平和の年譜

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 仲間の一人が他の仲間の一人について、共に生きた頃の印象と情報と、それから四十年後の生活とをメールで順番に送り合ってみるというのは、アイデア係のような春日波子の発案であった。自分自身の事を報告するのは簡単であるし、実際に実行しているのだが、お互いの観点から見えている人物像を告示し合うのは、仲間であるからこその戯れである。ここにあと二人の人物について書きたいとみんなは思っていた。しかし現在のことについて誰にも情報がなかった。

 その一人、英会話担当のイギリス人講師ネイサンは妻のケイトと来日したばかりだった。やがてケイトは妊娠したのだが、物怖じせず、善意に溢れ、ますます生気に満ちて、学生たちを自宅に招いたりする習慣は変わらなかった。ジョージ ネイサンも負けず劣らず気さくな若い学者であった。夫婦は骨格も気性も似ていて天から選び合わされたカップルのように見えた。月満ちて女の子が生まれた。すべては充たされたかのように見えた。

 ケイトは軽い産後うつにかかった。ジョージ ネイサンは周囲と話し合いつつそれがおさまるのを待った。しかしケイトはその中にはまり込んで動けなくなった。ケイトの母親もやってきたが、ケイトはきっと自分でも心の変化に動転してしまったのだろう。無理をして大学に出かけ、授業を初めても、ジョージは気が気でない、途中で帰ってしまう事もあった。あの太陽のようなケイトはどこに行ったのか、誰にも信じ難い変化だった。ついにケイトは帰国した。ジョージの苦悩も一通りではなかった。ネイサン山際グループは間もなく卒業などを迎えほどけていった。日本を去ってからのネイサン夫婦について、河野孝三経由でわかったのは、ケイトはやがて回復したのだが子供はもう作らない、という噂であった。

 恐らく誰にも愛され、誰をも愛してネイサン夫婦が幸せに暮らしている事をみんなは信じている。



 もう一人は、柏由美子である。学生のよく集まる学部自習室の秘書をしていたが、元来頭の良い気の効く働き者であった。さっぱりしたまっすぐな気性だったのでネイサン山際柏グループと言ってもいいくらいだった。次第に春日波子や宮下朝子は彼女の下宿に泊まり込んだり、気楽な友人関係になった。柏由美子は年上であったので、たかられていたとも言える。しかしお互いに心を許し合える友人であった。柏由美子はそのころ恋をしていた。相手が誰かは次第に知られるようになった。その彼も少し遠いグループ仲間となったのだが、間もなく二人は結婚した。新婚所帯にも彼らは遠慮なく入り込んだ。

 夫が留学する事になった時、由美子は妊娠初期であり、仕事の都合も考えてしばらく別れたのち、後を追って留学先に行くということになった。仲間はますます食事を貰いに行き、そのかわりに由美子ののろけ話を聞いてやり、彼女の夫の変わりにお腹をさすったりした。

 夏のある夜、みんなでそぞろ歩きしたとき、河原の叢に腰を下ろし、虫の音に囲まれて、落ちんばかりの星を眺めた。こうしてね、と由美子が話しだした。星を眺めているとね、彼はいつも私の背中を支えてくれたのよ、よく星を仰ぎ見る事が出来るようにって。みんなはヒヤヒヤ、と冷やかした。夜になったら彼もこの星や月をみて私のこと思ってるのよねえ、感無量だわ。みんなはまた当てられてヒヤヒヤ、と叫んだ。

 それから二十数年たったころ、宮下朝子は新聞の本の広告欄に目を留めた。週に一度中小出版社の出版広告が掲載される日であった。「難病に逝った娘に捧げる心の歌」というタイトル、その作者は柏由美子と書いてあった。まさか、と宮下朝子は彼女らしい呑気さで忘れる事にした。ありえない、あってほしくない、と思った。その後誰からも旧姓柏由美子の家族やその状況を知る報告は得られていない。

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 当然ながら、未来に何が起こるか誰にもわからない、現在を経験するしか無いそんな一日の中に、これらの人々が一堂に会した刻があった。彼らは毎日のように出会ってはいたのだが、まさにその中からその特別な時が醸し出されてきた。

 海馬に蓄えられたみんなの過去の残骸のなかから、春日波子がキラキラ輝く瞳をして嬉し気に「あのぉ、」と切り出した時の場面が活性化する。

「私たちも夕鶴をやりましょうよ、英語で」
「英語でって、このP大学の英語クラブが竹取物語を英訳して演じたから?」

 河野孝三は目の前の小さな新聞記事をこんこんと叩いた。あっという間に春日波子の脳裏でプランが出来上がったようだ。

「手分けしてあの台本を英訳しましょ。それを先生に演じて見せるのよ。小道具も余り要らないし。ちょうど人数もぴったりよ」

 橘正宗が考え深い眼をして言った。 「まず、英訳だけど正しい訳は難しいだろ。まあ勉強になるからいいとして、配役はどうかな。おつう、そのダンナ、村人二、三人、ぴったりだな」     
「おつうは春日さんね、言い出しっぺで」                
「あ、宮下さん、ずるいわ、あなたがしたら」               
「あたしはぁ、ちょっとでかすぎるでしょ。それに音楽も担当するわ」   
「橘さんがよひょうだね、じゃ僕らは村人だ。よひょうに悪知恵をつける軽薄なやつら、ウヒヒ」

 河野孝三はすっかりその気になって笑いながら、
「僕はタイプもするよ、英語の台本の」「宮下さん、ちょうど合うようなお琴の曲があるかしら?」    「あるある、六段の調べっていうのが」
「じゃ、それをカセットテープに録音しよう」
「あ」               
「なに、宮下さん」
「二重録音に出来るんじゃない? 河野くんもテープレコーダー持ってるでしょ」            「持ってるけど、どういう意味?」
「邦楽でもパートがいくつかあるのよ、それに本来は三味線、尺八も入るし」
「誰が尺八吹くんだい」       
「それはちょっと無理だけど、琴の二重奏にすればいいわ。最初の録音テープを再生しながら、同時に私が二部を合奏するでしょ、それ全体をもうひとつのレコーダーで録音すれば、多分いける」
「訳の点検は橘さんね」       
「いいよ、辞書ひくのが好きだから」

 ノンポリの彼らは休講になった暇を使って各自が出来る事を自ら申告し、協同作業しようとしていた。必要なものはあとは大きな風呂敷二枚だった。おつうの髪の毛の代わりとして頭に春日波子が巻き付けた。もう一枚はおつうの機織り室との間仕切りとして使われるのだ。英訳、推敲、タイピング、暗記、発声練習、動きの確認など仕事は次々にあった。それらは真剣な遊びのようなものと誰にも感じられた。

 場所はネイサン先生の自宅の居間、観客は先輩の大河内正、柏由美子、その恋人、機械と音声は主に河野孝三。そんなささやかな集いである。

 ケイト ネイサンは大分大きくなったお腹を大事にかかえて待ち遠しそうに笑っていた。学生たちのためにポテトサラダをたくさん作っていた。ジョン ネイサンは彼らの英語を無理してでも添削してやる暇をとらなかったのを残念に思っていた。舞台設定をする様子に彼らの本気が感じられたからである。
 

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 河野孝三によって居間の明かりが落とされた。

 すると居間から庭に出る小さなドアを、誰かが外からノックした。それがおつうであった。発音の怪しい英語でたどたどしく会話は続いた。おつうが風呂敷の向こうで機織りをするとき、テープレコーダーの再生ボタンを河野孝三がきっかり押した。しばらくして停止ボタンを押し、明かりを強めた。外の世界を現した。突然河野孝三は宮下朝子と村人に変身し、そこらを気楽そうに歩いて、うわさ話を始め、よひょうをそそのかす相談をした。
 居間から廊下へ何気なく出て行きながら照明をまた落とした。よひょうがおつうを心配する場面になった。
 一方村人二人は欲にくらんで、玄関から庭を走ってよひょうの家のドアを叩いた。

 世間居知らずのよひょうは村人に説得された。村人はうまくやれよ、と言ってドアから外へ出た。しかし彼らはまた庭を走って、玄関から居間へ到着し、カセットレコーダーをかすかな音で再生させた。

 おつうに最後の織物を頼む会話の一つを橘正宗はど忘れした。おつうも何とかそれを手助けしようとしたが、思い出せなかった橘正宗はそれを飛ばして続けた。ご愛嬌だ。           

 薄明の感じがよく出ていた。再び音量を上げた最後の琴の演奏後、おつうは別れをつげ、入ってきた小さなドアを通って外へ消えた。音楽はまたかすかな音に調整されていた。よひょうが悲しそうに呼び戻そうと外へ顔を向けていた。  

 しかしその間に、おつうは庭を走って一巡りし、玄関から入り込んで、照明を完全に消した。暗転させた。よひょうの悲痛な声と重なって、村人ふたりの喜んだ声が、うまくいったなあ、と聞こえた。拍手がおこった。二呼吸してから演奏も終わった。打ち合わせ通りにほぼ運んだ。小さな観客を少し感動させるほどには効果は発揮された。

 その後、学生たちがボテトサラダをたらふくご馳走になったのは言うまでもない。ほどよく冷めた紅茶もがぶがぶ飲んだ。観客は彼らを讃えた。大河内正は、ケイトの目に涙が光っていたと報告した。役者たちも誇らしいやり遂げた気持を味わった。

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 この語り草となった公演について、初老の友人たちの作る小さなメーリンググループでひとしきり話題が沸騰した後、それぞれの形で年金生活者となった彼らがどんな第二の人生を過ごしているか、そして人生の終末期をどう準備すべきか、と言う当然のテーマへと話が移って行った。

 春日波子の夫はシェングレン症候群を患っていて、宮下朝子の夫もかなり心臓に問題があるので、寡婦になるという可能性を暗に考えていたからであるのだが、すぐに二人の間で暗黙の了解がなされた。そうなったら隣り合った部屋に一緒に住もう、と春日波子が書いてきた。私の母が介護保険で施設に通っているけど、たしかに余りに無造作に年寄りと言うだけで一つ部屋で過ごすことって、つらいものがあるよ。うまく一緒に住めるように辛抱強く考えてみようか、と宮下朝子が返事した。これを読んで、橘正宗、河野孝三の二人は同意見だったが、勿論妻に取り残されたら、という前提である。

 大河内正はもう少し具体的に住むべき家のあり方について構想を練った。

 交通の便の良い図書館の近くに、マンションを借りる。百平方メートル程の、ここに女性たちが住む。プラス必要な人数分の単身者用住居、ここに男性陣が各々の趣味とともに住むとする。夕食には女性陣の部屋で歓談する。なぜならここでは雇われたヘルパーが食事を作ってくれている。柏由美子はまだ見つかっていなかったが、彼女なら手際よく料理の指揮をとってくれるかもしれなかった。もっとも高齢になると火を使う仕事は危険にもなるので、若い手助けが必要だ。おおいに近代技術も取り入れようという点でも全員賛成だった。たとえば床には自動掃除ロボット、その他の埃にはレンタルモップ、食器洗い機、乾燥機能付き浴室、等細かい注文を夢見たのは特に宮下朝子であった。

 現実に主婦、母であったのにその姿が想像できないとみんなに言わしめた彼女は、エッセイと小説の中間的な作品を書きたがった。春日波子は英語で詩を書いていた。あくまで研究にこだわったのは大河内正と、あいかわらず山際健太名誉教授である。その他油絵、書画、木彫り、娯しみは尽きず、幾重にもかかる虹のような夢を語る時間も尽きなかった。


「たしかにねぇ、自然の中でさぁ、清貧にして竹林の聖人のような老後って理想ではあるけど、やはり夢かな」   
「晴耕雨読とか?」
「夫婦も、グループも最後は一人になるわけだよな、運が良ければ子孫であれ医療介護関係者であれ看取ってもらえるとしても」
「死を早めようとは思わないでしょうけど、無理に生に執着する訳じゃないけど、執着してもいい訳だけども」   

「ま、一歩先は闇だものね」
「心残りはある?」         
「ある、とてもある。この平和の65年を自分のためにしか過ごさなかった。助けを必要としている人がたくさん、いたのに、日々悲惨な生活に耐え、死に襲われていたのに」
「子供ひとりも世話してあげなかった」
「こんな人類の操る世界を変える事は難しいが、あるいは不幸を一つ小さくするくらいはできたかも」
「まだ遅くはないさ」        
「そうだよな、老後を世話される事ばっかり心配してたぜ」         
「趣味じゃなくて」

「そうさ、自分はもうどうなってもいいんじゃない!」        了


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東天
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