七転八倒

疎外感

何年か前に我が家のおもな家電、エアコン、冷蔵庫などを買い替えた時も、そして妹が勝手に借りたアパートに両親が援助しているのも私には内緒だった。妹のアパートに至ってはその場所さえ私にだけは秘密だった。彼らは考えたのだ。あいつに教えると何をするか分らない。そういった具合に我が家では重要なことは私抜きで決められ、私には知らされない。秘密だ。
人は私のこうした疎外感を被害妄想あるいは嫉妬と言うのだろうか。

我が家では、いや我が家でも、私はいちいちうるさい男として疎まれているのである。

発病から35年、統合失調症をはじめて自覚

私は35年前に発病した統合失調症患者である。
とずっと言ってきたが、正直言って自分では自分の頭が狂っているとは思っていなかった。この35年間の自分の言動や起こったことを思い返していた。そしてごく最近になって、その支離滅裂な言動や情緒の不安定さなど、うまく説明できないが確かに自分は頭が狂っているという認識に至っている。逆な言い方をすれば、誰に遠慮するでもなく、自分は狂っていると認識することはそれほど難しいことだったのである。もちろん、たとえば今これを読んでいるあなただって、「自分は頭が狂っている」と自分に対して認めないのではないだろうか。
病気の振りをすることは簡単だ(私はずっとそのつもりでいた)。しかし自分が狂っているという認識はそう簡単なことではないと思う。それが何を意味するのか、そんなことは私には分らない。

「一票の価値の格差」の勘違い

いわゆる一票の格差が大問題になっている。ここで言う一票の価値とはもちろん違う選挙区間における選挙での一票の価値である。同じ選挙区内においては元より一票の価値に格差はないはずだ。そこで私がこの問題で変だと思うのは、選挙の当落は得票数の絶対数で決まるわけではないからだ。つまり、ある候補者が何%の票を得たかで決まるのであって何票取ったから決まるのではない。世論調査の支持率のようなものだ。したがって一票の価値に格差があっても、公正に行われた選挙であれば結果は同じはずだと思う。何か世の中全体がこのことを勘違いしているのではないか?

食べるべきか食べざるべきか、それが問題だ

正直言って私は最近食欲がない。つまり食べたいという欲求がない。しかし私の母親は極端に健康に気を使っており、はっきり言って私に食べることを強要する。もちろん身体に良い食事をである。それでも私は、何とか朝食は抜いている。私は考える。食べるとはどういうことか、と。精神的にも肉体的にも身体が嫌がっているものを、健康に良いとされているからと言って無理にでも食べるべきなのか。それとも食べたい時に食べたいものを食べていればいいのかというような事である。答えは出ない。昔ある知人が極端な拒食症になって痩せていったのを見ていたので、簡単には食べたい時に食べたいものを食べたいだけ、とは言えないのだ。簡単なようで意外と難しい問題なのかもしれない。人によって言うことも違うので迷ってしまうのも事実だ。
篠田 將巳(しのだまさみ)
作家:shinoda masami
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