与えられた二直線

ピンクのティディベアはその日のうちにできあがった。鞄にぶら下がる黄色のティディベアの横に並べた。未明はカップルになったティディベアを眺めて、一人照れた。何だかそこに秘密の恋心が寄り添っている気がして、鼓動が速くなる。

緑と一緒に連れだって校舎を出ると、正門のところへ自転車を止めた、見慣れた星一の姿があった。振り返った彼と目が合って、星一は軽く手を上げた。未明も同じように振り返る。自分の後ろ、ロータリーには誰もいない。今度は緑を見上げた。彼女も同じように未明を見て、それからしたり顔をしてみせた。

「先輩、未明に用事があるんじゃない?」

「えっ、え、私?」

緑は早合点したように、未明の背中を押して、走って帰ってしまった。一人残された未明は、それでも前に進むしかなくて、正門に辿りつく。

「お友達、もしかして帰っちゃった?」

星一のそばへ寄ると、緑の姿はもう見えなくなっていた。頷くと、彼はごめんねと呟いて頭をかいた。五月の夕方は夏を含んでいて、しっとりしていた。水っぽいしいの木の花粉の匂いがする。王子様は黙っていると、普通の高校生に見えた。顔のきれいな、意気地のない男の子だ。それに未明は安心して、黙っている彼に微笑んだ。

「あのさ、未明ちゃんに頼みたい事があって」

彼はようやく口を開いて、いつものように人懐っこい笑みを浮かべた。

――あ、王子様に戻っちゃった。

彼は笑うと、王子様に変身する。

「何ですか?」

「キミ、そのクマのぬいぐるみ、自分で作ったって言ったよね? その作り方を、俺にも教えて欲しいんだ。男が裁縫なんて笑うかもしれないけど、そのクマをあげたい人がいて」

それを聞いて、ぴーん、と未明の頭のてっぺんにあるセンサーが赤いランプを点滅させた。いわゆる女の勘というやつだ。まだまだ子供の自分にも、そんな高精度のセンサーが付いているなんて未明は驚いた。ちょっとだけ照れたように目を伏せる彼が、手作りのティディベアをあげたいと願 う、その相手はきっと彼女だろう。王子様には、お姫様がいる。童話では当たり前のことなのに、すっかり忘れていた。

未明はぐらぐらする心が折れてしまわないように、ぐっと唇を噛んで、それから言った。

「いいですよ。簡単です、クマ、作るの」

「ほんと? ありがとう!」

ぱっと表情が明るくなった星一は、名前の通り星みたいにきらきらしていた。あぁ、と未明は堪えきれなくて、切ない溜め息をついた。

最初から分かっていたことだった。お星様と、未明。まだ明けない自分。炭酸水の泡がしゅわしゅわと消えていくように、恋ははじけて、ただの甘い感情になる。未明はそれを、そっと飲み込んだ。

ティディベアを作るのは、二人とも部活のない木曜日の放課後にした。星一は八月にインターハイに出場するし、生徒会の仕事もあって忙しい。だから週に一回。場所は図書館の隅にあるテーブルだ。そこは四方を哲学書や辞典が詰まった本棚に囲まれていて死角になっている。

未明がそこへ行くと、星一はもう椅子に座っていて、真剣な眼差しを本に落としていた。その口元が幸せそうに緩んでいる。彼は本当に読書が好きなのだ。未明はしばらく彼の姿に見とれて、はっと我に返ると深呼吸をしてそばに寄った。

「星一先輩、こんにちは」

「あ、未明ちゃん。こんにちは」

二人で丁寧に頭を下げる。

「よろしくお願いします、未明先生」

「先生はやめて下さい」

「でも、俺は教えを乞う立場だから……って、おかしいね。キミと話していると、かしこまっちゃうよ」

未明が裁縫セットを広げていると、彼はそう言って笑った。

「緊張すると、上手くしゃべれなくなるの……」

未明は正直に伝えた。星一はきょとんとして、それからぱちぱちとまばたきをした。

「俺に緊張したっていいことないよ、だって、しんちゃんだし」

「……似てない」

「そう、似てない。アハハ、でも、分かるよ。俺も、生徒会で前に立つ時、緊張してすごくおかしな敬語を使ったりするもん。武士みたいとか言われるでござるよ」

星一は誰かを和ますのが上手だった。だから、陸上部で走っている時でも、廊下で見つける時でも、いつも友人に囲まれている。未明に対しても、こうしてやすやすと緊張をほぐしてしまう。

未明も笑顔になって、テーブルの上へ布やフェルトを並べた。

「へぇ、いろんな布があるんだね」

「どんなティディベアがいいですか?」

「うーん、可愛い感じのにしたいな」

「……誰にあげるんですか?」

思い切って尋ねてみると、星一は曖昧な表情で微笑んだ。寂しいような、それでも嬉しいような、マーブルの気持ちが透けて見えている。

「大切に……したい子」

星一はそう言って笑う。大切にしている子、ではなく、したい子。もしかして、星一も誰かに片思いをしているのかもしれない。王子様なのだから、もっと自信を持てばいいのに。未明はそう思うが、口には出せなかった。敵に塩を、ではなく、ライバルにティディベアを贈る、未明の気持ちだって複雑だ。

星一はピンクの花柄の布を選んだ。未明はオレンジのフェルトにする。

「型紙を布の上に置いて、チャコペンで写し取って下さい。あとは切って、縫って、綿を入れるだけです」

「ううん、簡単に言うなぁ」

本当に簡単なのに、と未明は思う。裏返しにした布へ、葉っぱのようなバナナのようなタマゴのような形の型紙をぽんぽんと置いて行く。それをチャコペンでなぞる時、布が寄らないようにピンと手のひらで押さえなければならない。

「ほら、もう俺、この時点で難しい……」

「そうですか? 囲むだけですよ」

星一は未明の2倍の時間をかけて型紙を写し取ると、ゆっくりゆっくりハサミを入れた。一つ一つが慎重で丁寧だった。きっと、彼は何をやるにもその態度なのだろう。だから、基本が身について、何でもできるようになってしまうのだ。

未明は感心して、切り終えた布を立体に組み立ててマチ針を差していく。

「あとは、返し縫いで縫います」

「カエシヌイ?」

「えっと、後戻りのように針を刺す縫い方です」

針へ糸を通し、未明は見本を見せてあげた。じっと見つめる星一の視線がこそばゆくて、指の先が細く震えてしまう。

「こうして、布をすくって……裏から見ると、糸が重なっているのが分かりますか?」

「おぉ、すごい! こうすると、丈夫に縫えるんだね」

「そうです。綿が飛び出てしまうと、可哀相だから」

「内臓が出ちゃう?」

「そうです、スプラッタです」

二人で笑い合って、ちくちくと針を動かした。星一はもともと器用なのか、なかなか綺麗な形に縫えている。

「すごいですね、先輩は、何でも上手にできちゃうんですね。……私とは違って、完璧な人」

未明が溜め息を漏らすと、彼は、王子様と呼ばれた時にみたいに、大げさに首を振った。

「僕なんて全然、完璧じゃないよ」

わざとらしい謙遜でもない、本当にそう思っているような言い方だった。

どんなに素敵に見える人でも、コンプレックスはある。未明だって知っているつもりだ。でも、彼にそれがあるようには思えなかった。思えないからこそ、未明に向ける儚げな笑顔が気になった。

星一はティディベア作りのお礼に数学を教えてくれた。

「鋭角の三角比は簡単だよ。三角定規を二枚出して、この直角三角形は角度が30°,60°,90°、45°,45°,90°となっているよね?

「……はい」

「ん、忘れてるな? 三つの角度が180°になるようにして……」

基礎から教えてくれる星一の授業は分かりやすかった。未明が抱いている数学の苦手意識をなくすように、時々、遊びを取り入れてくれる。白い紙にコンパスと定規で円や線を引く。

「例えば、直線に垂直に二等分される正方形を作図する場合、直線上に中心Oを持つ円、ここが点A、Bとして、弧A-B、B-A……」

そうしてできあがるのはいつも、花のような幾何学模様だった。

「わぁ、刺繍のパターンみたいですね」

「美しいでしょ。こうして見ると、数学も悪くないよね?」

「はい、本当に。何だか楽しいものに思えてきます」

この花模様をパッチワークを縫いつける時に使えば、素敵な作品になるだろうと思いつく。苦手だった数学が、未明の好きなものに姿を変える。星一はコンパスを置くと、ふっと微笑んだ。

「僕も、家庭科は苦手だったんだ。男だし、得意な人の方が珍しいかもしれない。でも、こうして未明ちゃんに教わって、すごく楽しいと思った。コツコツ縫物をするのは、俺に向いているかも。前、未明ちゃんは、俺が何でもできる人って言ったけど、それは、俺がこうやって何でも楽しくできちゃうからだと思う。単純な脳みそなの」

星一は軽く言ったが、それこそが頭の良さなのだと未明は思う。

ティディベアは着々とできあがっていく、未明の気持ちと同じように。

紫陽花が雨に滲んで、溶けていくみたいだった。六月の雨は細かくて、すべてをもやもやとした白い霧に包んでしまう。

未明と星一はこっそりクッキーを食べて、ぼんやりと窓の外を見ていた。

「おいしいね、このクッキー。くるみが入ってる」

それは昨日、家庭科部で作ったものだった。ナッツを生地に練り込んであるから、香ばしい風味がある。今度は自分の作ったお菓子を食べてもらえた。未明はそれだけで嬉しい気持ちになる。

テーブルには、ティディベアのすべてのパーツができあがって散らばっていた。後は綿をぱんぱんに入れた胴体に手足をつけて、ボタンの目をつけて、刺繍をするだけだ。一日もあればできてしまうはずなのに、先週は、ティディベアの耳だけつけた。今日は鼻の刺繍だけした。星一のティ ディベアにはいびつな形の鼻がついたが、それが愛嬌があって可愛かった。次は、くるみボタンを作って、その次の週に取りつけて……未明は、この秘密のティディベア作りを、終わらせたくないのだ。

でも、分からないことが一つだけある。星一も、そう思っているように、ゆっくり作業をしていた。

雨はカーテンのように流れている。ざぁざぁと微かな音が、静かな図書館に響いていて、それと同じくらいの小さい声で星一が言った。

「雨は苦手だな……」

「どうしてですか?」

「どうしてだと思う?」

しかめ面のまま、星一は自分の頭を指差した。小麦色の巻き毛。ゴールデンリトリバーみたいな、愛くるしい髪。

「天然パーマだから、ぼわぼわになるんだ」

「でも、可愛いと思います」

「そう? そうかぁ……じゃあ、いいかな」

いいのだろうか。未明は、そっと星一の髪の毛へ手を伸ばした。つむじのあたりの、自由に跳ねる髪の毛を撫でつける。星一は何も言わなかった。黙って未明を見つめている。黒目がちの大きな目が、物言いたげに揺れる。

「平行線とは……」

星一が言って、未明は数学の問題集に視線を落とした。

「平行線とは、同一平面上で交わることのない二直線であり……」

――私と、星一先輩みたい。

「でも、どちらかが少しでも傾いてしまえば……交わる」

問題文にないことを呟いて、星一は俯いた。ばらばらのティディベアの足をもてあそぶ、その指先を未明は見つめた。

永遠に、ティディベアは完成しなければいいのにと未明は願う。

ばらばらのまま、平行線のまま、いてくれたらいいのにと、星一に傾いている未明は思うのだった。

柚鳥百合子
作家:柚鳥百合子
与えられた二直線
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