天道虫

「ねぇカメさん・・あなた警察の人でしょ、捕まえに来たんでしょ?何で連れて行かないの?」

「こんな怪我人連れて行けないだろ・・いや・・話聞こうと思ってね・・・」

「あのね・・ケンジは悪くないんだ・・ワタシを助ける為に・・・・・」

「君は近藤と同棲していたよな?その相手を殺した奴だぜ・・」

「そのときは怖かった・・でも近藤とそういう関係になったのは・・クスリ打たれて無理やり・・・あと

クスリ欲しさで仕方なく一緒に暮していたの・・・もう自暴自棄ってやつ・・」

「コイツは何で近藤を殺ったのか・・訳知ってる?」

「うん・・・ケンジの彼女が・・お義父さんに犯されて・・近藤にはクスリ打たれて・・自殺したって・・・

それで、近藤とお義父さんを・・・・・」

「そうかぁ・・それで浜名湖の近くの一件は?」

「あれは・・近藤の弟分で、ワタシがクスリ欲しさに言いなりになっていて・・そのうち風俗で稼がせ

って脅されて・・・たまたま新宿の店でケンジに会ってね、色々話聞いてもらったの・・そしたら

クスリ止めるなら助けてくれるって・・それでこっちに逃げてきたの・・だけどアイツ・・尾行してた

みたいで、突然襲われたの・・・・ケンジが・・助けてくれた・・」

「それで崖から突き落としたわけか・・しかし、こんな若造がヤクザ相手に・・すげえ奴だな・・・」

「ワタシ、クスリ切れて大変だったの・・ケンジはずっと傍にいてくれた・・・・・」

トモは、顔をクシャクシャにしながら嗚咽した、ケンジのお陰で人間らしい生活を取り戻せたことを

ホントに感謝している、捕まえるんだったら、ワタシも同罪だと亀田に懇願した。

 

 亀田は所轄所に連絡し、ラブホテル強盗傷害事件としてこう証言した、休暇中に怪しい車を追

尾した所、犯行現場を偶然に押さえたが、犯人は車で逃亡と報告したのだった。

被害者はラブホテル従業員一名軽傷、宿泊客二名、内男性一名重症と翌日の地方紙の三面記

事に載っていた。

 救急車の到着を待つ間、亀田はトモにこう言った。

「トモちゃんよ、二度とクスリには手を出すなよ・・・コイツには今までのことは忘れろって・・・これ

からも二人で仲良く暮せよ、俺は暴力団には多少顔が効く、お前さんたちのことは忘れるよう

に、あの馬鹿共に言っておくから・・・」

「アリガトウ・・ホントに・・・アリガトウ、カメさん・・アリガトウ・・・」

 

 

 

 あれから一ヶ月、掛川郊外の総合病院の一室にケンジは入院していた。

冬将軍の到来を感じさせる冷たい隙間風が、窓から吹き込む。

救急車で運ばれたケンジは、緊急手術で再生不能な頬の骨には鉄板が埋め込まれた、頭部の

裂傷は脳まで損傷していた為、自力呼吸ができない状態で、所謂植物状態であった。

 

「もう冬だね・・・外は寒いよ・・」

「・・・・・」

「ねぇ・・ケンジ・・・ワタシね・・おなかの中に赤ちゃんがいるんだって・・・ビックリ・・ケンジ・・パパだ

よ・・・パパになったんだよ・・・」

「・・・・・」

 

人工呼吸器のポンプの音が規則的なリズムを刻んでいる、殺風景な病室のベットの脇には、ケ

ンジの愛車SR400のキーが無造作に置かれていた。

担当医に脳死と宣告され、この一ヶ月泣かない日はなかった。

こんなワタシのために・・代われるものなら代わってあげたい・・・ケンジ・・起きて・・・。

絶望の際に立たされていたとき、身体の変調に戸惑いながらも婦人科を受診した。

妊娠3ヶ月だった、唯一の希望の光が差し込んできた、ケンジの赤ちゃんだ・・アリガト・・ケンジ。

 

 たった一年でケンジの人生は激変した、平凡な高校生活を送っていたケンジにとって、人生が

凝縮された出来事だった、17歳という年齢には到底経験できる筈もないことを・・ただメグのため

・・・トモのために・・・大切な人を守るために・・・。

人生を棒に振った覚えはない、一日を、一瞬一瞬を精一杯生き延びてきた、短い人生だったが

十分過ぎるほど満足していた。

 

様態が急変したのは深夜の2時過ぎだった、トモのケイタイに病院の看護士から連絡があった。

「様態が急変しました、危険な状態です、大至急起こし下さい」

タクシーを飛ばし、病室に着いたときにはもう既に眠りについていた。

かけがえのない人にやっと巡り会えたのに、こんな別れって惨すぎる、赤ちゃんの存在さえ知ら

ぬまま逝ってしまうなんて、こんな短い人生それでよかったの?ケンジ・・・。

無表情の医師や看護士が医療器具を片付けている、人工呼吸器を外されたケンジの顔は傷だ

らけだが、どこか笑っているような、とても安らかな表情だった。

 

 あれから1年が過ぎようとしている。

小さな産婦人科で出産したトモは、二人で暮したあのアパートに今でも住み続けている。

子供は男の子でケンイチと名付けた。

そろそろ働かないと・・・‘けいこ‘のママがまた雇ってくれると言ってくれた、ケンイチのことは飲み

街のママ達が交代で面倒をみてくれる、ワタシ一生この街で生きていこうと思う、ボロボロの人

生から救ってくれたケンジと暮した街。

 或る日、珍しく暇な店内に一組の夫婦が尋ねてきた、トモはケンイチの授乳で店の2階にいた。

「ユミちゃん、お客さんだよ」

「はあい、今行きます」

ケンイチを抱え、階段をゆっくりと下りていった、すると見も知らぬ人達だが何故か懐かしさを醸

出す雰囲気を漂わせていた。

「はじめまして・・正田と申します・・

「あっ・・・」

ケンジのご両親だ、ケンジに似ている・・・急に涙が溢れてきた、心の底にあったものが一気に

込み上げてくる。

 商店街は、夕暮れの買い物客で賑わっている、ほぼその中央に赤レンガ造りのジャズ喫茶が

ある、店内はマイルスディビスのオールブルースが流れている、調度品もビンテージで揃え、洒

落たコーヒーカップが並んでいる。

「はじめまして、健治の父です、新宿署の亀田さんから連絡を頂きまして、突然申し訳ありませ

んでした」

「・・・・・」

「西野 智さんですね?」

「はい・・」

「亀田さんから全て伺いました、俄かには信じられませんでしたが・・・」

「・・・・・」

「失礼ですが、その子は?」

「ケンイチ・・です・・ケンジさんの子です・・」

「そうですか・・」

「あの・・ワタシ・・連絡先も知らなくて、どうしたらいいか悩みました・・勝手にお葬式を・・・申し訳

ありません・・・」

「とんでもない、お礼を申し上げます、ちゃんと供養をしていただいて、有難うございました」

ケンジの母親は、下を向いたまま嗚咽していたが、優しい眼差しをケンイチに向けながら言った。

「抱かせてもらえるかしら?」

「あっ、はい」

トモは、胸に抱いているケンイチをそっと手渡した。

母親は涙を流しながらケンイチを抱きしめる。

「健治そっくりだわ・・なんて可愛いの・・」

 

 

 

「健治は私共にとってたった一人の息子でした、出来の悪い馬鹿息子でしたが、根は優しい奴

で・・僅か17年しか一緒に居られませんでした」

父親は精一杯涙を堪えていたが、溢れ出したものは止まらなかった。

「失礼ですが・・籍は?」

「いいえ・・・

「そうですか・・・・・勝手なお願いなんですが・・聞いていただけますか?」

「・・・・・」

「私共にとっても、この子は孫になります、どうでしょう、一緒に暮しませんか、勿論生活の面倒は

私が責任を持って・・考えていただきませんか?」

「・・・・・」

「無理にとは言いませんが・・如何でしょうか?」

「あの・・・亀田さんから聞いていると思いますが・・ワタシ、覚醒剤中毒だったんです・・最初はヤ

ザに無理やり・・・・・それはもう酷い生活でした・・心も身体もボロボロで、生きる意欲もなくて、

そんな私を地獄から救ってくれたんです・・ケンジさんが居なかったら今頃ワタシ・・死んでいたか

も・・・偶然二人でこの街に来て、一緒にやり直そうって・・・だから、ワタシとケンジさんの出発点

なんです・・・この街は」

 

東海道本線清水駅のみなと口には、帰宅の途につく高校生が溢れていた。

ケンジの両親は、感慨深げにその光景を眺めている。

「もし宜しければ、またケンイチに会いにきてください」

「有難う、智さんも困った事があったらいつでも訪ねてきて下さい、じゃあお元気で」

ケンジの両親は改札口に消えていった、淋しそうな夫婦の背中の残像が瞼の奥に刻まれる。

 

 今年で2歳になったケンイチと昼下がりの公園で戯れていた、蒸し暑い初夏の日差しを浴びな

がら、噴水の水溜りの中にドカリと座ったケンイチの頭に、2匹のてんとう虫がとまった。

まるでケンイチを見守っているような・・・・。

そんな何気ない光景が、トモには記憶のどこかに閉まってあった、大切なもののような気がして、

ケイタイのカメラのシャッターを押した。

水溜りでグチャグチャになりながらはしゃぐケンイチに、ケンジの面影を重ねて見ていたトモは、

小さなシアワセを感じていた。     了

エンジェル
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