屍山血河 第一巻

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まだ、近代文明が興る前の話である。

男たちは鎧をまとい、馬に乗って槍を操り、多くの血が流れた。

保身のためには親兄弟ですら平気で切り捨てる凄惨な時代だった。

誰もが血眼になって権力を求め、血で血を洗う光景が果てることなく続いた。

いつ終わるともしれない争いに次ぐ争い。

後の世の人々は混迷の時代をこう名付けた。屍山血河の時代と……

 

広大なリベルダーデ大陸には五つの国家があった。

 

最大の軍事力を誇るグルーネ帝国。

帝国に背いたクラウスが国父となったハーゼンハイデ公国。

名君、シャルル率いるレオンブルム王国。

マーナ人だけで構成されるマーナ族同盟。

そして、滅亡寸前のアルカトラス共和国。

共和国の救世主はマクスリード・パルテア。通称マックス。

この物語はマックスが一七歳で軍に入隊し、 二八歳で戦争終結にいたる過程を描いた作品である。

 

大陸歴一五五年、大陸には五〇を超える都市国家が存在し、戦争が絶えることはなかった。

戦争をなくすには一つにまとめればよい。

識者の提案で、各国の首脳が話し合い、民主主義国家連合が発足した。

これに異を唱えたのは、ヨハン・グルーネである。

「民衆には指導者が必要だ。すぐれた指導者がな。わたしこそその名にふさわしい」

自他共に認める自信家らしい発言だった。

すぐれた軍人であったヨハンは自ら優秀な人材を集め、 グルーネ帝国、初代皇帝の椅子に座った。

連合軍は一二万の大軍を送り、帝国に天誅を加えようとしたが惨敗。

ヨハンは高らかに宣言した。

「見たか。これが選ばれた者と凡人の違いだ。勇敢な獅子の前に、一万の兎は蹂躪される運命なのだ」

ここから歴史は大きく変動する。

官僚のシャルル・レオンブルムは王国を建国し、確固たる地位を築いた。

もともとシャルルとヨハンは犬猿の仲であった。シャルルは吐き捨てるように言った。

「ヨハンの好きにはさせぬ。あの程度の輩、蹴散らしてくれるわ」

さらに少数民族、マーナ族は同盟を作り、連合は消滅。

結局、民主主義はアルカトラス共和国だけとなった。

 

大陸歴三七八年、帝国の重鎮であったハーゼンハイデ公爵クラウスは 時の皇帝、グレゴールに反旗を翻し、ハーゼンハイデ公国を立ち上げた。

皇帝は激怒。重臣の集まる謁見の間で怒鳴り散らした。

「若造がふざけおって!わしにたてつくなど十年早いわ!直ちに出陣するぞ!」

グレゴールは八万の兵を送り、一気に叩きつぶすはずが、見事に返り討ち。

クラウスの才能もさることながら、密教になぞらえ、四天王と呼ばれる 優秀な将軍たちに全く歯が立たず、帝国は滅亡寸前まで追い込まれた。

だが、クラウスは天下取りに一切興味を示さず、 弱者救済に精力を注ぎ、大陸の英雄となった。若き公王は鼻くそをほじりながらぼやいた。

「まったく、どいつもこいつも欲張りだねえ。昔から言うじゃないか、慌てる乞食はもらいが少ないと」

 クラウスは本質的に怠惰な人間だったが不思議な人徳があり、家臣も民衆もよくなついた。

その後、各国で優れた人物が現れると「クラウスの再来だ」と言われたが、 誰一人として彼をしのぐ人材はいなかったのだが……

 

大陸歴五四四年、共和国軍のウィリアム・ジョー・エリオット元帥が 彗星のごとく舞台に立ち、最弱共和国軍の救世主となった。

こと戦術に関してはクラウスをしのぎ、名将の中の名将と呼ばれた。

その系譜を継いだのがマクスリード・パルテアである。

 

「くそ!なんでこうなっちまったんだ!」

 紺色の髪と瞳をもつ少年が叫んで、ドアを殴った。堅牢な厚いドアが悲鳴を上げる。

 少年の名はマクスリード・パルテア。愛称はマックスである。

 一九〇センチ近い恵まれた体格は迫力十分で、顔つきは精悍この上ない。

 アルカトラス共和国の田舎で生まれ、両親は戦争で死んだ。いわゆる戦災孤児である。

 さして広くもない執務室には机と椅子、棚があり、窓からは西日が差しこんでいた。

 つかつかと音を立てて兵士がマックスのもとにやってきた。二〇代と思しき兵士はドアを力強くノックした。

「パルテア中佐殿!至急執務室にとアービング大佐がお呼びであります!」

「わかりました。すぐ行きます」

「はっ!」

 謙虚で礼儀正しいマックスは兵士にも敬語を使う。それが人望を呼び、彼を誹謗する者はいない。

 ほどなくしてマックスは美貌を誇る女上司の執務室にたどりついた。その間、もやもやとした嫌な予感がマックスの頭にわだかまっていた。また無茶な命令が下りるに違いない。そんな決め付けがマックスの神経にこびりついている。

「あら、ずいぶん早かったわね」

 優雅な姿で書類を整理していたシルビア・アービングはマックスを迎え、微笑んだ。女性ですらうっとりするような、神々しい笑顔である。

 軽く一七〇センチを超える長身は姿勢がまっすぐに伸び、偉そうにしているわけでもないのにおのずと人を従わせる威厳があった。

 シルビアの顔はあまり大きくはない。琥珀色の瞳に、長い睫毛。やや薄い唇はマックスをからかうように笑っていた。かつては栗色の髪を長く伸ばしていたが、いまは戦闘の妨げにならないよう、短く整えている。

「何の用ですか、シルビアさん」

 極めて不愉快そうにマックスは詰問した。シルビアは椅子に座る。その様子も実に華麗で、この人はなにをやっても絵になるのだな、とマックスですら認めざるを得ない。シルビアはおもむろに口を開いた。

「また帝国の兵がわが領地に潜入したの。で、あなたに指揮を取ってもらうわ」

 それに対し、マックスは吐き捨てるような口調で言った。

「いい加減にしてください!僕は軍をやめます!」

 常人なら心臓が止まるような怒声だった。だが、シルビアは何事もなかったように切り返した。

「いいわよ。ただし、あたしと弓の勝負をして、勝ったら好きにすれば」

「そんな……」

 マックスは肩を落とした。彼の弓も下手ではないが、シルビアの足元にも及ばない。共和国一の美女と呼ばれるシルビアは妖艶な笑みを浮かべた。

代名詞の紫装束をまとったシルビアは舞台女優のごとき存在感だ。結局、マックスはそれ以上何もいえず、すごすごと執務室を後にした。

 

 すべては一年前にさかのぼる。

 ある料亭で喧嘩が起こった。正義感の権化であるマックスはすぐに馬を走らせ、大声を張り上げた。

「ここは喧嘩の舞台ではない!すぐに帰りなさい!でないとこちらにも覚悟がありますよ!」

 数名の男を血祭りにあげたならず者たちは、胡散臭げな目つきでマックスを睨んだ。

「なんだ、あのガキは」

「気をつけろ、ただのガキじゃない。マクスリード・パルテアだ」

「ほう、あれがうわさの」

 一瞬静まり返ったが、すぐに一人の男がしゃしゃり出た。

「おい、ガキの分際で偉そうに。お前なんざ俺一人で十分だ」

 いきなり男はパンチを見舞った。顔に受けたマックスは小揺るぎもしない。男の腕をつかむと、あっさりへし折った。

 男は唇から叫び声をあげ、苦痛でのたうちまわった。

 これで一人片付いた。ならず者たちは全員完全武装している。槍を取り出した男はマックスに突きつけた。ひょいとかわすと槍を取り上げ、マックスは手加減しつつも男の胸を突いた。男は宙を舞い、壁にたたきつけられた。

「よし、全員で包囲しろ。油断したら死ぬぞ」

 隊長格の男に従い、二〇名ほどのならず者がマックスに歩み寄った。

「よう、やってるな。俺も混ぜてくれや」

 金髪の軽薄そうな少年が現れた。体格はマックスよりやや大きい。マックスは眉を寄せ、鬱陶しげな口調で少年を制した。

「クルーガー、お前が出る幕はない。さっさと帰れ。お前が絡むとロクな結果にならん」

 突き放すようにマックスは言ったが、クルーガーは意に介さなかった。唇を上げ、にやりと笑う。

「お、さすがはマックス。だが、ここまで馬で飛ばしたんだ。黙って引き上げると思うか?」

「……好きにしろ」

 マックスは簡単にあきらめた。なにを言っても無駄だ。そんな表情のマックスの横でクルーガーはこぶしを固める。

「なめるなよ、小僧ども!」

 隊長格の男が怒鳴ったが、マックスもクルーガーも顔色一つ変えない。

 かくして、マックスと悪友のクルーガー対ならず者の喧嘩が始まった。 怒鳴り声が飛び交い、窓ガラスは破れ、何とも凄惨な光景が広がった。

 結果はならず者の惨敗。彼らも決して弱くはないが、相手が悪すぎた。地面は血で汚れ、二〇名を超えるならず者は全員半殺しになった。

「ああ、いい運動になったな」

 返り血で顔を真っ赤に染めたクルーガーはまだ物足りないようだ。 一方、生真面目なマックスは手早く布切れを広げている。

「すぐに病院に運ぶぞ。お前も手伝え」

「やなこった。俺はお前と違って女がいるんだ。暇人がやりな」

「この野郎……」

 マックスがこめかみに青筋を立てた。

 そこにまた人物が現れた。紫の服をまとった美女が二人に呼び掛ける。

「マックス、クルーガー。おとなしくあたしに従いなさい」

「シルビアさん……」

 二人は絶句した。シルビアは正規の軍人だ。いやな予感がマックスの頭をよぎる。クルーガーもきょとんとした様子だ。

「二人ともあたしについてきなさい。そこに横たわっているのはあたしの部下よ」

「なんですって!」

 二人は顔を見合わせた。どうやら自分たちが犯罪者に仕立て上げられたようだ。憲兵が二人を拘束し、シルビアが所属する第七方面本部へ向かった。

 翌朝裁判が行われ、二人とも傷害の罪で有罪。ただし、軍に入隊すればおとがめなしと。かくして、マクスリード・パルテアとクルーガー・トンプソンは強制的に軍人となった。

 

「あの件さえなければ……俺の人生は終わった……」

 マックスは長嘆息した。執務室に戻ったマックスは窓から差し込んでいる日差しに目をやった。すでに夕刻である。そろそろ自宅に帰るか。実に気持ちの悪い疲労感がマックスの両肩にのしかかっていた。

 シルビアはアービング財閥の令嬢で、彼女の父は少なからずマックスたちに生活資金などを送ってくれる。娘のシルビアは遊んで暮らせるほどの財産を持っているが、男勝りの武勇を買われ、軍にスカウトされた。

 トントン拍子に出世し、一九歳の若さで大佐に昇進した。

 遅れて入隊したマックスとクルーガーはシルビアの警護などを務め、常に最前線に立ち、少なからず勲功をあげ、現在はともに中佐である。今や共和国軍で彼らの名を知らないものはない。マックスは人間離れした腕力の持ち主で、槍の名手。クルーガーは馬術に優れ、弓の腕はシルビアに次ぐほどだ。

「おう、マックスよ。いつにもまして不機嫌そうだな」

 廊下をとぼとぼと歩いているマックスに一人の男が声をかけた。鼻歌を奏でながらクルーガーは金髪をかきあげて笑った。軍に入ったことを悔やむマックスと異なり、彼は遊び半分で仕事をして、相変わらず給料を女遊びに費やしている。

「シルビアさんの命令だ……また帝国がやってくるぞ」

「ほう、じゃあまた俺たちは出世できるな。給料も上がるし、願ったりかなったりだ」

 クルーガーの言い草に、マックスはうんざりした。この男は人生を何だと思っているのだ。生真面目なマックスは諭すようにクルーガーに言った。

「おまえ、わかっているのか?俺たちはただの人殺しだぞ。恥ずかしくないのか?」

「ああ、その台詞は聞き飽きた。職業に貴賎なしだ。どの道俺たちはこんな運命なのさ」

「全くいい加減な……とにかく出立の準備をしておけ」

「あいよ」

 手を振ってクルーガーは立ち去って行った。その姿を見送って、マックスはますます気が重くなった。

 

 翌日、マックスとクルーガーが国境付近に到着したのは正午ちょうどだった。

 帝国軍の将兵は約一八〇〇人。マックスたちは一六〇〇人。指揮官の腕次第でどうにでもなる差だ。

 戦場は赤い土が広がり、枯れた草木がちらほらと見えていた。クルーガーは利き腕の左手をかざし、敵軍の様子をうかがっている。

「どうやらあちらさんはやる気満々らしいぜ。どうするよ?」

「そうだな……地形から言って奇策に出ることはない。正面からぶつかるだけだ。いいな?」

「そうこなくちゃよ」

 クルーガーは満足そうに笑い、口笛を吹いた。

 馬に乗ったマックスは鎧と槍を備え、兵士たちに命令を下した。

「敵はわが軍より数は多いが、諸君らの健闘で勝利は可能だ!わたしとトンプソン中佐は先頭を切る。弓兵はトンプソンの命令に従え!いくぞ!」

 マックスの檄で士気は上がった。両軍入り乱れての戦闘は迫力がある。最初は優位に戦いを進めていた帝国軍は徐々に押され、マックスが敵の指揮官を仕留めると、勝負は決まった。共和国軍の戦死者はわずか五五名。対する帝国軍は三割の将兵を失い、惨敗を喫した。

「つまらねえな。もっと強い相手と一戦交えたいぜ」

 クルーガーの言葉には説得力がある。彼一人で帝国軍は七〇名の死者を出し、本人は傷一つ負っていない。 マックスは太い息をついた。

「これで一安心だ。戦死者を運ぶぞ」

「了解」

 方面本部に帰還した二人を待っていたのは共和国軍最高幕僚会議議長、フランク・ロビンソン元帥だった。マックスとクルーガーに緊張が走る。軍の最高幹部がわざわざ出迎えに来る。ロビンソンは見事に手入れされた顎髭に手を当て、二人をねぎらった。

「ご苦労だった。二人は大佐に昇進だ。わたしはアービング君に礼儀を尽くさねばならんな。こんな英傑を紹介してくれたのだから」

「恐縮です、閣下」

 マックスは馬から降り、深々と頭を下げた。無礼で知られるクルーガーもさすがに軽口は叩けない。実はシルビアに入れ知恵を持ちかけたのはロビンソンなのだが、二人だけの密約だ。

 ロビンソンは軍人に似つかわしくない穏やかな微笑を浮かべている。髭のせいでやや老けて見えるが当年とって四八歳で、戦略家としてゆるぎない実績を持ち、将兵からの人望も篤い人物である。

「今夜はゆっくり休んでくれ。今後も期待しているぞ」

「はっ!」

 二人は敬礼し、ロビンソンは執務室に戻った。

 

 翌日、マックスは買い物に出かけた。マーケットで安い食糧を購入した。

 橋を渡る際、マックスは女性を発見した。思いつめた表情の女性は何を考えているのか、ふらふらと橋から飛び降りた。マックスは唖然とし、服を着たまま飛び込んだ。水没した女性を抱え、何とか這い上がる。どうやら女性は気を失っているようだ。年頃は18歳のマックスより若い。少女はマックスに運ばれ、一直線で帰宅した。少女をベッドに横たえる。かろうじて溺死は免れたようだ。服がずぶぬれなので、シルビアを呼び、着替えを頼んだ。

「全くお人良しなんだから。まあ、そういうところがあなたの長所ね」

 シルビアに揶揄されたが、マックスは動じない。少女の着替えを依頼し、シルビアは喜んで協力してくれた。数時間が去り、シルビアがいなくなったころに意識が戻ったようだ。

「君、大丈夫か?」

「はい……」

 少女の姿を見ると、雪のように白い肌をしている。顔立ちはシルビアには及ばないが、十分な美貌で、少し戸惑っているようだ。

「俺はマクスリード・パルテア。君の名は?」

「アイシャと申します……」

「まあ、どんな理由にせよ、自殺は止めてくれ。まだお互いに若い。人生これからだよ」

「いえ、自殺ではないんです」

「え?」

「あまりにお腹がすいていたのでバランスを崩しました」

 マックスは珍しく哄笑した。

「ごめん、俺の勘違いだったようだね。ちなみにどこに住んでいるの?」

「家はありません。家族が戦争に巻き込まれて私一人です」

「そうか……なら、一緒に暮らさないか?」

 マックスは弱者に優しい。アイシャは困惑した。

「ご迷惑ではありませんか?」

「遠慮は無用だよ。困った時はお互いさま。うちはボロだけど君の部屋はあるよ」

「では、お言葉に甘えて……」

 どこまでも遠慮がちなアイシャの言葉に、マックスは好感を覚えた。

 こうして、マックスとアイシャの共同生活が始まった。

一週間後、シルビアがマックスを訪れた。ストレートに、感想をぶつける。

「マックス、あの時は気付かなかったけどなかなかきれいな女の子じゃないの。隅に置けないわね」

「そんなんじゃありません。困っている人を助けただけです」

「ふうん。まあ、優しそうな子だから面倒みてあげてね」

「当然です!」

 翌日、クルーガーが訪れた。にやにやといやらしい笑顔でアイシャを観察している。

「正直に言えよ。あの子を抱いたのか?」

「お前と一緒にするな!いい加減にしないと殴るぞ!」

「おー、怖い怖い。じゃあ、俺が口説いてもいいか?」

「だめだ!彼女は娼婦じゃない。お前といえどもこれ以上の中傷は許さんぞ!」

「わかってるって。大事にするんだな」

 マックスは料理が上手だが、アイシャが家事を一手に引き受けてくれる。

 本心は、アイシャに恋愛感情が全くないといえばうそになる。

 だが、マックスは指一本触れていない。

 同時に、マックスはシルビアにも特別な感情がある。

 しかし、どちらも選べない。年上で優雅、華麗、妖艶なシルビア。

 常に謙虚で心優しいアイシャ。

 マックスは戦場では抜群の決断力を発揮するが、こと女性に関しては非常に奥手だ。

「参ったな……」

 煮え切らない自分が情けない。遊び上手なクルーガーならとっくに肉体関係を求めるだろう。だが、マックスは誠実さの塊だ。この先どうやって行くべきか、なかなか答えが出ない。

 

 執務室で鎧を磨いていたクルーガーのもとへ兵士が駆け付けた。

「トンプソン大佐!大変なことが起こりました!」

「落ち着けよ。何があったんだ?」

「パルテア大佐が重傷を負い、病院に担ぎ込まれました!」

「なんだと……」

 クルーガーの目つきが変わった。彼の知る限り、マックスをしのぐ男がいるとすれば自分だけだ。それだけの力量をもつマックスを倒したのは誰だ?

「マックスの相手をしたのはどいつだ?」

「グレンデール准将であります」

「聞いたことがあるな。よし、俺が倒してやる」

 鎧をまとい、槍を持ってクルーガーは訓練所に向かった。

 

 クルーガーがだだっぴろい訓練所に入ると、一人の男が屹立していた。192センチのクルーガーより一回り大きい。口ひげをはやした男は雷獣のようにクルーガーに呼びかけた。

「俺はグレンデールだ。さっき倒した小僧の友人か?」 

「クルーガー・トンプソンだ。俺と勝負しろ。全力でたたきのめしてやるよ」

「ふふふ、若い者はそれくらいでちょうどいい。いくぞ」

 双方槍を構え、一騎打ちの始まりだ。

 恐るべき速度で間合いを詰め、クルーガーは槍を相手の胸にたたきつけた。常人なら吹き飛ばされていただろう。が、グレンデールはびくともしなかった。

「なかなかの突きだ。今度はこちらの番だな」

 グレンデールは槍を高く掲げ、渾身の力でクルーガーに打ち下ろした。

 反射的に槍を横にし、クルーガーはしのいだ。だが、両手がしびれている。力でかなわないと悟ると、素早く左右に動き、槍を繰り出す。

 しかし、ことごとくかわされる。

「こんなでかい図体でなんて速さだ……!」

 クルーガーは肩で息をしているのに、グレンデールは全く変化がない。

「かなりの腕前だな。これで終わりだ」

 グレンデールは槍を引き、相手の肩に突きを放った。クルーガーの体は吹っ飛び、地面に叩きつけられた。

「おい、病院に運んでやれ」

 グレンデールの命令で兵士が3人がかりでクルーガーの巨体を担架に横たえた。

 目を覚ますと、クルーガーはマックスを探した。ちょうど隣のベッドでマックスが休んでいる。

「おい、起きてるか?」

「クルーガー、お前もやられたのか?」

「ああ。何なんだ、あのおっさんは?」

「アレクサンダー・グレンデール准将だ。あの人は人間じゃない。桁が違う」

「お前と二人がかりでも無理だろうな。上には上がいる」

 二人は屈辱感で黙り込むしかなかった。

 

 その夜、グレンデールとロビンソンは夕食を共にした。グレンデール一人でワインを5本も飲みほし、ロビンソンは紅茶を飲んでいる。

「どうかね?パルテアとトンプソンの腕前は」

 ロビンソンの質問に、豪放磊落を絵にかいたようなグレンデールは薄く笑った。

「わたしは今まで500名以上の兵士を育て上げました。そのわたしが言います。あの二人はまぎれもなく本物です」

「そうか。将来は君を超えられると思うかね?」

「閣下、失礼ながらそれはありません。わたしも日々精進しておりますから」

「なるほど。では、今後とも指導してやってくれるのかな?」

「もちろんです。わたしが責任を持ってしごきますよ」

 グレンデールは拳で胸を叩いた。

 

マックスとクルーガーが退院すると、地獄が待っていた。

 グレンデールがロビンソンに公言した通り、徹底的な訓練が行われた。

 毎日5時に起きて20キロ走る。

 その後、訓練所でグレンデールがつきっきりでみっちり二人をしごく。

 槍の使い方に関しては基礎から猛練習だ。

「パルテア!もう少し腰を落とせ!重心がずれているぞ!トンプソン!手を抜いても無駄だ!真剣にやらんと殴るぞ!」

 夕方になると二人は死人の顔になっている。グレンデールが帰宅した後、 寝転がって荒い息をしていた。

「勘弁してくれよ……あのおっさん、人間か?」

 自慢の金髪をかきまわしながら、クルーガーは珍しく音を上げた。

「俺も同感だが、このくらいはこなせないと次の段階には進めないだろう。しばらくは臥薪嘗胆だ」

 一ヵ月後、訓練が終わってから、グレンデールは二人の肩をつかんだ。

「よくやったな。二人とも成長を実感できたか?」

「はい、閣下のおかげでかなり自信がつきました。ありがとうございます」

 マックスは頭を下げる。クルーガーは鼻くそをほじりながらぼやいた。

「まあ、あんたには感謝するよ。どうせ一生かかっても追いつけないしな」

「くくく、わからんぞ?二人ともまだ若い。俺の訓練はこれで終わりだ。近々帝国がまた軍を派遣するだろう。その時は頼むぞ」

「はっ!」

 

 ロビンソンが執務室で書類を眺めていると、一人の人物が訪れた。

「しばらくぶりですな。お元気かな?」

「誰かと思ったらあなたでしたか。すぐに座ってください」

 ロビンソンがあわてて椅子の用意をする。

「すまんですな。よる年波には勝てんですわ」

 椅子に座った60代と思しき貧相な人物の名はサミュエル・ファイザード。階級は少将である。

 共和国軍にあってただ一人、名将に値する司令官だ。あとの将軍たちは政治家の推薦で出世した能無しばかり。ファイザードはロビンソンが敬語を使うほどの大物であるが、外見はただの老いぼれである。

「部下の報告によるとまた帝国が攻めてくるとか。それで閣下を訪れたのですじゃ」

「ご存知でしたか。規模は4万とも5万とも言われています」

「それはそれは……万全の準備が必要ですじゃな」 

「指揮をとっていただけるとありがたいのですが……」

「元帥閣下、こんな爺でよければ使ってくだされ。エリオット元帥がおられればわしの出る幕はないですじゃが……」

 ウィリアム・ジョー・エリオット。ハーゼンハイデ公クラウスをしのぐ百年に一人の逸材。だが、政治家の介入で思うような働きができず、嫌気がさして現在は隠遁生活を送っている。

「エリオット元帥はわたしが何とかします。将軍には最善を尽くしていただきます」

「ありがたいことですじゃ。そう言えば、グレンデールの下に優秀な若手がいると伺ったのですが」

「はい、パルテアとトンプソンです。このたびは将軍の役に立てるよう、わたしが責任を持って推薦します」

「了解ですじゃ」

 二人は敬礼して別れた。

時は12月になり、冷え込みが激しくなりつつある。

 共和国全軍が広大な練兵場に集まった。

 壇上に立ったロビンソンは敬礼した。将兵たちも敬礼する。

「よくぞ集まってくれた、諸君!」

 ただ一言で全員が叫び声をあげる。ロビンソンがどれだけ将兵から尊敬されているかを示していた。

「このたび集まってもらったのはほかでもない。帝国軍が大規模な侵攻作戦を企て、我らの領地を蹂躙するのだ。しかも、全軍の指揮を執るのはかのバーレンシュタイン大将軍だ!」

 兵士がどよめく。バーレンシュタインは70代の老人だが、ただ一人大将軍の肩書を持ち、まず名将と言っていい力量の持ち主だ。共和国だけでなく、ほかの国家から一目置かれる存在と言っていいだろう。

「なお、このたびわが軍の総司令官に就任していただいたのは、ファイザード将軍だ!」

 再び歓声が上がる。控え目なファイザードは壇上に立たず、手を振って兵士に応じていた。

「戦力ではわが軍がやや不利でああるが、わたしは諸君を信じている。わが民主主義の砦を守るため、諸君らの健闘に期待する!」

 三度歓声が上がった。ロビンソンは敬礼で応じる。歓声はなかなかおさまらなかった。

 

帰宅したマックスを、アイシャは天使のような笑顔で迎えた。

「おかえりなさい、マックス」

 はじめ、アイシャはマックスのことをパルテアさんと呼んでいたが、 かたすぎるとマックスはいい、呼び捨てにするよう促した。

「遅くなってごめん」

「いえ、今日はマックスの好物を用意しました」

 テーブルの上には7品目もの皿が並べられ、マックスの好物である白魚が中央に置かれていた。

「ありがとう。いただきます」

 食事を終えて、やや深刻な顔つきでマックスは語った。

「アイシャ、今回の戦争は長引きそうだ。申し訳ない」

「いえいえ、あなたは軍人ですから。どのくらいで終わりそうですか?」

「正直、誰にもわからない。ただ、俺の役目は兵士が一人でも生き残るよう、全霊で戦うだけなんだよ」

「どうかご無事で」

 アイシャの髪が伸び、腰まで届くそれは漆のような芸術品に見える。

 この少女を守らなければならない。マックスは抱きしめたい衝動をぐっとこらえ、かすかに笑った。

 

大陸暦575年12月8日。共和国と帝国の境目であるノッティンガム平原で両軍は対峙した。

 戦力は帝国軍、4個軍団4万8千、共和国軍は三個軍団3万6千。

 帝国は菱形の陣形を取り、先鋒は猛将の代名詞的存在、ミヒャエル・ビーゼンヒュッテン将軍。一騎討ちで彼を凌ぐ者は帝国に存在しない。190センチ、95キロの体躯に黒い鎧をまとい、威圧感にあふれている。

 右翼はフリードリヒ・エッシェンハイマー将軍。攻めてよし、守って良しの器用な人材で、将兵の人望は篤い。

 左翼は28歳の気鋭、カール・フランツ・ブルグミュラー将軍。皇帝ウィルヘルム2世の秘蔵っ子で、若いながらもなかなかの戦術眼を持つ。

 そして後方に構えるのがハインリヒ・バーレンシュタイン大将軍である。まさに最高の布陣と言っていいだろう。

 対する共和国軍はピラミッド型の陣形を組み、ファイザードは中央で指揮を執る。誰がどう見ても帝国の勝ちだ。

 先に動いたのは共和国軍で、慎重に陣形を崩さないよう、ゆったりと進軍すべく、ファイザードは命令を下した。両軍が接触したのは午前11時。予想どおり、ビーゼンヒュッテンが槍を振るい、その武力を存分に発揮する。あっという間に50名もの兵士を討ち取り、早くも鎧は血に染まった。

「一騎討ちを望む!誰かわたしの相手になる者はいないのか!」

 腹から響く声でビーゼンヒュッテンは叫んだが、ファイザードの命令通り、共和国軍の兵士は慎重に動いていた。

 徐々に共和国軍はおされ、2キロほど後退しつつ、矛を交えた。

 突然、帝国軍の脇からグレンデールが現れ、わずか500名の精鋭を率いて楔となり、帝国軍の横っ腹をえぐる。ほぼ同時に、マックスの別動隊、クルーガーの部隊がそれぞれ帝国軍を撹乱し、陣形が大いに崩れた。

 バーレンシュタインは後退命令を出すが、ファイザードの指揮で共和国軍は離れない。

「いまいましい!さすがはファイザードよな」

 エッシェンハイマーは舌打ちし、とにかく陣形の乱れを何とか整えようとする。だが、今度はシルビア率いる弓兵部隊が現れ、正確無比な射撃で帝国軍をかきまわす。全員が指揮官であるシルビアにならって紫色の鎧をまとった弓兵部隊の威力はわずか30分で500名以上の兵士を討ち取り、もはや帝国軍は混乱の極みであった。

「いったん退け!大将軍の命令だ!」

 ブルグミュラーは叫び、ようやく帝国軍は後退し始めた。

 だが、これこそがファイザードの狙いだった。参謀チームの天才、エドワード・ランズバーグ中佐の作戦で本当の地獄が待っていた。

「おい、何か足元がぬかるんでいないか?」

「確かに。これは……油だ!」

 グレンデール達が時間を稼いでいる間に、別の部隊が油をまき、火を放った。

 帝国軍の兵士たちが悲鳴をあげて死んでゆく。もはや勝敗は決まった。とどめに共和国軍は弓を放ち、甚大な被害を与えた。

 午後5時半、帝国は完全に退却した。共和国軍、死者3500名。帝国軍、16000名。経済の要地、ノッティンガムを獲得する帝国の目標はもろくも崩れ去った。

 

「何たる醜態だ!」

 男はグラスを足元に叩きつけた。ガラスの破片が飛び散る。

 豪奢な椅子に座り、顔を紫に染めているのはグルーネ帝国皇帝、ウィルヘルム二世である。髪は燃えるような赤毛で、185センチ、98キロの堂々たる体躯と迫力満点の怒鳴り声はまさに武人皇帝にふさわしい。

 その前に四名の将軍がひざまずいていた。

「バーレンシュタイン!」

「はっ」

「貴公を総司令官に任じれば間違いは犯すまい。そう考えていたのだがな」

「弁解は致しません。すべてはわたしの責任でございます。なにとぞほかの三名を許してやっていただきとう存じます」

「いかにも貴公らしい言い草だな。だが、そうはいかぬ」

 ウィルヘルムは視線を移し、猛将をとらえた。

「ビーゼンヒュッテン。貴公の腕前でグレンデールをなぜ討ち取れないのだ?」

「恐悦至極でございます。陛下のおっしゃる通り、わたくしが奴を倒していればこんなことにならなかったのでございます。申し訳が立ちません」

「まあ、あの男は人間というより野獣だからな。しかし、次は許さんぞ。必ず奴を討ち取るのだ。肝に銘じておけ」

「はっ!」

 今度はエッシェンハイマーの番だ。

「貴公は何をしていたのだ?返答しだいではわしがその首を取るぞ?」

「そのご命令、抗おうとは申しません。わたしを斬って陛下が満足なされば、喜んで差し上げます」

「ふん、偽善者ぶりおって!」

 吐き捨てるように叫び、唾が飛んだ。そして、皇帝の声が急に甘くなった。

「カール・フランツよ。貴公に怪我がなくて何よりだ。これからも期待しておるぞ」

「もったいないお言葉。必ずや陛下のお役にたちます」

 またか……エッシェンハイマーは素早くビーゼンヒュッテンとバーレンシュタインに視線を送った。二人とも苦虫をかみつぶしている。ブルグミュラーはウィルヘルムの遠い親族で、何事につけ、皇帝は彼を寵愛し、重臣たちは毎回うんざりさせられる。

「わが一命に賭して陛下に誓います。もう二度とこのような過ちは繰り返しません」

「その意気やよし!」

「恐れながら陛下……」

 皇帝の横に立っていた宰相のヨーゼフ・シュレーゲルがささやいた。

「ノッティンガムの付近で暴動がおこっていると、部下から連絡が入りました。汚名挽回も含めて、ここにいる誰かを派遣したほうがよろしいかと」

「そうだな。よし、ビーゼンヒュッテン!貴公に命じる。至急軍団を率いて暴動を鎮圧せよ!」

「勅命、承りました。失礼いたします!」

 深々と頭を下げ、ビーゼンヒュッテンは走って行った。

 

 数日後、バーレンシュタインはビーゼンヒュッテンの自宅を訪れた。

「ようこそいらっしゃいました。ワインになさいますか?」

「いきなりすまんな。では、いただくとするか」

 ビーゼンヒュッテンはグラスを用意し、なみなみと高級ワインを注いだ。

「では、乾杯」

 バーレンシュタインはグラスをくるくるともてあそび、思案に暮れていた。

「貴公はどう思う?陛下のブルグミュラーに対する態度は」

「正直申しあげて、えこひいきも度が過ぎるかと存じます」

「同感だ。いまはシュレーゲル宰相がいるから問題ないが、彼のいない場合はどうすればよいか、わしにもわからぬ」

「まあ、人間である以上理不尽は避けて通れますまい。むしろエッシェンハイマー将軍が心配です。あの方は明らかに陛下から疎んじられているとお感じになりませんか?」

「そうだな……彼はわが軍に欠かせない存在だ。それにしても」

 バーレンシュタインは部屋の周囲に視線を動かした。

「相変わらずの読書家だな」

 天井まで届く本棚にはびっしりと書籍が並んでいる。戦場では鬼と化すビーゼンヒュッテンだが、普段はいたって温厚な人物で、帝国随一の読書家と呼ばれて久しい。

「貴公はわしのよき理解者だ。これからも支えてくれ」

「恐縮です。わたしこそ、閣下のお役にたてるよう、精進いたします」

 二人は明け方まで飲んだ。

 

「あれ?マックスはいないのか?」

 クルーガーがマックス宅を訪れると、居間でアイシャ一人がたたずんでいた。

「トンプソンさん」

「他人行儀はよしてくれ。クルーガーでいい」

「マックスならシルビアさんの所へ出掛けています」

「そうか。絶好の機会だな」

「え?」

 クルーガーは図々しくソファーに座った。

「あんたも立っていないで座れよ」

「はあ……」

 アイシャは遠慮がちにクルーガーの横に座った。

「ずいぶんと無防備だな」

「はい?」

 クルーガーはアイシャのあごをつかんだ。

「ちょ、ちょっと」

「雪のような肌だ。会うごとに奇麗になっていくな、アイシャ」

「何のつもりです、クルーガー?」

「あんた、マックスをどう思ってる?」

「どうって……あの人は命の恩人です」

「そうじゃなくって、恋愛感情があるかないか、を訊いているんだよ」

「あ、あなたには関係ないでしょう?」

「あるね。あんたがマックスを好きじゃないなら、俺の女になりな」

「やめてください!失礼ですよ!」

「へえ、強気になった顔も悪くないな。ますますそそられるぜ」

 クルーガーはアイシャの両肩をつかむと、自分の懐に抱きよせた。

「好きだぜ、アイシャ」

「クルーガー……」

「そこまでだ!」

 声の主はマックスだった。怒りの形相でクルーガーをにらみつけている。

「お前というやつは……恥を知れ!」

「ふん、優柔不断のマックス君よ、お前がはっきりしないからこうなったのさ」

「立て!今度という今度は許さん!」

 マックスはずかずかと歩み寄ると、クルーガーの襟元をつかんだ。

「口で言ってきかないやつはこうするしかないんだよ!」

 マックスは右のこぶしを握ると、全力でクルーガーの口元を殴った。

 192センチ、97キロの巨体が大きく揺らいだ。唇が切れ、鮮血が宙を舞う。

「おう、久々だな。今度はこっちの番だ」

 口元をぬぐってからクルーガーは右足でマックスの腹を蹴とばした。

「ぐうっ」

 マックスはよろめいたが、倒れはしなかった。またクルーガーの顔面に拳を入れる。

「やめてください、二人とも!」

「アイシャ、悪いが黙っててくれ。男は馬鹿だからこうするしかないんだよ!」

 壮絶な殴り合いが始まった。二人の服は血まみれになり、顔面は腫れあがっている。

「これで決まりだ!」

 叫ぶと、渾身のパンチをマックスが放った。クルーガーは吹っ飛び、壁に叩きつけられた。

「……今日のところは引き下がるぜ。だがな、お前のふがいなさは話にならねえ。好きなら好きと言えばいい。男なら惚れた女を抱くべきだ。わかったか!」

「いいから帰れ!」

 クルーガーはよたよたと去って行った。

「マックス……」

「すまないな、アイシャ。俺が情けないばかりに」

「そんなことはないです!だけど、わたしのためにクルーガーと喧嘩をするのはやめてください。争いは悲劇を生むだけです」

「君の言う通りだ。今後は自重する」

 アイシャはタオルを絞ると、マックスのはれた顔面を丁寧に拭った。

「君はいつも優しいな、アイシャ」

 何も言わず、アイシャは笑顔で応じた。

 

 翌日、士官食堂でマックスとクルーガーはばったり出くわした。無言で二人とも席に着く。先に口を開いたのはクルーガーだった。

「昨日は悪かったな。アイシャに伝えてくれ。もう二度と無礼な真似はしないと」

 マックスは眼をぱちくりさせた。クルーガーはけげんそうに眉をひそめた。

「なんだ?俺の顔に何かついてるのか?」

「いや、そうじゃなくて……お前が素直に謝罪するなんて青天の霹靂だと思ってな」

「そうか?まあ、アイシャがそれだけ魅力的だということだな」

「俺も優柔不断なのか根性がないのか、よく自分がわからなくなる」

「誰だって同じだろ?あれだけの女と同居して指一本触れないなんて、理解に苦しむぜ」

 クルーガーはグラスのワインを飲みほした。

「俺たち軍人はいつ戦場で死ぬかわからない。だからこそ、抱けるうちに女を抱くし、飲めるうちに酒を飲む。あの世で後悔しても遅いからな」

 マックスはお茶をすすりながら内心でうなずいていた。クルーガーの言うことは全くの正論だ。しかし、純真無垢を絵に描いたようなアイシャに触れるのはかなりの抵抗感がある。さらに、シルビアの存在。女性経験の全くないマックスは、クルーガーのように気軽に一夜限りの遊びなど出来やしない。自分が情けなくて歯がゆい限りだ。

「アイシャに伝えておいてくれ。また邪魔するがもう昨日の過ちは繰り返さないと」

 言い残して、クルーガーは席を立った。

 

 マックスの顔から腫れがひいたころ、事件が起きた。方面本部の4階に立てこもった男が若い女兵士を人質にして、多額の身代金を要求している。

「早く金と馬を用意しろ!グズグズしていると女の顔が刺身になるぞ」

 マックスは部下の報告で現場に駆け付けた。すでに人質はかなり衰弱している。このまま放っておけば命を落とすかもしれない。だが、マックスは逡巡した。もし矢を放って人質に刺さったら。その可能性を考慮すると、おいそれとは動けない。

「くそ、シルビアさんかクルーガーがいれば……」

 歯ぎしりしている間に時間は過ぎていく。そのマックスの近くで一人の青年が弓を取り出し、弦を引っ張り、放たれた矢は一直線で犯罪者ののど元に突き刺さった。大歓声が響き渡った。

「何者だ、彼は……」

 マックスが驚嘆している間に青年は歩み寄り、敬礼した。あわててマックスも敬礼する。

「パルテア大佐殿とお見受けしましたが、間違いございませんか?」

「ああ、貴官の言う通りだ。名前は?」

「大変失礼しました。わたしはジュリアス・マーロン少尉であります。ロビンソン元帥の命令で大佐殿の補佐役を務めることになりました。無能非才の身でありますが、少しでもお役にたてれば幸いに存じます」

「元帥の命令か。わかった。よろしく頼む。ところで、その弓はどうやって技術を磨いたんだ?」

「わたしの父が弓職人で、幼いころから練習を命じられました。その父も病で他界し、母が細々と店を営んでいます」

「なるほど。シルビア・アービング大佐とクルーガー・トンプソン大佐の名は知っているか?」

「わが軍においてあのお二人を知らない者はいないでしょう。わたしも相当な自信家ですが、とてもかないません」

 マーロンは軽く笑った。マックスやクルーガーのようなずば抜けた体格ではないが、身のこなしは速そうだ。短い髪は栗色で、顔立ちはかなり整っている。

「ところで、大変失礼ながら……」

「なんだ?」

「大佐殿のお宅にお邪魔してよろしいでしょうか?お互いのことをもっと知りたいので」

「構わないが、かなり汚いし同居人がいるぞ?それでいいのか?」

「問題はありません。では、さっそく明日にでも」

「了解だ」

 マーロンは敬礼して去って行った。

 

 翌日、マーロンはマックス宅を訪れた。

「ずいぶん早いじゃないか。まあ、遠慮せずに座ってくれ」

「では、失礼します」

 ソファーで二人はしばし談笑した。お昼になって、買い物を終えたアイシャが戻ってきた。マックスが口を開く。

「アイシャ、俺の部下、マーロン少尉だ」

「はじめまして、アイシャと申します。よろしくお願いします」

「いえ!こちらこそ!」

 マーロンの声がいきなり大きくなり、マックスは驚嘆した。

「マックス、そろそろ昼食にしましょうか?」

「そうだな。俺も手伝うよ」

「よろしければわたしもお役にたてれば……」

「じゃあ、適当な野菜を使ってサラダを作ってくれ」

「了解です」

 マックスも料理には多少の自信があるが、マーロンの腕もなかなかだ。トマト、レタス、キュウリ、ニンジンなどを使ってみるからに食欲をそそる逸品ができた。

「では、いただくとするか」

 アイシャは豚の煮込み、マックスはスープを仕上げた。硬い食パンをほおばりながら、三人は語り合った。

「アイシャさん、失礼ですがおいくつですか?」

「15歳ですよ」

「わたしは16歳です」

「本当か?」

 マックスは唖然とした。マーロンがあまりにも大人びているので、ひょっとしたら自分より年上かと思っていた。

「あら、もうこんな時間。シルビアさんの所へ行かなければ。失礼します」

 アイシャはお辞儀をして家を出た。

「大佐殿……」

「どうした?」

「あんな美しい女性は、アービング大佐を除けばはじめてです。正直申します。わたしは一目ぼれしてしまいました」

「そうか……確かにアイシャはかなりの美形だ」

「あの髪、肌の白さ、目鼻立ち、声のよさ、謙虚で礼儀正しい性格、わたし好みです」

「まあ、あまりのめり込まないほうがいい。トンプソンと俺がやりあった話は知っているか?」

「うかがっています。大佐殿を差し置いて手を出す気は毛頭ありません。しかし、美しい……」

 マーロンはやや自分に酔っているきらいがあるが、マックスも同じ思いだ。

「大変失礼ですが、大佐殿と彼女のご関係は?」

「川でおぼれているところを救っただけだ。特別な感情などないよ」

 嘘である。何とか理性で制御しているが、アイシャに対する思いは間違いなく恋愛感情だ。

「今日はお邪魔しました。今度来る時は花束を用意しますが何がよろしいですか?」

「俺は花には詳しくないが、バラが無難じゃないか?」

「了解です。近日中にまたお邪魔します。ありがとうございました!」

 マーロンは頬を紅潮させながら敬礼し、去って行った。

「なんだかな……俺もはっきりしないと」

 マックスは途方に暮れた。

 

マックスが夕方に帰宅すると、テーブルの上に紙が置かれていた。

「マックスへ 今日もマーロンさんとレストランで食事をします。夕飯は出来上がっていますので。  アイシャ」

 またかよ……マックスはため息をついた。これで一週間連続、二人は逢瀬を楽しんでいる。無論、マックスの心中は穏やかではない。だが、何か打つ手はないか、なにも思いつかない。そもそも自分はアイシャの恋人ではなく、単なる同居人だ。マーロンにアイシャを誘うなと言える立場ではない。

「まったく、俺は何がしたいんだ?」

 誰もいない自宅で独白を漏らす。なりたいわけでもないのに軍隊で出世して、思い人を部下に取られて。

 アイシャが帰宅した。

「遅くなってすみません。食事は食べていただけました?」

「ああ、おいしかったよ」

 マックスはいたって不機嫌そうに言った。アイシャは困惑する。

「あの、何かわたしに不満でもあるのでしょうか?」

「別に……」

 マックスはお茶をすすった。

「最近、マーロンと仲がいいんだね」

「はあ、とても面白い話を聞かせていただけますし」

「俺の話はつまらない?」

「いえ、そういうわけでは……」

 アイシャはなんとかマックスの機嫌を直そうとするが、上手くいかない。

「最初にあったころは俺に優しくしてくれたのにさ……」

「それは……」

「別に気にしないでくれ。疲れたからもう寝る。おやすみ」

 マックスは寝室に向かった。アイシャはどうしていいか分からず、嘆息した。

 

 翌日、マックスはロビンソンの執務室を訪れた。いつもと変わらず、元帥は若者を歓迎する。

「閣下、人生相談に乗っていただけますか?」

「別にかまわんよ。何があったのかね」

 マックスはいきさつを簡潔に話した。

「なるほどな。確かにマーロンは女性に好かれるタイプだ。しかし、君だって悪くはないだろう?もっと積極的にならないと、本当に彼女を取られてしまうぞ」

「おっしゃる通りなのですが、自信が持てないのです。不器用な生き方をしてきたので」

「ははは!確かに君は不器用だな。しかし、まだ若い。軍に入ってから約一年で目覚ましい成果を上げている。慌てることはない。君は君らしく生きていけばいい。わたしは君を信頼しているし、君を信頼する兵士が何人いるか、考えてはどうかね?」

「はい、少し自分を見つめなおしてみます」

 それからマックスが向かったのはグレンデールの部屋だ。

「閣下、訓練に付き合っていただけますか?」

「なんだ、やぶからぼうに。まあいい。訓練所に行くか」

 二人は場所を変えると、すでに30人以上の兵士が大きな声をあげて鍛錬に励んでいた。

「それで、俺は何をすればいいんだ?」

「腕立てとスクワットをします。3000回ずつです」

「……お前、何があったんだ?」

「いやなことを忘れたいだけです」

「わかった。では始めるぞ」

 二人が目標を終えるころには、夕暮れになっていた。さすがのグレンデールも疲労困憊だ。マックスは寝っ転がってうつろな目で天井を眺めていた。

「気が済んだか?」

「ありがとうございます。頭が真っ白の状態です」

「あえて詮索はしないが思い詰めないほうがいい。お前は真面目すぎる。少し人生を楽しんだらどうだ?」

「そうですね……一度きりしかない人生、悔いのないように生きていきます。

 二人はしばし人生論に花を咲かせた。

 年も明けてからしばらくたったころ、マックスとクルーガーはロビンソンの執務室に呼ばれた。

「よく来てくれた。わたしの言いたいことはただ一つだ」

 マックスはあまりに思いつめたようなロビンソンに気迫を感じた。クルーガーも緊張でほとんど動かない。

「率直に言おう。デス・マウンテンで隠遁生活を送っているエリオット元帥を説得し、わが軍に戻ってくるよう、取り計らって欲しいのだ」

 ウィリアム・ジョー・エリオット。かのハーゼンハイデ公爵クラウスを凌ぐただ一人、名将の代名詞的存在。ここでマックスが口をはさんだ。

「閣下の命令とあれば喜んで引き受けますが、あまりに難しいのではないでしょうか」

「俺も同意見だ。いったん山でこもっている年寄りを翻意させるのは無理だと思いますね」

 クルーガーもマックスに同調する。

「貴官らに聞くが、今までこの任務で何人死んだと思うかね?」

 二人は首をかしげた。

「50名くらいですか?」

 マックスの予想をはるかに上回る数字が出てきた。

「1500名、挑戦し、生きて帰れたのはわずか30名前後だ」

 クルーガーは不機嫌そうに眉を動かした。

「閣下、あなたは俺たちに死ねと言いたいんですかね?」

「ある意味、貴官の言う通りだ。この命令は絶対ではない。拒否権は君たちにある。ただし、成功の暁にはそれなりの報酬を出そう。どうかね、わたしのわがままを聞いてくれるか?」

「わたしは構わないですが……」

「マックスが行くのなら俺も付き合おう。ただし、水先案内人が必要ですね?」

「さすがに鋭いところを突いてくるな」

 ロビンソンは苦笑をこらえつつ、席から立ち上がり、反対側のドアをノックした。

「失礼します」

 小柄で痩せこけた少年が姿を現した。目つきはうつろで、何を考えているかわからない。

「紹介しよう。君らの案内人を引き受けてくれたエドワード・ランズバーグ中佐だ」

「エドとお呼びください。お二人の武勇伝はすべて把握しています。どうかよろしく」

 エドワードは深々とお辞儀した。礼儀に無頓着なクルーガーでさえ、マックスと同じく頭を下げる。

「彼は腕力こそ人並だが、その明晰な頭脳はすぐにわかるはずだ。では、出立の準備にかかってくれ」

 この時、元帥の任務がどれほどは酷なものか、マックスとクルーガーは知る由もなかった。

 

「やれやれ、すごい霧だな……」

 クルーガーは失望感を漂わせた。

 1月9日、三人はデスマウンテンのふもとに到着した。その標高、実に5784メートル。おまけに虎、熊、イノシシなど危険極まりない動物がうようよしているらしい。

「そろそろ行くぞ」

「あいよ」

 三人が歩き始めて一時間が過ぎた。クルーガーが確認する。

「エド、腹が減った。何か食うものはないか?」

「ありません」

「どういうことだ!頂上に着くまで何日かかると思ってんだ!」

「食糧ならあそこにありますよ」

 エドが指さしたほうに、一匹の虎がうなり声をあげていた。

 さすがのクルーガーも顔を真っ青にしている。

「まさかとは思うが、あれを殺して食べろと?」

「おっしゃるとおりです。さあ、命がけの戦いです」

 虎が近づいてくる。三人はそれぞれ剣を構え、恐怖心を抑えつつ、間合いをはかった。

 先に動いたのはエドだった。懐から投げナイフを取り出し、虎のほうに投げつける。しかし、野生の動物は人間と動く速度が違う。あっさりナイフをよけ、唸りながら襲いかかってきた。

「俺が引きつける!二人は背後から攻撃してくれ!」

 マックスは剣を構えながら叫んだ。虎の頭をめがけて剣を繰り出すが、軽くかわされ、腕を伸ばしてマックスの顔面を攻めた。何とかかわすと、クルーガーとエドが虎の背中に剣を突きたてた。しかし、これも通じない。しばらく攻防の応酬が続くと、先にへばったのは虎だった。疲れで動きが鈍くなり、約30分の戦闘は終わった。

「ああ、まさか勝てるとは思ってなかったぜ」

 クルーガーは肩で息をしている。マックスも同じ思いだ。一人エドだけは平然とした顔で虎の遺体をナイフで切り裂き、食べられる大きさに切り分けた。

「お二人とも、休憩を取ってください」

「ありがとう。ではいただきます」

 マックスは好き嫌いはないので生れてはじめての虎も悪くはない。そんな様子を見ながら、クルーガーはげんなりした。

「お前ら、いくら背に腹は代えられねえからって、おかしいぞ?」

「別に嫌なら無理強いはしませんよ。もっとも、ほかに食べるものがあれば、ですが」

「わかった。さっさと済ませると頂上を目指すぞ」

 三人は再び斜面を登って行った。今度はイノシシが現れたが、もう免疫ができている。

短時間で殺すと、肉を適当な大きさに切り、生き血は水筒に入れて水の代わりとする。

 夜が訪れると、用意したテントで二人が休み、一人は寝ずの番だ。そんな苦労を重ねること約2週間、ついに三名は頂上にたどり着いた。小屋が見える。その周囲は畑が広がり、一人の老人が鍬を使って土を耕していた。マックスたちに気づかないようだ。クルーガーはマックスの耳元でささやいた。

「おい、こんな空気の薄い所で生きているなんておかしいと思わないか?」

「ふつうは高山病にかかるはずだけどな。まあ、話してみよう」

 マックスは慎重な足取りで老人に近づいた。

「あの、わたくしは共和国軍、第七方面本部の一員、マクスリード・パルテアと申します。失礼ながら、エリオット退役元帥閣下でいらっしゃいますね?」

 老人はちらっとマックスに目をやり、すぐに農作業に取り掛かった。5分ほど経過すると、老人は鍬を置き、マックスに向き直った。

「ここまでたどり着いたことは誉めてやろう。貴官らの魂胆はわかっている。わしは二度と戦にかかわることはない。こんなおいぼれに頼る時点で間違いだ。そうは思わんか?」

 マックスは、改めて老人の姿を観察した。身の丈は特に大柄ではないが、やせ型ながらも全身は筋肉で引き締まって、鍛え抜かれた体躯はさすがに修羅場を潜り抜けた過去を思い起こされる。

「疲れただろう。茶くらい用意するから小屋で待っていろ。わしはあと一時間で作業を終える」

 そういってから、エリオットは再び鍬を持ち直した。

 

 エリオットが作業を終えると、時刻は夕方になっていた。クルーガーが小屋の周辺を見渡すと、食器棚、農業用の道具、暖炉など、生活に必要なものはそろっている。

「待たせたな。もっとも、答えは決まっているが……」

「ロビンソン元帥からの手紙を預かっています。とりあえず、読んでいただけませんか?」

「読まずともわかるが、あくまで礼儀として目を通しておこう」

 エリオットはマックスから手紙を受け取ると、一通り読み終え、マックスに返した。

「現在、わが軍は窮地に陥っています。頼れる指揮官はファイザード将軍だけ。閣下のお力をもう一度、貸していただけないでしょうか?」

 マックスは真剣なまなざしで訴えた。だが、エリオットはいたって冷静だ。

「もしわしが戻らず、その結果として共和国が滅びれば、しょせんその程度だったということだ。惜しむべき何物もない」

「そんな言い草はないでしょう。俺たちは命がけでここまであんたを説得しにやってきたんだ。これであんたに振られたらこれまでの苦労はなんだったんだ?」

「言葉に気をつけろ、クルーガー!」

「いや、構わん。とにかく、わしはがむしゃらに働き、士官学校を卒業せずに元帥まで出世できたのだ。十分だ。これ以上、望みはない。もう精も根も尽きた。あとはお迎えを待つのみだ」

「そこを何とか……閣下はわが軍の救世主なのです。ロビンソン元帥も、ファイザード将軍も、グレンデール准将も、一日千秋の思いなのです。我々も命からがらここまでたどり着いたのです。考え直していただきたい」

「何度聞かれても同じだ。もう老骨の出る幕はない」

 それまで沈黙を通してきたエドワードが口を開いた。

「そんなにお孫さんのことが悔しいのですか?」

「言うな!そのことは!」

 マックスとクルーガーが瞬きしている間に、エリオットは剣を抜き、エドワードの顔面すれすれの位置に刃を向けていた。クルーガーはささやく。

「おい、見えたか、今の動き……」

「いや、目が追い付かなかった」

 この老人は本当に90歳なのか?エドワードは淡々とした口調だった。

「閣下のお孫さんはわずか13歳の若さで兵士となり、戦場で散ってしまいました。まだ人生はこれからという時に」

「すべてはわしの責任だ……殴ってでも止めに入るべきところを」

 エリオットは懸命に涙をこらえた。エドワードは続ける。

「いま、亡くなったお孫さんと同じ世代の少年少女が兵隊にとられ、命を落としています。閣下が復帰なされば、少しでも被害が少なくなる。我々やロビンソン元帥のためでなく、幼い命のために、今一度お力を」

「わかった……わしはもう一度だけ悪夢を見よう。貴官らには感謝する。すぐに下りるぞ」

「やれやれ、何とか俺たちの苦労が報われたな。もっとも、さらに過酷な人生が待っていると思うがな」

 皮肉を込めて、クルーガーは苦笑した。

 

「エリオット元帥、隠遁生活より現役復帰!」

 各国に情報は行きわたり、軍の幹部に衝撃を与えた。

 グルーネ帝国のバーレンシュタイン大将軍は顔を引きつらせた。

「まさかと思うが……もはやあの男は生きた災厄だ」

 レオンブルム王国のシャルル4世は病床で報告を聞いた。

「これで情勢はわからなくなった。あの人物を攻略するのは不可能だ」

 ハーゼンハイデ公国のフランツ公王は天を仰いだ。

「どうすればいいのか。奴に対抗できるものか!」

 マーナ族同盟の総帥、カラーゼも嘆息した。

「老いてなお、彼は脅威だ。迂闊に動けば付け入られるぞ」

 方面本部に帰還した4名をロビンソンは満面の笑顔で迎えた。

「3人ともよくやった。悪いが、元帥と二人きりで話がしたい。報酬は必ず与えるゆえ、席を外してもらえるか?」

 マックスらが去った後、ロビンソンは執務室でエリオットと対面した。

「まさかと思っていましたが……よくぞお戻りくださった。ありがとうございます」

「ははは、どの道後ろで彼らを操っていたのは閣下ではありませんか?」

「ばれましたか。しかし、ここからが問題です。あなたを嫌っている政治家をなんとかせねば……」

「それにしても、わしをここまで連れてきた彼らは何ものです?」

「未来の共和国を守る精鋭です。いずれあなたも彼らの力量に驚愕するでしょう」

「それは楽しみですな。で、わしの肩書は?」

「無論、機動軍団司令長官です。戦略はわたしが考え、戦場ではあなたに暴れまわっていただきたい」

「承知しました。この年でどこまでやれるか、最善を尽くします」

 少しも偉ぶらないエリオットに、ロビンソンは深々と頭を下げた。

 

 数日後、練兵場に将兵が集まった。兵士たちは落ち着かない様子で、隣どうし、ささやき合っている。

「あの爺さんが復帰だってよ……もう90だぜ?」

「いや、あの人は化け物だ。何しろクラウス以上だからな」

「それにしても、近々戦があるだろう。どんな采配を振るうか楽しみだな」

 壇上のロビンソンはいつものように大声を張り上げた。

「諸君、よく集まってくれた!今回は極めて重要な話がある!」

 ごくりと唾をのむ将兵たち。壇上に、もう一人、人物が現れた。

「紹介は無用だな!わが軍の至宝、エリオット元帥だ!」

 割れんばかりの歓声が上がった。エリオットは手を振ったのち、壇上からあいさつする。

「老骨に鞭うって全力を尽くすつもりだ。皆の命をくれ!わしは決して期待を裏切らない!」

 歓声は耳を壊さんばかりだ。一部にはエリオットの力量に疑問をもつ者もいたが、これだけの声を出せるならとうなずいた。

「見ろよ、あの瞳の輝き」

 マックスはクルーガーにささやいた。

「何しろ歴史的大物だからな。これで大陸の情勢はかなり変わったんじゃねえの?」

 クルーガーでさえ、エリオットの存在感をまざまざと見せつけられた。

 

「水をくれんか」

「はい」

 国王の言いつけどおり、侍女がグラスに水を汲んできた。

「ありがとう。すまんが、リリアンを呼んでくれるかね」

 天蓋付きのベッドで荒い息をしているのはレオンブルム王国、シャルル4世である。齢50代の半ばだが、不治の病をわずらい、他界するのは時間の問題だ。

 病魔に取りつかれるまで、シャルルの活動は目覚ましいものがあった。不正をたくらむ商人を取り締まり、戦場では先頭を切って暴れまわり、弱者救済に尽力し、クラウスには及ばないものの、まず名君と言っていいだろう。

 そんなシャルルが悩まされるのは後継者の問題である。長男のダビドは典型的な野心家で、間違いなく侵略戦争に走るだろう。二男のリリアンはいたって温厚な性格で、父の後継者にふさわしいのはリリアンだが、やすやすとダビドがうなずくはずはない。お家騒動が起きるのは必至だ。

「今少し神が私を支えてくれれば……」

 シャルルはもう時間がないことを悟っていた。間もなくリリアンが来た。

「父上、どうか無理をなさらないでください」

「いや、もはや私の命運は尽きた。今のうちに遺言状を書く。お前がわたしの果たせなかった平和な世界を構築してくれ」

「はい……」

 リリアンは涙ぐんでいる。シャルルの頬はげっそりとこけ、顔は土色だ。

「問題はダビドだ。あいつがお前に服従するはずはない。今のうちに手を打たねば……」

「ご心配なく。わたしが兄上を説得します。そんなことより、一日でも長生きしてください」

「お前というやつは、本当に心豊かな人間だな」

 シャルルとリリアンは感情を抑えきれず、嗚咽を漏らした。

 

 そして、死神が訪れた。シャルル、56歳の若さで逝去。大がかりな国葬が営まれた。5万を超える参列者たちは例外なく涙を流している。そんな光景を、ダビドは眺めていた。

「巨星墜つ、か。これで歴史は間違いなく転換するな。ついに俺の時代だ」

 ダビドは冷笑した。

 

 喪が明けると、ダビドはリリアンを自室に呼んだ。

「待ちわびたぞ。まあ座れ」

 ダビドは薄笑いを浮かべているが、リリアンは硬い表情を崩さない。

「どうした?俺が怖いのか?」

「兄上、あなたの魂胆は見え透いています。わたしを排除し、権力を握るおつもりでしょう」

「ははは、我ながら頭のいい弟を持った。お前には死んでもらう。覚悟はできているのか?」

「そうそう上手くいくと思うな!」

 怒声を上げると、リリアンは佩いていた剣を抜き、実の兄に襲いかかった。

 だが、いっせいに部屋のクローゼットから兵士が現れ、弓を引き、矢を放った。

 幸い狙いはことごとく外れ、リリアンは無傷だった。勝ち目はないと悟り、リリアンは窓を破り、用水路に飛び降りた。

「閣下、追いかけますか?」

「いや、その必要はない。いずれ戦場であいまみえるだろう。貴公らは下がれ」

 すぐに場所を移し、ダビドはある人物を呼んだ。

「いよいよ俺たちの出番が来た。時代が必要としているのだ」

「そのお言葉を待っていました。一命を賭して陛下を補佐する所存です」

 筋骨たくましい巨漢の名はティエリ・デシャン。すでに副司令官の肩書をダビドから与えられている。

「貴公に紹介しよう。おい、入れ」

 控室から現れたのは銀色の鎧とマスクを身につけた人物だ。デシャンに深く頭を下げる。

「お初にお目にかかる。わたしはアントワーヌ・クレールマンと申します。お見知り置きを」

「こちらこそよろしくお願いする」

 会釈しながら、デシャンは相手の声色に疑問を抱いた。

(まさかとは思うが……女か?)

「デシャンは軍を、クレールマンは政治を担い、俺を支えてくれ。狙うものはただ一つ、大陸制覇だ。期待しているぞ」

「ははっ!」

 両名は敬礼した。

 

 シャルルの死は大陸を駆け巡った。そして、国王となったダビドは各国に宣戦を布告し、武力による統一を唱えた。

「ふん、青二才が生意気に……しかし、侮れんな。奴の力量は脅威だ」

 帝国のウィルヘルムは赤毛をかきまわした。

「シュレーゲル、貴公はどう思う?奴の性格からいって、われわれに攻撃を仕掛けると思うか?」

 宰相のシュレーゲルは微妙な表情を浮かべた。

「今のところ、かの国に戦争を起こす兵力はありますまい。いましばらく静観すべきかと」

 ウィルヘルムはうなずいた。

 

 

 新生レオンブルム王国は早速隣接しているハーゼンハイデ公国に戦争を仕掛けた。

 公国の将軍は無能ぞろいで、5万の兵を用意したにもかかわらず、わずか2万8千の王国軍になすすべはなかった。結局、ろくに戦闘をしないうちに公国軍は退却し、一部の領土は王国のもとになった。

「いよいよね。王国があたしたちに攻め込む前に、何とか策を立てなくちゃ……」

 シルビアの目が輝いている。琥珀色の瞳には獣が住んでいるかのような迫力だ。

「マックス!クルーガー!砦を修繕するわよ。部下を連れてきなさい!」

 合わせて5千名の将兵が王国と隣接するサマーン砦の手入れを行った。1か月もすると見違えるような立派な軍事拠点に変貌した。

「さてと、あとは王国がどう動くかね。二人とも、心の準備はいい?」

「はい、準備万端です。いつでも構いませんよ」

「俺もです。たとえ10万の大群が押し寄せても、蹴散らして見せますよ」

 二人の目も真剣だ。シルビアはうなずいた。

「その意気やよし!今は休んでね」

 

 ほどなく、王国の軍隊がやってきた。その数、2万四千。対する共和国軍は一万八千。王国の指揮官はヌベール将軍。ダビドが信頼を置く人材だ。

 対する共和国軍は十年ぶりに指揮を執るエリオットがどっしりと中央に構えている。その前にはグレンデール、左翼にはマックス、右翼にはクルーガー、後方はシルビア。

「これで勝てなかったら裁判ものだぜ」

 クルーガーが自信満々なのも無理はない。何しろエリオットの存在を知って、敵兵は及び腰だ。

 いきなりグレンデールが電光石火の速さで敵陣に突っ込み、存分に暴れまわった。

 しかし、ヌベールも無策ではない。まともにやりあって勝ち目はないことを知っている。

「相手にするな!じきに疲れてくる。弓兵は遠巻きに矢を放て!」

 さすがダビドが選んだだけあって、ヌベールもなかなかの指揮を執る。小一時間たってグレンデールは疲労から後退し、代わってマックスとクルーガーが相手をかきまわす。

「雑魚に用はない!敵将、一騎打ちの相手をしろ!」

「おう、わたしはヌベールだ。貴公の名は?」

「クルーガー・トンプソンだ。その命、もらった!」

 大きな矛を取り出し、クルーガーはヌベールに襲いかかった。双方譲らず、実に50合武器を交えるも勝敗はつかず、ヌベールが脇腹に重傷を負うと、やむなく引き上げた。

「くそ、あと一歩だったんだが……まあいい。次に仕留めれば済むことだ」

 マックスも負けてはいない。副官のマーロンが補佐することで、最大限の戦いができる。

「敵の士気は高くない!今こそ総攻撃に移るぞ!」

 そして、エリオットの真骨頂、包囲殲滅作戦が実行された。全軍がU字型の陣形を取り、すっぽりと相手を囲んだ。

「ちいっ、ぬかった!全員正面の相手に専念しろ!」

 ヌベールは改めてエリオットの手腕に驚愕した。完全に包囲され、敵の弓兵、とりわけシルビアの部隊は活躍目覚ましく、次々と敵兵は倒れた。何とか包囲網から脱出し、ヌベールは一命を取り留めた。

 かくして、王国軍は惨敗を喫した。全将兵がエリオットの手腕におそれおののいた。

 

 敗戦の報告はただちにダビドに伝わった。

「まあ、こんなものだろう。むしろエリオットの手腕が健在だとわかっただけでも大きな収穫だ。他国にも伝わるが仕方ない」

「どんな処罰でも甘受いたします。あれだけの犠牲を出して、忸怩たるものが……」

 ヌベールは包帯を全身に巻いて、膝をついている。

「いや、貴公に罪はない。相手が悪すぎた。それより、エリオットの補佐を務めた人物を知りたい。クレールマン、彼らは何者だ?」

 クレールマンはそれぞれの特徴について精密に分析された書類を差し出した。

「ヌベール、貴公は休め。汚名挽回の機会があろう」

「ははっ!」

 

「なるほどな……共和国など風前の灯火かと思ったら、かなりの人材がいるようだな」

「しかもまだ若い。わが軍の障壁になりかねません」

 常に強気なデシャンもマックスらの存在は悪夢だ。

 ダビド、デシャン、クレールマンの三者会談は長きにわたった。

「それにしてもエリオットは厄介だ。暗殺でもしない限り、あの存在感は兵士の士気に影響するぞ」

「わたしも暗殺を考えましたが、本人がいまだ衰えず、常に護衛兵が付いています」

 デシャンは苦虫をかみつぶすように言った。

「当然だな。あと5年か10年先にあの老人はくたばるだろうが、そんな悠長に構えていたら奴のせいで大陸は混迷するぞ」

「さいわい、あの老人は政治家のせいで思う通りに動けるとは限りません。とりあえずエリオットは置いておき、ファイザードを標的にすべきかと」

 クレールマンの意見にダビドとデシャンもうなずいた。

「確かにファイザードが消えるだけでかなりの打撃を受けるだろう。デシャン、準備は整っているのか?」

「心配ご無用。精鋭部隊のうち、5名もあれば十分かと」

「よし、詳細は任せる。必ず仕留めるのだ」

「ははっ!」

 

 ファイザードが執務室で事務処理を行っていると、ノックの音がした。

「どうぞ、入りなされ」

 扉を開いて現れたのは完全武装した暗殺部隊だった。隊長格の男は言った。

「あなたには何の恨みもないが……その命、頂戴する」

 言い放つと、5名いっせいに剣を抜き、ファイザードに襲いかかった。

 だが、彼らの目的は果たせなかった。隣室に備えていたマックス、クルーガーが同時に現れ、ファイザードの壁になった。暗殺者は驚愕する。

「お前らの魂胆なんざお見通しなんだよ。死にたくなければさっさと逃げろ」

 クルーガーは冷笑した。しかし、暗殺者にも任務を遂行する義務がある。隊長格の男はマックスに襲いかかる。剣を交えること数合、マックスの剣先が相手ののどに刺さり、終わった。

「まだやるつもりか?今なら間に合うぞ。お前らの腕じゃかなわないとわかっただろ」

 やや躊躇すると、残りの4名は全速力でその場を去った。

「全くだらしねえ……少しは根性見せろってんだ」

 すべての準備をしたのはエドワードだった。卓越した情報網を持つエドワードが陰謀を察知し、ロビンソンに報告した。

「二人ともご苦労。やれやれ、寿命が縮まったわい」

 ファイザードのセリフに、二人は屈託なく笑った。

 

ある日、マックスはシルビアの父、ロバート・アービングと夕食を共にした。本物の金持ちしか入れないほど格式の高いレストランで、マックスとロバートは落ちあった。

「よく来てくれた。久々だね」

「お招きいただき、恐縮です」

 ロバートは温厚篤実を絵に描いたような紳士で、とても大物には見えないほど腰が低く、多くの部下から信頼を得ている。

「どうかね、君も18歳だ。そろそろ身を固める気はないかね」

「いえ、わたしのような未熟者が結婚など10年先かと」

「何を言う!その若さで大佐まで昇進したではないか。それに結婚すると責任感が出てきて大きく成長できるぞ」

「はあ……」

「うちの娘ももう19だ。君のようなたくましい男と結婚できれば……」

 まただ。ロバートがシルビアとマックスをくっつけようとしたことは5回や10回ではない。だが、今のマックスにはアイシャがいる。しかし、シルビアに惹かれる部分も大きい。

「申し訳ありませんが、わたしとシルビアさんは釣り合いがとれません。もっと包容力のある、大人の男性と一緒になったほうが……」

「そうか。まあ、無理強いしても不幸になるだけだからね。しかし、わたしはあきらめないぞ。いつか君が娘と幸せになることを願っている」

 マックスは何も言えず、下を向いた。

 

「どうした?顔色が悪いぞ」

 詰め所で黙り込んでいるマックスに、クルーガーは声をかけた。

 マックスは昨夜のことを手短に話した。

「ははあ、あのオヤジさんはお前にご執心だからな。悪くないと思うぜ。ただ、アイシャのことが引っ掛かっているんだろ?」

「見透かされたか……お前の言う通り、俺は優柔不断の根性無しだ」

「いっそ売春婦と遊んだらどうだ?金さえ払えば性の喜びを実感できるぞ」

「お前なあ……俺がそんなことをすると思うか?」

「まあ、そのかたすぎる性格をなんとかしないとな。じゃ、俺は行くぜ」

 去っていくクルーガーの背中を視線で追いながら、マックスは深いため息をついた。

 

 帰宅すると、アイシャが待っていた。てっきりマーロンの所へ行ったかと思っていたら、少しさびしげな表情を浮かべている。

「ただいま」

「お帰りなさい……」

 食事を済ませると、アイシャはじっとマックスの顔を見つめた。

「どうかしたのか?」

「今日、マーロンさんと会ってきました。わたしはこれ以上、あの人と会うのをやめます」

「いきなりどうしたんだ?何かトラブルでも?」

 アイシャはうつむいた。

「わたしの命を救ってくれて、住む場所までくださって、あなたには本当にお世話になっています。実はマーロンさんからお付き合いの話が出ましたが、断りました」

 テーブルに視線を落としつつ、か細い声を出した。

「察していただけますか?わたしの気持ちを」

「……わかった。俺に何をしてほしい?」

「覚悟ができたら、わたしの体を差し上げます」

 マックスは絶句した。アイシャの表情に、悲壮感すら漂っていた。

「アイシャ、無理することはないんだよ。ただそばにいて欲しい。それだけで十分だ」

「ありがとうございます……」

 細い肩を震わせて、アイシャは胸の前で腕をつかんでいる。マックスは何もできなかった。

 

一人の兵士が走ってロビンソンの執務室を訪れた。

「元帥閣下、マーナ族同盟がわが国に侵攻するという情報が入りました」

「わかった。至急対処する」

 マーナ族同盟は文字通りマーナ族だけで構成される国家で、国民は褐色の肌をしている。

ほかの国家と異なり、意味のない戦争を仕掛けないはずだが、戦はめっぽう強い。

 急きょ会議が招集され、エリオットを総司令官に、ファイザードを副司令官に、あとはおなじみのマックスらが補佐に任命された。

「これだけの顔ぶれなら万全といいたいが、動かせる兵は限られている。よろしく頼む」

 ロビンソンの言葉に、全員がうなずいた。

 

 両軍があいまみえたのは2月も中旬だ。

 マーナ族同盟の司令官は、何と総帥のカラーゼが指揮を執る。

「冗談は勘弁してくれよ」

 クルーガーは苦笑した。カラーゼは帝国のビーゼンヒュッテンにも匹敵する武力の持ち主で、戦場では自ら先頭を切り、猛将という表現がふさわしい。青龍偃月刀を使いこなし、2メートル近い体格は圧倒的な存在感だ。

「さて、どう来るかね……」

 シルビアも緊張を隠せない。

 敵陣から一人の男が馬をゆっくりと歩かせた。威風堂々、威圧感に満ちている。

「わが名はカラーゼ。誰かわたしと一騎打ちに応じるものはいないか!」

「おう、俺はクルーガー・トンプソンだ。いくぞ!」

「返り討ちにしてくれるわ!」

 クルーガーが馬を走らせ、男同士、サシでの勝負だ。

 槍と刀を繰り出すこと100合、二人とも汗と疲労でくたくたになっても勝負はつかない。

「貴様ほどの男がいるとはな。勝負は次回に預けた。全軍、攻撃せよ!」

 クルーガーも疲れきっている。グレンデールは肩をつかんだ。

「よくやったな。あとは俺たちに任せて少し休め」

「ありがてえ。しかしあいつも強かったな……」

 エリオットは全軍に紡錘陣形を取るよう命じた。そして、中央突破をはかった。

 これを止めるのはさすがの同盟にも無理だ。陣形は二つに割れ、指揮官の命令も届かない。

「こんなにあっさりと……あの老人に不可能はないのか?」

 カラーゼは敵の攻撃を逆手に取って、包囲網を作ろうとするが、すでに多大なる戦死者を出し、必死に兵に叱咤激励を怒鳴るが、ほとんど効果はない。

 

 同盟軍もまた、エリオットの餌食となった。戦の結果は大陸中を駆け巡り、エリオットがいる限り、迂闊に攻め込まない方向で決まった。

 

「ぎゃははは!お前らなにしけた面しているんだ?楽しくやろうぜ!」

 顔を真っ赤に染めて唾を飛ばしているのはマックスではない。クルーガーでもない。

アイシャだ。

 当分どの国も共和国に攻め込む余裕はないとエドワードが情報を仕入れ、慰労の宴会をマックス宅で設けたのだが……

 すでにアイシャの後ろには5本のワインボトルが転がっている。マックスもシルビアもマーロンも、イメージの落差にあぜんとしていた。

「こら!じゃんじゃん飲め!人生、楽しんでなんぼだろ?」

「アイシャ、いい加減にしなさい。体を壊すわよ」

 ややきつい表情でシルビアは説得するが、どこ吹く風だ。

「あー、気持ちいい。おら!お前らかたすぎるぞ!今日は無礼講だ。とにかく楽しもう!」

「駄目だな……もう誰も止められない。ここまで豹変すると多重人格だ」

 マックスががっくりと首を垂れると、しみじみとエリオットがつぶやいた。

「思い出すわい。わしもあんなことがあった。酒を飲むのではなく、酒に飲まれてしまう。ときにはバカ騒ぎも悪くはない」

「閣下、そろそろ止めに入らないとまずいですじゃ?」

「いや、わしも今日は飲みたい気分だ。娘、わしと勝負じゃ!」

 ファイザードの諌めも聞かず、エリオットもワインボトルの口を開け、ラッパ飲みする。

「いいね!爺さん、あんた大将だよ。あれ?元帥と大将はどう違うんだっけ?」

 クルーガーはうんざりしつつ、忠告した。

「元帥のほうが上に決まってるだろ。アイシャ、そろそろやめな。ここにいる全員があんたのことを気遣っているんだぜ」

「わかった、わかった。いやー、五臓六腑にしみ込んでるな。今日はぐっすり眠れそうだ。じゃあお休みー」

「じゃあ、みなさん、今日はありがとうございました。こうなることは全く予想外で、二度と同じことが起こらないよう、見守ってください」

「じゃあ、これでお開きだな」

 ぞろぞろとマックス宅から帰っていくが、美しい足取りで歩くシルビアにグレンデールが声をかけた。

「アービング君、その、なんて言ったらいいか」

「どうなさったのですか?」

「お、お茶でも飲まないか?夕食までたっぷり時間もあることだし」

「別にかまいませんが」

「そうか!ではとびきりうまいコーヒー屋を知っているから、そこで話そう」

「では、ご案内ください」

 共和国、いや大陸一の美女と話せる機会などそうはない。前々からシルビアに恋心をいだいていたグレンデールはついつい唇が緩むのだった。

 

 しばらく歩くと、あまり繁盛していない喫茶店についた。店先で掃除をしていた主人が笑顔で会釈した。

「グレンデールの旦那、久方ぶりですな」

「そうだな。ここのところ戦に次ぐ戦だったからな」

「あれ?お連れさんがおられるのですか?」

「ああ、紹介しよう。シルビア・アービング准将だ」

「はじめまして」

 シルビアは軽く会釈する。

「あなたのうわさは聞いたことがありますよ。しかし、想像以上の美貌ですなあ」

「うふふ、褒めても何も出ませんよ」

 軽くユーモアを交えてシルビアは微笑んだ。

「では、中に入ってください」

 主人に促されて店内に入ると、古びているが清潔感のあるテーブルや椅子がある。

「俺は熱いコーヒーで。アービング君は何にする?」

「では、カフェオレでお願いします」

 グレンデールは天にも昇る心地よさを味わっている。こんな美女を抱くことができたら……

「いかん、いかん!」

「閣下、どうなさったのですか?」

「いや、なんでもない。ところで、パルテアとアイシャという少女は恋中なのか?」

「おそらくそうなんでしょうね。あたしにとってはまったくやりきれない思いですが」

「と言うと、君はパルテアに……」

「はい、可愛い弟分ですが、好きです」

「そうか……」

 グレンデールはコーヒーを一口だけ飲んだ。

「やっぱり……確かにあいつは君にふさわしい好漢だ。いずれ元帥まで昇進するだろう」

「あたしに二人の仲を裂いてしまう権限はありません。幸せになってもらいたいです」

「しかし、納得はできないと」

「はい」

 シルビアは苦笑した。笑ってごまかすしかないんだろう。

「まあ、人生どう転ぶか、わからないご時世です。あたしなりにいい人を探します」

「俺ではだめか?」

「え?」

「俺のような腕力だけの男ではだめか、と訊きたいんだ」

「いきなり言われても……」

「いや、すぐでなくていい。ほんの少しでも俺のことが気になったら声をかけてくれ。俺のほうは何年でも待つ」

「あ、ありがとうございます」

 シルビアは耳たぶまで真っ赤に染め、二人とも黙りこんでしまった。

 

方面本部でマックスとエドがばったり出会った。

「どうだ?最近の調子は」

「悪くないですが、お願いがあります」

「どうした?思いつめた顔をしてるぞ」

「アイシャさんと、是非お話したいことがあって……」

「わかった。仕事が終わったらおれの家で会おう」

「ありがとうございます」

 夕暮れ時、エドはマックス宅を訪問した。

 アイシャは会釈した。

「今日はわたしと話があるとマックスから伺いました。どういうお話ですか」

「わたしの目、死んでいると思いませんか?」

「死んでいるとは見えませんが……どこかうつろですね」

「両親が帝国の兵に殺されてから、ずっとこんな状態です」

 アイシャと脇で腕を組んでいるマックスは絶句した。

「兵士が家に乗り込んで金になりそうなものを全部持って行きました」

「そのあとは……」

 アイシャは声を震わせた。エドは淡々と僧侶のような口調だった。

「父は殴られ、幼かったわたしはどうすることもできませんでした」

 マックスは天を仰いだ。

「そのあと、母はかわるがわる兵士に犯され、あまりの肉体的苦痛と屈辱感でショック死しました」

 話が終わると、どっとエドの両眼から涙があふれ出した。

「アイシャさん、その胸で泣いてもいいですか?」

「お安いご用です。どうぞ」

 マックスが使っているベッドで、アイシャが横たわり、その上に乗ったエドがアイシャの胸で涙を流した。

「お父さん、お母さん、今でも愛しているよ。あなたの息子は今日も元気だよ」

 つられてアイシャも目元をぬぐった。

 マックスはハラハラと泣いている。

「その悲しみが癒えるまで泣くがいい。俺もアイシャも同じ十字架を背負っているんだ」

「ありがとうございます……」

 小一時間ほどすると、エドは体を起した。

「アイシャさん、本当にありがとうございます」

「いえ、わたしだってマックスが助けてもらえなかったら今頃死んでいるんです。

泣くことを恥と思わないでください。寂しくなったらいつでも来てください」

「あなたたちに会えて本当に良かった」

エドはタオルでぐしゃぐしゃになった顔をぬぐった。

 

シルビアは悶々と眠れない日々を送っていた。

 あの日、グレンデールの告白を受けてから何も手に付かない。

 これでマックスがいなければ話は簡単なのだが……

 「神様、どうすればいいの?」

 

 翌日、シルビアはロビンソンの執務室を訪れた。

「珍しいな、君が悩むなんて。これは雪でも降るかな?」

「閣下、茶化さないでください」

「すまんすまん。で、本心をうかがおうか」

 シルビアは自分の思うところを話した。

「ふーむ。難しいな。わたしも過去に同じような体験があるが、二兎を追うものは一兎を得ず。悩んで悩んで機会を失ってしまった。誰かが言っていたな。タイミングを逃すほど間抜けで無意味なことはないと。今の君も同じ轍を踏むかも知れんぞ」

「承知していますが……」

「あえて言うならグレンデールだ。年は離れているが、君はもはや成熟した女性だ。パルテアは少し子供じみたところがある。まあ、結局は君自身が決断すべきこと。厳しい言い草ですまんがわたしにはその程度しか言えない」

「いえ、いい勉強になりました」

「それより、色恋沙汰も悪くはないが軍人としてもきちんと鍛錬しなければならん。弓の腕が落ちたらトンプソンやマーロンに追い越されるぞ」

「はい、この後すぐ訓練所に行きます」

「しかし美人は誘惑が多くてうらやましいねえ」

「もう、閣下ったら……」

 二人は静かに笑った。

 

「すごい集中力だな……」

「確かに」

 訓練所でひたすら弓の鍛錬を送るシルビアを見て、クルーガーとマーロンはただただ感嘆するばかりだった。

 シルビアは汗にまみれた服に着替え、再び鍛錬を始めた。

「ほほう、大したもんだな。わしもうかうかしていられんな」

 エリオットもシルビアの姿にうなるしかなかった。

「あら、元帥閣下、ずっといらしていたのですか?」

「ああ、貴官は大したものだ。しかし、貴官のレベルを落とさないためにも訓練あるのみだ。わしのことはいいから鍛錬したまえ」

「ありがとうございます」

 挨拶がすむと再び弓を取った。

「まあ、無理をせず、休憩と給水は欠かしてはならんぞ」

「はい」

 エリオットが立ち去っても、シルビアの訓練は終わらなかった。

 

「つ、疲れた……」

 川を泳いで渡り、ようやく地を踏んだ青年が荒い息をしている。ダビドに追放されたリリアンだ。生まれて初めてハーゼンハイデ公国に亡命するという無謀な命がけ。リリアンの決断に神は微笑んだようだ。

「とにかく何か食べないと……」

 ふらふらの足取りでリリアンは歩き、数歩でどっと疲労が出て、倒れ、意識を失った。

 

 目が覚めると病院のベッドに自分が寝かされたことにリリアンは気づいた。ずぶぬれの服は清潔な病衣に変わっている。部屋はかなり広く、おそらくある程度の身分をもつ者だけが寝かされる特別な場所なのだろう。ノックの音がして、中年の男が現れた。

「ほほう、もう目覚めたのか。若さだな。わしはグスタフ。あんたは王国のお偉いさんだね?」

「はい、亡き父の二男、リリアン・レオンブルムです。命を救っていただき、深く感謝します」

 リリアンはベッドから起き上がり、グスタフに深々と頭を下げた。

「では、最近亡くなったシャルル4世の息子さんか!これはこれは大変だ。今までの無礼をお許しくだされ」

 グスタフも最敬礼する。

「ずうずうしいお願いですが、空腹なのです。何か食べさせていただけませんか」

「お安いご用です。食事を済ませたらぜひ国王にいきさつを語ってくだされ」

「かたじけない」

 

 食事を終えるとリリアンはグスタフの案内で謁見の間を訪れた。赤いじゅうたんが伸び、椅子に座っているのは公王、フランツだ。虚弱体質で年中風邪をひき、優柔不断で物事を他人に丸投げし、戦場に現れることを恐れ、暗愚の代名詞。今日も微熱で寝ていたが、グスタフにたたき起こされ、玉座に座った。

「あなたが我々に救いを求める気持ちはわかる」

 その後は意味不明、一方的に話し続け、グスタフの制止がかからなかったら延々と独演会が開かれたに違いない。

 謁見の間を去ったリリアンとグスタフは城を出て、市場へと出た。

「本来なら警護の兵士を連れてくるべきでした。わたしの権限はあまり大きくないのです。申し訳ない」

「何をおっしゃる。あなたはわたしの恩人ですよ。なんなら戦場でお役にたちましょうか?」

 頭の切れるダビドと異なり、リリアンは武芸に秀でている。戦場に出たら三桁の兵隊をあの世へ送るほどだ。

 買い物がすむと、再びリリアンは寝室に辿り継いだ。

「本来ならビルマースドルフ伯爵を紹介したいところですが、あいにく内乱がおきて、当分戻らないのです。その間はわたしがお世話したいので、何なりとお申し付けくだされ」

「ありがとう。このご恩は戦場できっちり報いますよ」

 自信に満ちたリリアンの表情だった。

 

各国がエリオットの衝撃から立ち直るまで、実に3カ月を要した。

 赤毛の武帝、ウィルヘルムがマーナ族同盟に宣戦を布告、3万の兵を用意し、侵攻作戦を実行。対する同盟軍はカラーゼが2万4千の兵を率いて、国境付近であいまみえた。

 帝国の総司令官、ビーゼンヒュッテンは一人馬を歩かせ、同盟からはカラーゼが現れた。

「久しいな、カラーゼ総帥」

 ビーゼンヒュッテンが余裕しゃくしゃくであいさつするが、手の平は汗でぬれている。

 この二人は因縁浅からぬ宿命のライバルで、一騎打ちの数は計り知れない。

「貴公こそ元気そうではないか。今度こそ決着をつけるぞ!」

「相手にとって不足なし!かかってこい!」

 兵士たちが見守る中、二人の豪傑が一騎打ちを開始した。

「それそれ、どうした!臆したか、カラーゼ!」

「そんな挑発に乗るものか!本気でこないと死ぬのはそっちよ!」

 互いの武器がぶつかるたびに、金属音が発生する。ゆうに200合を超えると両者とも疲労困憊だ。

「悔しいが……決着は今度だな」

「ああ、今度こそ……」

 二人が互いの陣営に帰ると、いよいよ全軍が総攻撃に出て、大地は血でぬれた。

 マーナ族は身体能力に優れ、足の速さなどで太刀打ちできない。帝国は伝統的に重装騎兵集団を貫いているが、鎧の重さなどでかき回されるとうろたえてしまう。

「ぬう……我らのほうが数では優位のはずが……どうやら戦の腕はやつのほうが上だというのか!」

 ビーゼンヒュッテンは唇をかみしめた。彼は間違いなく名将だが、いかんせん相手が悪い。同盟の兵士はカラーゼに対する忠誠心が強く、総帥のためならたとえ火の中水の中、といった魅力がある。

 明らかに弱気になっているビーゼンヒュッテンを励ましたのが、副司令官のマイヤーだった。

「閣下、まだまだ勝敗は決まっておりません。上に立つ者が下を向くのは兵士の士気にかかわります。あなたは強い!自信を持ってくだされ!」

「貴公の言う通りだな。全軍、惑わされるな!敵は疲労困憊、弓兵は側面に回り、撹乱させろ!」

 この命令が功を奏して、同盟軍は混乱した。そこへ大陸最強とうたわれる重装騎兵団が突撃し、同盟軍の兵士が次々と倒されていく。

「ふん、なかなかやるではないか。これ以上の戦闘は戦略的に意味がない。全軍、退却するぞ!」

 両者とも多大なる損害をこうむり、痛み分けとなった。

「陛下に怒鳴りつけられるな。今のうちに心の準備をしておこう」

 ビーゼンヒュッテンが苦笑するとマイヤーも無言でうなずいた。

帰国したビーゼンヒュッテンはマイヤーとともに謁見の間に訪れ、皇帝の前でひざまずいた。

「貴重な兵士を多く失い、弁解の言葉が見つかりません。いかなる処罰も甘受いたすつもりです」

「別にそこまで卑下することもあるまい。勝敗は時の運だと言うしな」

 明らかにビーゼンヒュッテンの予想外だった。いつもの通り、雷を落とされると覚悟していたので、拍子抜けしたほどだ。視線を皇帝の横に移すと、風邪をひいた宰相に代わって男からみてもクラクラとしてしまう美少年が立っている。

(そういうことか……)

 いかなる時代においても男は戦場で性欲を処理しなければならない。かといって戦場に女をつれてはいけない。どんな堅物も自分好みの少年をつれて、テントの中で交わるのだ。

「ビーゼンヒュッテン、貴公もマイヤーも疲れているだろう。特に咎めはすまい。自室で休め。わしは用事があるから今日は早く寝ろ」

「ははっ」

 用事が何なのか、察しがついた。

 

 夕刻になるとビーゼンヒュッテンはバーレンシュタインの家を訪れた。老人はぜいたくが嫌いで、現在もお世辞にも豪邸とは言えない住まいだ。

「よく来てくれたな。ささ、入るがいい」

「お邪魔します」

 居間はいたって簡素で、テーブルに椅子が4個、食器棚があるだけだ。

「閣下のために極上のワインを買っておきました。閣下からお飲みください」

「貴公は本当に好漢だな。では、ついでくれ」

 ビーゼンヒュッテンがグラスにワインを注ぐと、得も言われぬ香りが伝わっていく。

「乾杯」

 ゆっくりと味わうと、たった一杯で二人の頬が赤くなった。

「傷は大丈夫なのか?」

 ビーゼンヒュッテンは肩に包帯を巻いている。

「矢を食らっただけです。一週間もすれば癒えるでしょう」

「それにしてもカラーゼと言い、エリオットと言い、手強い存在だな」

「わたしは共和国が一番怖いのです。グレンデールに勝てる者などいませんし、パルテア、トンプソン、アービング、若くして軍を担っている。油断なりません」

「同感だな。しかし、政治家が無能なおかげで歯車がかみ合っていない」

「そうなると、頭痛の種は陛下ですね」

「決して無能ではないと思うのだが、気が短すぎる。今は良くても、5年後、10年後には……」

「シュレーゲル宰相一人では大変でしょう。わたしが言える立場ではありませんが、閣下の諌めも必要かと」

「難題だ。しかし、わしも伊達に年を食っていない。自分の役割はわきまえているつもりだ」

「生意気を言って申し訳ありません」

「いやいや、貴公は鋭い。間違っても敵に回したら……」

「恐ろしいですか?」

 ビーゼンヒュッテンは爆笑をこらえている。

「ぞっとする。想像するだけで寝つきが悪くなるな」

「閣下、わたしも閣下と同じ国に生まれてよかったと思いますよ」

「ははは、まったくこの世は不条理で面白い」

 二人の豪傑は、親子のように相性がよさそうだ。

 

帝国の僻地で市民の反乱がおこった。皇帝の命令でエッシェンハイマーが鎮圧に兵士をつれて現地に到着したとき、おびただしい遺体が転がり、血のにおいがエッシェンハイマーに染み付きそうだ。

「で、状況はわかったのか?」

「はい、ほとんど収束に向かいつつありますが、いまだ予断は許されません」

 副官をつとめるキルゲの報告で、エッシェンハイマーは反乱軍の首謀者を探しに馬を走らせた。

 ほどなく返り血で真っ赤の鎧を着た人物を発見した。

「貴様がこんなものを企てたのか?」

「そうだ。お前たちが無駄な戦争を起こすたびに若者は兵士に取られ、食糧まで強奪し、赤毛の愚か者に天誅を食らわせてやろうと思ってな」

「貴様には悪いが、ここで死んでもらう。覚悟を決めろ」

「その言葉、そっくり返してやるよ。いくぞ!」

 勝負はあっさり終わった。首謀者がいくら強くとも、正規の軍人には及ばない。エッシェンハイマーが相手の胸倉に突くと、口から血を吐き、倒れた。

「俺が死んでも終わらんぞ……お前らは全員地獄行きだ。先に待っている」

 けいれんを起こし、男に死が訪れた。

「この男が言う通りかもしれん。つくづく最低の仕事だ、軍人など」

 しばし感傷に浸っていたエッシェンハイマーのもとへ、キルゲが血相を変えてやってきた。

「閣下、大変です!」

「どうした?完全に鎮圧したはずだが」

「バウアー中隊長が負傷しました」

「なんだと!」

 ヨーゼフ・バウアーはブルグミュラーと同じく、皇帝の親族で、しばしば夜伽の相手を務める人物だ。

「閣下、いかがなさいます?」

「取りあえず軍医に診てもらえ」

「承知しました」

 これは土下座くらいではすまないな……最悪、自殺を命じられるかもしれない。

「閣下、顔色が悪いようで」

「なに、すべての責任はわたしがとる。後始末をするぞ」

「了解です」

 エッシェンハイマーは強がって見せるが、内心穏やかではなかった。

 エッシェンハイマーが謁見の間でひざまずいている。

 赤毛の皇帝は玉座で腕を組み、野獣のようにエッシェンハイマーをにらんでいた。

「シュレーゲル、貴公ならどうする?この愚か者はわしの大切なものを傷つけてしまった」

「陛下の見解はごもっとも。しかし、彼が今まで貢献した点を忘れてはなりません。一か月の自宅謹慎が妥当かと」

「わかった。エッシェンハイマー、後で宰相にワインでも贈るのだな」

「恐悦至極でございます」

 謁見の間を去ったエッシェンハイマーに声をかけた人物がいる。

「よお、久しいな、元気か?」

 なれなれしい口調で話しかけてきたのはアウグスト・ラインバッハ将軍だ。

 特に優れた腕力はないが、極めて頭の回転が速く、今までの政敵を葬ってきた。

「危うく死ぬところだったよ。シュレーゲル宰相のおかげだ」

「そうか。俺はこれから陛下と狩りに出かける。あまり気を落とすなよ」

 エッシェンハイマーは会釈し、その場を去った。

 

 帰宅したエッシェンハイマーを待っていたのは妻のマリアだった。

「お帰りなさい。早かったのね」

「まあ色々あってな……」

 ソファーに座ると、ワインのボトルを開け、ジョッキになみなみと注いだ。

「あなた、飲みすぎよ」

「ほうっておいてくれ。男にしかわからないことがあるんだよ」

「また陛下に叱られたの?」

「そんなところだ」

 自嘲気味に笑うと、エッシェンハイマーは妻を抱き寄せた。

「ちょっと、どうしたの」

「お前がほしい。頭が真っ白になるまで付き合ってくれないか」

「……わかりました」

 寝室に入ると、二人は生まれたままの姿になり、ベッドで抱き合った。

 マリアの口から喘ぎ声が漏れた。

「ああ、いつもと違う……」

 夫は妻を頭からつま先まで愛撫を重ね、まだ瑞々しさを失っていない陰部へ己の陰茎をさしこんだ。

「もう……だめ……」

 マリアは叫ぶと、エッシェンハイマーの先端から男のエキスが発射した。

「満足したか?」

 マリアはあまりの刺激に言葉はなかった。

 

エリオットはロビンソンに話を持ちかけた。

「閣下、恐縮ですが会議を招集したいのですが」

「了解です」

 一時間後、二人のほかにグレンデール、ファイザード、マックスらが会議室に集まった。

「よく集まってくれた。皆も承知かと思うが、わしには時間がない。あの世に行く前に、せめて帝国に被害を与えておきたい。意見はあるか?」

「ありませんよ。閣下のお気持ちは良くわかります。こき使ってください」

 マックスが発言すると、全員の意見は一致した。

 こうして前代未聞の共和国軍総動員が行われた。

 

「共和国が15万の兵を動かすだと……!」

 ウィルヘルムはポカンと口を開けたまま持っていたグラスを落とした。

「正気か?15千の間違いでなないのか?」

「いえ、彼らはどうやらエリオットがいるうちに我が国をたたきのめす覚悟なのでしょう」

「それほどの兵を動員すれば首都はどうなる?」

「わたしの勝手な憶測ですが、水面下で各国と連携しているのかと」

「わかった……将軍を全員集めろ。わしも出馬する」

 歴史は確実に動いている。シュレーゲルは覚悟を決めた皇帝に威圧感を感じた。

 

 大陸歴622年、39日、両軍はサンズバーグ草原であいまみえた。

 慣習通り、総司令官があいさつをする。ウィルヘルムと、代理を務めるグレンデールが歩み寄った。

 正直、ウィルヘルムは恐怖感を覚えた。しかし、ここで決めないと立場がない。

「グレンデールよ。貴様のせいで我が国は散々苦しめられてきた。しかし、それも今日で終わりだ」

「強がったところで無駄だ。わかっていると思うが、エリオット元帥に匹敵する司令官はそちらにはいない。全員戦死だな。ははは!」

 唇をかみしめてウィルヘルムは自陣に帰った。グレンデールが戻り、一斉に両軍がぶつかりあり、その迫力は尋常ではない。

 共和国15万人に対し、帝国は18万の兵を動員させた。これで相手が並みであれば問題ない。しかし、なんといってもエリオットの存在が敵に威圧感を、味方に安心感を与えている。後方に控えているウィルヘルムとバーレンシュタインもやつぎばやに命令を怒鳴りつけるが、エリオット恐怖症ともいうべき存在感、老獪な用兵、この人の指令であれば確実に勝てるという確信が共和国の将兵にあり、次々に帝国兵が倒されてゆく。

 結局1日では決着がつかず、両軍ともテントを張り、寝ずの番が安全を確保した。

「や、やばい……」

 クルーガーが会議用の大型テントで苦しげな表情を浮かべている。

 今後どう戦っていくかを議論する重要な打ち合わせで、クルーガーの顔色が青い。

「どうしたの?体調が悪いの?」

 シルビアが声をかけるが、やがて小雨が降り、大ぶりになり、轟音が鳴り響いた。

 エリオットはある可能性を疑い、冗談交じりに発言する。

「トンプソン、まさか雷が怖いのではなかろうな」

「そのまさかですよ……」

「え」

 空気が凍りついた。

「シャレにならないな……アービング、貴官はそばにいてやれ。なんとかなるだろ」

 エリオットが指示した直後。付近の大木に落雷。

「うあああああああああ!!」

「クルーガー、落ち着いて。あたしがそばにいるから」

「いやだ、いやだ、いやだあああああ!!」

「仕方ない。アービング、貴官はずっと面倒を見てやれ」

「了解です」

「まあ、この雨では帝国も打つ手はあるまい。本日は休養だ。飲酒も許可する」

 何とも大雑把なエリオットの発言に、生真面目なマックスは思った。

(さすが大物は違う……)

 

 土砂降りは3日間で終わった。死体と化していたクルーガーはあっさり立ち直った。

「いやー、最悪だったな。シルビアさん、感謝します」

「まったく子供時代を思い返すわね」

 マックス、クルーガー、シルビアの三人は幼いうちからの付き合いで、シルビアの父、ロバートは3人が誕生日を迎えると玩具をくれて、泥にまみれて遊んだ。

「しかし、俺は気づかなかったな……クルーガーがそんな弱点を持っているとは」

「あら、あたしは何回か経験してるわよ」

「そんな話題は勘弁してくれ……」

 いつもは強気のクルーガーにしては珍しく、その後も何度もいじられ、グレンデールが雷を落として終わった。

「さて、若手も落ち着いたな。ランズバーグ、作戦について説明してくれ」

「はい。まずはトンプソンが2個軍団を率いて突撃し、相手を撹乱します。すぐに下がり、マックスが同じく攻撃。同時にグレンデール少将とアービング准将が左右から攻撃し、陣形が崩れたところでファイザーと将軍とエリオット元帥がとどめを刺します。何か質問は?」

 誰もがうなずいた。エドワードの作戦が失敗に終わったことはない。さらに、エリオットの存在感とあいまって、もはやこのコンビは鉄の鎖だ。

「皆、この決戦で歴史は変わるぞ。規模は我々が優位だが、共和国には化物のような人材の宝庫だ」

 24名の将軍の前でバーレンシュタインは熱弁をふるった。

「とにかく一対一で負けないことが重要だ。これだけの規模で綿密な作戦など無意味だ。敗北は死を意味する。諸君らの検討を期待する」

 将軍たちは敬礼で応じた。

 

 作戦通り、クルーガーが自慢の高速軽騎兵団を率いて突撃した。帝国は18の軍団を縦に並べ、後方からバーレンシュタインが指揮を執る。

 だが、クルーガーの特攻に帝国は戸惑った。対峙したのはラインバッハだが、あっという間に陣形が崩され、かなりの損失。続いてエッシェンハイマーの部隊にクルーガーは攻撃を仕掛けた。粘り強さでエッシェンハイマーは負けたことがない。兵士たちの人望も篤く、クルーガーの速度に負けない防御を見せ、作戦通りクルーガーが退くと、最悪のタイミングでマックスがさらに攻撃した。

「敵の戦意は高くない。一気に突き崩すぞ」

 マックスの統率力はエリオットに次ぐ。クルーガーほどの勢いはないが、優れた戦術眼は天性のものだろう。ブルグミュラーの部隊はマックスの攻撃に持ちこたえられず、ズルズルと後退した。

 そして右側からグレンデールが、鬼神のごとく強烈な一撃を与え、帝国はグレンデールの名を聞いたら及び腰になり、中には死刑を覚悟で逃走する者まで出た。

 シルビアの弓兵部隊は矢を放って放って放ち、甚大な損失を帝国に与えた。

「ふふふ、やっぱりさすがはエドね。作戦通りだわ」

 そして過半数を失った帝国軍に対し、エリオットの十八番、包囲殲滅作戦が実行された。

「包囲網を崩せ!層が薄いところをねらえ!」

 バーレンシュタインが怒鳴り散らしたが、形勢をひっくり返すは帝国にはなく、ごく少数の将兵が何とか退却し、事態は収束に向かった。

「閣下、敵将を捕まえました」

 縄で縛られたのはビーゼンヒュッテンだった。鎧は血ぬられ、眼光は敗北してもぎらぎらしている。

「さっさと殺せ!わが軍の負けだ。せめて散り際は醜態をさらしたくない」

 エリオットは腕を組んで悩んでいたが、エドワードの助言に従うことにした。

「貴様ほどの男はここで死ぬべきでない。解放する。帝国に戻れ」

「断る!エリオット、あなたほどの男ならの気持ちがわかるはずだ」 

「いや、わしはあと数年の命だが、貴公はまだ若い。戻ってまた対戦したら今度こそその首を取る」

「わかった……。感謝する。また戦場で会おう。次は負けない」

 ビーゼンヒュッテンは縄を解かれ、片足を引きずりながら去って行った。

「さてと、掃討戦は無意味だな。引き上げるぞ。もはや帝国は終わった」

 誰もが思った。また歴史は動く。

「では、勝ちどきを上げるぞ。グレンデール、貴公に任せる」

「いきますよ……えい、えい、おー!」

 全将兵が習い、歴史的会戦は共和国が勝利を収めた。 

「まだだ……まだ神はわしを見捨ててはいない」

 疲れ切ったウィルヘルムは全身血まみれで、帰国した。

 まさしく惨敗だった。18万の将兵のうち、生存者はわずか3万足らず。24名の将軍のうち、実に8名を残すのみだ。

「シュレーゲル……わしはどうすればいい?」

「今は傷と疲れをいやすだけ。まだ8万の兵が残っております。ゆっくり養生なさって、まずはご自身の回復が最重要です。後は生き残った将軍とわたしが支えます」

「そうだな……しかし、共和国は本当に強かった」

 唇をかみしめ、ウィルヘルムは怒りを収めた。

 

「くくく、最低の戦だな」

 高笑いしているのはダビドだ。

「まさしく致命傷だ。エリオットが本気になればどれほどのものか、よくわかる」

「陛下、感心ばかりしている場合ではありませんぞ」

 デシャンの言葉に、危機感がある。

「わかっている。それにしてもいつの時代もものを言うのは人材だ。共和国に負けない布陣にしなければならんな」

 クレールマンが書類をダビドに渡した。

「将来性のある若者を調べました。わが国も埋もれた宝石があります」

「おう、かなりの量だな。それにしてもわが弟はどうしているやら」

 

「ハクション!」

 リリアンがくしゃみをした。グスタフが不安げに声をかける。

「大丈夫ですか?」

「はは、誰かがわたしの噂をしているんでしょう」

 すっかり公国軍になじんだリリアンは今日も武芸について、指導を頼まれている。

 広大な訓練所で一人一人、マンツーマンで基礎から教えている。

「そのかまえでは懐がやられます。もう少し防御を固め、相手にすきを作ります」

「はい!」

 気さくで礼儀正しい教官に教わって、少年兵たちはほほを紅潮させている。

(しかし、このレベルでは引き上げるのが大変だな……まあ、やりがいはあるが)

 結局、20名ほど教え、夕方を迎えた。

「よし、今日はこれで終わります。各人は必ず風呂に入って疲れを取ってから寝てください」

「ありがとうございました!」

 リリアンは一抹の不安を抱えてから眠りに就いた。

 ある日、ロバートがマックス宅を訪れた。

「わざわざいかがしました?」

「君に頼みがある。この子だ」

 ロバートは懐から幼児をマックスとアイシャに見せた。

「わたしの秘書が風邪をひき、他の部下も多忙でね。ずうずうしいお願いだが、今日だけ預かってもらえないだろうか?」

「別にかまいませんが」

「ありがとう。では、失礼する」

 ロバートが去った後、しばしマックスとアイシャは立ち尽くした。

「まいったな……まあ、これもいい経験だと思うしかないな」

「ではマックス、わたしに抱かせてください」

 マックスはアイシャに幼児を渡した。

「うわあ、あったかい」

 3歳を迎えた子は愛らしく、穏やかな笑みを二人に見せた。

「マックス、子供は最初の3年間で一生分の親孝行をするという言葉をご存知ですか?」

「いや、はじめて聞いたが、いい言葉だね」

「お姉ちゃんの胸、柔らかいね」

 幼児はアイシャの胸に顔をうずめている。めらめらとマックスの欲望が燃え上がった。

(マックスよ、こんな子供に嫉妬するなんて大人げないぞ!)

 頭でわかっていても感情がぶれている。

「アイシャ、俺にも抱かせてくれ」

「はい」

 幼児はマックスのたくましい腕に抱かれたら、急にむずかって、泣き出してしまった。

「どうしたのかしら」

「お兄ちゃんの顔、怖い。お姉ちゃんがいい」

 アイシャは爆笑するのをかろうじて抑えた。

「マックス、やっぱり小さい子は女に任せたほうがいいみたいですよ」

「そうだな。悔しいが……」

 幼児は再びアイシャに抱かれ、顔を胸につけ、ぐりぐりと芳醇な香りを堪能した。

「ふふ、ませた子ね。この歳で母親気分は悪くないですよ」

「まあ、君は包容力があるからね。いいお母さんになれると思うよ」

 マックスの言葉に、アイシャは赤面した。

「せっかく女に生まれたのだから子供はほしいです」

 夕方になり、ロバートが訪れた。

「いやー、助かったよ。ほんのお礼だ。受け取ってくれ」

 高級な牛肉の塊をさしだした。

「いいんですか?こんな高いものをいただいて」

「なに、わたしと君の間柄ではないか。遠慮は無用だよ。それより……」

 ロバートはマックスの耳に顔を近づけ、ささやいた。

「シルビアのことを頼むよ。あの羽根っ返りを抑えられるのは君だけだ」

「ははあ……」

「では失礼する」

 幼児を受け取ってロバートは去って行った。

「食事にしましょうか」

「ああ、そうだね」

 マックスの胸に様々な感情が入り乱れたまま夕食を口に入れた。  

 

 ダビドは執務室へ、デシャンを呼んだ。

「失礼します。どのようなお話でしょうか?」

 若き国王の横に、クレールマンが立っている。

「そろそろ貴公も気になっている秘密を解き放とう。おい、マスクを取れ」

 クレールマンはゆっくりとマスクに手をかけ、素顔をさらした。

「……!」

 デシャンは絶句した。以前から知りたかった光景がそこにあった。

 左の眉から唇までざっくりと斜めに深い傷が見る者を驚愕させる。

 そして、やはりクレールマンは女性だった。栗色の髪はうなじまでの長さだ。

「どうだ、感想は?」

「いや、言葉が見つかりません」

「帝国のラインバッハにやられました。一時は自殺も考えましたが、いまは復讐を誓っています」

「そうか……心中、察するぞ」

「ありがとうございます。もう、わたしは女を捨てました。今は陛下を補佐し、必ず帝国を滅亡させます」

「そうそう、その心意気はよしだ。ついでと言っては何だが、クレールマンが登用した男たちを紹介しよう。おい、入れ」

 ドアを開けると3名の男が現れた。いずれも背は高く、武人の貫禄がある。

「右からジェローム、ギュスターブ、ガスパールだ。デシャンの部下になるからしっかり教育してくれよ」

「了解です」

「よろしくお願いします」

 三人は深く頭を下げた。

「では、さっそく訓練所でけいこをしよう」

 全員が訓練所に行き、ダビドとクレールマンはじっと見守った。

 一通り訓練が終わると、3名を帰宅させ、ダビドは薄く笑った。

「どうだ、若手の実力は」

「いやあ、さすがにクレールマン殿が選んだだけあって、やりがいがありますよ」

「すぐにでも実践に投入できるな」

「おっしゃるとおりです。わたしもうかうかしていられませんな」

「ははは、尻に火がついたか。クレールマン、引き続き人材の発掘を頼むぞ」

「承知しました」

 必ず天下を取って見せる。ダビドの野望は燃え上がり、迫力満点。

「近々また兵を出すぞ。心の準備をしておけ」

「承知!」

 

 ロビンソンの命令で、マックスはマーナ族同盟の国境付近で偵察に出た。

 ゆったりと馬を走らせると、一人の人物を見つけた。

「あの男は……」

 男もマックスの存在に気付いた。こちらに向かってくる。

「お前は確か……パルテアだな?」

「そうだ。カラーゼ総帥がわざわざ偵察か?」

「そんなところだ。ここで出会ったのも何かの縁。勝負するか?」

「受けて立とう」

 かくして、大陸でも屈指の武勇を誇る二人は戦闘に入る。

「いくぞ!」

「遠慮は無用!」

 槍を交えること200合、双方隙を見せず、マックスは落馬してしまった。

「俺の勝ちだ。しかし、いい勝負だったぞ」

 槍を構え、カラーゼは躊躇した。

「どうした?」

「お前ほどの男を殺すには惜しい。再戦の機会があろう。それまでに腕を磨くことだ」

「わかった」

 カラーゼはにやりと笑って去って行った。

 

 翌日、マックスは昨日の出来事をロビンソンに報告した。

「絶好の機会を逃したか。まあ、君は若い。訓練でまだまだ成長する。あまり思い詰めるな」

「大物を逃したのは残念ですが、これからも上を目指します」

「その意気だ」

 翌日、マックスはグレンデールにお願いをしてけいこをした。

「パルテア」

「なんでしょうか?」

「俺はもうこれ以上強くならないが、お前やトンプソンはまだまだ伸びる」

 グレンデールは唇をかんだ。

「悔しいが、大軍の指揮を取る能力はおまえがはるかに俺より優れている。エリオット元帥に教えを請うことだ。期待しているぞ」

「恐縮です、閣下」

「後は女遊びが重要だ……と言ってもお前には恋人がいるんだっけな」

「閣下、いきなり話を変なほうに持っていかないでください!」

 二人は哄笑した。

 

シルビアが二十歳になり、成人の祝賀会を開いた。

 広大な庭に、500名を超える客が埋め尽くされ、招かれたマックスとアイシャは戸惑った。

「こんなパーティー、生まれて初めてだよ」

「わたしも……なんと言えばいいのか」

 多くの名士に囲まれていたシルビアは、マックスに気がついた。

「ふふふ、参加してくれてありがとう。あー、これだけ集まると熱気がすごいわね」

「おめでとうございます」

 二人は会釈すると、グレンデールが現れた。

「アービング君、おめでとう。俺からのプレゼントだ」

 鮮やかなバラの束を不器用な手つきでシルビアに渡す。

「あらあら、お気づかいありがとうございます。楽しんでくださいね」

 マーロン、クルーガー、エドワードがシルビアに近づくと、壇上からロバートが声を張り上げた。

「みなさん、わが娘のためにお集まりいただき、まことにありがとうございます。未熟者ですが今後も温かく見守っていただきたい。乾杯!」

 拍手喝采だ。続いてシルビアがあいさつする。

「本日はお忙しい中、本当にありがとうございます。無礼講なのでガンガン飲んでください。ただし、飲みすぎで吐いたりしないでくださいね」

 爆笑の渦が巻き起こった。

「シルビアさん、どんどんきれいになっていく……」

 アイシャが見とれていると、マックスは軽く肩をたたいた。

「君もだよ。自分では気がつかないだけさ」

「あ、ありがとうございます……」

 赤面するアイシャは愛くるしい。

「よう、二人とも元気そうだな」

 クルーガーが近づいてきた。すでに相当酒が入っているらしく、顔色は紫だ。

「お前、飲むのは勝手だが、シルビアさんが言った通り、吐くなよ」

「わかってるって。アイシャもきれいだぞ」

「もう、人をいじる癖、やめてください」

 珍しくアイシャはほほを膨らませて抗議した。

「しっかしこれだけ集まるとは予想になかったな。迷子にならないうちに帰るか。お二人さん、いちゃいちゃするなよ」

 アイシャはがっくりと肩を落とした。

「あいつの言う事にいちいち反応していたら神経が持たないぞ」

「そうですね。受け流さないと」

 日が沈み、宴会は幕を閉じた。

 

 クルーガーがロビンソンの執務室へ訪れた。

「俺にどんな命令ですか?」

 ロビンソンは思い詰めた表情だ。

「これはわたしの命令ではなく、国務長官の指令だ」

「で、内容は?」

「君に一個軍団を率いてハーゼンハイデ公国の首都を攻略せよ、だ」

 クルーガーは眉間にしわを寄せた。

「閣下は可能だと思いますか?」

「思わない。しかし、命令は命令だ。覚悟を決めてくれ」

「わかりました。最善を尽くします」

 ハーゼンハイデ公国は5個の砦を持ち、一つづつ攻略しなければならない。

 しかも、ビルマースドルフ侯爵カイザーが生ける要塞として君臨し、大陸でも5本の指に入る力量を持っている。

 クルーガーは翌日、12000名の兵を率いて出陣した。

 第一関門に辿りつくと、クルーガーは火矢を放ち、砦は炎上した。

 たまりかねた公国軍は城門を開き、共和国軍に攻撃を仕掛けた。

 しかし、無能な将軍がクルーガーに対抗できるはずはなく、あっさり降伏した。

 第二関門は工作部隊が城に潜入し、内側から城門を開き、クルーガーの攻撃に屈した。

 第三関門は気の短い将軍が城門を開け、クルーガーに一騎打ちを望んだ。

「さて、給料分は働かないとな」

 あっさり将軍を殺すと、恐れた兵士が逃走した。

「やれやれ、本当に歯ごたえがないぜ。もう少し根性見せてもらいてえな」

 第四関門は勝ち目なしと降伏し、いよいよ守護神とうたわれるカイザーと対決だ。

「さて、真打登場か」

 両軍が対決すると、これまでの闘いと打って変わって、互角の勝負だ。

「カイザーはどこだ……」

 しばしクルーガーは探すと、銀色の髪を持つ人物を発見した。

「なんだ、あいつは……」

 クルーガーが驚嘆するのも無理はない。それほどカイザーの美貌は際立っていた。

「シルビアさんとも釣り合いが取れるな。もっとも、ここで死んでもらうが」

 カイザーもクルーガーの存在に気がついて、歩み寄ってきた。

「わたしの名はカイザー。貴公がトンプソンだな?」

「ああ、あんたのような英雄に覚えてもらって光栄だ」

「では、いくぞ!」

「おう!」

 クルーガーとカイザーの一騎打ちはどちらも譲らず、白熱の極みだ。

 カイザーの矛はしばしばクルーガーの頬をかすめ、クルーガーの槍はたびたびカイザーの防御を崩しかけた。

(こんなきれいな顔をしてなんて強さだ……)

 カイザーも驚きを隠せない。

(このわたしが苦戦だと!世の中は広い)

 武器を交えること数百回、ついにカイザーはバランスを崩され、落馬した。

 クルーガーは躊躇した。これほどの男を殺していいものか。

 そのひるみが命取りだった。弓兵が矢を放ち、5本の矢がクルーガーの体に突き刺さった。

(死ぬのかよ、こんなところで)

 自嘲の笑みを浮かべ、馬から落ちた。

 しばらくは痙攣したが、やがてぴたりとおさまった。

 

「あーあ、よく寝た」

 クルーガーは起き上がり、大きく伸びをした。

「あれ?なんで俺がこんなところに?」

 気がつけば病院の一室で、体中に包帯が巻かれている。

「お客人、やっとお目覚めかね」

 グスタフが食事を持ってきた。

「三日三晩、まったく動かなかったのでこれはまずいと思ったが、これで一安心だ」

「思い出した。カイザーとやりあったんだ」

「そうそう、あんたがあのビルマースドルフ侯爵と互角に戦ったんじゃよ。本人もあんたの強さに驚いていたんだ」

「いてて、まだ傷が癒えてないな」

「なに、さほど深くはないよ。食事を済ませたら公爵の部屋を訪れなされ」

 クルーガーはカイザーの部屋に入ると、いたって簡素なものだった。

「待ちわびたぞ。お互い何とか生き延びたな」

 カイザーは苦笑した。クルーガーも薄く笑った。

「なぜおれを殺さなかった?」

「いま、わが軍には有能な指揮官は少ない。期限付きで結構だが、協力してもらえないだろうか」

「悪い話ではないな。しばらく付き合おう」

「ありがたい。グスタフに命じて城の周辺を散策するがいい」

「了解だ」

 カイザーは無言で手を差し伸べた。二人は堅く手を握った。

 

 クルーガーとカイザーはすんなり打ち解けた。毎回食事を共にし、ワインを飲みながら笑い話に花を咲かせた。

 ある日、二人で朝食をとっていると、カイザーがためらいの表情を浮かべている。

「どうしたんだよ。悩み事か?」

「トンプソン」

「クルーガーでいい」

「ではクルーガー、失礼な質問がある」

「なんだよ、あらたまって」

「貴公には恋人がいるのか?」

「いないよ。俺は一人の女に縛られたくないんでな」

「わたしにはいる。最高司令官、侯爵の肩書を捨てても守りたい女性が」

「へえ、興味あるな」

「ではついてきてくれ」

 二人が訪れたのはカイザーの執務室。その隣にドアがあり、カイザーは鍵をといた。

 部屋の中央に車いすの少女がやや暗い表情を浮かべていたが、カイザーの顔を見ると花のように美しい笑顔を見せた。

「この娘はテレジア。帝国の兵士に目の前で両親を殺され、失語症になり、けがで歩けなくなり、わたしが世話をしている」

「厳しい人生だね……」

「わたしの信念は、男なら体を張ってでも愛する女性を守り抜くことだ」

「俺の友人と同じだな」

「マクスリード・パルテア、か」

 クルーガーはぎょっとした。

「なんで知ってるんだよ」

「何を言う。今や共和国は人材の宝庫だぞ。エリオット、ファイザードは言うに及ばず、グレンデール、アービング、ランズバーグ、パルテア。あの帝国が惨敗した時は耳を疑った」

「あー、あれは敵ながら同情したよ。王国のダビドはそのうち帝国に攻め込むだろうな」

「いずれわたしも貴公と戦う時が来るだろう。悲しい現実だがな」

「はは、そりゃそうだ。だからこそ今を楽しもうぜ」

「いかにも貴公らしい言葉だな」

 カイザーは苦笑しきりであった。

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森井 康仁
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