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「どうだっていいならば、どうしてそんな泣きそうな顔をしてるの?」
レポーロが優しく笑う。
「どうだっていいんだ、今更」
「嘘つき」
今までで一番優しい声でレポーロが言う。
「ここでは嘘をつかなくていいんだよ」
そういってレポーロは背伸びして僕の頭を撫でる。
優しさに触れて、思わず僕は下唇を噛む。そうしないと、泣きそうだったから。
「悲しいね」
レポーロの言葉に、耐えられなくなってしゃがみ込む。
「好きになってなんて言わない。ただ、わかって欲しいだけなのにね」
レポーロが僕の頭をそっと抱える。
「大丈夫。私はわかっているよ。翼の気持ち。誰も悪くないよ。平気だよ」
誰かの手が頭を撫でるなんてそんなこと、いつ以来だろうか。
母だって、だいぶ早い段階で、僕に触ることをやめたのに。気持ち悪いから、って。こんな子を産んだ覚えはないって。
僕は母を、好きなのに。
「翼、この世界なら平気だよ。この世界なら翼のなりたいものになれるよ。大丈夫。願いは叶う」
レポーロの声が、言葉が、とても魅力的になる。
ああそうだ。あんな世界見放して、この世界で生きていきたい。そうしたらどんなに楽だろうか。
楽しそうなお囃子。いつまでも満開の桜。美味しそうな、お酒とか。
全てが魅力的だ。
抗い難い。
でも、
「……でも僕は起きるよ」
レポーロの体をそっと押して、距離をとりながら僕はなんとか笑ってみせる。
梨々香がまだ、いるから。
梨々香がいるから、僕はあの世界で生きているのだ。
唯一の僕の味方。
大事な、梨々香。
レポーロは泣きそうな顔をしていた。
「ごめん、レポーロ。せっかく誘ってくれたのに」
「違うよ」
レポーロがゆっくりと首を横に振った。
「私は断られたから悲しい訳じゃないよ」
「じゃあ、なんで」
「起きない方が、いいのに。私は、翼のためを思って言うのに」
レポーロの悲しそうな声が、最後に耳に残った。
「起きたら翼は傷つくよ」
教室は、いつもと空気が違っていた。
いつものざわめきとは違う。
僕が教室に足を踏み入れると、戸惑いと悪意が混じったような目で見られた。
一体なんだと言うのだ。
昨日までは僕が入って来ても、誰も見向きもしなかったのに。
皆の視線が僕と黒板を行ったり来たりする。
僕も皆の視線を追って黒板を見つめ、固まった。
そこには僕の生徒手帳が貼ってあった。中身と一緒に。
いつの間に無くしたんだろう。
生徒手帳の中身は写真。梨々香の、写真。それが、何枚か。
黒板には大きな字で書いてある。僕女が好きなのは幼なじみ。百合。他にも、色々。
唾を飲む音がやけに大きく聞こえる。
なんだこれ。どういうことだ。
「……翼」
呼ばれて振り返る。
梨々香が後ろに立っていた。
「梨々香、ちが……」
違う? 何が。
梨々香のことを好きなのは本当だ。だって僕は、僕のことを男だと思っていて、だから女の子の梨々香のことが好きなのは問題なくて。でも、きっと、そういうことじゃない。
世の中は性別なんていう小さいことにこだわったりする。
梨々香は、困った顔をしていた。
いっそ、罵ってくれた方が楽だった。
梨々香は最後まで僕を気遣うようなそぶりをして、そして、
「……ごめん」
一言呟いた。
ひらり、と梨々香のスカートが翻る。僕に背を向けて、友達のところへ向かう梨々香。
目の前が、暗くなった。
教室を飛び出した。
周りの視線が耐えられなかった。
学校から逃げ出す。
罵ってくれれば、気にしなくてすんだのに。
気遣われると、逆に困る。
だって、梨々香はいつだって僕のことを気遣ってくれていた。差別しないでくれていた。大事な幼なじみだった。
梨々香がいたから僕はがんばれた。
なのに。
走って走って走って。
どこからか、お囃子が聞こえてくる。
そちらに向かってさらに強く、足を踏み出す。
梨々香がいないならば、もう僕はここにいる意味がない。
がんばる意味が見当たらない。
楽しそうな音が聞こえてくる。魅惑的だ。
だんだん見えてくる。大きな桜の樹。
そういえば僕はいつ寝たんだろう。あれは夢だったんだろうか。
でも、もうどちらでもいい。
僕はこちらを現実にする。
桜の樹の下。舞い散る花びらの中、立っている少女。
その姿を見て、僕は思わず安心する。
彼女は振り返る。僕を見て微笑む。
差し出されたその白い手に、縋り付くようにして手を伸ばす。
黙って彼女はそれを受け入れる。
泣き出した僕が落ち着くまで彼女は待っていてくれた。
そうして彼女が差し出した、あの魅惑的な香りのする杯を口に含む。
幸福な気持ちになる。
桜の樹が、さらに枝葉を伸ばした気がした。
*
夢を見た。
夢の中には大きな桜の樹があった。
その桜の樹の下。あの子が居た。
「翼っ」
私は名前を呼ぶ。
翼は振り返らない。
あの日以来、行方不明になってしまった幼なじみ。
どうして私は、受け入れてあげられなかったんだろう。大事な幼なじみだったのに。
私の声は翼には届かないようだ。何度名前を呼んでも、近づいても、翼は振り返らない。
どこからか、不思議な格好をした女の子が現れる。
「レポーロ」
翼は彼女を見て、幸せそうに微笑んだ。
彼女は翼の手をとって、どこかへと歩いていってしまう。
待って行かないで。
追いかけようとして、目が覚めた。
翼はもう帰って来ないのだろうか。そう思った。
耳元で誰かが囁いた。
「翼はもう、私のものだよ」