七転八倒

和尚とJ.クリシュナムルティー

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本書の始めの方で和尚は、
J.クリシュナムルティについて、
彼は一生を棒に振ったなどと述べている。
私は別の和尚の講話などで
和尚はJ.クリシュナムルティもブッダであるように言っていたのもあり、
自分でもクリシュナムルティを読む限り、
彼もまたブッダであると思っていたので、
ショックを受けたとは言わないが、
さて?と混乱気味である。
誰か信頼のおける人で、
彼ら両方を読んだ人がもし居れば訊いてみたいのだが、
残念ながら、
そういう人は知らない。

比べないという気づき

彼と自分、
あの時と今、
社会と自分、
あそことここ、
などなど。。。。
とにかく比べないことが幸福であることのすべてだと昔読んだ。
そして今また、ふとしたことがきっかけでそのことに気づいた。

 

 

 

 

 

特別秘密保護法

いま国会で審議されている特別秘密保護法ってと言うか、施行後の社会ってと言うか、
何が何だかと言うか、何から何まで、
普段から強力な妄想を抱いている統合失調症でないと暮らせなくなりそうですね。
3.11以降特に私が予想していたことが現実になってしまったと思っています。
大げさだとお思いでしょうが、それは民主主義と資本主義の終焉です。
何も中国や韓国から潰されなくとも、日本国民は先の選挙において、
自ら国が自滅するような政権を選んでしまったのですね。
あるいは結局また、官僚支配の国に戻っただけとでも言うべきでしょうか。
これからの日本は、皆が何も言えず、民主政権が抵抗し多くの人が夢見た、政治主導ともほど遠い、
官僚の思い通りになるようです。

救い

 


           *

常に死ぬ時期を考えている。

と言ってもいわゆる「死にたい」という自殺願望は私にはほとんどない。ただ自分の身に自然と死がやってくるのを受け身で待っているという心持ちだ。別に悟っているわけではない。ただ先日夜に体調が悪くなって、具体的には心臓のあたりが苦しくなって救急車を呼び搬送されたときに、たまたま連休の夜中で元々医者などろくに居ない病院でまだ半分学生のような当直医が一通り私を診ながら「休みですから検査機器も動かせないんですよねえ」などと言っていたので思わず私は「先生。心理的なものですよね」と、まるで病人が未熟な医者に助け船を出すようなことを言い、それで帰宅したことがあって私は「二度と救急車など呼ぶまい」と思ったのである。

私は元より体力も精神力も無くて長時間待つような昼間の医者にもかかれない。したがって救急車も呼ばないとなると、私はあとはただ自宅で文字通り余生をつまり死ぬ時期を待つのみなのである。

 九年ほど前、同い年の古い病友の男が、またひとり⾃殺した。しかし私は最近になって「いい歳をして⾃殺??まさか」と思う。でも、若くして⾃殺していった過去の何⼈かの病友の気持ちはもちろん分かる気がする。「もう⾃分には選択肢なんか無いんだ」彼らはそう考えて、「⼀線」を越えてしまったのかもしれないと思う。私にも「選択肢」なんてない。しかし私は思うのだ。⽣きるって、⽣きているってそういうことなんじゃあないかなと。

 選択肢があるのは若いうちだけだ。年齢を重ねてくると選択肢はどんどんなくなり、終いにはただ余⽣を⽣き、「死期」を待ちながら時を過ごすだけになる。そのように⼈は⽣きて毎⽇を暮らす。それでいいのだと今になって私は思う。

「選択肢なんてもう無い」。私には、死んでいった友⼈たちの気持ちを否定するつもりはまったくないが、それでも私は、五十三歳の⾃分としては少なくとも「いい歳をして」とも思うのだ。もちろん世間体を気にしての思いではない。死ぬのに世間体もくそもない。⾃殺とは何か?なんて私には分からないし、死とは何かなんて分るはずもなく、そしてたぶん誰からどう⾒ても、私の⼈⽣は決して幸せではないが。

 私が死んでいったかつての病友たちを否定する気にはなれないのはある意味当然かもしれない。しかしくどいが、私は少なくとも今は死ぬ気にはなれない。⾃然死か不慮の死以外には。。。。

 もしかして昔より病状が良くなったのでは?と⾔う⼈も居るかもしれないが、そうではないと思う。おそらく私の場合、「病像」が変化してきたのかもしれない。でも決して⽣きる気⼒なんかはない。不思議と思われるだろうか、こういう⼼境は。

 そう。⼈の⼼境なんて、所詮不思議なものかもしれない。



 ⼀九⼋七年、私が富⼠⾒病院へ転院してすぐくらいに、同じ開放病棟の個室に綾⼦ちゃんという⼆⼗代半ばのはじめの頃は躁状態の⼥の⼦が⼊院してきた。彼⼥の「悪⾏」の数々は、すぐに公然の秘密として病棟中の噂となっていた。特に⼈々の関⼼を引いたのはもちろん彼⼥の男性遍歴や現に病棟内で「起きている」彼⼥の「男遊び」の類の話である。

変わり者の私は、特別な感情はなかったが逆に⾔えばそう⾔った噂の類には興味もなく、ただ彼⼥の明るく次から次へとほとんどひとり語りのいろいろな話を聴くのが好きで、彼⼥の病室に出⼊りしていた。

「ねえねえ篠⽥さん。私の部屋へ来て」

「ああいいよ」

「これね。酒⽥さんにプレゼントするの。誕⽣⽇に」彼⼥は何やら⽑⽷で⼿編み物をしながらそう嬉しそうに⾔った。

「綾ちゃん、酒⽥のことが好きなんだね」

「うんそう、好き。酒⽥さんてね、優しいのよ」

「ふーん」

 かと思うと彼⼥は編み物を置いて、今度は誰か⾒知らぬ外国⼈らしき⼈物の映った写真を私に⾒せた。

「これ⾒て。シンガポールの偉い⼈よ。私が通訳のお仕事をしたの」

「ふーん。君すごいんだねえ」

「別にそうでもないけど」彼⼥は愛らしく微笑んだ。

「それでねえ、これがその⼈からの⼿紙」

何やら英⽂のタイプの紙を⾒せた。

「へええ。ほんとに?」

「ここにほら。Dear,Miss Ayako って。分る?」

「そうだね。あとは分んないけど。⼤したもんだね」

「べつに私が有名⼈ってわけじゃあないけど、この⼈は偉い⼈よ」

「うん」

そう⾔われれば彼⼥の個室には英⽂のタイプライターが置いてあった。

「ねえ、打てるわけでしょ?これで」

「そりゃそうよ。⼤したことじゃないわ」

「ぼくには出来ない。通訳もタイプもね」

「あらそんなの、篠⽥さんだって練習すれば出来るわよ」

「ところで篠田さん機械に強いでしょ。これちょっと見てくれる?故障したみたいなの、カセットデッキ」

「綾ちゃんこれはデッキじゃなくてラジカセって言うんだよ。」

「ふーん、そうなんだ」

「どうもACアダプタがイカれているようだね。探してきてあげるよ」

「悪いわね。」

私は自転車で病院の近所を片っ端から当たったがちょうどいいものは見つからなかった。

病院に帰ってきて綾ちゃんを探したが、彼女はもう「カセットデッキ」の故障などどうでもいいらしかった。

そんな入院生活を送っていた。

 そして私たちは三⼈ともまだ⼆⼗代だった。

私はもちろん、彼⼥のそれまでの⼈⽣を否定などしないし、むしろ通訳などをしながら有名⼈などとも国内外を⾶び回っていたという彼⼥の話を興味深く、しかしあくまでも聴き⼿として聴いていただけだった。すぐに彼⼥と恋に落ちた酒⽥という私と同い年の男はしかし、具体的には⾒たことはないが、彼⼥の男遊びの数々を責めたこともあったらしく、⼀時は彼⼥から「この病院で信じられるのは酒⽥さんと篠⽥さんだけ」と慕われた彼と彼⼥も⼤喧嘩になったらしかった。酒⽥はすぐに彼⼥に謝ったのだが彼⼥は彼からそしりを受けた⼼の痛⼿から⽴ち直れず、要するに今で⾔う双極性だったのだが、気分的に⼀気に落ち込んで個室病室にすっかりこもってしまっていた。

 私に⾔わせれば綾ちゃんは天使のように純真で恋愛感情こそ持たなかったが、それは別に親友であった酒⽥に遠慮していたわけでもなかったのである。なぜか私は彼⼥とただ⼀⼈の⼈間と⼈間として素直に向き合えたのである。

 しかし躁状態が「落ち着いた」ようにも⾒えた彼⼥はそのまま故郷の広島へ帰ってしまった。

 そして結果的には⼀九⼋⼋年の夏に、同じ病棟内で知り合い婚約が決まったばかりの美佳⼦と私は、酒⽥から綾ちゃんが広島で⾃殺してしまったことを知らされたのである。彼⼥の兄という⼈が知らせてくれたらしい。私と美佳⼦は病院の中庭の隅に花を⼀輪⼿向けた。美佳⼦は涙を流した。いずれにしても天使のようだった綾ちゃんはもう戻ってこなかった。私と酒⽥とそして美佳⼦とその悲しみを分かち合ったつもりだったが、私と美佳⼦に⽐べれば、綾ちゃんと恋愛関係にあった酒⽥にとってはその悲しみや苦しみは想像を絶するものだったろうと思う。

 ⼀度だけ酒⽥に訊いたことがあった。

「酒⽥。ひとつだけ訊いていいか?」

「何だ?」

「彼⼥と、つまり⾝体の関係はあったのか?」

「あった」彼はきっぱりと答えた。

「そうか」

そして彼と私はふたたび黙った。

 それ以来私と酒田は「どっちが長生きするか競争だな」満更冗談でもなくそう言って笑って話していた。

 そして⼆〇〇四年の⼀⽉にその酒⽥もみずから命を絶ってしまったのである。綾ちゃんが死んでから⼗六年後のことだった。もちろん理由は分らない。⼈の⾃殺の理由なんて分らない。

いずれにしても「競争」は酒田の負けだった。ひとはいつでも賢い者が喜んで負けることを知っていると誰かが言っていた事を私は思い出した。

 




勝ちたい奴には用は無い

私は勝ちたい奴には用は無い。

ぜひとも負ける用意のある奴と友達になりたいものだ。

まあこう言うと、

それは単なる負け惜しみだと言う方も多いだろう。

そうかもしれない。

でもそれでも私はいいのだ。

負けるが勝ちというつもりもない。

私は元々勝ち負けということが好きじゃあない。

勝ち負け、成功失敗に拘泥する人には興味が無い。

勝つことしか頭にない人が好きになれない。

よく「生存競争はそんなに甘くない」と言う人がいる。

そしてずるく計算高く立ち回る人がいる。

詭弁で負け惜しみだと言われるかもしれないが、

しかしこう考えることができる

要するに成功失敗にこだわる人は生きるということをなめているのだ。

彼の言っていることは逆なのだ。

そういう人は「全体」に甘えて生きているのだ。

正直で誠実な人に甘えて生きているのである。

愛とは心を開くことである。

負けを認めることである。

失敗することである。

本当に純粋な人は喜んで負けることを知っている。

彼は喜んで損をすることを知っている。

そういう純粋な人に向かって「そんなきれいごとを言っていては生存競争に生き残れないぞ」

と言う人はその純粋な人に甘えているのだ。

正直者は馬鹿を見るのが正しいあり方だ。

喜んで馬鹿になろう。

純粋な人はそれを喜んで受け入れる。

負けることの何が悪い?

失敗することの何が悪い?

結局のところ誠実に生きている人ほど本当の生きる喜びを知るのである。

真実を知ることができるのは純粋な人のみである。

愛を知ることができるのは純粋な人のみである。

当然と言えば当然だが。。。

そしてそれは勝ち負けや成功失敗には関係ないことだ。

勝とうが負けようが、

成功しようが失敗しようが。。。。。

勝ちたい人は、

負ける用意の出来ていない人は、

ある意味では欲望におぼれている人だ。

慢心している人だ。

彼は得をしたいのだ。

そういう人は決して真実を知ることがないと思う。

真実を知るということは負けを認めることだからだ。

全体は大きくて強い。

「あなたは私より大きくて強い」素直にそう言える人のみが真実を知ることができるかもしれない。

             *

でも要するに真実を知りたいんだろう?

とういうことは勝ちたいんだろう?

もちろん今の私には欲望がある。

しかしおそらくもっと偉い人はそういう欲望もないのだろう。

つまり、そんなことはどうでもいいのだ。

真実だろうが何だろうが、

分っても分らなくてもどちらでもいい。

勝とうが負けようがそんなことは知ったこっちゃない。

分るときが来れば自ずと分るだろう。

それまで生きているかどうか知らないがどっちでもいい。

あるいは分るときは永遠に来ないかもしれない。

同じことだ。

風は吹くかもしれないし吹かないかもしれない。

あるいは真実などというものは

そもそもどこにもないかもしれない。

どっちでもいい。

ましてや勝とうが負けようが、

そんなことはどちらでもいいのだ。




 結局のところ⼈が⼈を救うということは出来ないのかもしれないが、酒⽥にしろ、そして天使のようだった綾ちゃんにしろ、彼らのと⾔うよりも、⽣き残った者みずから⾃⾝の悲しみや苦しみを抱えることになるのだし、それを共有あるいは分かち合う誰かを探すしかないのしれない。

当たり前かもしれないが、それがつまり⽣きるということなのだろう。



私と美佳⼦が正式に離婚したのは、結婚からちょうど⼆年経ってからだった。

他⼈からすれば「何が原因だったのか」ということになるのだろうが、結局のところ私たちは互いを⽀え切れなかった。つまりはそれが原因だろうと思う。

離婚して少し経って私は美佳⼦とある喫茶店で逢っていた。その席の会話で私が気づいたことは、要するにこのはずっと私の話を何も聴いていなかったのだということだった。結婚していた時に私たちはいろいろなことを話した。まあもっぱら話し⼿は私で、聴き⼿は彼⼥の⽅だった。しかし彼⼥は私の話など何も聴いていなかった。そのことに、離婚してから私は気づいたのである。そして私は学んだ。⼈は⼈の話なんか何も聴いていないのだということを。

 たとえば私と美佳⼦は互いの苦しみや悲しみを分かち合ってなどいなかったということだ。

 何も私たちは⾃分のつらいことばかりを話していたのではない。喜びや楽しいことももちろん話した。

 しかし私たちは互いの話など聴いていなかった。

 ⼈は⾃分の⾔い分を聴いてもらおうと、⾃分の話したいことばかりを考えていて相⼿の話など聴いていない。だから分りあえるはずもない。⼈と⼈とが理解し合うということは⾮常に困難なことなのだ。もっと⾔えば、他⼈に⾃分の⾔い分を分ってもらおうなどというのは、ある意味傲慢なことなのかもしれない。⼈は⾃分に興味があるばかりで、他者のことなどには興味がないのである。

 極論かもしれないが、それゆえ⼈は⾃殺ということを考えるのではないだろうか。




⽣きるということは孤独であるということである。

⼈は孤独のうちに⽣まれ孤独とともにその⼀⽣を終えるが、⽣きる過程においてもまた孤独だ。たとえ誰かといっしょに時を過ごしたとしても、あるいは助けてもらったとしても、たとえば「群衆の中の孤独」という⾔葉もある通り、⼈は⼼の深いところでは⾃分がひとりきりであることを知っているし、それを感じた時には⾃分の存在をどうやって確認あるいは証明すればいいのか⼾惑うものだと思う。そしてそこにはとても耐えられないような恐怖があり、時に⼈はその恐怖をごまかすためにアルコールにおぼれたり、あるいはギャンブルに依存したり、あるいはまたさまざまな労働にいそしんだりしていずれにしてもその恐怖を⾒ないように努⼒するのかもしれない。

 しかしまた⼈間は同時に恐怖の中にみずからを置こうとする存在でもある。たとえば性はその代表的な⾏為である。性⾏為は快楽を追求すると同時にすさまじい恐怖の中にみずから⾶び込んでゆく体験である。性の絶頂において私たちが観るものは⾃⼰の消滅であり、ある意味宇宙の終わりである。ふたりの⼈間がひとつに溶ける瞬間においてわれわれが⾒るものは恐怖の極限であり、同時にそれは⾄福であり、そして新しいものの誕⽣である。私たちはなぜか本能的に知っている。恐怖の中に真実があるということを。




 私たちはいったい何を求めているのだろうか?ある⼈は国家の安全だと⾔い、ある⼈はもっとささやかな幸福であると⾔い、たとえばあるときにはあるいはある⼈は政治について学び考え主張する。たとえばは、もちろん⾔葉の⽭盾なわけだが、精神が⾃由であるためにはまず「⽐較せず選ばない」という実に中⽴的な⽴場が必要なのだ。そしてその⽐較せず選ばないということによる気づきこそが「最後の⾃由」であるのだと私は理解している。たとえば⾃由(freedom)と勝⼿(liberty)は違うと⾔うが、何が違うのか?それはおそらく勝⼿は⾃我にしがみつくことであり、⾃由は選ばないということではないか?たとえば政治的に⾔えば、右翼であってもいいし左翼であってもいいということだ。そんなものは本質的には何の違いもないからである。思考は、つまり⾃我は常に選びたがる。どちらかでないと嫌なのだ。⾃由はどっちでもいい。どちらでもかまわないのだ。つまり、⾃由とは選り好みをしないということだ。好き嫌いを⾔わないということだ。逆説的だが、よく考えるとそういうことになる。つまり、選り好みあるいは好き嫌いを⾔って「選んでいる」⼈は、⾃⾝の欲望に束縛されているということだ。「思考はわれわれの問題を解決することができるだろうか」とクリシュナムルティは洞察する。真に⾃由な精神は常に⾃由である。これは嫌だあれは嫌だとは⾔わない。それがつまり選ばないという選択肢であり、私たちに残された最後の⾃由ではないだろうか。つまりそれが気づきであり、精神が⾃由であるということなのだ。クリシュナムルティはそう⾔っているように私には読めた。そして⽐較することが⽌んだ時、選ぶことが⽌んだ時私たちは、はじめから⾃由であったことに気づくのかもしれない。




 私たちに残された最後の選択肢は選ばないということかもしれない。 J.クリシュナムルティの「⾃我の終焉(the first and last freedom)」は⼀九⼋〇年代に読んだ本であるが、私の精神性に⼤きな影響を与えた。たとえば「無選択の気づき」というキーワードは⾮常に重要な⾔葉である。そしてこの本の原題であ

"the first and last freedom"

つまり彼は強調する。「私たちが⾃由になるためには、まず最初に⾃由でなければならない」。ものごとに優劣をつけたり好き嫌いを⾔うのは実に安直なことだが、真の⾃由とは相対的価値観からの⾃由であり、選り好みをせずに超然としているということだ。つまりそれこそが、「無選択の気づき」であろう。

これは良いあれは悪いとか、こちらの⽅があちらより優れている、あるいは、われわれが正義であちらが悪だというような、⽐較に基づく視野の狭い価値観をたとえば私なら「相対的価値観」と呼ぶ。

 自我にとって、思考にとって、比較しないことは極めて難しい。と言うより比較することもまた自我の本質的な性質である。そして何でも比較してより良いものに対する欲望が生まれるというわけだ。そして無選択であることを保ち、気づきが重要であると。つまり私が作ったせりふ「選ばないという選択肢」という言葉は、もちろん言葉の矛盾わけだが、精神が自由であるためにはまず「比較せず選ばない」という実に中立的な立場が必要なのだ。そしてその比較せず選ばないということによる気づきこそが「最後の自由」であるのだと私は理解している

 たとえば自由(freedom)と勝手(liberty)は違うと言うが、何が違うのか?それはおそらく勝手は自我にしがみつくことであり、自由は選ばないということではないか?たとえば政治的に言えば、右翼であってもいいし左翼であってもいいということだ。そんなものは本質的には何の違いもないからである。思考は、つまり自我は常に選びたがる。どちらかでないと嫌なのだ。自由はどっちでもいい。どちらでもかまわないのだ。つまり、自由とは選り好みをしないということだ。好き嫌いを言わないということだ。逆説的だが、よく考えるとそういうことになる。つまり、選り好みあるいは好き嫌いを言って「選んでいる」人は、自身の欲望に束縛されているということだ。「思考はわれわれの問題を解決することができるだろうか」とクリシュナムルティは洞察する。真に自由な精神は常に自由である。これは嫌だあれは嫌だとは言わない。それがつまり選ばないという選択肢であり、私たちに残された最後の自由ではないだろうか。つまりそれが気づきであり、精神が自由であるということなのだ。クリシュナムルティはそう言っているように私には読めた。そして比較することが止んだ、選ぶことが止んだ時私たちは、はじめから自由であったことに気づくのかもしれない。




 クリシュナムルティの言葉は思想ですらない。哲学ですらない。宗教でもない。

 彼は思考するという宿命にある自我というものを脇に置いておくことができる稀有な人物だ。

 彼によると(私には分からないが)、自分の心を観察していると(それは「非難も正当化もせずに」だ)、思考と思考の間に「空」があるのが分かってくると言う。そして、その「空」こそが、別の言葉で言えば「無我」あるいは「無」こそが真実であるらしい。

 一言で言えば、我々の思考つまり自我は堂々巡りをしているだけであり、常に何かにとらわれ不自由である。クリシュナムルティにとっては、その空こそが自由である。

 つまり彼が「自我は我々の問題を解決できない」と言うとき、それはつまり、自我は本質的に不自由であるから、本質的に何も問題を解決できないのだ、と言っているのである

それはもちろん、彼の思考の結果ではなく自由である「空」の洞察であろうと思う。

 彼は言う「我々が自由を発見するためには、まずはじめに自由でなければならない」

 繰り返しになるが、こういったことは理論ではなく彼の洞察であろうと思う。

「思考はわれわれの問題を解決できるだろうか」-J.krishunamuruti



 人は死に、そして至福とともに生まれ変わる。たとえばそれはイエスの復活という寓話として人類に伝えられてきたが、それらさまざまな体験が去ったときに私はしかし、再び自分が孤独であることを知るのである。

 その孤独に耐える力を人は果たして持つことができるのであろうか?時にそれは悟りと呼ばれ、あるいは復活と呼ばれるが、それが真に実現したとき、あるいはそれこそが救いなのかもしれない。

 そして人はウソをつく。方便と呼ばれるウソを。「明けない夜は無い」とか、「希望を持って生きろ」とか。それらはすべてウソだ。明けない夜だってあるし、希望など持てない人もいる。そして時に人はみずから死を選ぶ。残念ながらそれが真実だ。それ以上何もない。ただ永遠の闇があるのみだ。




 私がはじめて「この⼈は本物だ」というような⼈に出会ったのは、⼀九⼋〇年頃のことである。

 正確に⾔えばその⼈の講話録の本に出会ったのだが、それはある意味運命でもあったし、偶然でもあった。上智⼤学の裏の本屋で私は、ある仏教経典の本を探していてやけに分厚い本を⾒つけた。その著者の名前は聞いたこともなかったが、ぱらぱらと⾴をめくって少し⽴ち読みして、そこに私はそれまで聞いたこともない類の声明に出会ったのである。その著者の名前は、バグワン・シュリ・ラジニーシであり、書名は「般若⼼経」とだけあった。しかしそんなことはどうでもよかった。

「あなたの内なるブッダにごあいさつします」

と彼は話していた。私はショックを受けた。少し読んで、買って家に帰ってから私は夢中に読んでいた。「こいつは本物だ」と私は理屈抜きに直感した。彼の講話集を何冊か読みながら私は「この⼈は悟っている」と確信したのである。別に信じたのではなく、私には彼の⾔うことが真実だとただ「分かった」のである。もちろんそんな体験は⽣まれてはじめてだったし、私はそのことを誰にも⾔うまいと思った。

ラジニーシはある講話でこう⾔っていた。「あらゆる努⼒は必ず破綻する定めにある。明け渡すことだ」

またある講話で彼は次のような物語を語った(禅にある、有名な話だ)私は実に美しい物語だと感じた

「昔のある村で修⾏していた⼆⼈の僧が、

また遠い別の村の寺で修⾏を積むため旅に出ることになった。

⼀⼈は⻑年の修⾏をすでに積んでいる年配の僧で、

もう⼀⼈はまだ修⾏が浅い若い僧であった。

旅に出るにあたり、

年配の僧が若い僧にひとつの戒律を教えてやろうと思った。

「若い⼥には決して触れてはならないぞ」

そのひとつの戒律だけを若い僧に教え、

⼆⼈はいよいよ、そろって⻑い旅を歩き始めた。

かなり歩いたところで⼆⼈の僧は上流で増⽔し、

橋が流されてしまった川の岸へたどりついた。

まあそれでも、男ならば⽔を歩いて渡れるだろうと判断した。

そこへある村娘が近づいてきて、⼆⼈にこう⾔った。

「偉いお坊様⽅、実は川の向こう岸に住んでいる私の親が危篤ということで、

私は急いでおりますが、⼥⼀⼈ではこの川を渡れず困っております。

どうか助けてくださいませ」

近くには他に誰もいなかった。

年配の僧は、「すまぬが厳しい戒律で私は⼥性に触れるわけには参りません」

そう⾔って丁重に断った。

と思うと、若い⽅の僧が黙って娘を肩に担ぎあげて、さっさと川を渡ってしまった。

年配の僧も黙って続いた。

娘は丁寧に礼を⾔って、⾃分の親の住む⽅へ去って⾏った。

⼆⼈の僧はまた黙って⽬的地へ向かって歩き出した。

しかし、黙々と歩きながらも、年配の僧は内⼼穏やかでなかった。

「こいつはあれほど⾔ったのに戒律を破った。そのうち厳しく叱ってやろう」

そう⼼の中で思い続けて、しかし黙って歩き続けた。

またかなり歩いたところで、⼆⼈はひと休みすることにした。

年配の僧はとうとう切り出した。

「あれほど⾔ったのにお前は戒律をやぶったな」

すると若い僧は静かに⾔った。

「あなたはまだあの娘を背負っているのですか。私はあの川岸に下ろしてきました」

 そしてラジニーシは彼の著書の中でしばしば、J.クリシュナムルティという⼈の⾔葉をひいていたので、私はある書店で「⾃我の終焉」というクリシュナムルティの著書も⼊⼿して「こいつも本物だ」と直感したのである。

クリシュナムルティは⾔っている。「思考は私たちの問題を解決することが出来るだろうか」。そして私がクリシュナムルティから学んだことのすべては(⾃⾝の内⾯やものごとを)「⾮難も正当化もしないで」観るということに尽きる。

結論だけ⾔ってしまえば、ラジニーシもJ.クリシュナムルティもまったく同じことを⾔っている。それはつまり、もし私たちが⾃⾝の内⾯を静かに観ていれば、思考という雲と雲の間にだんだん隙間がやってくる。しまいには隙間ばかりになり雲のことは問題でなくなるということだ。雲とはつまり思考のことだ。そして空(そら)という⾃由だけが⾒え、つまり真実が⾒えるだろうということだ。それがつまり悟りである。

 私にとって後にも先にも「本物」はこの⼆⼈だけである。そして特にラジニーシによって紹介される仏陀やイエスや⽼⼦なども読むことになる。たとえば私はこの⾔葉が好きだ。「春が来れば草はひとりでに⽣える」。

 しかし結局のところ私には悟りきることが出来なかった。そして次第に、悟ろうとか悟らなくてはという観念から遠ざかっていった。と⾔うより、ほとんど意識しなくなっていった。元はと⾔えば病気の苦しみから逃れたくてそれらの世界に⼊って⾏ったのだから、それも当然だと思う。彼らの⾔葉は⼼の財産として憶えているものは憶えているが、特に著書を開くことはなくっなっていく。たぶん⾃然なことだと思う。そして私は凡⼈として⽣き、そして死んでゆくだろうと思う。それ以上努⼒したいともしようとも思わない。結局のところそういう意味では、私には救いはないのかもしれないが、しかしそんなことはどうでもいいような気がする。逆に私は死のうとも思わないし、⽣きたいとも思わない。こだわらない。時が経てば、私という⼈間がこの世に存在したことなど、誰も知らなくなるだろう。おそらく数⼗年も待つまでもなくー。

                            

              ー了ー

             

篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
七転八倒
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