「なぁ、大分って言ったら何が浮かぶ?」
「県と人名どっちぃ」
「大分って言ったら普通は県だろ」
「そうかなぁ」
横を向くと、大ちゃんは難しい顔して左手の指輪をいじっていた。
付き合って八年。同棲して五年。この指輪は付き合って五年目の記念日に買ったお揃いのもので、わたしの指にも同じものがはめてある。大ちゃんは最近何かとこの指輪をいじっている。
わたしはテレビを見るのを止め、自分専用の猫のマグカップにお茶をついだ。ティーパックが入れっぱなしだったので、すっかり苦くなっていた。
「こないだ友人に『大分出身なんだ』って言ったら、『どこだっけそれ。何があったっけ?』だとよ。いろいろあんじゃねーかよ」
ぶつくさと大ちゃんはぼやく。
なるほど。それで大分県のイメージ調査をしたくなったというわけか。
「で、何が浮かぶ?」
「えー、なんだろ」
うーん、と考え込む。実はいうとわたしは大分に行ったことがない。
だから大ちゃんを通してでしか、大分の情報を得ていない。連想ゲームのように、わたしは頭の中で大分県、大分県と呟く。
「……うーん。九州、温泉。あー、こないだ大ちゃんのお母さんが送ってくれた柚子胡椒。あれ美味しかった。あれって確か名産品でしょ」
「あー」
あ、こりゃわかってない顔だ。まったくもう。
わたしは付け爪が当たらない様にスマホを操作した。直ぐに目的の物が見つかった。大ちゃんに画面を見せた。
「ほらこれ、これ。やっぱ名産品って書いてある。これこっちじゃ全然見かけないんだけど。ネット販売もしてないし、大分県限定なのかな。また食べたいなぁ」
「かもな。おふくろに伝えとく。てか、温泉と柚子だけかよ。もっとねーの?」
「えー、あとは竹の子とか。あ、そーだ。大分県と言えばこれでしょ。大分合同新聞!」
「は?」
「昔ツイッタ―で話題になっててさ。たまに読んでんだぁ」
わたしはスマホのブックマークから、大分合同新聞のミニ事件簿を開いて、大ちゃんに見せた。
可愛いイラストと共に、これが新聞かっ! と思わせる内容の記事が載っている。
「……なんだよこれ。犬が逃げたとか、燕の巣が出来たとか。すげーのんきな記事ばっかじゃねーか! こんなん自分の日記にでも書いとけよ」
そう、このミニ事件簿には、本当に何気ない日常のことが書かれている。イラストも内容に沿ってほのぼのとしたものになっている。
わたしは得意げに「ふふん」と言って、胸を張る。この良さが分からないとは、大ちゃんはまだまだだ。
「この日常感が良いのよ。つらい日とかでもさ。この記事見てるとなんかすっごく和むもん。わたしは大分行ったことないけどさ、これ読むと「あぁ、大ちゃんはこんな土地で育って。この記事の書かれた場所の近くで、大ちゃんのお母さんたちが暮らしてるんだぁ」って感じられるじゃん」
「でも、実際はこんな風にほのぼのしてねーぞ。事件だってそれなりに起こるしな。実際に行ったら理想と違うって言ったりしてな」
「そーかなぁ。そんな事いわないと思うよ」
まぁ、行った事ないから断言はできないけど。理想と違っても大ちゃんが住んでいた場所ならそれだけでテンションが上がってしまう。
「なら……試してみるか。実際のとこ、直接見に来いよ」
「え?」
「かっ観光ついでだ! そうあくまでついで。実家に泊まれば宿代もかかんねーし、おふくろも、紹介しろって煩いし。そのー、俺たちもいい歳だしな。それを踏まえてだなぁ。あー、まぁお前が良ければなんです……が」
語尾がどんどん尻すぼみになっていく。
「え? もしかして、それを言う為だけのあの前振り? 友人の話って嘘?」
「あれは実話だ」
大ちゃんはわたしからマグカップを奪うと、中身を一気に飲み干した。あー、苦いの苦手なのに。予想通り吹き出しかけた。
腕で口元を拭うと、わたしを睨みつける様にみた。
「で?」
「で? って、何よ」
「で、どうなんだ」
「ふふふ、そうだね~。いいんじゃないかな、わたし大分行った事ないし。丁度便利なとこに大ちゃんのご実家があるみたいですしねぇ」
「おぅ」
わたしは大ちゃんに肩をぶつけながら、彼の顔を覗き込む。大ちゃんの顔はタコみたいな色をして、指輪をいじっていた。わたしは笑顔を抑えることができなかった。きっと頬がふにゃふにゃして変な顔しているだろう。
「覚えきれないくらい、いっぱい大分県の良いところ見せてよね」
「おぅ、任せとけ」
付き合って八年。同棲して五年。
この指輪が本物になる日も近いのかも知れない。