七転八倒

気がついたら21世紀だった

1959年に生まれて、気がついたら21世紀だった。
最近知ったことだが、私が生まれた頃、太平洋で多くの核実験が行われたらしい。
そして東京でも一時60年代初め、
空中放射線量が高まって行き、その後の測定は中止されたのか、資料がない。
少なくとも公開されなくなった。
1970年代に私たち世代は、成長期の10代を過ごし、
テレビなどでは「21世紀はこうなる」みたいな未来の夢が語られ、
日本中のあちこちに原子力発電所が建設された。
そういった「夢の未来」は、3.11以降崩れてしまった。
政治的にも社会的にも経済的にも、あらゆる「夢の未来」を語る人々は激減してしまった。
気づいたら私たちは、21世紀を暮らしている。

私のコンピュータ履歴

私が上智大学理工学部電気電子工学科に通ったのが、
1979年から1980年頃で、結局中途退学した。
しばらく散歩と小説を読むことに熱中していたのだが、
たぶん1995年頃、Window3.1の一体型のパソコンを買って、
何とかインターネットに繋ごうと試行錯誤をしていた。
ISDN回線を使って本格的にインターネットで遊び始めたのは更に数年後、
Windows95のパソコンにしてからだったと思う。
その頃はまだブログというシステムが無く、
それでも自分なりに勉強してホームページとメールで遊んでいた。
またその頃は、いわゆる個人情報についてはおおらかで、
メールアドレス公開の交流サイトやメーリングリストなどが活発で、
ある意味では、今のtwitterなどよりも健全だったような気がする。
そして自作のパソコンもいじっていた。
時が流れ、時代も変わり、
今はメーカー製パソコンそしてWindows8を使っている。

孤独

ウツ気味。

そう言えば、

という感じで思い返してみると、

この半年くらいの間で、

自分は内面的におとなしくなったのかもしれない。


昔はよく、 人から怖がられていた。

そして知人は、一人また一人と、離れて行った。

気がついたら私は一人ぼっちになっていた。

それでも昔の私なら、

その孤独を何とも思わなかった。

しかし今の私は孤独感に押しつぶされそうな気分だ。

まさに一人では何も出来ない、子供のような自分が見える。



普通に働くということ

しかし、今更ですが、
多くの人が普通に働けるのに、
我々にはそれが出来ないというのはどういうことなんでしょうね?
何かありそうなもの。
自由業のようなもので何かないかなあ?

何十年も考え続けても答えが見つかりません。

               *

高校の入学式で倒れて続けて「病気」で5連続欠席をした。
東大病院で検査をしたが、異常なし。
若い医師が「将来はサラリーマンは無理だろうから、何か自由業のような職業を・・・・」との助言を述べた。

               *

もともと私は、幼少時から疲れやすく体力がなかった。
中学校の頃から、他の生徒より体力がないという劣等感に苛まれていた。
普段の体育の授業でも、また遠足などでも、いつもビリであった。
高校の入学式は生徒は立たされたままで行われたため、
貧血のような状態で立っていることが出来ずにしゃがんでしまった。
その劣等感を克服するために自発的に運動をやったが、
もはや努力し過ぎて、いわゆる燃え尽き症候群に近かった。
高校の修学旅行も、大学の泊まり込みのオリエンテーリングも欠席した。
大学を出ても就職など出来ないであろうことが不安で、
大学の精神科の診療所へ通ったが、とうとう入院してしまい大学は中途退学した。
それ以来、自宅療養や入院を繰り返し現在に至っている。
一度も就職も出来なかった。
篠田 将巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
七転八倒
0
  • 0円
  • ダウンロード

18 / 54

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント