『彼のコンテンツ』

■■■ 1 ■■■ 覚醒



「さて、なにから片付けよう?」

 彼はため息交じりに、そうつぶやいた。

 無機質な部屋の中で、その声は真っ白な壁に吸い込まれてしまう。

 指先に触れるのは、合成皮革のシートの感覚。

 それは、見た目に反して、ほのかに温かい。

 まるで歯医者の診察台のように近未来的で、やけに居心地の悪いデザインのイスだ。

 そう思ったら、痛くもない歯がズキリと疼くような嫌悪感を覚えた。

 彼は眉をひそめながら、部屋の中を隅々まで眺めまわす。

「この部屋に見覚えはないな……」

 自分の声を確かめるようにゆっくりと発声しながら立ち上がった。

 足下を見下ろす。

 白い壁と同じく、白い床。

 だが素材は違うらしく、リノリウムかなにかだ。

 そのせいか、歯医者同様どこか病院を連想させる。

 ひんやりと冷たい感覚が、足下から這い上がってくる。

「部屋の温度は適温。裸足。あたりに靴はなし。着ているものは……」

 自分の身体を見下ろし、胸のあたりを軽く叩いてみる。

「これは学校の制服かな? このブレザー制服は、おそらく高校生。胸もないし、男だ」

 今度は自分の顔に触れてみる。

「鼻に口に、2つの目。人間で問題ないかな。あとは……」

 制服のポケットをあちこち探ってみる。

 出てきたのは、ハンカチと携帯電話と数百円の小銭だった。

 ギンガムチェックのハンカチは、ぞんざいに折りたたまれている。

「なるほど。ハンカチを持つ程度には身なりに気を付けるが、アイロンをかけるほどに几帳面ではないってとこか」

 手の中の数百円を見つめる。

「982円。財布も定期もないとなると、徒歩通学ってことかな。さほど裕福でもないらしい」

 最後に携帯電話をいじってみる。

 長方形のスマートフォンには、ロックがかかっていない。

「スマホの電話代は払える程度の家庭環境。ただし、セキュリティに関しては、ハンカチ同様無頓着みたいだな、大丈夫なのか、僕は……?」

 そう独りごち、ふと思いついたように言葉を付け足した。

「ああ、どうやら、僕の一人称は『僕』らしいな。俺さ…………ああ、やっぱり違和感がある。使い慣れてるのはやっぱり『僕』か」

 彼は納得したように頷き、そこで初めて小さく笑った。

「誰なんだろう、僕は」



■■■ 2 ■■■ 推測



「……にしても、参ったな。こんなになんにもないもんかな、僕の記憶」

 今し方の目覚めは、あまりにも唐突だった。

 暗く深い水底をたゆたっていた彼の意識は、突然真っ白な光の中へと呼び戻された。

 一瞬の躊躇すらなく、暴力的なほど強引に。

 彼は再び携帯電話を手にして、あれこれいじってみた。

 アンテナは立たずに圏外の表示が出ている。

 持ち主のパーソナル情報をチェックすると、出てきたのは──『麻生優一』。

 覚えのない名前だ。

 続いてアルバムを開いてみる。

 写っているのは、景色や食べ物ばかり。

 しかし、その中に1枚、細面おもての整った顔をした男と、冴えない男の2ショットがあった。

 その2人も、今、自分が着ているのと同じ制服姿で微笑んでいる。背景は教室のようだ。

 冴えない男の顔には、どこか見覚えがあった。

「なるほど。これが、僕、か」

 見覚えがあるのだから、そうなのだろう。

 部屋を見回すが、鏡やその代用になりそうなものは見あたらない。

 なので、スマホのカメラを自分撮りにしてみる。

 すると――。

「あれ? 違ったか」

 小さなディスプレイに映ったのは、顔がいい方の男だった。

「ふうん。結構恵まれた容姿だったんだな、僕は」

 彼は、カメラに向かって自嘲気味に微笑んでみせた。

「さて。僕のおおよその人物像と顔はわかったとして、僕はどうしてここにいる?」

 再度部屋を見回してみる。

 部屋は決して狭くはないが、どこか閉塞感に満ちている。

 その原因がなんなのかを、彼は考えてみた。

「そうか。窓がない。それに……ドアも」

 真っ白な壁は、緩やかなカーブを描いていて、継ぎ目のひとつすら見あたらない。

 プラネタリウムのようなドーム型の室内は、壁と天井との区分もないのだ。

 その白い部屋の中央に白いメカニカルなイス。

「なんか、息が詰まるな」

 彼は小さく息をつき、イスに腰掛けた。座り心地はやはり良くない。

 なんの気なしに手元のボタンを押してみると、軽い機械音のあと、目の前に複数のディスプレイが現れた。

 モニター本体のない画面だけのそれは、よくSF映画などに出てくるものにそっくりだ。

 彼は指を伸ばし、そのひとつに触れてみた。

 画面は見たことのないインターフェイスだ。

 【READY?】と出ていたので、【GO】のコマンドに触れてみる。

 すると、鮮明な映像が流れ出した。



■■■ 3 ■■■ 記憶



 画面の中では2人の男が話していた。

 携帯のアルバムに映っていたあの2人だ。

『俺さ、紗英とつきあうことにしたから』

『……え? 紗英ちゃんと?』

『なんか問題ある? けどオマエ、ただの幼なじみだって言ったろ?』

『それはそうだけど、でも……』

『なに、やっぱ好きだったんじゃん。だからわざわざ先に聞いてやったのに』

『でも、僕は……』

『オマエって、「でも」「だって」ばっかな。そんなだから彼女の1人もできないんだよ』

『でも…………あっ……』

 冴えない男はそれきり口をつぐんでしまった。



 彼は画面をスクロールさせて、次の動画を見てみる。

 画面の中では、例の冴えない男が、ソファーに寝そべってテレビを見ていた。

 テレビでは、通販番組でもやっているようだ。

『これまで機能が、今回なんと3倍のパワーに!』

『でも、お高いんでしょう?』

『いえいえ、なんと、本日26時までに限って――……』

 通販番組おなじみのやりとりが流れているのを、男は退屈そうに眺めている。

 その様子を眺めている彼も、やはり退屈そうだ。

 しかしふいに、画面の中の男と彼の様子に変化が現れた。

 次に紹介されたサービス商品。

 それが、彼の記憶を一気に蘇らせた。



■■■ 4 ■■■ 消失



 彼は動画を止め、大きなため息をついた。

「やっぱり、僕は……」

「やっぱりオマエか!」

 彼の呟きを遮るように、怒号が降ってきた。

 出入り口がないと思っていた壁に、ぽっかりと大きな口が開いている。

 どういう仕組みなのかはわからないが、壁の一部が周りの壁に吸収されて出入り口のように開くようになっているらしい。

「どういうつもりだよ! 返せよ、俺の……!」

 怒鳴りながら入ってきたのは、あの冴えない顔の男だった。

 激高しているせいか、顔が赤黒く染まり、冴えないどころか醜いほどだ。

 彼は胸ぐらをつかまれながらも、冷静にそんなことを思った。

「テメェ、ふざけんな! なに勝手なことしてんだよ!」

 彼は冴えない男の手をつかみ、自分のネクタイから外させる。

 軽く力を入れただけなのに、それはあっという間にほどけた。

 つかんだ手を、そのままねじり上げる。

「……うあぁっ!」

 驚くほど簡単に、冴えない男の身体がつま先立ちになった。

「ふざけんな! 放せ!」

 男が無我夢中で暴れるが、まるで5歳児の抵抗程度にしか感じられない。

「じゃあ、放すよ」

 ふっと手の力を抜くと、男がよろけて転んだ。

 滑稽すぎて笑いたくなるほど無様に見えた。

「テメェ……!」

 男は軋るような声で呻いたあと、ジャケットの内ポケットからなにかを取り出した。

 光を弾くそれは、先の鋭いハサミだった。

 それを振りかぶった男が、突進してくる。

「やめろ!」

 ハサミを持つ手を振り払い、その手からハサミを奪い取る。

 それで終わりのハズだった。

 けれど、彼は一瞬小首をかしげたあと、なんの躊躇もなくそのハサミを開き、彼の喉に当て横に滑らせた。

 鮮血が噴水にように一瞬であたりを濡らす。

「ひぃいいい…………!」

 悲鳴が、空気の漏れる音に変わり、やがてゴポゴポという排水溝の断末魔の音へと変わっていく。

 襟首を掴んでいた手を離すと、男の身体がぐにゃりと床に崩れ落ちた。

「返せ、よ、俺の……顔と……から……だ……」

 真っ赤に染まった部屋の中央で、彼はピクピクと痙攣する男を見下ろす。

「大丈夫だよ、麻生優一君。キミの人生も紗英も、僕がキミよりずっと完璧なものにしてあげるから」

 彼は、皺だらけのハンカチで顔に飛び散った血を拭いながら、それまでで一番幸せそうに微笑み、赤と白の部屋を出て行った。



中村中村
作家:中村中村
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