夢桜

3.
 耳に慣れたお囃子。
 ひらり、と舞落ちる桜の花びら。
 大きな桜の樹。その下に佇む、少女。
 ようやくここまで来た。そう思う。
 格好が少し、普通じゃなかった。
 着物だが、肩が見えている。丈は短く、下に赤いスカートを履いていた。なんというか、そう。アニメやゲームの巫女さんみたいだ。
 なによりも。
「……兎」
 僕は少女の頭を見て呟く。
 銀色の髪の毛から、兎の耳が生えていた。
 少女が振り返る。
「ああ、来た」
 そういって笑う。瞳が赤い。
 小学校の時、裏庭にいた兎みたいだ。
「ここまで来るなんてね」
 くすくすと笑う、赤い唇。
「君は……?」
 少女は口を開き、
「私は――」


「レポーロ」
 目覚めた僕は、耳に残った言葉を呟く。
 私は、レポーロ。確かに少女はそう言った。
 漢字に変換出来ないし、日本人名ではないのだろう。あんな外見で、とは思ったが、あんな外見だからこそ国籍が不明でも不思議ではない。
 そこまで考えて、少し息を飲む。
 僕はまるで少女が、レポーロが、普通に存在しているかのように考えていた。
 でも、それはおかしい。
 彼女は、僕の想像の産物だ。僕の夢に生きるものだ。
 この世界にはいない。
 国籍だろうと名前だろうと、そんなもの関係ない。
 一つ息を吐く。
 疲れているのかもしれない。同じ夢を何度も見るから。
 だから、レポーロの存在をこんなにも強く意識してしまうのかもしれない。きっとそうだ。
 立ち上がり、制服に袖を通す。
 夢から醒めたら、学校に行かなければならない。
4.
「怖いと思っているの?」
 レポーロが問う。
「私を」
 僕は少し悩んで、ゆっくり首を横にふった。
 不思議だとは思っている。
 例えば、今日の夢はこの大きな桜の樹の下から始まったこととか。
「私に会ったから。もう、最初から始める必要はない」
 レポーロが笑う。一緒に頭の耳も揺れて、僕の目はそれに釘付けになる。
「気になるの?」
「それは、カチューシャか何か?」
「いいえ。自前」
 楽しそうにレポーロが笑う。
 自前って、直接生えているということなんだろうか。わけがわからない。でも、夢なんてそんなもんだ。
「そうね。ここは夢。夢だから貴方を傷つけるものはない」
 僕の心を読んだかのようなタイミングでレポーロが言う。
「現実とは違う」
「……現実にだって僕を傷つけるものはない」
 僕は傷つけられたりしない。そんなにやわじゃない。
「本当に?」
 レポーロの目がすぅっと細くなる。疑うような。
「……本当に」
 僕は頷く。
 傷ついたことなんてない。
「ふーん、そう」
 レポーロは悪戯っぽく笑った。
 本当だ。
 僕はさらなる弁明をしようと口を開く。


 僕の弁明がレポーロに届いたのかはわからない。
 見慣れた天井を見上げ、少し笑う。
 夢の中の住人に、つまりは僕が生み出した幻相手に、何を真剣に弁明しようとしていたのだろうか。
 僕が傷ついていないことは、僕が一番よく知ってる。
 それでも何故か、喉に強い渇きを覚えて立ち上がる。
 台所に向かう。
 母は先ほど帰って来たようだ。そんな香りがする。
 最後に母の顔を見たのはどれぐらい前だろうか、と思う。
 生活リズムが合わないのだから仕方がない。
 母子家庭で夜働く母と、昼間学校に通う僕では、生活リズムが合わないのだ。
 ただ、それだけだ。


「傷ついていないならば、どうして貴方は夢を見るの?」
 レポーロが問う。
「夢を見ない人なんていない」
 覚えているか覚えていないかの違いだ。寝ている間の脳内の処理だ。
「どうして貴方は毎日同じ夢を見るの?」
「さぁ、それはわからない。よっぽど毎日、強く意識しているんだろうね。この桜の樹のことを」
「それは現実逃避じゃないの?」
 可愛い顔をして、ちくりと痛いことを言う。
 でも僕はそれを認めない。
「こんな大きな桜の樹、どこでみたかわからなくて気になるだけだよ」
「ふーん」
「君は、なんだろうね。なにかのアニメのキャラなのかな?」
 テレビなんて見ないのに。一体どこで見たキャラだろう。よっぽど強く、印象に残っていたのだろうな。巫女さんが兎耳なんて。
「私はこの世界の、案内人だよ」
 レポーロが笑う。
「厳密には、その一人だけど」
 そう言ったレポーロの視線が、僕の足元にうつる。僕もその視線を追うと、瓢箪を抱えた猫が走り抜けて行った。
 ……瓢箪を抱えた、猫?
 駆け抜けて行くその姿をじっと見る。
 それはどう見ても二足歩行する猫だった。
「彼はカト。私の仲間」
「その、案内人だっけ?」
「そう」
「それは一体なんなのさ」
「ここに永住するかどうか、のだよ」
 レポーロは無邪気に笑う。
「ねえ、翼。この世界は楽しいでしょう? 心地よいでしょう? ここに住もうと思わない?」
 お囃子が耳に届く。
 桜がひらひらと散る。
「何を言って……」
 途端、いつもの電子音。
「あーあ、つまらないの」
 レポーロが唇を尖らしたのが見えた。
「君は今日休みでしょう? なんで目覚ましかけるのかなぁー」
 恨みがましい声が、耳に響いた。


 その声は、覚醒した今も耳に残っている。
 さらに今、また今夜ね、とレポーロの声が聞こえた気がして、僕は首を強く横に振った。
 今日は日曜日だ。ゆっくりできる。
 そう思って伸びをする。
 いつもなら二度寝をすることもあるけれども、そういう気分にはなれなかった。
 私服に着替えて、そっと家を抜け出す。
 僕が家にいると、母の休養を邪魔することになりかねない。
 母はとても美しい人だが、怒ると醜くなる。あまり醜い母は見たくない。
 日曜日の朝だから、道路には人がいない。
 歩きやすくていい。
 公園に向かう。桜の樹が見たくて。この季節、本物の桜が咲いていないことはわかっているが。
 公園の桜の樹の下に立つ。花が咲いていないと、なんの樹だかわからないものだな、と苦笑する。
 それにしても、夢の中の桜の樹はとても大きかった。ここの樹とは比べ物にならない。

6 
「それはここの桜の樹は、他の桜の樹とは違うからね」
 レポーロが誇らしげに言った。
「ここの桜は夢を糧にして成長するから」
「夢を?」
「そう」
 ああ、だから夢の中に出て来るのか。
「でも、君が思う夢と違うよ」
「ん?」
「夢の中では夢が現実で、現実が夢なのだから現実を喰らうんだよ。翼の価値観で言えばね」
「……ちょっと、よくわからない」
 だからね、とレポーロは物わかりが悪い生徒に対する先生のような口調で、
「私にとっての現実はこの世界なの。翼にとっての夢ね」
「……夢の世界の住人にとっては、夢が現実だろうね」
「そうでしょう? そしてこの桜の樹はね、私たちにとっての夢、翼にとっての現実を糧にしているの」
 綺麗に笑う。その顔に魅せられる。
「この桜は今、栄養を欲しているの。ねぇ、翼」
 白い指先が、僕の方に伸ばされる。
「現実を捨て、夢を現実にしてこちらで生きましょう」
 微笑む。甘い、声。
「何を言っているのか、わからない」
「わかっている癖に。こちらの世界は楽しいわよ」
 遠くから、誰かの笑い声がする。
 レポーロが杯を差し出す。
 少し濁ったその液体は、甘く、魅力的な匂いを漂わせていた。
「一口、どう?」
 レポーロが笑う。
 香りに導かれて思わず手を伸ばしかけ、ひっこめる。大体まず、レポーロは今これをどこからだしたのか。
「夢だ夢だと言うのに、突然リアリティにこだわるのね」
 呆れたようにレポーロが笑う。
「細かいこと、気にしなければいいのに。生き辛いでしょう?」
「……細かいことを気にしているのは、世間の方だ」
 思わず吐き出した本音に、レポーロがにやりと口角をあげた。


 それを最後に、僕は覚醒する。
 細かいことを気にしているのは世間の方だ。僕はそれを知っている。
 だから。
「中村翼」
 教室でこうやってクラスメイトに声をかけられるのが久しぶりだったりするんだ。
「何」
「お前さ、なんで男の格好しているわけ?」
 ややおそるおそるといった体で話かけてくる男子生徒。彼の後ろにはこちらを笑いながら見てくる、他のクラスメイト。
 ああ、なんとなくわかった。何かの罰ゲームで、彼は僕に話しかけることを要求されたんだろう。
「男だからだよ」
「でもお前女じゃないか」
 視界の端で、梨々香がおろおろしているのが見える。
 気にしなくていいよ。慣れているから。
 世間は性別だとか、そう言った細かいことを気にするんだ。
「僕っ子とか痛い。そういうのが許されるのは二次元だけだ」
 僕は答えない。
 何も答えないのが、一番楽なのだと経験で知っている。
 気持ち悪いとか、出来損ないだとか、片親だからとか、そんな言葉もう耳から耳へと抜けていく。
 どうだっていい。
 そうさ。どうだっていい。
 どうだっていいんだ。

小高まあな
作家:小高まあな
夢桜
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