葬列

 こんな夢を見た。


 目が眩むようなヴィヴィッドな色彩の駅の風景に惑わされ、僕は予定もしなかった場所で電車を降りた。


 その駅は目を見張る程の人で溢れ、しかも彼らは駅と同様、とても色鮮やかだった。彼らの衣装は虹のように華やかで、髪は孔雀の羽より多くの色彩で飾られ、誰一人として黒いままの髪などしていなかったし、黒い服など着ていなかった。そう、僕以外は、誰一人として。


 僕の意志など群集に紛れ遥か彼方へ追いやられ、人が向かう方向へ行く以外になかった。そうして駅を出ると、街は駅の華やかさとは掛け離れて暗く、灰色の壁で埋め尽くされている。地面は吐き気を催すようなごみや汚物で覆われ、それを踏み付けなければ、どこへも行けなかった。そんな街を彼らは無理矢理、色鮮やかに飾り立てようとしていたのだろうか。狭く悪臭漂う暗い道は、色とりどりのペンキやスプレーで壁に落書きを施している者で溢れていた。一見乱雑で荒んだ絵や文字、文章には彼らなりの街に対する深い愛情を感じずにはいられない。彼らの色彩感覚と芸術性でもって、街は明るさを僅かに取り戻し、どこか居心地のよさすら感じさせた。


「やつらは間違いを犯している」


 彼らにしか分からない言葉で、壁に書きなぐられているのに、なぜか僕にも理解できたとき、彼らの仲間になれたような気がした。そして僕はどこかで同じ台詞を聞いた記憶がある。彼らにとって「やつら」とは一体誰のことを指し、間違っていないこととは何なのだろうか。


 行き着いた先は、かつて目にしたこともないような高層ビルだった。コンクリートの冷たい壁が曇り空と混ざり合い、寒々しく、どんよりとした影を街に投げかけていたが、それでもビルの6階の窓辺りまでは、通りの壁と同じくペンキやスプレーの落書きで飾られ、それが幾らか高層ビルに色彩を与えているのだった。

 
 ビルに入ると、階数の表示されていないエレベーターに詰め込まれた。ボタンもなく、ドアが開いた場所で降りるしかなかった。しかしそんなことを、僕以外の誰も気に留める様子はなく、エレベーターががたんと音を立てて停止した。
そこは6階だった、何の表示も案内もなかったが、なぜかそれだけは分かった。彼らは当然のように無言でエレベーターを降り、そこで僕は気付いた。彼らのヴィヴィッドな外見、人々によって作り上げられた不思議な街並みに気を取られ、
不自然に感じながらも意識する余裕がなかったが、彼らは駅からこの高層ビルまで、一言も言葉を発しなかったのだ。これだけの人間がいっせいに歩いているにもかかわらず、話し声どころか咳払い1つも聞こえない。僕を包み込んだ静寂が余計に、彼らの姿や街に意識を集中させ、その静寂の余りの不自然さにも気付かずにいられたのかもしれない。


 しかし彼らに続いてくぐろうとしたドアの向こうから、それまでの静けさを容赦なく叩き潰す勢いで、あらゆる雑音という雑音が混ざり合った音が一気に流れ出し、その音の大きさといえば人間の鼓膜を破るくらい容易いことだとでも言わんばかりだ。しかしそのドアをくぐった途端、その音が耳を傷めるほどの騒音には聞こえなくなったのだ。あちこちから聞こえる口笛や狂気じみた奇声や拍手、足を踏み鳴らす音や楽器の音、全ての音が球戯場や体育館のように四方を取り囲む席から、中央に吹き溜まる。気付けば僕はその体育館のような場所の、正に騒音の中央に辿り着いていた。僕を取り囲んでいた彼らも群衆と共に、今までの静けさが嘘のようにがなり立てている。観客席を見回すと、横断幕や巨大な旗、紙テープ、カラフルなセロファンなどでけばけばしく飾り立てられ、僕が普段生活している世界とは大きくかけ離れた、おもちゃ箱の中のように思われたのだ。


 そしてどうにも奇妙なのは、彼らが思い思いに装飾した席や会場、彼らの服装、そして好き放題に立てられている、少なくとも最初はそう思われた騒音、それら が何か厳格な統率の下に行われているように感じられたことだった。何の協調性も調和も存在しないと思われた様々な音は、交響曲の調べに似た壮大さを持ち始め、僕はその中心で圧倒されるばかりだった。
 

 僕にはどうしても、その指令の出所が分からない。彼らは何に従い、行動しているのか。街を歩き、壁に書き殴られた彼らの言葉を理解できたときに、仲間入りできたと思ったのは僕の思い過ごしだったのだろうか。彼らが「間違いを犯している」と言う「やつら」とは、僕のことか? いや、そうではない、僕はあくまでも今この時点で「僕」であり、「僕ら」ではないのだから。ここまで共に歩いて来た「彼ら」と「僕」は、決して「僕ら」ではないはずだ。では「やつら」とは一体誰だ、誰が「やつら」を糾弾しているのだ、彼らが発するこの壮大な「騒音」は「やつら」に向けられた物なのか。


それは僕だ。


彼らの中央で彼らの発する色彩と音の波は全て僕に向けられているのだ。いつしか会場の全ての視線が僕に向けられていることに、僕は気付いたのだった。彼らは僕に指一本触れることもなかったが、僕は直感的に彼らに殺されるのだと思った。そう思ったときに、なぜ僕が彼らに殺されなければならないのかなどと、その根拠を追求するという、在り来たりの行動すら取れなかったのは、この体育館のような場所に来るまでに見た光景と、僕が今直面している現状、そこに十分な理由が転がっていたのを、僕は確かに感じ取っていたからなのだ。僕は黒い髪で、黒を纏っていた、それだけだった。殺される理由など、この場所ではそれで十分なのだ。


 僕は僅かな人と人との隙間から入ってきた扉とは別の扉を発見し、目が眩むような原色の海を掻き分け、両耳を完全に塞いでしまった音の洪水から逃れ、その扉を目掛けて走っていった。僕を捕まえようと、手を伸ばしたり、足を掛けたりする者は誰一人いなかった。僕は逃げられるのかと思ったが、恐らくそれは錯覚だったのだろう。


 扉をくぐると、目の前には螺旋状の階段が用意され、階段には一段おきに、黒い服を纏い、黒い髪を斑に赤や黄色に染められた死体が並べられていた。一段に1人丁寧に横たえられ、彼らの瞼には青色や赤、紫のシャドウが塗られ、雪より白く塗られた肌は、元の肌の色の名残すらない。僕も同じような死に化粧を施され、この階段の一番上の段に横たえられるに違いない。そして僕の次に、また同じようにして黒い服を纏い、黒い髪をした誰かが殺され、僕の上の段に横たえられる。そしてその死体が7階に届けば、この高層ビルに施された装飾や落書きも7階に到達するのだろう。


 僕は自身の葬列について歩いてきたのだ。彼らの華美な装飾は僕への弔いであり、騒音は葬送行進曲だったのである。そしてこの高層ビルは黒い服を身に着け、黒い髪をした僕らの集合墓地。彼らを統率していたのは「死者」であり、彼らはそんな「死者」を弔い、葬るため、死に行く者が思わず目を奪われ、ついて行かずにはいられないような、色鮮やかでヴィヴィッドな衣装を纏い、髪を原色に染め上げ、孔雀の羽のように飾り、死相で埋め尽くされた、薄汚れた街を落書きで埋め尽くし、狂ったように口笛を鳴らし、喚き立て、手を叩き、足を踏み鳴らしていたのだ。

 
 僕は色とりどりに飾られた屍を飛び越えながら、階段を駆け下りた。僕は決して、この死体の墓地に葬られる死体に加わるまいと心に誓った。何度も躓き、屍を踏み、倒れ込みながらも全力で降り続けた。しかし階段は果てしなく続き、行けども行けども終わりはない。


 気付くと、黒一色だったはずの僕の服は、赤や青、黄色や緑で汚れ、髪も薄汚く様々な色に染まっていた。僕は死に、黒を身に纏った僕をここへ連れてきた彼らのように、黒を纏った他の誰かをここへ連れてくる。「死者」を弔うために。
衣空
作家:衣空
葬列
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