天道虫

  どれだけの時間がたったのだろうか、呆然と空を睨んでいたケンジは、足の激痛で我に返っ

た。

「トモっ・・トモ・・大丈夫か、トモっ・・」

「あぁ・・ケンジ・・・」

「よかったぁ、怪我は?」

トモは、幸いかすり傷程度で、軽いものだったが、ケンジは左足首の腫れが酷い、多分骨折して

るだろう。

「死んだ・・・・・

「・・・・・」

「また・・殺しちゃった・・・・・」

「ゴメン・・ゴメン・・ワタシのせいで・・・」

「取りあえず、コイツを何とかしなきゃ・・トモ、車のエンジン掛けられる?」

トモは、助手席を飛び出し、運転席に回りエンジンを掛けた。

「よし、次は真ん中のブレーキを踏んだまま、ギアをD,に入れて、左のペダルを力一杯踏んで

そう、こっちに来て、手を貸してくれる?俺歩けないかも・・」

トモは、ケンジに肩を貸しながら、後部座席から降ろした。

「うっ・・いっ・・痛てえ・・」

「大丈夫?」

「ああ、そしたら、ダッシュボードに燃えそうな紙入ってないかな?」

トモは、ダッシュボードを開け、領収の束らしき物を取り出した。

ケンジは、ジャケットの内ポケットから、ライターを取り出し、紙の束に火を点け、後部座席に放り

込んだ。

暫くすると、黒い煙が車のに充満してきた。

「トモ、運転席のドアを開けて、思いっきりハンドルを左に廻して、一番左のフットペダルを踏ん

で・・よし、降りてドア閉めて・・そう・・」

すると、車はゆっくり走り出した、その先は急勾配の絶壁になっている。

「危ないから、離れて」

その瞬間車は、崖から転落し、遥か下のほうでガシャンという凄い音がした、たちまち火が昇り

爆発音が響いた、黒煙が上がり地鳴りもした。

「よかった、バイクは動くぞ」

ケンジは、左の足首を添え木で固定し、Tシャツを引き裂いてぐるぐる巻きにした、トモを後ろに

乗せてゆっくりと走り出した、ギアを入れると激痛が走る。

遥か後方で、バックミラー越しに黒煙が広がっているのが見えた。

 

  東名高速を東に走っていた、清水インターで降り、国道1号線をさらに東へ進むと、小さな個人

院を見つけた、レントゲンを撮ってみるとやはり骨折している、ギプスで固定され不自由だが、

何となく痛みは引いてきた。

 トモに肩を借り、駿河湾が一望できる公園のベンチに二人は腰掛けた。

沖合いには漁船が数隻、陽炎のようにゆらゆら揺れている。

「アパートでも借りて、一緒に暮らさない?」

「・・・・・」

「ねぇ・・イタイ・・どうして喋んないの?ブルー入ってる?」

「かなりブルーだよ・・・一人は半殺し・・二人は殺しちゃった・・まともじゃないよ・・・」

「・・・・・」

「そうだね・・一緒に暮らそうか・・俺・・働くよ、この足じゃまだ無理だけど・・」

「大丈夫・・任せて、ワタシがお水でガンバル・・・ところで何処なのここ?」

「清水だよ、港町・・」

「海・・キレイだね・・ここで探そうよ、アパート、同棲だね・・恋人同士みたい・・フフっ」

「バァカ・・逃亡者同士だろ・・」

 

 商店街に程近い、家賃4万5千円、2DKのアパートを上手く借りることができた。

出費を抑えるため、最低限の家財道具を揃え、二人の拙い生活が始まった。

「カーテン、この色変じゃない?」

「どうでもいいよ、そんなこと・・」

トモは最近禁断症状らしきものは落ち着いていた、しかし薬物依存からそう容易く逃れられるも

のではないことは、トモが一番よく理解している。

命懸けで助けてくれたケンジには、感謝の気持ちから、愛情へと変わりつつあった。

 トモは、漁協に近い、殆ど漁師が常連のスナック‘けいこ‘にホステスとして、働き始めた。

新宿でキャバ嬢として働いていたトモは、猟師町のスナックでは一際目を引いた。

ここでの源氏名は‘ユミ‘とママに名付けてもらった。

ユミの評判を聞いて、客足は伸び、連日スナックは賑わいを見せた。

「ただいまぁ

「おかえり、大分酔ってるね、あまり無理すんなよ」

「うん・・平気だよ、ケンジがいるから頑張れる!」

「この足治ったら、俺が働くから・・」

「気にしなくていいよ・・ワタシお水好きだし・・ってゆうかぁ、お腹空いたぁ」

「ここは、魚が上手いから・・イカとマグロの刺身買ってきた・・それも安い!」

「美味しそう!」

 

 

 

 

 

  ケンジのギプスがようやく外れた、あれから一ヶ月が過ぎたが、新聞や地元TVでは単なる自損

故として扱われ、今では風化しつつある。

ケンジは繁華街にある大手居酒屋チェーン店でフルタイムのバイトを始めた。

時給は1000円、トモの給料と合わせれば十分暮らしていける、生活の目途がようやく立った。

「ケンジ、聞いて、ママがね時給上げてくれたの・・お客さん増えたのワタシのお陰だって、明日休

みだし、ケンジも休みでしょ?どっか行かない?

「そうだなぁ・・トモの体調も良さそうだし・・何処行く?」

 ケンジは、SR400にトモを乗せ、東名高速に乗って静岡で降りた。

国道150号線を東へ走り、三保の松原を目指した。

「わあ、スゴイ・・富士山だぁ・・こんな近くで見たの初めて・・」

トモは、満面の笑顔を見せて子供のようにはしゃいだ。

秋晴れの、それは久し振りのピーカンだった、雲ひとつないというのはまさにこのことだ。

「海風が気持ちいいなぁ」

「ねえ、写真撮ろ!えっと・・あのオジサンに頼もうよ・・」

見るからに観光客の老夫婦に、トモは屈託なく話し掛ける。

「スイマセン・・シャッター押してもらえませんかぁ、富士山も写る様におねがいします」

売店で買ったインスタントカメラを老夫婦渡し、撮ってもらった。

余程嬉しかったのか、トモはいつもより饒舌で、溢れんばかりの笑顔を振り撒く。

以前より脂肪も付いてきて、体重も5キロ増えたらしい、あのガリガリだった身体が嘘のように

蘇った、顔もふっくらとし、22歳そのものだ。

 観光案内所で紹介されたホテルに、二人は一泊することになった、羽衣の天女伝説にゆかり

のあるホテルで、ロビーの調度品も小粋な風情を醸し出している。

部屋からは海岸線に砂浜が続き、その先には雄大な富士山が鎮座している姿が一望できる、

陽が焼けて、赤富士の様相に、トモは感涙していた。

ロケーションは抜群で、湯浴みも悪くなく、夕食も海鮮尽くし。

「今日は、ホント、アリガトウ、最高だったね・・」

「またいつでも来れるよ・・」

「ねぇ・・・ケンジ・・」

トモは、浴衣をするりと脱ぎ、一糸纏わぬ裸身を露にした、それは眩しく神秘的だった、ケンジは

クスリを断ち切ることができたトモと、本能の赴くまま激しく何度も抱き合った。

 

 

  スナック‘けいこ‘は、漁師の終業時間に合わせて夕方4時には看板に灯を燈す、早々と‘ユミ‘も

出勤する。

開店と同時に馴染の客がゾロゾロと入ってくる、新鮮な魚介類を手土産に持参する者もいる。

店はボックスシートが4席、カウンターが8席と少し手狭であるが、二人で切り盛りするには丁度

勝手がいい、そのボックスシートの一番奥に見慣れぬ一元客が、一人でビールを飲んでいる、口

開けから居るのだとママから聞いた。

「ユミです・・宜しくお願します・・お客さん、ここ初めてですか?」

「ああ・・」

「地元の方ですか?」

「漁師に見えるかい?」

「そうねえ・・垢抜けていらっしゃるから・・東京の方?」

「そういうことにしておこう」

 東京新宿署組織犯罪対策課係長、階級は警部補で通称マル暴の亀こと亀田健太郎は、広域

暴力団〇組系〇組幹部、近藤誠二殺人並びに東和商事社長、山下雄二傷害致傷事件を担当

している。

亀田は、敵対関係にある組織を根こそぎ洗ってきたが、どうも素人の犯行ではないかと、疑念を

抱いていた。

投身自殺した女子高生と、東和商事の山下が義理の親子関係にあったこと、その自殺の原因

が山下と近藤ではないかと妻の証言で分かっている。

当時女子高生と交際していた正田健治の名前は、勿論既に挙がっていた。

山下の妻の証言で、義理の娘を犯した山下に、かなりの憎悪を抱いていた正田を、マークしよ

うか思案に暮れていた、動機は考えられるが17歳の犯行とはどうしても考えられない、捜査本

部の指針も、敵対組織の犯行説が有力であった。

そんな折、静岡県浜松市での転落事故死、広域暴力団員近藤誠二舎弟、小島隼人が死んだ 

との一報が届き、亀田は単身浜松へ飛んだ。

 

 スナックはだいぶ混み合っている、カラオケの順番を巡る酔った漁師の小競り合いで、グラス 

が割れ、その破片がユミの小指の先を切った、大した傷ではないが一瞬店内が静まり返った。

「ユミちゃん大丈夫?あんた達、何てことするのよ、出入り禁止にするからね、まったくしょうがな

いんだから・・」

ママはユミの手をとり、絆創膏を貼った。

 

 

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