M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1

一章 瀬田から伊豆へ( 2 / 3 )

2.ケンネルからの旅立ち

 

 それからの一ヶ月、瀬田のハウスで過ごしている間にヤナことが僕に起きた。どうも、あのお客さんがきたのが理由のようだった。

 

 ワクチンとかいうチックンはやられても僕はへいきだった。けれど、ある日、ぼくはじゅういさんのところにつれて行かれて、別のチックンをされて、眠くなってそのまま眠ってしまった。目が覚めてみると、何だか耳がおかしい。いたいような、かゆいような変な感じで、後ろ足でひっかいてみようとしたけどヘンな物が首の周りにくっついていて、それができない。

 

 オチンチンもおかしいぞと、首を回してみようとしても首の周りのものがじゃまして見られない。なにがなんだかわからなくて、かなしくなった。

 

 時間がたつと、耳とオチンチンがだんだん痛くなってきた。ぼくはクィーン、クィーンって泣いてしまった。痛くて、目がなみだでいっぱいになった。ぼくは痛さで体がふるえていた。甘えられるお母さんはもうそこにはいなかった。おばさん犬がガンバッテって、といってくれた。お父さんがウオンウオンと吼えて、大丈夫、大丈夫といった。

 

 生まれてすぐに尻尾は切られていたから、僕はこれで本当に立派なシュナウザーの標準の形になったのだが、でも僕は痛かった。

 

 何日かたって、312日になった。この前のお客さんが二人でやってきた。僕をひきとりにきたのだ。ナンだって? 僕はもうこの瀬田のうちで、お父さん犬やおばさん犬といっしょに楽しくやっていけないんだって、悲しくなった。

 

 お客さんは、お金を払って、店のご主人から僕の飼いかたを色々教わって、勉強していた。えさの種類とか、手入れの仕方とか。M.W.フォックス博士の『イヌのこころがわかる本』という本を買って読みなさいって、お客さんに宿題を出していた。

 

 小学校から、K君がやっと戻ってきた。そして、僕にぬいぐるみの白いふかふかのワニさんを、おみやげだよって僕にくれた。K君は、チビだった僕を可愛がってくれたのに、それがお別れだった。

 

 お客さん、それはお父さんとお母さんになる人だったのだが、バリ・ケンネルと、ドッグフードと、水飲みを買って、もとから僕のハウスにあった大好きなボロ毛布といっしょにバリケンの中に僕をそっと入れた。

 

 車に乗せられて、ぼくは瀬田の店をはなれた。車はすごいスピードで走って、あっという間に、横浜、南万騎が原のちいさなマンションのに着いた。それがぼくの旅立ちだった。僕にはもうワニさんと、ボロ毛布しかなかった。こころぼそかった。

そして、もう二度と瀬田に戻ることはなかった。

一章 瀬田から伊豆へ( 3 / 3 )

3.バリケンの中で

 

 横浜のアパートでは、新しいバリケンの中で一晩眠っただけだった。さみしい気がしたけれど、瀬田のケンネル・エイトを出発して、いろいろあって疲れていたから僕はよく寝た。オミヤゲについてきたドッグ・フードを貰って食べた。ワニさんと、ボロ毛布が僕の味方だった。

 

 でも翌朝、すぐにドタバタが始まった。いろんな人がいっぱい入ってきて、部屋にあったいろんな物をみんな運び出した。あっという間に、そのマンションはからっぽこ。僕とお客さんの二人だけが残った。後はバリケンとリード(引き綱)と、水と、ゴハンだけ。

 

 僕を手のひらに抱き上げた男の人が、どうも僕の新しいおとうさんのようだった。ニコニコ笑って、やさしい感じの女の人が僕のおかあさんのようだ。

 

 おとうさんが、では出かけようっていって、僕はおかあさんに抱かれた。おとうさんはバリケンを持って車に乗った。

 

 

 僕は、車に乗ったらバリケンに入れられた。バリケンの中だから、外の様子はあまりわからない。車の後ろの座席に横置きされたバリケンは、車が走り出したり、止まったりすると横揺れした。それで僕は少し気持ちが悪くなった。ナンだろうって、不安だった。

 

 かなり走って、今まで嗅いだことのない匂いがし始めた。湿気を僕の鼻の周りに放射状に生えた毛に感じた。そして、バリケンのなかの空気がちょっとしょっぱい感じがした。間違いなくしょっぱい。なんだか僕はわからなかった。

 

 おとうさんとおかあさんと僕は、三人で海のそばを走っていた。それが、海だと知ったのはもっと後になってから、砂浜を本当に自分で歩いたときだったので、そのときはまだ僕は海っていうものを知らなかった。車はすごいスピードで走っていた。

 

 その後も何度も走った「真鶴道路」に入ってトンネルを抜けた所で、おとうさんは車を止めて、少し休んでいこうか、おしっこもウンチもたまっているだろうからといった。ほんとのところ、僕は長い間ウンチもおしっこも我慢していた。もといた店みたいに、新聞紙が敷いてあって、どこでもおしっこが出来るような感じではなかったし、バリケンの中なんかには絶対したくなかったのだ。

 

 僕は、初めての場所にリードをつけておろされた。おとうさんがリードを持って、ちょっと引っ張りながら、おしっこやウンチをしてもよさそうな所を探してくれた。ハイ、いいよっていってくれたけど、急におしっこだってウンチだって出来るわけはない。

 

 少し歩いて、だんだんおしっこが近づいてきたから、僕は腰を下げておしっこをした。おとうさんが、なんだ、女の子みたいだと笑った。でもウンチは出なかった。

 

 くねくね道をかなりのスピードで走っていく。おとうさんが、あれが初島だよとか、大島だよって言うのが聞こえたけれど、僕はわからなかった。今度は、お魚のにおいがするようになった。お店でもゴハンに小さな魚が乗っかって出てきていたから、魚のにおいは知っていた。お魚がいる世界なんだなっておもった。もうすぐだぞって、おとうさんが言った。

 

 車は、のぼりに坂に入っていた。途中でひょいと左に曲がって、ガリガリって砂利をふむ音がして、やっと車はとまった。

 

 チェルト、新しい家に着いたよって、おとうさんは僕に話しかけた。バリケンの扉が開いて、僕は玄関の廊下にぽいとおろされた。そこが、僕がこれから暮らす伊豆高原の家だった。大きな三角形の屋根と、白い壁と、破風が緑に塗られた家だった。ひんやりする廊下を少し歩くと、そこは広いフローリングのキチンのついた、リビング・ダイニングという部屋だった。早速、探検だと思ったけれど、なんだか寒くて、僕はそのリビングで、ふるえていたとおもう。

 

 引越しの0123の人たちが、トラックから、どんどん荷物を運び入れてきて、引越しは簡単におわった。おとうさんが、僕を抱き上げて、二階への階段を上って行った。そして、大きな部屋のガラス扉をガラッと開けると、そこはベランダで目の前に海と大きな島が見えた。

 

 ほら、あれが大島だよって、おしえてくれた。でも、イヌの僕は近眼だから、本当はぼんやり海が見えただけだったのだけど。

 

 こうして、おとうさん、おかあさん、そして僕の三人の伊豆高原での生活が始まった。3月だったから、僕は寒かったとしか覚えていない。ストーブっていうものが燃え出した。温かかったので、僕はそこから離れられなくなってしまった。

 

 ゴハンの食べると、我慢していたウンチが出掛かって、おかあさんがあわてて、しんぶん紙を出してきてくれたので、そこで初めてのウンチをした。おしっこもした。これで、このうちにも、環8のハウスと同じにおいがし始めた。僕はやっと安心した。

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 1 / 17 )

4.新しいうちとチックン

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 伊豆高原の新しいうちに越してきて、僕が始めたことは先ず家の探検だった。だって、外にはまだ出られなかったから。

 

 仔犬は最低3回のワクチンのチックンをやらないと、それに誕生から3月以上にたたないと免疫ができないから外には出られないとケンネルエイトの偉い人が言っていた。僕のワクチンは瀬田では1回だけだったから、もう2回チックンをやらないと外には出してもらえなかったのだ。

 

 ベテランの優しい先生がいる伊豆高原動物病院を、僕の病院とおとうさんが決めた。伊豆に来て5日目に2回目のチックンを受けた。先生はシュナウザーを自分で飼ってたこともあって、僕に親切だったしシュナウの特性も良く知っていた。そこの患者犬にはシュナウはいなかった。

 

 僕の体重は、まだ2.5kgにもなっていなかった。チビだったのだ。6匹も生まれた兄弟の中の一番のチビだったからしょうがない。

 

 僕はシュナウザーの標準型に断耳して間もなかったから、最初のチックンから1週間後、二度目にいった時に、耳の抜糸をしてもらった。やっとこれで、自由に耳を後ろ足で引っ掛けるようになった。でも、耳が痒いのはそのままだった。

 

 外に出られない僕は、もっぱら家の中の探検に取り掛かった。もともと、シュナウザーの仲間は何にでも興味の塊みたいなものだから、何にでも鼻をつ込んだ。


 面白かったのは、和室の押入れ。ちょっとふすまが開いていると、もぐりこんでみた。暗くて、狭くて、なんだか安心だった。物と物の間を、僕はまだ痩せっぽちだったから、スイスイもぐり込めた。でも、簡単に出てこれなくなったりして泣いたりした。

 

 和室の畳では、前足でガリガリとやると、おとうさんに怒られた。でも、引っかいた跡はもう直らない。僕はし知らないっと。

 

 広いリビングルームが僕の遊び場になった。木でできたフロアーは飛び跳ねて遊ぶのにもってこいだ。全力で走っていると、後ろ足が滑って、なかなか前に進めなかったりもした。

 

 おとうさんが、ペットボトルを斜めに切ってそれを床に転がしてくれた。それを鼻で突っついていると、カラカラと大きな音がして面白かった。それに飛びついて行くと、こんどは何処に飛ぶのか分からなかった。思わぬ方向にそのペットボトルの切れ端は飛んでいく。リビングの隅から隅まで、ペットボトルのオモチャが転がって、それがとっても面白かった。飽きないでおとうさんと遊んだ。

 

 

 歯磨き用のロープでできた骨の形をしたものは、お母さんとの引張りっこで面白かった。噛み付いて、ぐいぐい首を振るのだけど、お母さんのほうが力が強くていつも最後はひっぱられていた。引っ張られると、僕の後ろ足はビローンと平らに後ろに伸びて、おなかでフローリングを滑って遊んだ。シュナウの後ろ足は関節が柔らかくて、体と水平にまで伸びるのだ。


 最初に覚えさせられたのはトイレの場所。トイレ用のシートが部屋の隅においてあって、本当はオシッコもウンチもそこですることになっていたのだけど、僕はまだちゃんとは覚えていなかった。


  オシッコはどこでしてもいいように瀬田ではなっていたから、僕は決められた所まで戻っていって、オシッコをすることは知らなかった。おかあさんがタオルを持って、いろんなところを拭いて回るのを、くっついていって見ていた。ダメでしょうと怒られたけど、僕は平気だった。僕のバリケンは、リビングの隅に場所が決まった。そこからは、いつもお父さんとおかあさんの動きが良く見えて安心だった。

 

 二階への階段は、チビの僕には一段一段がとても高くて登れなかった。おとうさんに抱っこしてもらって二階には登った。二階は広い書斎とベッドルームになっていて、お父さんとおかあさんのベッドが並んでいた。


 フローリングはやはり木でよく滑った。お昼寝は、おとうさんのベッドにおとうさんと直角に寝ていた。温かくて安心だった。そうすると、自然とヨダが出てくる。お父さんのベッドの真ん中の端のほうには、僕のヨダレがたくさんつくことになった。

 

 ある日、二階に上がって、ちょっと下に下りたいなと思いながら、階段の上で下を覗き込んだそのとき、僕は前足がつるりと滑って、あっという間もなくダダダダダァって階段を転げ落ちた。僕は何がおきたのか分からなかった。一階まで僕は階段を転げ落ちたのだ。体のいろんなところが痛かったけれど、それより僕はショックで階段の下でうずくまって泣いていた。

 

 音を聞きつけて、おとうさんとおかあさんが飛び出してきた。おとうさんが、あっ、おっこったんだ。怪我してない、骨折れてないって、体中を撫で回した。骨は折れてはいなかったようだ。お母さんが、なでてくれた。

 

 これが、生まれたから初めてのおっかない出来事だった。それから、僕は階段に近づくのを避けていた。階段は本当に怖かったのだ。

 

 翌日、おとうさんがホームセンターで、階段に貼り付けるゴムの滑り止めのキットを買ってきて貼り付けてくれた。でも、その後も僕は階段が怖くて二階には登れなかった。

 

二章 伊豆の生活・子犬のころ( 2 / 17 )

5.おいしくないゴハンと嫌なもの達

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 僕が最初に食べていたのはドライのドッグ・フードで、ネーチャーズ・レシピーっていうんだ。でもこのゴハン、食べているとモサモサしておいしくなかった。おいしくないな、おいしくないなって言いながら、おなかがすくから食べていた。だから、ゴハンは最初は楽しみではなかった。


 でも、おかあさんがミルクで浸してくれるようになって、やわらかく、モサモサしなくなっておいしく食べられるようになった。このゴハンは、瀬田のシュナウ博士がおとうさんにこれを食べさせてくださいって、言ったものだった。

 

 健康のために良いというので、おとうさんはそれを守っていた。でも、近くの犬やさんには、このネーチャーズ・レシピーはなくて、おとうさんは伊東の町までそれを探しに出かけた。値段も高くておいしくないって変じゃないかって、僕は思っていたけれど、他のゴハンにははなかなか変わらなかった。


 だから、ミルクは僕のゴハンをおいしくしてくれる魔法の液体だった。そういえば、ミルクは犬のおかあさんのおっぱいのにおいに似ていたんだ。

 

 伊東の町まで行って、おとうさんが見つけてきたものは僕の嫌いなものばかりだった。一番嫌いなものは、爪きりの機械。おとうさんはそれで、僕の爪をパッチンするのだけれど、時々、切りすぎて、僕の爪から血がわきだしてきた。血の臭いがした。それほど痛いわけではないのだけれど、おかあさんは血が苦手らしく、わぁって、目をそらしていた。

 

 それに、櫛。僕の毛が絡まっていると、あれに引っかって、僕は痛くて痛くて逃げ回っていた。大嫌いだった。でもだんだん、おとうさんも上手になってきて、無理に櫛を毛にとおすようなことはなくなって、おとうさんが僕の毛の根元を握って櫛を使うようになって、僕はやっと安心した。

 

 デンキバリカンも買ってきた。ごうごう音がするでかいバリカンで、ねだんも高かったっておとうさんが言っていた。3ヶ月に一回ぐらいはやられていたんだと思う。ごうごう音がするのと、時どき、僕のおっぱいをおとうさんが間違って切るものだから、またしても血が出ておかあさんは大騒ぎ。

 

 でも、ほんとにひどかったのは耳の周りの傷。断耳した傷はなおってたんだけど、おとうさんはまだバリカンがへたくそで、だんじされて薄くなっている所を、間違ってすっとバリカンが通る。すると、薄い皮が破けてまた血が出てきた。


 おとうさんは反省して、薄いところも切らないよう、3ミリのに加えて1ミリのうすい刃を買ってきてくれてた。それからは、切られたぁ、ってことはなくなったんだけど、でもバリカンはあまり好きじゃなかった。

 

 シュナウのおしゃれには絶対…ってお父さんは信じてたから、シュナウのスタイルの刈り方はずっと続いた。だから、かっこうよかったんだよ!シュナウの定番の形は耳は断耳、しっぽは断尾、そして、おじいさんみたいな口のまわりの大きなフアフアひげ、両手両足は先に行くほどフアフアの毛、背中は短毛って決まってるんだ。それに印象的なのは、長くて大きな太い眉毛と、よく見ると長~いまつ毛げなんだ。目も大きかったんだょ。

 

 背中からしっぽまでは、3ミリの刃で短く刈り上げられていたんだ。でも冬は、お腹のほうはチョッキを着たように、温かく毛を残してもらっていた。

 

 僕のバリケンはリビングに置かれていたから、おとうさんやおかあさんのやっていることが、バリケンの中にいても良く見えた。バリケンの扉は、寝るとき以外は開いていて、自由に出入りできた。広い、新しい家にもだいぶなれて、二階はこわくて登れなかったけれど、後はもう自由に遊んでいられた。

 

 リビングの外は、芝生の庭。生垣の外が遊歩道で、いろんな人や犬たちが散歩する。

僕は、どういうわけだか、いつか番犬をしていた。僕んちを守らなくてはと思い始めたわけだ。だから、外の遊歩道を誰かが歩くと僕はリビングから、和室まで、吼えながら追っかけていって、外の人を追っ払っていた。

 

 お父さんが、シュナウは結構吼えるんだよっておかあさんに言っていた。あまり吼えていると、おとうさんに、「ノー」って叱られた。でも何故、家を守っているのに叱られるのか分からなかった。

 

 まだ二回目のチックンが残っていたから、外には出してもらえなくて、ウチの庭でときどき遊んでいた。おとうさんはどこからか、やわらかい黒いネットを買ってきて、かいずかいぶきの生垣の下一面に貼り付けてくれたので、僕は脱走もできないけれど、そとから入ってくる犬や動物もいなくて、ほんとに自由に遊ぶことができた。

 

 おいしくないゴハンもミルクのおかげでおいしくなって、一月もたつと僕はここにきて倍近く重く、体も大きくなっていた。外に出られのはいつだろうって、楽しみだった。

 

 

徳山てつんど
作家:德山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1
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