M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1

三章 青年の犬のころ( 5 / 20 )

25.遠出で大仁へ

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 僕のお父さんは、酒飲みと言っても怒られることはない。だって、お酒が大好きだから。若いときに、体にお酒が残っているのに車を運転して、ひとりで事故をおこして腕の骨を折って入院したことがあるくらいだから…。

 

 横浜にいたときには、近くにお酒の安売りの店があったから、そこに買いに行っていたらしい。でも、伊豆高原にはそんな店はないわけで…。

 

 お父さんが飲むお酒は、ウイスキーとか、焼酎とか、日本酒ではなくて、だいたいはワインだった。だから、伊豆高原の近くの店には種類もないし、値段も高いから困っていたようだ。でも、お酒好きだからワインの安い店をいっしょうけんめい探したらしい。

 

 そういえば、月に一回くらい、お父さんとお母さんが、朝10時ごろ出かけて、早くても2時過ぎに帰ってくることがあった。そんな時、スバルのトランクには、ゴミダシの日にガチャガチャ言って僕をいじめるワインのビンたちが、大きなダンボールの箱にいっぱい入っていた。もちろん、僕は番犬としてお留守番だった。つまんなかったのだ。

 

 でも犬用のシートベルトをお父さんが買ってくれてから、始めてワインの買出しに僕も連れて行ってもらえるようになった。僕は助手席の誰かの膝の上に、シートベルトをして一緒に連れて行ってもらえるようになったのだ。うれしかった。

 

 お父さんたちは、伊豆高原からスバルで1時間以上もかかる大仁という町にある「良酒倉庫」という店まで、安いワインを求めて出かけていたのだ、それまでは。僕をおいてけぼりにしててさ。

 

 伊豆高原から、大仁に行くには、三つの道があった。

 

 一つは、前にドッグランに行った松川湖のそばを通って、有料道路で冷川まで走る道。でもこの道路は値段が高かった。僕には快適だったのだけど…。

 

 もう一つは、その有料道路が出来る前に使われていた道で、天城山をかなり登って、それから、細い、車のすれ違いも難しいようなくねくね道を時間をかけて、冷川まで降りていく道だった。

 

 僕は、はじめはなんだか分からなかったけれど、助手席の上で、よだれがいっぱい出てきて、気持ちが悪くなった。たいていは、行きはお母さんが運転するんだけど、なんだか、ブレーキとか回転とかがやさしくなくて、僕は、お父さんの膝の上でウエウエ言いながら、よだれをたらしていた。僕はこのくねくね道が大嫌いだった。

 

 三つ目の道は、遠回りの道だけど、カーブもそんなになくて、スバルは早いスピードで走れた。でも、この道を使うためには、伊豆高原から伊東を過ぎて、さらに宇佐美という町までいって、伊豆半島を横ぎる伊豆スカイラインの箱根峠越えの道で、登りと下りの道だった。道はいい道だった。何時だったか、お父さんが調子に乗ってスピードを出しすぎて、待ち構えたおまわりさんに捕まって、高い罰金を払わされたこともあった。

 

 大仁行きで一番多かったのは、二番目の細いくねくね道で、僕は必ずよだれが出て嫌だった。行きは、お母さんが運転して、僕は助手席のお父さんお膝の上にいた。

 

 あるとき、酔っ払っているよ、この犬は、とお父さんが気がついた。

 

 お父さんはスバルの窓を大きく開けて、新しい空気を入れてくれた。さらに、お父さんは僕を両手で支えて、僕を前向きにして、前足を伸ばした姿勢をとらせた。僕は、車の運転をしているような感じになった。嫌なカーブが来るなと、前もって分かるようになった。僕もなれてきて、カーブに入ると内側に体を傾けると、気持ちが悪くなるのが少なくなると分かってきた。

 

 そんな嫌な思いをしても、僕はみんなといっしょに大仁まで行くのが楽しみだった。ワインやさんでは、僕は車の中で二人が買物をすませるのを、まだかなぁまだかなぁと思いながら待たされた。あまり楽しくなかった。

 

 でも、その後が楽しい時間だった。

 

 二人はちょうど昼になるので、どこかで昼ごはんを食べていた。例えば、大仁のラーメン屋さんとか、修善寺の中華料理屋さんだとか、和食レストランだとかで昼ご飯を食べていた。

 

 僕は、暑いときはスバルの前のガラスに日よけを入れてもらって、窓から涼しい風が入ってくる車の中で、二人がラーメンを食べ終わるのを待っていた。

 

 僕の楽しみは、お父さんが割り箸が入っていた小さなビニール袋の中に、小さな焼豚だとか、もやしだとか、ラメーンだとかを入れて、ティッシューで隠しながら、必ず僕のために持って帰ってくれることだった。僕は、お父さんが車に帰ってくると、すぐ匂いで分かった。焼豚はとてもおいしかった。ラーメンはのびていておいしくなかった。でも食べ残したことはないよ。

 

 お待ちどうと言いながら、お父さんが僕に持って帰ってくれた小さなドギーバッグを僕の鼻の先に突き出して、におわせた。僕は、本当のよだれが出て、チョッコリのラーメンを楽しんだ。僕は、二人が何をを食べたか全て分かっていた。同じもので、おいしかった。

 

 大仁のラーメン屋さんでなくても、修善寺の和食レストランでも、中華レストランでも、何かがきっと食べられると僕は知ってしまった。だから、大仁行きは大好きになった。うまくすると、帰り道のセブン・イレブンやミニストップで、お父さんが僕の大好きなアイスクリームを買ってきて、三人で食べる事だってあったのだから。

 

 何時だったかは、修善寺の狩野川の土手の上で、買ってきたお弁当をみんなで一緒に食べた。あれは本当にみんな一緒みたいでうれしかった。

 

 こんなふうに、月一の大仁への遠出は僕の楽しみになったのだ。

 

三章 青年の犬のころ( 6 / 20 )

26.浄蓮の滝とお化けトンネル

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 大仁へのワイン買いにくっついて行ったのは、この間話したけど、これとは別に狩野川には思い出があるんだ。

 

 狩野川って言うのは、伊豆半島を南から真北に向かって、中伊豆を北上する日本では珍しい川だとお父さんが言っていた。

 

 伊豆半島の南の端っこに近い天城山という山たちにしたたった水が、流れになって、富士山の裾野の三島、沼津を通って駿河湾に流れているへんな川だ。

 

 「浄蓮の滝」に行こうと、お父さんが言い出した。みんなで出かけることは、きっとおいしいものが食べられるし、誰かになでられたり、かわいいって言ってもらえるから、僕はすぐに準備に入る。

 

 伊豆高原からは、けっこう時間がかかる所にあって、大仁に行くときの道を修善寺駅まで走るのだ。でも、どうしてだか分からないけれど、お父さんは地図を見て「国士峠」を通っていこうと決めた。これが、僕にはあとで気持ちが悪くなる原因になった。

 

 地図の上では、道の細さなんかは分からない。お父さんは八幡という所から、スバルを左折して走り出した。最初は良かったんだけれど、だんだん道が細くなってきて、スバルがボロボロといいだした。そして、僕の苦手なカーブの連続になって、峠へと上り始めた。僕は、急に気分が悪くなってきた。よだれが出てきた。

 

 お父さんが運転して、お母さんが膝に僕を立たせて、窓を開けて風を入れてくれたのだけれど、よだれが出た。お父さんも自分で選んだ道なのに、ぶつぶつ言っていた。やっと細い峠越えて、視界がひらけてきた。

 

 峠を降りたところが、湯ヶ島という所で、僕には変なにおいがする町だった。温泉の匂いだよとお父さんがいっていた。温泉ってなんだ?って思ったけれど、訊くことは出来ない。でもそれからは快適なドライブ、ドライブだった。

 

 家から2時間くらいかかって、やっと「浄蓮の滝」に着いた。やはり、人がいっぱいいて、キャーかわいい、ぬいぐるみみたいが僕を待っていた。なでてもらえそうだった。

 

 でも、お父さんが僕にリードをつけてドンドン谷底に降りて行く。急な階段だった。ドンドン降りていくと、僕の鼻の周りがぬれた感じになってきた。ドウドウという音も聞こえる。やっと苦手な階段を下りたら、目の前に水しぶきにつつまれたゴウゴウと音を立てながら水が宙を舞い落ちていた。滝というものが現れたのだ。これが、滝なんだと僕の知識が増えた。

 

 水しぶきはすごくて、滝の近くにいると、僕の鼻の周りの毛が水滴をくっつけるようになってきて、僕たちは川の流れにそって沢を降りていった。近くに、おいしそうな匂いのするおみやげ物を売ってる店もあったけど、犬の僕はは入れない。

 

 みんなで歩いていたら、さわさわという音を立てる川のほとりに、わさびという緑色の草がいっぱい水の中に生えていた。お父さんが、これがわさび田と言うんだと僕に教えてくれたけど、僕にはわさびは分からなかった。

 

 ちょっと下ったところに、細い木の橋があって、向こう岸にいけるようになっていた。お父さんはドンドン、僕をひっぱてそれを渡ろうとするのだけれど、僕は怖くて歩けなくなった。なんだ、怖いんだって、お父さんが抱いて僕を向こう岸に連れて行ってくれた。

 

 僕は、怖い思いをして下りてきた階段をいっしょうけんめいのぼった。僕は、下りは怖いけど、のぼりの石段はもう怖くはなかった。やっと、おいしいものの臭いがしてきて僕は元気になっていた。

 

 スバルを止めた所で、お父さんたちは、僕を車に残して食事に行ってしまった。いつもだけど、つまんない。僕は車の窓にぬれた鼻を押し付けて、お父さんとお母さんが帰ってくるのをじっと待っていた。

 

 やっと帰ってきて、チェルト、アイスでも食べようかといった。僕は、聞き逃さなかった。アイス、アイスだって、考えたらよだれが出てきた。だから、僕はみんなと出かけるのが大好きなのだ。待ってたごほうびだねといって、僕を車から出してくれた。直ぐそばに、アイスクリーム屋さんがあって、みんながいろんなアイスクリームを選んで買っている。

 

 早くって、僕はお父さんを引っ張って行った。

 

 何にするって、お母さんに聞いていたけど、ここまで来たんだから、わさびにしようと自分ひとりで決めてしまった。

 

 二人はおいしそうにアイスを食べていた。アイスのいい匂いがしていた。ちょっとからいか、ってお父さんは言っていた。

 

 僕の番が来て僕にもアイスがもらえた。いい匂いって思ったら、鼻につ~~んとかいだことのない匂いがした。お父さんは、食べられるかなぁといいながら、僕を見ていた。僕はアイスだから食べなくちゃとなめた。アイスだった。でも、いつものアイスと違って初めての辛い味だった。驚いた。こんなアイスもあるんだ、注意しなくちゃと一つ利口になった。でもアイスはぺろりと食べた。本当は鼻がおかしくなっていた。

 

 ここまで来たら、お父さんが学生の頃歩いたというトンネルまで行ってみようと、みんなでスバルに乗り込んだ。

 

 山を登っていって、もう一度、山への道を登っていったら、真っ黒い空気の詰まった石で出来た穴ぼこが見えた。あれが旧天城トンネルだよって、みんなで歩き出した。

 

 湿気っぽい匂いのトンネルは、ひんやりして気持ちが良かった。でも暗かった。ところどころに、ぽつんぽつんど電灯がついているだけで、周りは良く分からなかった。僕たちは、遠くに小さく見える出口を目指して歩いた。途中で、お父さんが、ほらといって、ポンと手をたたいた。すると、トンネル全体が、ポワワ~ンとなった。ポンとたたくとまたこだまが返ってきた。お化けだと思った。

 

 僕たちは、そのトンネルの反対側まで歩いていって、苔むしたお化けトンネルの石造りのアーチを見て、また僕のひたひたという自分の足音をききながら、スバルに帰ってきた。

 

 これで、トンネルと、滝と、わさびが僕の記憶の中に残った。

 

 帰りの車の中では、お父さんが僕のために、後ろの席と前の席との間を塞ぐ、大きな四角い風船を買ってきて膨らましてくれていたから、僕はずっと寝ていた。帰りは広い道を飛ばして、かえってきた。疲れたけど楽しいドライブだった。 

 

 

三章 青年の犬のころ( 7 / 20 )

27.僕の食事

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 僕の一番好きなことは食べること、次が遊ぶこと、そして寝ることみたいな…。だから、食べ物にはいろんな思いがある。

 

 最初の頃は、ネイチャー・メードどいうあまりおいしくない、食べると、フカフカ、モソモソするドッグフードを食べさせられていた。これは、環八・瀬田のシュナウザー博士の言いつけだったから、お父さんもお母さんも、そのとおりにしていたんだ。結果として、割りを食ったのは僕。

 

 

 

 でも、もともとはお湯で少しふやかしていたのだけれど、大きくなってきたから、ふやかしはしなくなって、硬いままボリボリ食べていた。何時だったか、お母さんがミルクをかけてくれたことがあった。これが、このドッグフードを始めておいしく食べた始めたきっかけだった。

 

 本当の僕の楽しみは、このドッグフードは前菜で、本当の食事はお父さん、お母さんと一緒にテーブルに座って、やっと始まる。

 

 僕はご飯の時間になると、急いで、ドッグフードをボリボリ食べて、ミルクを飲んで、お父さんとお母さんが食事を始めるのをウロウロしながら待っている。二人がテーブルをセットして、お父さんがヴェルモットを飲み始めたら、僕の食事が始まるのだ。

 

 お父さんとお母さんは向き合って、大きなテーブルに座っている。ぼくの席はそのテーブルにくっつけて置かれている、少し背の低い木製のムクのテーブルだった。僕の椅子は、お父さんが椅子を部屋の隅から持ってきてくれる。そこに座ると、ちょうど僕の目線でも、今日は何が食べられるかを見渡すことが出来る。

 

 けっこう洋食が多かったから、僕の大好きな肉類も、僕にまわってくるチャンスがあったのだ。ただ、どうしてか分からないけど、僕の分は取り分けてはもらえないこともある。ただ、ヨダを我慢しながら、見ているだけだ。

 

 お父さんの隣に座っていたから、お父さんをちゃんと見ていないと、もらえそうなものも貰えない。

 

 朝ごはんは、早起きのお父さんが一人でおそばを食べるのが決まりだった。お父さんは、自分でかけ汁を作って、それに油揚げの煮たのと、椎茸の煮たのと、カイワレの半分を入れた、椎茸、カイワレトッピングつき、「狐そば」を作る。朝ごはんは僕はテーブルには座れなくて、お父さんの足元で食べる。

 

 ドッグフードを食べ終わると、急いでお父さんの右足のそばに座る。そして見上げている。するとお父さんが、おそばを箸で1本づつたらしてくれて、僕の目のまえに揺れる。それを僕は口を横に開いて、捕まえるのだ。初めの頃はうまくいかなかったのだけど、だんだんうまくなって、そばがすすれるようになった。だから朝はヴェジタリアン。

 

 昼ごはんは、パンの端切れとかをもらっていた。僕の食事は、一日に二回と決まっていた。お散歩も二回。お散歩から帰ってきたら、ミルクを二回。これがだいたいの夜までの食事。そう、僕は水をあまり飲まなくなってしまったのは、散歩の後のミルクのせいかもしれない。水に較べたら犬のお母さんの匂いのするミルクのほうが、おいしいいに決まっている。

 

 夜は楽しみなのだ。僕にはドッグフードが¥は前菜がだから、僕はちゃんとみんなの食べているものを分けてもらわなけらばならないと決めていた。えり好みはしない。何でも食べた。

 

 お父さんたちが今夜はお刺身だったら、その一切れか二切れが、ぼくの目の前のテーブルに置かれる。お父さんが置いてくれるのだ。だから、お父さんの箸とかフォークの動きを見ているのが大切だった。

 

 うちでは、ほとんど毎日、お父さんとお母さんがワインを飲んでいたから、うまくすると、カマンベール・チーズのちょこっとしたかたまりが置かれたりする。うれしい。おいしい。チーズは大好きだ。

 

 付け合せのレタスの葉っぱもおかれたりする。だから食べる。何時だったか、どこかよそで、僕がきゅうりをおいしそうに食べていたら、誰かに笑われた。僕には何も変ではないのだけど…。

 

 スパゲッティーもお父さんがイタリア好きだったからよく出てきた。ボンゴレだったら、ボンゴレのなん粒かと、スパをみじかく切ったのが僕の鼻の先に並ぶ。だいすき。口を横の開けて食べる。おいしい。

 

 でも一番のご馳走は、一週間に一度は出てくる、牛さんのお肉だとか、豚さん、鳥さんのお肉だ。お父さんが、ナイフで細く切ってくれて、それが僕の目の前に並ぶ。ヨダより早く食べる。あまり噛まない。飲み込んでいるようだ。

 

 焼いたお魚だってもらった。おいしい。

結果としては、なんでも食べた。食べさせてもらった。デザートの果物、桃とか、梨とか、イチゴとか何でももらった。

 

 冷蔵庫のバッタンって音がすると、そこにはレディー・ボーデンのアイスクリームが入っている。誰かが食べれば、僕ももらえる。

 

 油っぽいものは、もらえなかったけれど、僕は、一応「グルメ」なのだ。

 

 でも一方、友達の犬たちがおいしそうに食べてるのに、僕には決して食べさせてもらえないものがあった。それはビーフ・ジャーキー。本当にうらやましかった。

 

 こんな食事をして、僕は標準の7.5kgに半年で育っていた。

 

 

三章 青年の犬のころ( 8 / 20 )

28.初めての海・今井浜

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 海の匂いは嗅いだことがあるけど、海って言うのは本当は僕は知らなかった。

 

 ある日、お父さんがちょっと今井浜まで行って見ようかと言った。

 

 僕はオデカケ、オデカケと勢いよく玄関ホールに出て、お父さんとお母さんが仕度するのを待っていた。すると、お父さんは僕のために買ってくれた、いぬ用のシートベルトを取り出して僕にはめた。これをすると、遠くに出かけるんだと思ってうれしくなった。

 

 僕の飲み水と、ウンチ袋を持ってオデカケだ。スバルは、ボロボロ言いながら海のがけの上を走る。こうやって、スバルから海を見たことは、今までも何度かあったけれど、まだ僕は本当の海を知らなかった。

 

 お父さんが、ほっかわだとか、あたがわだとか、いなとりだとか言っているうちに、スバルは、いまいはまに着いた。スバルをホテルの駐車場に入れて、ハーネスにリードをつけてもらって歩き出す。

 

 ざわざわ、ざーわざと音がする。そちらに歩いていくと、僕の足が、かるい、白い、こまかい砂に埋まるようになった。一歩一歩、砂に足がもぐるからゆっくりになる。お母さんに連れられて、海の見えるところまで歩いた。さっきから、ざわざわと音を出していたのは海だったのだ。広い砂浜が広がっていた。海から風が吹く。シュナウザーの印、ひげが揺れる。

 

 砂に足を取られながら、僕はすすんだ。今まで、よく分からなかった海のにおいをしっかり嗅いだ。海の上では、白い列が、岸に近づいたり、遠くに下がったりしている。なんだろうと、そちらへ歩いていく。急に足が砂に埋もれなくなった。すたすた歩けた。と、突然、その白い列が僕の方に近づいてきた。アッと思って、僕は逃げようとした。けれど、その白い列のほうが足が早かった。

 

 気がつくと、僕の足は4本ともズブヌレになっていた。ふさふさの前足もぬれて、しぼんでしまった。シュナウザーの売りなのにしょんぼり。僕もしょんぼりしていたら、またその白い列は僕めがけて、走ってきた。僕は逃げた。

 

 お父さんが笑っていた。そして、波が怖いんだと僕をからかっている。そうなんだ。これが波なんだとはじめて知った。そして、海って言うのは動いているんだと覚えた。でも僕の足は砂と海の水でズブヌレ。気持ちが悪い。

 

 見ていると、お母さんが、その砂浜で、前に行ったり後ろに下がったりして、波と遊んでいる。面白そうと、僕もお母さんと一緒になって、波が来たら逃げて、波が引いたら追っかけていた。面白かった。波って遊べるんだと思った。

 

 そうやって遊んでいたら、突然、どう~~という音がして、僕より大きな、真っ白な波が襲ってきた。僕は驚いて、すっ飛んで逃げた。けれど、波のほうがもっと早かった。あっという間に、僕のしっぽから背中まで、波にかみつかれていた。本当にあっという間だった。僕は四足どころか、体までずぶぬれになってしまった。

 

 土手の上でお父さんが笑っていた。カメラを取り出して、ズブヌレの僕を写真にとった。噛みついてやろかと思ったけれど、お父さんは怖いからやめた。僕は尻尾も、お腹の所のふさふさした毛もズブヌレ。全体がちっちゃくなったようだ。

 

 波と遊ぶのは面白いけど、ズブヌレになるのがイヤだった。風が吹いてきて、ちょっと寒くなってきた。お母さん、そろそろ土手に上がろうよと目で言った。お母さんはぬれてはいないけど、同じように寒かったのだあろう、チェルト、上がろうって土手のほうに僕をつれていってくれた。

 

 どうするって、お父さんが近づいてきた。このままじゃ、車に乗せられないなといって、ズブヌレの僕とお母さんをおいて、一人ホテルのほうにあるいっていった。

 

 松林の中の、ホテルのポーチにお父さんが見えた。ホースを借りてきれいになろうと言った。温泉だってあるんだぞといっていた。ホテルの庭の隅っこで、僕はお父さんに温かいお湯で、からだの砂を落としてもらった。やっと気持ちよくなった。お母さんが、スバルからタオルを持ってきて、僕のぬれた体を拭いてくれた。ああ気持ちいい。

 

 これが海なんだ、波なんだと、僕が覚えた浜だった。海って、なれれば面白そうだと思った。

 

 帰りには、すいらん荘の別荘地の中にあるパン屋さんによって、焼きたてもいい匂いのパンを買ってもらって、うれしくなって帰ってきた。もう波のことは忘れていた。

 

 家について、お父さんにちゃんとシャンプーをしてもらって、ばおばおとドライヤーの風を当ててもらって、やっとショボクレたシュナウが、立派なシュナウに変身した。波って怒るんだよって、お父さんが僕に言った。そうなんだ、波は時々、怒るんだと思った。

 

 焼き立てパンをもらって食べてると、すっかり僕は幸せだった。これが、初めての海、今井浜だった。

 

 

徳山てつんど
作家:德山てつんど
M.シュナウザー チェルト君のひとりごと  その1
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