泡になる条件

  海に落ちてから、王子は変わった。

あんなに結婚を嫌がっていたのに、突然結婚する意志を固めたのだ。

 当初、王子は街一番の美しい娘と結婚するはずだった。だが王子との顔合わせにと、城に来た翌日、娘は消えた。次に選ばれたのは前の娘に負けず劣らずの美しい娘。この娘も、また次の娘も、城に来たその日の内に姿を消した。王子は彼女らの葬式に出る事はなかった。その為、王子が婚約者を求めているというのは建前で、美しい娘をさらい、裏で何かしているのではという噂が囁かれ始めていた。しかし相手はこの国の王子。誰も公の場では疑問の声を上げる事ができなかった。

 それでも次々と娘たちは選ばれ、消えていった。そしてついに、私にまで白羽の矢がたった。

見目麗しい城は、まるで牢屋のようだった。王子との顔合わせは、あっさりと終了した。王子は私を一瞥すると、顔をゆがめ、直ぐに何処かへ行ってしまった。

私は部屋へと逃げた。布団を頭から被り、未知の恐怖に怯えた。

ふと、何かの気配を感じ、私は急いでベッドから跳ね起きた。ベッドの脇に一人のランプを持った老女が立っていた。

「こんばんは」

 ランプの灯が揺れた。皺だらけの垂れきった顔と、それとは対照的な皺ひとつない質素な作業服が暗闇に浮かんでいた。

老女は「本日付で貴女のお世話係を任されました」と挨拶をしてきた。どこか田舎訛りな声に故郷の影を感じた。何処か遠い国から来たのだろう。相手が王子でなかった事に、私は胸をなでおろした。

「眠れないのですか?」

「……えぇ」

「ではしばしの間、私が話し相手になりましょう。あぁその前に私、脚が悪いんです。椅子に腰かけてもよろしいでしょうか」

「えぇ」

 老女は礼をいい、ベッドの横の椅子に腰をかけた。

「すみません、もうボロがきているようで」と自分の脚をさすった。スカートで隠れて見えないがかなり細い脚だ。

「ここに来て長いの?」

「いいえ、数ヶ月ほど前からここで働かせてもらっています」

老婆は目を伏せ、それから私の顔をまじまじと見た。

「貴女、王子と結婚したいですか?」

「えぇ」

私はそっけなく答えた。

 

 嫌な質問だ。結婚なんて自分で決められる訳ないのに。王族との結婚を自分の意思で選べるとでも思っているのだろうか。

「王子、貴女に興味を示さなかったでしょう」老女は断言した。「王子はね。恋をしているのです」

「誰に?」と言う問いを聞かぬまま、老女は「――に」と言った。訛りが強く、言葉を上手く認識できなかった。

「数ヶ月前、海が大きく荒れていた日の事です。王子が船の甲板から海へ落ちてしまったんです。そしてその時、世にも美しい娘に命を助けられた。それ以来、王子はその娘にこころを奪われてしまったんです。

そして地上の美しいと評判の娘を見つけてきては、自分を救った娘ではないと絶望しているのです」

王子の事を思いだす。あの目は、私がその娘ではないと知ったからだったのか。そして王子は娘たちを……。

「あぁっ。やっぱりあの噂は本当なのね。貴女、その事を私に忠告しようと――」

 言いかけて、私は気づく。さっき老婆は何と言った?

 王子は――に恋をしている? 私は老婆の方へ静かに視線を向けた。

「私ね、魔女と契約したんです。王子の傍にいたい。人間になりたいって。

そしたら魔女はなんて言ったと思います? 『この薬を飲めばお前は人間になる。ただし、代償としてお前の若さを貰おう』って。私はそれを承諾しました」

老女は枝のように細い脚をむき出しにして、ベッドの上に脚を乗せた。ランプの灯りに照らされて、脚がキラキラと輝いていた。老女の脚には微かに鱗が残っていた。私はその場に固まったまま動けなかった。

「ですけど、こんな姿になったからしら、王子は私に気づいてくれなかったの。私は王子を憎みました。だって、海の暮らしを全て捨ててここに来たんだもの。陸は辛いわ。別れた脚がまだズキズキと痛むの。

でもね、やっぱり王子が好き。傍にいたいの。それでね。魔女はこうも言ったの『王子がお前以外の人間と結婚した場合。お前の海の泡になり命を落とす事となる』って。酷い話でしょう。可哀想でしょう」

 私は訳がわからぬまま、頷いた。

歌うような口調で老女は言葉を紡いだ。

「だから考えたの、王子が私以外と結婚しない方法を。用はね、単純な話だったの。泡になる条件を排除すればいいってこと」

老女はゆっくりとした動作で私の上にまたがると、懐から短剣を取り出した。

「だからね。貴女が死ねばいいのよ」

老女は満足そうに笑った。それはまるで、少女のような笑顔だった。

 

白田まこ
泡になる条件
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