七転八倒

大量生産大量消費との決別

ど素人の私が以前から言っているのは、
いわゆる大量生産大量消費の資本主義社会のグローバリズムの終焉と
その次に来つつある、
FEC自給圏もしくは里山資本主義の到来である。
この両者の違いもよく分らない私にも、
確実にそれらの哲学が必要な時代が来ているということは分る気がする。
簡単に言えばそれは、エネルギーや食糧などの地産池消ということらしい。
通貨が不要になるとまでは言わないが、
それはある意味自給自足であり、
社会の再構築であろうと思う。
付け加えるなら、
将来を見据えれば、
民主主義との決別も意味するのかもしれない、
国家というものの再構築をも含むものと思う。

「絶対に許せない」と言う人たち~沈黙を守る

社会的、政治的な問題で、
「許せない」と言う人たちが少なからず居ることは非常に残念だと思う。
敢えて言いたい「なんと心が狭いのだろう」と。

許せない、それも「絶対に」というのはどういう意味だろう。
それは、その人の狭量さはもちろん、
想像力の欠如。
つまり相手の気持ちになって物事を考えられないということを意味するのだと思う。
しかし、そう言うと必ずと言っていいほど、
「お前は"被害者"の気持ちになれていないのじゃあないか?」
などと応酬されるかもしれない。
しかしもしそうなったら、沈黙を守ったほうが偉いということになるのかもしれない。

もちろん沈黙を守って訴えられたりして、損をするかもしれない。
世の中は損得勘定でしか動けない愚かな人たちが多い。

和尚とJ.クリシュナムルティー

P1000297.jpg

 

本書の始めの方で和尚は、
J.クリシュナムルティについて、
彼は一生を棒に振ったなどと述べている。
私は別の和尚の講話などで
和尚はJ.クリシュナムルティもブッダであるように言っていたのもあり、
自分でもクリシュナムルティを読む限り、
彼もまたブッダであると思っていたので、
ショックを受けたとは言わないが、
さて?と混乱気味である。
誰か信頼のおける人で、
彼ら両方を読んだ人がもし居れば訊いてみたいのだが、
残念ながら、
そういう人は知らない。

比べないという気づき

彼と自分、
あの時と今、
社会と自分、
あそことここ、
などなど。。。。
とにかく比べないことが幸福であることのすべてだと昔読んだ。
そして今また、ふとしたことがきっかけでそのことに気づいた。

 

 

 

 

 

篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
七転八倒
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