七転八倒

喫茶「麦草」~一か月ぶりの散歩

約一か月ぶりに外へ出た。
自慢の緑色の自転車に乗ってのんびり走って、
やってるかなあ~?と思いながら「麦草」を目指した。
自転車を店の前に止めて商い中の店内に入ってがらがらの店の右手前の席に着いた。
家から近いのに麦草に来たのはなんと30年ぶり。
ウエイトレスさんがメニューを置く前に「ホットコーヒー」とぼくは注文した。
コーヒーを飲みながらぼくは、
道行く人たちを眺めていた。
きれいなお姉さんが歩いている。
彼女たちはどこを目指しているのか知る由もないが、
ひとりのミニスカートの女性の脚線美を見てぼくの身体が反応した。
「もう20年近く女性を抱いていないなあ」
そのこと自体にやや当惑しながらも、ぼくはそのことを深追いしなかった。
まもなくぼくは席を立ち、コーヒーの代金を払ってそのまま帰宅した。

東京都北区の自宅、放射線量初測定

ロシア製の放射線測定器RD1503を入手したので、
遅ればせながら自宅の屋内放射線量を測ってみた。
値はだいたいにおいて自宅内どこも同じ程度で、
毎時0.1マイクロシーベルト台半ばだった。
我が家は東京都北区王子にある、木造2階建てである。
高い。異常に高いと思う。

役所の公式発表値より桁が違う。
ちなみに福島県南相馬市の公式発表の値と同じ程度だ。


P1000340.jpg

とき子ちゃんのこと

ある時ぼくらは、不忍池で二人でボートに乗っていた。
ある時ぼくは、御茶ノ水駅前の「山」で彼女と待ち合わせていた。
またある時ぼくは、一輪の花を手に、彼女の誕生日に上野のデパートの屋上に居た。
30年も昔の事だ。
彼女の家は東船橋駅前にあった。ご両親と兄と暮らしていた。父親は水道店を営んでいた。いつだったか、千葉の房総の辺りを旅した帰り、ぼくは途中下車してはじめて彼女の家にお邪魔して、昼寝までさせてもらったことがある。とき子ちゃんが言うに、たびたび外国にも一人で旅して歩く彼女には英国人の恋人が居るとのことだったが、一度など彼女はぼくの入院先までわざわざ見舞いに来てくれたこともある。そんなとき子ちゃんに恋人が居ようが居まいが、ぼくはたいして気にしなかった。とき子ちゃんとぼくは同い年だった。大学の同じサークルに所属する知り合い同士だった。それほど目立つような美人でもないし、可愛いというほどでもない。まあ容姿は平凡と言えば平凡。いい意味でちょっと変わった女の子だ。

自死未遂

2月下旬に、数十年ぶりに睡眠剤を多量に飲んで自死を図り救急搬送された。
記憶が飛んでいるので曖昧だが、前の晩に家族と何かがあったような気がする。
茶の間で両親と話していて、私は「じゃあ死ぬね」と言って自室に戻り、
まずイソブロを20服くらいを水に溶かして飲もうとしたがうまく溶けないので、
ロヒプノール2mgを56錠くらい一気に飲んですぐに眠った。
気づいたときには病院のicuのベッドに横たわっていた。
そして何日か経ったと思ったら1泊しかせずにふらふらのまま退院させられた。
そして首が座らない状態でタクシーで帰宅して、まずうどんを食べた。
死の世界から(苦しみから)解放されたという感想もなく、今日まで生き延びている。
篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
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