【ISIS Selection 10】ブルースにこんがらがって----ボブ・ディランとロニー・ジョンソン

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故シーザー・ディアスとの会話( 1 / 2 )

故シーザー・ディアスとの会話

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「ああいう古いにしえの曲が心に届くんだ。…今週になってから、ラジオでビュエル・ケイジーを聞いたんだけど、心にジーンときたね。…いい人がいっぱいいた。スクラッパー・ブラックウェル、ルロイ・カー、ジャック・デュプリー、ロニー・ジョンソンとかさ…」(ジョン・コーエンによるボブ・ディラン・インタビュー、1968年6〜7月)

「ロニー・ジョンソンやマディー----思いつくのはこうした人だね」(レイ・コールマンによるボブ・ディラン・インタビュー、1978年6月20日)

「ロニー・ジョンソンが中に入って来た。不気味な雰囲気をただよわせながら」(デヴィッド・ゲイツによるボブ・ディラン・インタビュー、1997年9月)

 1999年3月、私はプエルトリコのオールド・サンファンで、1990年代にボブ・ディランのギタテクを務めていた人物、故シーザー・ディアスとしばらく時を過ごした。私達はたくさんのことを話したが、ディランのギター・テクニックが話題になったことがある。その際、シーザーが語ったことはこうだった:「[ディランが]誰かからギターの弾き方を教わったのだとしたら、かなり昔の人からに違いないね。コードの使い方やメロディーへのアプローチがとても昔風だからさ。リオン・レッドボーンでさえ、あんな古臭い弾き方は出来ないよ」シーザーはさらに続ける:「ネック上で左手を上下させながら3和音を弾くという形式を、うまくやってるんだ…ああいうダブルストップを弾きながらね。…素晴らしいラグタイムを弾くのも見たことがあるよ。…フィンガリングやポジショニングはあまりに独特だから、昔のギターの名手から教わったんだろう。あんなフィンガリングみたことないから。…ディランは全然違うギター・プレイを作り出そうとしているのさ」【1】

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(Gwyn Ashton(左)とCezar Diaz(左) 2001年5月イギリスにて)


 『Chronicles Volume One』が出版される5年前のことだったが、まさに革新的だというのが、ディランのギター・プレイに関するシーザーの意見だった。私はシーザーの発言に、その後もずっと興味をそそられ、2001年にシーザーが拙宅に滞在した際にも、この件をもっと深く掘り下げようと試みた。このスタイルを発明したのはディランなのか、それとも、シーザーの推測通り、ある「古の人」に由来するものなのか?
 シーザーは言った:「昔の人から学んだに違いないね」そうか。それじゃ、クイズといこう。その「昔の人」とは誰の可能性が高いだろうか? シーザーの考えはこうだった。レコードを聞いてテクニックを学んだのではなく、誰かから直にそれを教えてもらったに違ない。学んだのは最近ではなく、恐らく1960年代だ。しかし、この意見に私はあまり納得がいかなかった。というのも、ディランがこういうやり方でプレイするようになったのは1980年代末頃になってからだと、シーザーが以前に語っていたからだ。とはいえ、私達は互いにいろんな人物の名前を出してみた。
 ディランとデイヴ・ヴァン・ロンクは1960年代初頭にグリニッジ・ヴィレッジで出会っている。ヴァン・ロンクは音楽に関して深い知識を持っていて、ヴィレッジを代表する人物のひとりになったが、当時、彼はたかだか25歳であり、「昔の人」とは言い難い。
 ディランがヴァン・ロンクと出会った約1カ月後に、ジョン・リー・フッカーがガーディース・フォーク・シティーに長期出演した。フッカーのガーディース出演は1961年4月4日に始まり、ディランは彼の演奏を毎晩見に行った。4月11日から23日まで(17日以外は)、ディランはジョン・リーの前座を務め、ふたりはとても親しくなった。1912年生まれのフッカーは、ディランと出会ったのは、もうすぐ50歳になろうかという頃だった。1992年に、ローリング・ストーンズのギタリスト、キース・リチャーズはフッカーについてこう述べた:「ジョン・リーの場合、スタイルが急に変わるなんてことをずっとやっている。ジョンが拾い上げたものは、誰よりも1世代昔のものだ」フッカーは1920年代半ばにアコースティック・ギターを演奏するようになり、地元のブルース・ギタリストだった継父から影響を受けている。彼がプレイしていたのは、ずっと同じ低音が鳴るワン・コード・ブルースで、当時のデルタ・ブルースとはかなり異なるものだった。ジョン・リー・フッカーがディランの師匠か? シーザーによると、ディランの初期のギター・プレイからはジョン・リーっぽさが少し聞こえるが、彼は私達の探している人物ではないだろうとのことだ。
 ゲイリー・デイヴィス師についてはどうか? 彼は1960年代にグリニッジ・ヴィレッジでギターを教えており、デイヴ・ヴァン・ロンクは彼から大きな影響を受けている。シーザーと私は、ディランが時々、ギターを全然違う楽器を演奏するように扱っている点を既に指摘していた。ゲイリー・デイヴィスは、ギターは「首からさげたピアノ」と思うと語ったことがあったが、候補者はもうひとりいたのだ。ゲイリー・デイヴィス師には信奉するギター・ヒーローがいた。ブラインド・ブレイク、ウィリー・ウォーカー、そしてロニー・ジョンソンだった。
 ディランがフッカーの前座を務めた5カ月後の1961年9月12日から、ヴィクトリア・スパイヴィーとロニー・ジョンソンのガーディース・フォーク・シティーでの2週間の連続出演が始まった。ジョンソンは「ブルース・ギタリストの最長老」として宣伝された。スポンジのようにさまざまな影響を吸収し続けていたボブ・ディランは、殆ど全てのショウを見るためにそこにいた。


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 「ああ、その可能性はあるね」シーザーが言った。「ロニー・ジョンソンはあらゆるスタイルでプレイしていた。ディランが今プレイしているようなやり方でロニーがプレイしていたという記憶はないが、後でロニーのレコーディングをチェックしてみるよ」残念なことに、このわずか数カ月後にシーザーは亡くなり(2002年4月26日)、ディランの師を見つけるゲームは強制終了となった。しかし、現在、我々全員が知ってる通り、この2年後の2004年に『Chronicles Volume One』が出版され、ディラン本人が回答してくれたのだ。
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