするのだ。

ヴァンアイア小説か、大学を出て大人になったら書いて見たいものだ。瑤子はゲーム作家か、脚本家になりたいのだ。だが、色々世間の声を聞くと、「食っていけない」職業らしい。ゲーム業界は少子化で成長が止まったといわれているし、脚本家というのがどうすればなれるのかも分からない。大学に入って、時間ができたら、とにかく書いて見て、そして賞に応募するのが妥当だろう、と思っている。

だが、本当は「手に職」をつけるためには、経済学部や経営学部にはいって、中小企業診断士などになるほうが良いかも、という気持ちも最近芽生えてきて

【2】【3】

いる。大学を出て心ならずもフリーターになったら、一生「年収200万円台」で終わるのではないか、そんなことを同級生でさえ囁いている。

 

かといって、AKB 48みたいになれるわけもない。手に職をつけないと食っていけない世の中であることは、高校2年生でさえも分かるのだ。

だからこそ、今、高校生のうちだけは、「尋常ではない人物」を探すという馬鹿馬鹿しいことをやっても良いではないか? 言語化してそう思っている訳ではないが、瑤子の心の底には、その種のナンセンスを喜ぶものが潜んでいた。潜んで、しかし、隙あらばしゃしゃりでようとしていた。

 

 

【3】

 

お小遣いがもったいなかったので「特別展望台」までは行かなくても良いと思っていた。だが、この「大展望台」からの眺望を見ると、もっと思い切った高さを存分に見てみたい、とぞくぞくしてきた。

 

足下の床が一部透明になっていて、そこから見えるのが、東京タワーの真っ赤な鉄骨である。密集している鉄骨の隙間から太い道路が見えて、その上を可愛らしいクルマが、虫かなんかのように動いている。この景色がたまらなく面白く、瑤子は立ち尽くし、頭を垂れて凝視してしまった。

都会とは、セメントや、鉄骨や、ガラスや、アスファルトといった人工的な材質が、生々しいため息をつき、自然と人工の混じった食材を食べる人間という名の昆虫を入れる虫籠である、そんな感慨が湧くのを押さえられなかった。

 

そのとき、どしん、と誰かが瑤子の腰にぶつかり、あっと思う間もなく転んでしまった。痛い、と思った時には、ぶつかった人のほうが茫然としてしまっていた。

すみません、とその人は悲鳴を上げるように言い、瑤子のバッグを拾ってから手を伸ばして立たせてくれた。「大丈夫ですか? 怪我してませんか? ほんとすみません!」

倒れはしたものの、身体をどこかにぶつけたわけではなく、ただ手が床につい

て汚れただけなので、必死で謝るその人に対して逆に悪いなあと瑤子は思い、「あ、どこも痛くありませんから、大丈夫ですぅ。気にされないでください」と言って、クラスメート達に「ニセモノ天使の微笑み」とからかわれる少女らしい笑顔をつくって相手の顔を見た。

驚きで眼が丸くなった。

 

目の前の、恐縮して瑤子に相対している女性は、年の頃は20代後半。背は165センチ前後だろうか。艶やかな黒髪をシニョンにまとめて、黒い大きなサングラスを頭に載せている。

かなりの美女だ。顔のパーツの1つ1つが美しく明晰で整っていて、欠点を探すほうが難しい。だが、瑤子が驚いたのは彼女が美しかったからだけではない。

彼女の顔貌には、見るからに「ただ者ではない」というパワーと言うか、気迫がみなぎっていた。それは女性らしい抑制された強さというよりは、男性の、しかも相当強面の男性だけが持っていそうな気迫。つまり、闘争心と負けん気であった。どうやらその迫力は、光の強い、きらきらと輝く両眼と、弓なりの、涼しげな形の濃い眉からくるものらしかった。あでやかな唇にはローズ色のグロスが塗られていたが、口を開くたびに見える白い整った歯が、なんともかっこよかった。

着ているドレスは黒いマーメイドラインで、いやらしくなりすぎない、適度な曲線美を形作っていた。首には大きなバロックの琥珀を連ねたネックレスをしていて、生命力があふれる彼女のオーラに、さらに大胆さを加味していた。手にしたバッグは、ヴィトンの「M40143モノグラム ティボリPM」だった。

 

瑤子は確信した。「尋常ではない人物」とはこの女の人に違いない、と。

 

 

【4】

 

その美女は女優でもモデルでもなく、ロック歌手と言うことだった。しかし、インディーズなのでテレビには出たことがなく、ライブとインターネットで活動していると。確かにテレビに出ている芸能人であれば、もっと顔を隠して歩いているだろう。

【4】

「宇佐美きあらと申します」と微笑んで、ケイタイを出して「Gree 」のコミュニティを瑤子に見せた。

「宇佐美きあらコミュ」とそこにはあり、メンバー数は2000人であった。

「すごいっ!」「ええ、もう本当に事務所と皆様のおかげなの。ああ、そうそう、i-Tune で一応曲も購入出来るのよ。CD もねえ、取り寄せになるけどタワレコや山野楽器でも買えますよ。でも、時間がかかるから、あたしの事務所から直接のほうがいいわ。ちなみに、曲は基本的にあたしが全て書いてます。たまに詩だけ書いて、曲を事務所の社長がつけてくれることもあるけどね」

今日、東京タワーに上る気になったのは、さ来週に六本木のライブハウスでライブをやることになり、その打ち合わせが3時にあるが、その前に芝公園を散歩したくなったのだそうだ。そして東京タワーを見ているうちに、上ってみたくなったのだと。

「まあ、東京タワーでなくても、高い場所から東京の光景を見たことはあるんだけど、美しさと恐怖感と、両方感じるのよね。恐怖感って、やっぱりあれよ、大地震が起きてこの大都会が崩壊してしまう恐怖とかね。なんだかこの不安感は、ただの絵空事ではなくなっちゃったからね。昨年の、3月11日以降」

 

きあらは常にそうしているように、この女子高生に対しても、心の思いや、日々思い浮かぶこと、自分が何者で何がしたいかという事を、飾らずにさばさばと話した。それは哲学とかポリシーというよりは、そういうことに虚栄心を発揮して、偽りなどをいうのが面倒なのであった。

 

しかし、歌手という「人に見られる」職業だと、あまりにも素顔をさらけ出すと、あらぬ受け取り方をされることもある。また、事務所社長の吉開(よしかい)などに口を酸っぱくして言われていること、「神秘的な存在になりなさい」も、真理であることが分かっているので、人に言うこと、言ってはいけないことは考えてから話している。

きあらは、音楽関係の人間と自分のファンとしか、コミュニケートをとることがない日常に疲れを感じていた。これでは良い曲が書けない、どうすれば良いのか、と焦っていた。

 

彼女が、東京タワーの人ごみででぶつかってしまっただけの女子高生に興味を
深良マユミ
作家:深良マユミ
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