天道虫

 軽音楽部の部室はかなり狭い、、ギターのボリュームをマックスにしようものなら、上の職員室か

生徒指導部長の青木がすっ飛んでくる、

何度も怒鳴られ、スリッパで殴られた事もある。

メグから貰った真紅のディストーションを繋いで、軽く弾いてみる。

「スゴーイ、ケンジ、カッコいい!」

「メグも弾いてみる?」

「うん!」

「ほら、誰かさんの好きな・・・マイナーコードだから、こうやって押さえて・・・」

「ホントだぁ、スゴイね」

「ねぇ、ケンジ・・ワタシ一度家に帰ってみる・・お母さん心配だし、着替えもないし・・」

「パンツもな!」

「そればっかじゃん、エッチ!」

「俺も行くよ」

「大丈夫だって」

「アイツがいたらどうすんだよ」

「平気・・今度はぶっ飛ばしてやるから・・」

「何かあったら、すぐ電話しろよ」

「うん・・・」

 

珍しく親父が話しかけてきた、居酒屋を始めて十二年、脱サラして始めた店は繁盛していると

聞く、一度だけその店に行ったことがある。

家では寡黙で、笑った顔をあまり見たことがない、ところが店での親父は、常連らしき客と

とびっきりの笑顔で喋っていた。

「健治、彼女はどうした?もう帰ったのか」

「ああ、着替えを取りに行ってる」

「いつまで居るつもりだ、どんな訳か知らないが高校生だぞ、常識を考えろよ」

「分かってるよ、彼女、お義父に殴られたらしいんだ」

「だからといって、お前がどうにかできる問題じゃないだろ」

「助けてやりたいんだ、可愛そうな奴なんだ」

「俺はお前を信じている、間違ったことだけはするなよ」

 

何十棟も建ち並ぶ高層住宅の一角に川崎メグミの家がある。

造成された樹々や公園、銀行、スーパーマーケットまで存在する、まるで一大都市のようだ。

 日が暮れ始め、街路灯に灯りがともる、駐車場の空きスペースに漆黒のメルセデスがゆっくり

と停車した、アイドリング状態のまま不気味な様相を放っている。

川崎メグミは、自宅玄関の鍵を開け中に入った、誰も居ない薄暗いリビングを抜け、自室に入ろ

うとしたとき、背後に人の気配を感じ、振り返った瞬間鳩尾に当身を食らった。

「うっ」

腹に激痛を感じながら、意識が遠退いていった。

 

 雑居ビルの一室、東和商事の応接室のソファにドカリと座って、近藤が煙草を吹かしている。

「うっ・・あぁ・・」

激痛で気分が悪くなり、メグミは嘔吐した、そこで身動きが取れない、縛られている自分の姿に

驚愕する。

「やっとお目覚めかい?乱暴な真似して悪かったね、痛かったろう?」

再び意識が朦朧としてきた、なんなのこれは?どういうこと、ここは何処?誰こいつ?

「キャー、助けてぇ」

その瞬間バシっと張り手を頬に受けた、唇から出血する。

「バカだな、静かにしないと痛い目に合うぜぇ、俺はお義父さんの知り合いなんだ、そのお義父が

紹介してくれたんだ、悪いお義父さんだよなぁ」

「ヤメテ、御願い、助けて」

「そのお義父さんにヤラれちゃったんだって?」

メグミは聞くに堪えられなかった、涙が溢れ絶叫する。

「ギャー、ヤメテー」

「すぐに気分が良くなるからな、暴れるんじゃねえぞ」

近藤は上着の内ポケットから白い粉が入ったビニール袋を出した。

「これを打ったら最高だぜ」

不気味な笑みを浮かべながら、メグミの腕を鷲掴みにし、必死に抵抗する彼女に注射針を突き

刺した。

メグミは急に目の前が白け始め、ぐったりとなった。

「どうだ、気持ちいいだろう?」

「・・・・・」

力が抜けた無抵抗な彼女の服は剥ぎ取られ、あらわになった裸身を近藤は何度も貪った。

 どれ位時間が経ったのだろう、真っ暗な部屋に人影はない、ふらつく身体でゆっくりと立ち上が

り、散らばった下着や衣服を拾いながら、メグミは嗚咽した。

 気が付くとそのビルの屋上に佇んでいた、皮肉にも綺麗な夜景が視界に拡がる。

17年のワタシの人生、何も良いこと無かったね、ワタシ、何か悪い事したかな、ねえ、神様答え

てよ、答えて・・・。

今日は、てんとう虫さん来てくれないね、ワタシのこと忘れちゃった?それとも、もう楽になってい

いってことかな、ああ、ケンジ、会いたいよぉ。

 メグミは足元に落ちている硝子の破片を拾い上げ、チョークの代わりにコンクリートの地面に

文字を書き始めた。

ケンジ、帰れなくてゴメンね、いままでホントにアリガトウ、大スキだよ、ケンジ

ゆっくりと立ち上がり、屋上の欄干まで進むと、幻覚だろうか、てんとう虫が飛んでいる。

「やっぱり来てくれたのね、アリガトウ、ワタシも飛べるかな」

 

 

 あれから一週間何も食べていない、泣き腫らした目は酷く晴れ上がり、頬はこけて見る影もな

った、一日中あのビルの屋上にいる。

どうでもよかった、このまま死んでいいとさえ思った。

メグ、俺はてんとう虫になれなかったのか?何で・・何でだよ・・・。

涙って枯れることはないんだな、いくらでも出てくるよ。

 

 五月晴れに相応しく、街には鯉幟が風を受けて泳いでいる、メグが居なくなって一ヶ月が経っ

た、ようやく現実を受け入れる事ができた。

ケンジは、メグの母親の許を訪ね、仏壇に手を合わせた、メグの遺影は高校の入学式の写真だ

そうだ、屈託のない笑顔、どうしようもなく涙が溢れる。

「お母さん、俺知ってるんです・・お義父さんとのこと・・全部メグミさんから聞きました」

「そう・・ですか・・私があの娘を殺したんです・・何もかも私のせいなんです・・」

「自分を責めないほうがいいですよ、メグミさんも言ってました、お母さんは悪くないって、苦労し

て私を育ててくれたって」

「・・・・・」

「お義父さんは、お仕事ですか?」

「はあ、葬儀の次の日から帰ってなくて・・あの日ボソって言ったことが気になって・・」

「何て言ったんですか?」

「はあ、近藤の野郎・・とか・・・」

「近藤って誰です?」

「さあ・・・でもあの人、あまりよくない人と付き合ってたみたいで・・・」

「お義父さんは、どちらにお勤めなんですか?」

「駅前のビルで不動産関係の会社を経営しているって聞いてます、あの人の仕事のことは、

あまりよく知らなくて、確か・・東和商事って言ってました」

「そうですか・・東和商事・・・・」

 

 高校には退学届けを提出した、親にはひどく反対されたが、どうしても学校へは行く気がしな

かった、メグの居ない学校などどうでもよかった。

 ケンジは、環状線沿いの小さな自動車修理工場に、見習いとして就職し、朝から晩まで油まみ

れになりながら、必死に働いた。

仕事帰りに教習所へ通い、自動二輪の免許を取った、親の保証人でヤマハのSR400をローン

で購入した、単気筒エンジンにチャンバー、セルは無くキック式のスターター、回転数を上げると

最高の爆音だ、タンクの色は真紅に塗装し、シートは少しアンコ抜いた、今度の休みは気晴らし

に、ツーリングに出かけよう。

 

 セルフのガソリンスタンドで給油し、ついでにセブンスターを買った。

7月に入り日差しもだいぶ強くなってきた、クソ暑くても革ジャンは欠かせない、バイク乗りのポリ

ーだ。

駅前の信号を左折して、国道に出ようとしたとき、聞き覚えのある看板に目を奪われた。

東和・・商事・・・確か・・そうだ、メグのお義父さんの会社だ、ここか・・怒りが再び蘇ろうとしてい

る、拳を握り締めている自分に気付く。

無意識にバイクを路肩に止めた、俺は一体何をしようとしてるんだ、落ち着きを取り戻そうと、バ

カーズジャケットからセブンスターを取り出し、火を点けた。

雑居ビルの階段を、ゆっくりと三階まで上がり、東和商事のドアを、ノックもせずに開けた。

「あの、何方かいませんか」

「はい・・すいませんが、事務員が昼休みで・・何か?」

奥の部屋から小太りの中年男性が出てきた。

「私、正田といいます、メグミさんのお義父さんいらっしゃいますか?」

「・・・」

「俺・・友達だったんです」

「ああ、そう、俺がそうだけど、何の用だい?」

ケンジは込み上げた怒りを拳に集中した、冷静な心など今は無い。

「アンタ、メグにとんでもないことしたんだって?」

「おい、僕、ここがどういう所か分かってんのか?」

「とぼけんなよ、メグから全部聞いてんだよ」

「さっさと帰りな、怪我する前にな」

その瞬間、何かの箍が外れた、山下の顔面を拳で一撃し、うずくまった所を、ブーツの爪先で

鳩尾辺りを思いっきり蹴飛ばし、続けざまに何度も何度も殴り倒した。

山下は嘔吐し、顔面血だらけになりながら這い蹲り、懇願した。

「やめろ・・やめてくれ・・」

「てめえ・・メグがどんなに辛かったか・・分かるか?」

ケンジは、机の上にあった硝子の灰皿を、山下の頭に振り落とす、とたんに頭が割れて鮮血が

噴出した。

「ギャー・・・」

ぐったりした山下の腹をなおも蹴飛ばす。

「うっ・・俺・・俺も悪かったが・・・近藤が・・アイツがメグミを・・・」

「近藤?そいつが何したんだよ・・おい、早く言えよ」

山下は、近藤の素性やメグに対しての所業を残らず喋り、失神した。

ケンジの中に眠っていた憎悪の塊が、狂気へと化身し始めていた。

 広域暴力団の近藤を追い詰めるには、17歳のケンジにとって至難窮まる、しかし彼の中の

復習の刃は、ひっそりとその瞬間を窺っていた。

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