【ISIS Selection 06】 真夏の夜の夢の4時間半

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序( 1 / 1 )

本文を読む前に

 ジャーナリストやミュージシャン仲間がボブ・ディランとこんな会話をしたという記事はたくさんありますが、今回紹介するのはボブは一般ファンとはどんな会話をするのかというものです。
  ローリング・ストーンズやポール・マッカートニーは警備が厳重すぎて近づくことすら不可能ですが、ボブの場合、コンサート会場から新幹線の駅まで歩いて移動したり、一般客と同じホームで電車を待っていたりするので、面と向かって「サインください」「ノー」といったささやかなやりとりが成立したファンの数 は、ポールやミック・ジャガーの数百倍ではないでしょうか。サインをもらえたラッキーな人も多数存在します。とすると、ボブはファンとの交流が多い、結構庶民派の人ではないでしょうか(チケット代も安いです。今年のヨーロッパ・ツアーは6,000〜7000円)。ショウのたびに、ステージ前に押し寄せるファン数百人と握手することを厭わないウィリー・ネルソンのような人と比べたら、人間嫌いということになってしまいますが…。


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  さて、今回の記事を書いたペイトリス・ハミルトンは、ISIS誌がまだ原始的な体裁だった頃に表紙のイラスト(↑)を描いていた人物なのですが、1992 年夏にフランスでボブに遭遇し、夜中から朝方まで会話に興じるという幸運に恵まれました。仕事抜きの会話だったとはいうものの(ジャーナリストがするよう な質問ばかりだったら、すぐにさよならだったでしょう)、ボブの音楽観(グレイトフル・デッド、ヤードバーズ、ロバート・ジョンソン、ワールド・ミュージックについて)、デヴィッド・ブロンバーグとのレコーディング(2008年前半に出たブートレッグ『Genuine Bootleg Series: Fourth Time Around』に〈Miss The Mississippi〉等が収録されて、レコーディングをしたという噂が本当であることが確認され、同年秋に『テル・テイル・サインズ』で正式にリリース)、画集を準備していること(1995年に『Drawn Blank』として発表)、新曲も書こうとしていたことを、ポロリと漏らしています。また、イギリス人夫婦を相手にボブがイギリス英語的な表現を使っていることも面白いところなのだそうです。「mind-boggling(気の遠くなるような)」「holiday(休暇)」はイギリス英語なのだとか。このへんは他言語に訳すと全てが失われてしまうものですし、そもそも私程度の語学力ではどっちがどっちだか区別が出来ません。

 この記事に登場する他の人物についても、多少コメントしておきましょう。
  ジム・キャラハンは長年に渡ってローリング・ストーンズの用心棒を務めていた人物で、ボブ・ファンの間ではビッグ・ジムという通称で親しまれている人物で す(彼のことではありませんが、〈Lily, Rosemary and the Jack of Hearts〉にはビッグ・ジムという人物が登場します)。ロニー・ウッドの自伝にもキース・リチャーズの自伝にも、1975年の全米ツアー中にアーカンソー州で逮捕され、その際にジムも居合わせたことが書いてありますが、おそらくふたりを釈放してもらうために陰で尽力していたのでしょう。その他の修羅場もたくさん経験していると思いますが、ジムは口が固いのも自分の仕事のうちと心に決めているようで、マスコミやファンに逸話をぺらぺらしゃべるようなことは絶対にしません(回想録を書いたら超面白いものになること間違いなしなんだけど…)。とはいえ、ホテルやコンサート会場のロビーをウロウロして、ファンと思しきに声をかけるなど、我々との交流が嫌いなわけではないようです。ストーンズの映画『レッツ・スペンド・ザ・ナイト・トゥゲザー』の中にミック・ ジャガーが〈Let Me Go〉を歌いながら客席を駆けるシーンがありますが、その先導をしてるのがビッグ・ジムです。1988年にミックがソロ公演を行なった際、ミックが突然客 席に現れて〈Sympathy For The Devil〉を歌い出し、ファンにもみくちゃになりながらステージに移動する演出がありましたが、その先導をしてたのもビッグ・ジムです。ビデオをチェックしてみてください。映ってます。この件について「危険だったでしょ。怖くなかったですか?」と質問したのですが、「とても楽しかった」と語っていました。凄い人です。
 ビッグ・ジムはボブのボディーガードはストーンズが暇な時にやっているようで、1994年の日本公演にも同行しています。 2004年3月にシカゴでも会いましたし(列を作って開場を待つファンと談笑していました)、いつもというわけではありませんが、彼はボブのコンサートで はよく見かけられる存在です。ただし、2003年3月にストーンズのツアーで来日した後、インドで体調を崩してイギリスに緊急帰国し、2006年のツアー には同行しなかったので、今はもう引退し、地元のパブの常連として余生をゆったり送っているのかもしれません。
 そして、ボブのバンドのメンバー が夜中にジュアン・レ・パンの街角でバスキングをした話のところでペイトリスの親友として登場するジョン・ヒュームも、ボブの追っかけ仲間の間では知られた存在でした。1984年のヨーロッパ・ツアーからボブを撮り始め(無許可です)、彼の写真はISIS誌の表紙がカラー印刷になった頃(1990年代前半)からそれを飾り始めました。新曲を殆ど発表せず、黙々とツアーを続けていた時期にも、ジョンの写真は時々刻々と変化するボブの表情や衣装、使用楽器、 ステージ・アクションを伝えていました。2001年には、彼にとって丁度200回目となるボブのコンサートを見に来日もしています。
 至近距離から撮影する、アンコールの時に撮るというのが、ジョンのモットーでした。アンコールの時のほうが、ボブはリラックスし、表情が豊かになります(正式に許可 されたカメラマンはショウの頭2〜3曲の間のみしか撮影が許されないので、こうした写真は表情が固いものばかりです)。それに、無許可の撮影ゆえセキュリ ティーに見つかってお目玉をくらう可能性もあるのですが、アンコールの時だったら、万一発見されて会場外に追い出されたとしても、聞き逃す曲は最小限で済みます。実際、そうなった時も幾度かあったそうですが、ジョンが2000年にベルリンで撮影した写真(↓左)は、コンサート会場のグッズ売り場で売られる 公式ポスター(↓右)に使用されました。ボブのマネージメントからギャラが支払われることはありませんでしたが、自分の写真が気に入ってもらえた証しとして、ジョンはこの件をとても喜んでいました。

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  残念なことに、今年の夏のボブのヨーロッパ・ツアーの終了直後の7月下旬に、ジョンは友人宅で目を覚まさず、帰らぬ人となってしまいました。ザルツブルクアリーナの会場前で会った際にジョンが発した「今日は入口チェック厳しいな」が、私にとっては最後の言葉になってしまいました。その数分後、無事会場内に 入ることが出来たジョンを見かけましたが、何か言葉をかけておけば良かったと思います。

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  ジョンが出版したボブの隠し撮り写真集『Shooting In The Dark Too Long』(〈You're Gonna Make Me Lonesome When You Go〉の一節を拝借した気の利いたタイトルだと思います)にも、ジュアン・レ・パンで公演終了後にメンバーのバスキングに遭遇したことが書いてあるので、 ペイトリスの文と一緒に紹介出来たら面白いなと前々から思っていたのですが、話し合いはいつでも出来ると思っているうちに、本人との交渉の機会を失ってし まいました。本当に残念です。


2012年8月
加藤正人
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