蜻蛉の接吻

 頭痛と吐き気で目が覚める、見たこともない薄暗い部屋だ。

「やっと起きたか?」

そこには見たこともない美しい彫物を背負った男が、胡座を掻いて煙草を吹かしている。

背中一面に桜吹雪という図柄の彫物が、カーテンの隙間から漏れる朝陽で光っていた。

「オマエ・・リュウセイって言ったよな?何処のガキだ、地元か?」

「・・・・・」

「オマエ・・口が効けねえのか?ぶっ飛ばすぞ、マジで・・」

「ああ、地元だよ・・」

「あのなぁ、口の効き方気い付けろ

いきなり頭を叩かれた、二日酔いのせいか吐き気がぶり返す。

「ト・・トイレ・・何処?」

「わぁっ、汚えな、そこ出て左だ」

出すものが無く、黄色い胃液が込み上げてくる。

 トイレから出ると、味噌汁の香しい匂いが立ち込めている、キッチンを覗くと花柄のエプロンを

纏った女性がニコニコしながらフェイスタオルを渡してくれた。

「これ使って、洗面所はそこだから」

冷たい水が心地良い、顔を洗い桜吹雪のもとへ戻った。

「おい、リュウセイ、飯食え、旨えぞ」

豆腐と若布の味噌汁、焼き塩鮭、納豆に刻み葱が乗っている、それに炊き立ての銀シャリご飯。

ここ最近実入りが悪く、ろくな物を食してなかった、久し振りに見たご馳走だ。

 

 佐藤雄二は、老舗の暴力団組織の中堅幹部であり、シノギと呼ばれる生業は金融業とは程遠

い、俗にトイチという闇金を一人でやっている。

主な顧客は、パチンコ店に屯する依存症の主婦や、自称サラリーマンでパチンコに負け、持ち金

の尽きた奴等がターゲットである。

大抵一回3万円を貸すのだが、10日で一割の利子が付く、利子は先取りで3万円であれば2万

7千円を借主に渡す、契約書など交わす筈もなく変わりに免許証を預かる。

そして10日に一度、利子を受け取りにパチンコ廻りをする、元金が減らない以上永遠に利子の

支払いが続く事になる。

中には利子さえ払えないパチンコ中毒の主婦がいる、旦那に借金を知られるのが怖いらしく、究

極の選択をする奴もいる、パチンコ客を相手に所謂売春行為をして遊戯代を稼ぎ、借金を返済

する、その相手と深い中になり、逃避行をする奴もいた。

パチンコで人生を狂わせた人間を、苦いほど見てきた。

 

 

 

 

「おい、リュウセイ・・オマエ俺の仕事手伝わねえか?」

「・・・」

「俺は〇組の佐藤だ、金貸やっててな、一人だと結構大変なんだ、ちゃんと給料やるからよ」

「いくらくれるんだよ」

「オマエなぁ、今度そんな口叩いたら殺すぞ」

「スイマセン・・」

「可哀想だよ、雄二」

佐藤雄二の内縁の妻で上野でスナックを経営している恵子、ロングヘアーを後ろに束ね、淡い

水の香りが漂う。

「まだ未成年でしょ、いじめちゃ可哀想よ」

「今日から手伝え、オマエ一人暮らしか?」

「いや、親がいるんだけど・・あっ・・いるんですけど、帰ってなくて・・」

「じゃあ、今日からここで暮せ、それから俺の服やるから、着替えろ

「はい・・」

 

 上野から浅草辺りが縄張りとなる雄二の組織は、明治時代から続く古参である。

博徒系の流れを汲むものの、関西系の大組織が幅を利かせている、数年前も縄張り争いで、い

ざこざを起している。

浅草は広く、俗に吉原と呼ばれるソープ街があるが街名は千束という、呼び込みと呼ばれるボー

イも雄二の客である、奴らは仕事の合間、界隈の賭博性のある卓上ゲームに興じ、借金を繰り

返す、ポーカーやフルーツと呼ばれるゲームである。

夜の帳が降り始めた頃、仕事が始まる。

ソープ街に雄二とリュウセイは向かった、店先に立つボーイ達は挙って深く一礼する、笑顔で揉

み手をする者もいる、リュウセイは優越感を味わった、雄二の背中が眩しく写ったのだ。

「おい、このノートには貸した金額、利息の支払日、担保とか色々書いてある、これを無くした

ら、商売できねえからな、しっかり持ってろ!」

「はい・・」

「今日は、吉原じゃ3件ある、月光って言う店のボーイで、高橋っていう野郎だ、コイツはジャンプ

だろうな・・ジャンプってのはな、元金返さないで利息だけ払うっていうやつだ」

すると目の前に月光と書いてある艶めかしい看板が電飾を燈していた。

「あっ、佐藤さん、お疲れ様です、いやぁ暑いですね・・実は今日負けちゃって・・ジャンプで・・・」

「おう、しょうがねえなぁ、いいよ」

「スイマセン・・じゃあこれで」

ボーイはズボンのポケットから、皺くちゃな一万円札を雄二に差し出した。

次の店に向かう途中、「さっきの野郎は10万貸してるんだ、だから利息はトイチで一万、10日

で一割が利息ってことさ」

「えげつねぇっすね・・」

「ぶっ飛ばすぞ・・」

 

 

 東武浅草駅前には外国人観光客や買い物客の人込で溢れている、雄二達は裏通りにあるパ

ンコ店を目指していた、この界隈は様々な人間模様が垣間見れる、観光客は勿論、ホームレ

類まで街を闊歩している。

ユートピアという店内は、遊戯客で溢れ昼間だというのに満席状態であった。

「リュウセイ・・今日の切り取りは、まだ若えんだがパチンコ中毒でな、20万貸してんだ、旦那が

務員らしくてな、あちこちサラ金でも摘んでやがる」

「いくつなんですか?」

「確か25,6だったな、払えなきゃ旦那のとこ行くしかねぇ

パチンコ店のフロアを探すと、雄二が見つけ指差した。

「おい、アイツだ、呼んで来い」

「はい・・」

ブランド物のバックを小脇に抱え、パチンコ台を凝視している姿は、ごく普通の女の子のようだ、

み屋で会っていたらナンパしているかもしれないとリュウセイは思った。

「あの・・雄二さんが呼んで来いって・・」

「えっ、今忙しいのよね、もうすぐ大当たりよ、チョッと待ってて」

そこへ雄二がやって来た。

「おい、いい加減にしとけよ、来いや」

店外の狭い路地にパチンコの景品交換所がある、独特の雰囲気で華々しい繁華街とは別世界

である。

「加奈ちゃんよ、そろそろ元金返してくれよ、利息だって一回分待ってやってんだからよ、いつまで

も甘い顔してらんねえぜ、旦那と話そうか?」

「ごめんねぇ、今日は勝つと思うから、もうちょっと待って、お願い・・」

「ふざけんなよ、今日は二回分の利息、4万は払ってもらうからな、でなきゃ旦那だな」

「やだぁ、無理、絶対無理・・いま8千円しかないもん・・だからこの8千円で・・・」

「おい、リュウセイ、俺は他行くから、コイツ頼むぞ、4万だからな」

「はい・・」

雄二は足早に路地を抜け、次の切り取り先へ向かっていった。

「ねぇ、お兄さん・・お願い・・もうチョッと待って・・お願い・・」

リュウセイは、雄二の管理ノートを捲りながら加奈のデータを見つけた。

「えっと、旦那は・・台東区役所勤務・・か、今から行って来るよ」

「ヤメテよ、お願いだから、それだけはヤメテ・・」

 

 野口加奈は、区役所勤務の旦那と都内マンションに暮している、子供がいない為、専業主婦を

ている彼女は暇を持て余していた。

何気に入ったパチンコで、ものの数時間で8万円を稼いでしまった、その感覚が忘れられず、中

症に陥ってしまう、今では夫の給料では賄えないほどサラ金、闇金にまで手を染めることにな

った。

「ねぇ、お兄さん・・ホテル行かない?」

「はぁ?」

「ワタシ・・タイプなんだぁ、アンタのこと・・ねっ、行こう」

加奈はリュウセイの腕を掴み、無理やり引っ張って歩き出した、その先には場末のスナックが建

並び、ドン突きに鄙びた旅館がある、その帳場には酸いも甘いも知り尽くしたかのような老婆

が、まるで置物のように座っていた。

「オバちゃん、上空いてる?」

老婆は無言で頷いた。

板張りの廊下の先に、登るたびにギシギシとなる階段を上がると、障子で仕切られた小部屋が

幾つかあった。

部屋の中は薄暗く、既に1組の布団が敷いてあり、調度品など見当たらない。

「ねえお兄さん・・しよ・・」

加奈はTシャツにホットパンツというスタイルで、いきなりリュウセイに抱きつきキスをした。

「おい・・ヤメ・・」

理性を失ったリュウセイは、加奈を布団へ押し倒し、力任せに服を剥がし、加奈を全裸にした。

「ねぇ、もっと優しくして・・」

 

 浅草仲見世の裏通りに、田園という喫茶店がある、創業20年という歴史があるらしいが、店内

は、モダンな様相を醸し出している、カウンターには常連客がマスターと談笑し、テーブル席には

一組の若いカップルが、別れ話であろうか、女が涙を浮かべている。

その一番奥の席に雄二がドカリと座り、ラークを吹かしていた。

「おう、ご苦労さん・・取れたか?」

「はぁ・・」

「何だよ・・手ぶらじゃねえだろうな?」

「いえ・・」

リュウセイは、なけなしの4万円をズボンのポケットから出した、それは皺くちゃで汚れていた。

「オマエ・・ヤったのか?あの女と・・」

「いえ・・別に・・その・・」

雄二はテーブルの上にあった自分のケータイで、いきなりリュウセイの頭を殴った。

「痛てっ・・何するんすか、ああ痛てぇ・・」

「テメエ、馬鹿か?そんなことしてりゃ、商売できねえぞ、この馬鹿が」

 

 

エンジェル
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