平和の年譜

平和の年譜150の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
平和の年譜を購入

(4)( 1 / 1 )


 この語り草となった公演について、初老の友人たちの作る小さなメーリンググループでひとしきり話題が沸騰した後、それぞれの形で年金生活者となった彼らがどんな第二の人生を過ごしているか、そして人生の終末期をどう準備すべきか、と言う当然のテーマへと話が移って行った。

 春日波子の夫はシェングレン症候群を患っていて、宮下朝子の夫もかなり心臓に問題があるので、寡婦になるという可能性を暗に考えていたからであるのだが、すぐに二人の間で暗黙の了解がなされた。そうなったら隣り合った部屋に一緒に住もう、と春日波子が書いてきた。私の母が介護保険で施設に通っているけど、たしかに余りに無造作に年寄りと言うだけで一つ部屋で過ごすことって、つらいものがあるよ。うまく一緒に住めるように辛抱強く考えてみようか、と宮下朝子が返事した。これを読んで、橘正宗、河野孝三の二人は同意見だったが、勿論妻に取り残されたら、という前提である。

 大河内正はもう少し具体的に住むべき家のあり方について構想を練った。

 交通の便の良い図書館の近くに、マンションを借りる。百平方メートル程の、ここに女性たちが住む。プラス必要な人数分の単身者用住居、ここに男性陣が各々の趣味とともに住むとする。夕食には女性陣の部屋で歓談する。なぜならここでは雇われたヘルパーが食事を作ってくれている。柏由美子はまだ見つかっていなかったが、彼女なら手際よく料理の指揮をとってくれるかもしれなかった。もっとも高齢になると火を使う仕事は危険にもなるので、若い手助けが必要だ。おおいに近代技術も取り入れようという点でも全員賛成だった。たとえば床には自動掃除ロボット、その他の埃にはレンタルモップ、食器洗い機、乾燥機能付き浴室、等細かい注文を夢見たのは特に宮下朝子であった。

 現実に主婦、母であったのにその姿が想像できないとみんなに言わしめた彼女は、エッセイと小説の中間的な作品を書きたがった。春日波子は英語で詩を書いていた。あくまで研究にこだわったのは大河内正と、あいかわらず山際健太名誉教授である。その他油絵、書画、木彫り、娯しみは尽きず、幾重にもかかる虹のような夢を語る時間も尽きなかった。


「たしかにねぇ、自然の中でさぁ、清貧にして竹林の聖人のような老後って理想ではあるけど、やはり夢かな」   
「晴耕雨読とか?」
「夫婦も、グループも最後は一人になるわけだよな、運が良ければ子孫であれ医療介護関係者であれ看取ってもらえるとしても」
「死を早めようとは思わないでしょうけど、無理に生に執着する訳じゃないけど、執着してもいい訳だけども」   

「ま、一歩先は闇だものね」
「心残りはある?」         
「ある、とてもある。この平和の65年を自分のためにしか過ごさなかった。助けを必要としている人がたくさん、いたのに、日々悲惨な生活に耐え、死に襲われていたのに」
「子供ひとりも世話してあげなかった」
「こんな人類の操る世界を変える事は難しいが、あるいは不幸を一つ小さくするくらいはできたかも」
「まだ遅くはないさ」        
「そうだよな、老後を世話される事ばっかり心配してたぜ」         
「趣味じゃなくて」

「そうさ、自分はもうどうなってもいいんじゃない!」        了


平和の年譜150の有料書籍です。
書籍を購入することで全てのページを読めるようになります。
平和の年譜を購入
東天
平和の年譜
0
  • 150円
  • 購入

7 / 7

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • 購入
  • 設定

    文字サイズ

    フォント