オレは平穏を愛する。
何故なら人間としてそれが当たり前の欲求だからだ。
稀に波乱万丈の人生を望む輩もいるが、オレには理解できない。危険ばかりの人生に一体どんな魅力を抱いているのか、と。
マズローも五段階欲求のひとつに、人間は安全を求めると明確に定義している。しかも安全欲求は生理的欲求のすぐ次に人が求めやすい欲求だ。つまり人間の原始的な欲求により近いということだ。安全を求める、すなわち平穏を求めるというのは人間として当然の振る舞いであり、こちらの方が危険を求めるよりもより人間らしいと言える。
さて、オレには妹が一人いる。
断じてオレはシスコンではない。ないのだが、オレは妹が可愛くて仕方ない。妹は性格が天真爛漫で誰にでも明るく朗らかに接する。兄であるオレにもよくなついてるし、今までにも、喧嘩はしてもすぐ仲直りするほど関係は良好だ。先日もオレの誕生日プレゼントにアイスケーキ(オレの好物)を買ってきてくれた。こっそり母さんの手伝いをして小遣いを貯めていたらしい。いやはやあれにはまいっちまったなぁははははは。……ごほん。重ねて言うが、オレは断じてシスコンではない。
妹は今現在犬の散歩中だ。食事の仕度の間に犬を散歩に連れて行くのが妹の役割だ。両親は海外出張中なので、食事の仕度はオレの仕事だ。妹は女の子なのに家事が壊滅的であり、家庭科の成績も万年「1」だ。なので家事はオレがこなしてる。まぁ、ちょっと苦手なもののある方が可愛いんだけど!
そんな妹だが、ひとつだけ恐ろしい欠点がある。どんなに直そうとしても直らなかった、オレにとってはこの世の終わりと同じくらい恐ろしい欠点が。
妹には、ある才能に恵まれているのだ。その才能とは……。
「ただいまぁ、お兄ちゃん」
ちょうど妹が帰宅を告げ、続けてこう言った。
「見て見て! 人間の生首ひろっちゃった~☆」
妹は、とんでもないものを拾う才能に恵まれているのだ。
「捨ててきなさい!」
「ヤダ! ベンジャミンはもうアタシのだもん!」
「拾ってきたものに妙な名前つける癖はやめなさいって言ったでしょ! てか、ベンジャミンって何だよ!?」
「昨日の金曜ロードショーに出てた犬の名前!」
「生首に犬の名前をつけるのかお前は!?」
「絶対にベンジャミンはわたさないもん!」
「お人形さんじゃないんだぞ! いずれ腐敗して蛆がわくし肉は爛れるし、そうなると色々面倒だから、とにかく捨てなさい!」
「ヤダ! 絶対にわたさないもん!」
うちの妹は変なものを拾ってくる才能に恵まれている。以前にも街中を二人で歩いていたら、茂みの下に置いてあったと言って中型バックを拾ってきた。中身は札束が80個ほど入っていて、全て本物だった。正直あの時は冷や汗が止まらなかった。後になって落とし主がわかったが、案の定と言うか、そうであって欲しくなかったが、ヤクザだった。幸いにも事情を細かく説明したら納得してくれた上に、お礼の一割をくれたけど、下手したらオレ達二人ともコンクリート詰めにされて海中に沈められていたかもしれない。そう考えると怖くて怖くて。
「お兄ちゃんは悲観すぎ~」
と妹は言うが、あいつは楽天的すぎるとオレは思う。
話を元に戻す。
さて、この首をどうするか。そもそもどうやって妹を説得するか。
思案しながら妹に髪を梳かされている生首を見ていると、
「ん?待てよ?」
オレは引っかかりに気づいた。
「なぁ、その生首が落ちてたのってどこだ?」
「河川敷だよ」
「いつもはそっちに行かないよな?」
「たまにはちがう散歩コースをと思って」
となると、やはりおかしい。
あの辺りは確かに人通りは少ないが、昼頃になればそこそこ通行人が現れるだろう。妹のように気まぐれを起こして河川敷を通る奴だっている。
つまり遅かれ早かれこの生首は誰かに見つかっていたことになる。
そうなれば事件として世間に知られるのは必至。下手をすると犯人の身元が判明してしまう。
「それともバレることを覚悟で河川敷に捨てたのか?」
数年前に神戸の某少年が似たような事件を起こしたが、あれもバレることを前提に犯したと聞く。この犯人も目撃者にショックを与えるために河川敷に捨てたのか?いや、それならもっと人通りの多い場所に置くはず。
「ほらベンジャミン、髪をとかしてキレイになったね!」
目線を妹と首に戻す。
「おいおい、あまり手を加えるな。警察が調べる時に厄介に――」
その時、オレはようやく気づいた!そしてテレビを見る。食事の仕度の時から、ずっとテレビはこの特集を放送している。数日前から行方不明の、ロシアの歌姫のニュースだ。画面に現れている顔写真は、とにかく美しい。整った目鼻に、潤った唇、シミひとつない玉の肌。しかしオレにはその美しさに見惚れている心の余裕はない。何故なら、現在わが家のリビングで妹に弄ばれている生首の顔は、行方不明と報じられているロシアの歌姫その人であるからだ!
二週間ほど前に、日本政府主催のコンサートに招待され来日した歌姫だが、数日前に失踪したとニュースキャスターは報道している。書き置きの類はないので誘拐の線も考慮に入れて警察は捜査している。歌姫は、ロシア本国は元より世界各国にファンを持つ国際的アーティストであり、今回の失踪事件を日本政府の不備だと非難する声が多いそうだ。ただでさえロシアは昨今経済の低迷で国民のフラストレーションも高じていて、歌姫の失踪も重なり爆発寸前まで不満が溜まっている。ちなみに歌姫の父親はロシア政府の高官らしく、今回の件で日本政府に強い遺憾の意を表明したらしい。歌姫は国際的な大事件を起こすほどの大物であるようだ。
「どうしてロシアの歌姫の生首が?」
呆然とテレビの前で立っていたら、
「どしたの、お兄ちゃん?」
妹が怪訝に思ったらしく声をかけてきた。
「どうしたって。お前も見ろ!ベンジャミンが!」
「え?どこがベンジャミンなの?」
「どこって?今テレビに映っているのはベンジャミンの顔だろ!?」
「うんうん。全然ちがうよ!全然似てないよ!」
「似てない?」
妹にはひと目見たものを瞬時に覚えられる瞬間記憶の能力がある。以前にも妹は間違い探し百問を一分弱で解いたことがある。その妹が「ちがう」と言うなら、オレには同じ顔にしか見えないが、この首は歌姫その人のものではない。若干安堵したが、だとしても生首が本物である以上は人死にが出ている事実は消えない。加えて、生首の顔がロシアの歌姫にそっくりだということも腑に落ちない。
情報を整理してみる。
ひとつ。今朝、妹が拾ってきた生首はまだ腐っていない。胴から切断されて数時間も経っていないと推測できる。ふたつ。生首の顔は数日前から日本に滞在しているロシアの歌姫によく似ている。しかし妹が「似てない」と言ったのでほぼ間違いなく別人。しかし素人目には同一人物にしか見えない。みっつ。歌姫の父親はロシア政府の高官で、苦しい経済事情を改善すべく苦心惨憺しているらしい。
これらの情報から導き出される結論は……。
「…………」
結論は、出た。出たけど、これが事実ならうんざりするほどくだらねぇぞ。イタズラだと言われた方がよほどマシだ。もっとも最低でも一人は死んでいるから洒落になんないんだけどね。
さて、このまま生首をうちで隠していても厄介だ。ご近所さんに発見されて警察に通報されてはたまらない。そうでなくても生首はいずれ腐敗してしまう。このまま家に置いておくと困るのだ。オレにとっても、あちらにとっても。
「妹よ、やはりベンジャミンは手放してくれ」
「いや!」
「代わりにディズニーランド行こう」
「Yes!」
あっさり了承してくれた。うんうん、やっぱり素直だねぇ、オレの妹は。よい子よい子!
「それじゃ早く行こ!すぐ行こ!いま行こ!」
妹は手足をバタつかせ身体全てを使って「I want to go」を表現している。実に愛くるしい。このままデジカメに収めたいくらいだ。
「もちろんだ。
でもその前に準備があるから少し待っててくれ」
言ってオレは二階の母さんの部屋に向かう。
「ちょっとってどれくらい~?」
「ロシア語辞典を取ってきてメモを書くまでさ~」
「お兄ちゃん、どうしてベンジャミンを駅のロッカーに入れるの?」
駅のロッカーに生首を収めるのを、妹が不思議そうに尋ねる。
「後でわかるよ。さ、次に行くぞ」
移動する。
「お兄ちゃん、どうして河川敷にロッカーの鍵を置くの?」
河川敷に着いてロッカーの鍵をメモと一緒に置くのを、妹が不思議そうに尋ねる。
「後でわかるよ。さ、これで無問題(モーマンタイ)」
「あとさ、このメモには何て書いてあるの?」
「ああ、“このことは決して他言しません。ブツは駅のロッカーにあります”ってロシア語で書いてあるのさ」
「どうしてわざわざそんなことしたの?」
「多分、しばらく経てばテレビで流れるよ。そうなればわかる」
「???」
妹は顔中に疑問符を浮かべている。その様子がまた可愛い。
「さ、ディズニーランド行こう」
一週間後、テレビでロシアの歌姫が惨殺死体で発見されたというニュースが報じられた。
時期から考えて、とっくにあの生首は腐乱しているから……、
「二人目を使ったか」
やっぱりイタズラの方がまだよかったな。
事の真相は、恐らくこういうことだ。
ロシアの国情は貧に迫っている。明日にも国民の不満が爆発するのではないかというほどに。そこで政府はひとつの手を思いついた。世界的に人気を博するロシアの歌姫を、他国の地で殺させようと。本人を殺すのではなく身代わりの人物を、である。そうなれば、事件の起こった国の政府はロシアに対して負い目を持つ。歌姫の父は国家の要人なので、その国を叩く大義名分ができる。政治的要求と称してあれやこれやと脅迫すれば、なんとか国力は持ち直すだろう。つまり、歌姫の父親がロシアの経済を回復するために仕組んだことなのだ。さすがに実の娘を殺す訳にはいかず、歌姫に酷似した身代わりを用意したのだ。歌姫本人はどこかで生きているはずだ。
しかし、通行人に首を発見させて大々的なニュースに発展させる心積もりだったのだろうが、拾ったのが世間の感覚からずれているうちの妹じゃなぁ。ウサギよりフンコロガシを可愛いと言い、ミッキーよりプレデターを愛らしいとのたまう妹だ。嬉々となって生首を家に持ち帰り、あまつさえ愛称をつけて大切にする人間なんて、世界広しと言えどもうちの妹くらいだぞ。てか、二人もいたら恐いよ。
首のニュースが出回らなければ、ロシア政府関係者がこの辺りを捜しに来るかもしれない。それは避けたかったので、ロッカーに入れてメモも残した。首が見つからないまま二人目を使っては、誰かの手元に一人目の首があったら嘘がバレるからな。
ということだ。
「こんなくだらない計画に労力と時間と金銭を費やすくらいなら国力を蓄える政策でも打ち立てればいいのに」
最低でも二人、このくだらない計画のために命を奪われた人間がいるのだが、オレは正義の味方でも人助けが趣味の物好きでもない。平々凡々たる人生を渇望するごくごく一般的な人間なのだ。なので当件に関わる理由も責任もない。無辜の人間二人が犠牲になったことに、心が全く痛まない訳ではないが、オレはオレの日常の方が大事なの。
何はともあれ、厄介ごとに巻き込まれずに済んで安堵している。これでようやく再び平穏が訪れたと――。
その時妹が帰ってきて、
「見て見てお兄ちゃん!ベレッタm92fを拾っちゃった~!」
その手には黒々と光沢を放つ厳つい物体が握られている。
「………………………………………………。まぁ、生首よりはマシか」
吐き出す己の声に、我ながら力がないなぁ、そう思った。
〈了〉