天道虫

 空模様は曇天に近い、薄日は差しているものの、天気予報によると午後から雨らしい。

結局昨夜は一睡もできなかった、ラブホテルのモーニングサービスで、トーストと茹で卵、コーヒ

を飲んだ、トモは食欲が無いようで、ミネラルウォーターを飲んだだけだった。

 9時過ぎにホテルをチェックアウトし、御殿場インターから高速に乗った。

朝食を食べているとき、ケンジは行きたい場所はないかと、トモに訊ねた。

「昔ね・・小さいとき、両親と浜松に行ったことがあるの・・旅行はそれ一回きりだったけど・・楽し

った記憶があるの・・もう一度行ってみたいなぁ」

「浜松・・行ってみようか!」

 途中、トモの体調を考慮し、パーキングエリアに立ち寄ることにした。

トイレの前にSR400を停め、トモはトイレへ、ケンジは飲み物を買いに売店に行こうとしたとき、

ふと足元を見ると編み上げのライダーブーツの紐が解けているのに気付き、結び直そうとしゃが

んだ間、悲鳴が聞こえた。

「ヤメテヨ・・痛い、放して」

トモの声だ、急いでトイレに向かう、すると男がトモを引き摺り出そうとしている。

何処かで見た顔だ、あっ、アイツは確か近藤と一緒にいた奴だ、何でこんな所に?

「おいっ、何やってんだよ」

「うるせえ、ガキは引っ込んでろ」

ケンジは、いきなり殴りかかった、しかしヤクザ相手に敵う分けない、案の定鳩尾に蹴りを喰らい

蹲って倒れこんだ。

「ケンジ・・ヤメテ・・ケンジに手を出さないで・・お願い、一緒に行くから・・」

「このアマぁ、俺から逃げられるわけねえだろ、大人しく車に乗れ」

男はトモの手を引き、車へ向かった。

ケンジは、嘔吐しながらも、脇にある清掃道具入れの中から、金属製のモップを手に取った。

男の背後から近づき、思い切り頭に向かって振り下ろした。

ガツンと鈍い音が響き、男の頭部から血が滴り落ちる、もう一度振り下ろす、男の動きが止まり、

崩れ落ちるように倒れた。

「トモっ・・早く」

ケンジは男の車からエンジンキーを抜き、草むらに投げ込んだ、トモをバイクに乗せ、ホイルスピ

ンをさせながら、パーキングを飛び出した。

 蹴られた鳩尾が痛む、手には金属製のモップの感触がまだ残っている。

「大丈夫?ワタシのせい・・・」

「アイツ、近藤といつも一緒にいた奴だ・・」

「小島っていうの・・クスリ貰ってた奴・・」

「死んじゃったかな・・・」

「・・・・・」

「捕まったら死刑だな・・二人も殺っちゃた・・」

「ゴメン・・・」

 

 

 

 浜名湖沿いの有名温泉地のホテルは、平日だからか、飛び込みでも部屋は取れた。

部屋は、小奇麗な和室で、窓から浜名湖が一望できる、天気予報の通り小雨が降ってきた。

一見して病人のようなトモを見て、仲居はお茶を入れながら怪訝な表情を浮かべている。

なかなか席を立たない仲居に、そうか昔両親と温泉旅館に行ったとき、金を包んで渡していた

な、ケンジは、財布から3千円を出し、それを折りたたんで仲居に渡した。

すると別人のような笑顔を浮かべて、ごゆっくりと言いながら去っていった。

「あのオバサン、露骨過ぎない?でもケンジ、よく知ってるね?ビックリした」

「親の真似だよ・・でも笑っちゃうよな」

 トモはなんの躊躇もなく、ケンジの前で浴衣に着替え始めた。

「おい、少しは恥らえよ、一応、女だろ?」

「だって、挑発してるんだもん!」

「バカじゃねえの」

トモの裸身は可愛そうな位ひどく痩せていた、クスリの影響で食べる事も儘ならない、水分だけ

は異常なほど欲する。

「ワタシ、温泉は入ってくるね」

 ケンジは、トモの背中を見送りながら、あの小島という男の事を思い出していた。

何処から尾行ていたんだろう、俺の事は知らない筈だ、死んでないとすれば奴のことだ、また

追ってくるだろう、もっと遠くへ逃げた方がいいのだろうか、セブンスターに火を点けながら、浜名

湖を見下ろした。

 

 

  枕を並べて寝ていると、トモが急に苦しみ出した、見たこともない苦しみように、ケンジはなすす

もなかった、胸元を押さえてもがき苦しんでいる。

「おい、大丈夫か?いま救急車呼んでもらうからな」

「ダメ・・その・・うち・・治まるから・・・警察に・・捕まっちゃうよ・・」

「だけど・・死んじゃうよ・・・」

おねがい・・暴れないように、ワタシを強く・・抱きしめて・・」

「わかった・・」

ケンジは、トモを力一杯抱きしめた、それでも物凄い力でトモは暴れる。

「ガンバレ・・・・トモ・・」

 

 朝露が浜名湖を妖艶に包み込み、まるで別世界を思わせる、ここは黄泉の国だろうか、錯覚

覚える、そういえばこの二日間、一睡もしていない。

トモは、ケンジの腕の中で寝息を立てている、よほど疲れているのだろう、一晩中暴れてやっと

眠ったばかり。

 トモは、暴れながらクスリを執拗に欲しがり、幻覚も見ていただろう、ケンジを警察官と思い込

み、悪態をついた。

ケンジは、フロントに電話をかけ、朝食は要らないからチェックアウトの時間まで、寝かせてくれ

るよう頼んだ。

想像はしていたが、これほど凄まじいと思わなかった、クスリの怖さが身に沁み、トモには絶対

立ち直って欲しいと心から願った。

 

 ホテルの会計を済まし、ケンジは駐輪場に置いてあるバイクを取りに行った。

SR400のエンジンをふかし、暖気していると、見覚えのある白いクラウンが通り過ぎた、ケンジ

は咄嗟に身を隠す、どうやら気付かれなかったようだ、猛スピードで走り去って行く。

ホテルの玄関にバイクを横付けする。

「トモ・・アイツ生きてるよ・・たった今、向うに走って行ったよ」

「うそっ・・ヤダ、どうしよう」

「多分気付いてないから、逆方向へ行ってみよう」

ケンジは、来た道を戻ってバイクを飛ばした、するとバックミラーに白い車が映る、ヤバイ、気付

かれた、物凄いスピードで追いかけてくる。

後部シートにトモを載せているため、無茶な運転はできない、そこへ車ごと体当たりをしてきた。

バイクはバランスを崩し、滑りながら二人は地面に叩き付けられた。

激痛が走る、トモは・・2,3メートル先に倒れている、ヘルメットを被ったまま動かない。

 車から小島が降りて来た、ふてぶてしく、勝ち誇ったようにゆっくりとケンジに近づく。

「やっと会えたなぁ、てめえ、もしかしてケンジってやろうか?山下と近藤の兄貴殺ったのてめえ

だろ、調べはついてんだよ」

小島は、ケンジの腹を革靴の爪先で蹴飛ばし、動かない左足を踵で思い切り踏ん付けた。

「ギャー・・あうっ・・」

あまりの激痛に転げまわる。

「この野郎、まだ殺さねえよ、事務所でたっぷり時間かけて、弄り殺してやるからな、車に乗れ

や、早くしろ」

ケンジは車の後部座席に放り込まれた。

トモは意識がないのか、小島に担がれている、このままでは、間違いなく殺される、何とかしなけ

れば・・ケンジは激痛に耐えながら、車内を物色する、小島に気付かれないようにグローブボ

クスを開けた、すると中にスパナがある、小脇に隠し失神を装った。

小島は、トモを助手席に降ろし、運転席に座った、そこへ頭を目掛けてスパナを振り下ろした。

「うっ・・この・・野郎・・」

ケンジは何度も何度も殴る、血吹雪が車内を舞い、地獄の惨状と化した。

小島は白目を剥き、やがて息をしなくなった。

 

 

 

 

 

 

  どれだけの時間がたったのだろうか、呆然と空を睨んでいたケンジは、足の激痛で我に返っ

た。

「トモっ・・トモ・・大丈夫か、トモっ・・」

「あぁ・・ケンジ・・・」

「よかったぁ、怪我は?」

トモは、幸いかすり傷程度で、軽いものだったが、ケンジは左足首の腫れが酷い、多分骨折して

るだろう。

「死んだ・・・・・

「・・・・・」

「また・・殺しちゃった・・・・・」

「ゴメン・・ゴメン・・ワタシのせいで・・・」

「取りあえず、コイツを何とかしなきゃ・・トモ、車のエンジン掛けられる?」

トモは、助手席を飛び出し、運転席に回りエンジンを掛けた。

「よし、次は真ん中のブレーキを踏んだまま、ギアをD,に入れて、左のペダルを力一杯踏んで

そう、こっちに来て、手を貸してくれる?俺歩けないかも・・」

トモは、ケンジに肩を貸しながら、後部座席から降ろした。

「うっ・・いっ・・痛てえ・・」

「大丈夫?」

「ああ、そしたら、ダッシュボードに燃えそうな紙入ってないかな?」

トモは、ダッシュボードを開け、領収の束らしき物を取り出した。

ケンジは、ジャケットの内ポケットから、ライターを取り出し、紙の束に火を点け、後部座席に放り

込んだ。

暫くすると、黒い煙が車のに充満してきた。

「トモ、運転席のドアを開けて、思いっきりハンドルを左に廻して、一番左のフットペダルを踏ん

で・・よし、降りてドア閉めて・・そう・・」

すると、車はゆっくり走り出した、その先は急勾配の絶壁になっている。

「危ないから、離れて」

その瞬間車は、崖から転落し、遥か下のほうでガシャンという凄い音がした、たちまち火が昇り

爆発音が響いた、黒煙が上がり地鳴りもした。

「よかった、バイクは動くぞ」

ケンジは、左の足首を添え木で固定し、Tシャツを引き裂いてぐるぐる巻きにした、トモを後ろに

乗せてゆっくりと走り出した、ギアを入れると激痛が走る。

遥か後方で、バックミラー越しに黒煙が広がっているのが見えた。

 

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