1.
お囃子が聞こえる。
なんだかとても楽しそうだ。
とてもとても、楽しそうだ。
僕も仲間にいれて欲しくて、音の方へ向かう。
大きな桜の樹が見える。
提灯も沢山。
お祭りみたいだ、と思う。
もう少し、あと少しで、たどり着く。
と、そこにどこからか大きな音がする。ぴぴぴぴぴと断続的に鳴り響く電子音。
僕はこの音を知っている。
楽しそうな音楽をかき消すような電子音。
毎朝聞いている電子音。
これは僕の、目覚まし時計の音だ。
そこで僕は目を醒ました。
教室の一番端、窓際の一番後ろが僕の席だ。
いつものように席に着くと、小さくため息をついた。
今朝もにぎやかだ。
「おっはー、翼」
後ろから声をかけられる。
声の主は、僕の斜め前の席に腰を下ろした。
「おはよ、梨々香」
挨拶を返すと、彼女は微笑む。
クラスメイトで幼なじみの梨々香は、校内で唯一の僕の友達だ。
「くっらいねー、どうしたのー?」
「いつもこんなもんだよ」
「ふーん。でもさ」
「梨々香ー」
彼女の言葉を、クラスメイトの声が遮る。名前を呼ばれて彼女は振り返る。
「ねーねーこれみてー」
言って雑誌を広げるクラスメイト。
彼女はクラスメイトと僕を見比べ少し困った顔をして、
「行って来なよ」
僕の言葉に、小さくあごを引いて頷くと、クラスメイトの方へかけていく。
そうして僕はまた、教室の喧噪の中、一人作った静かな繭の中に籠る。
誰も僕に見向きもしない。
幼なじみの彼女以外の視界には、僕は映っていないのだろう。
中学の時は、高校に上がればなにかが変わると思ったけど、そんなこともなかったな。
入学式から二カ月。中学時代と何も変わらぬ世界を思いながら小さく笑う。
仕方のないことだ。
軽く瞳を閉じると、今朝の夢を思う。
あの大きな桜の樹。あの夢を見るのは今日が初めてじゃない。
ここ三日、連続で見ている。
あんな桜、この街にあっただろうか。どこかで見て、それで覚えているのだろうか。
最初は気味が悪かった。でも今は、あの桜の正体が知りたい。
夢は徐々に、桜に近づいている。
今日の夜も、あの夢を見るのだろうか。そうであるならば、僕は今度こそ、あの桜の下に立ちたい。そう、思う。
「席につけー」
教師が入って来て、教室の喧噪が緩やかになっていく。
僕は目を開ける。
意識はまだ、桜に持って行かれたままだけれども。
2.
お囃子が聞こえる。
迷わず歩みを進める。
大きな桜の樹。
注連縄がされている。
人影が見える。
桜の樹の下に誰かが立っている。
僕は目を細めて、その人物が何者かを確認しようとする。
そこでの電子音。
時間切れか。
諦めた僕の耳に、覚醒しかけた僕の耳に、少女の高い笑い声がやけに生々しく響いた。
「大きな桜の樹?」
梨々香は首を傾げた。
「んー、わかんないなー。この辺りで桜の樹って言えば、公園のしか思いつかないけど。でもあれ、そんなに大きくないじゃん?」
「そうだよね」
朝一で梨々香に聞いてみたものの、特に参考になる答えではなかったな、と思う。
「桜の樹がどうしたの?」
「いや、ちょっと」
言葉を濁すと梨々香は頬を膨らませた。
「またそうやって、肝心なことは隠す。翼の悪い癖だよ」
「隠してなんかいない」
「嘘ばっかり」
「嘘じゃない」
梨々香が眉根を寄せる。
やばい、泣かれる。そう思った。口喧嘩の末、梨々香がこの顔をして大泣きする、なんてこと昔からよくあったから。
でも、
「私はそんなに頼りない?」
梨々香は絞り出すようにしてそう言うと立ち上がり、廊下の方の友達の元へ走って行く。
予想外の事に僕は固まる。
まさか、そんな風に言われるなんて思っていなかった。
「……そんなことないよ」
小さく呟いた言葉は喧噪に飲み込まれ、梨々香には届かない。
梨々香が頼りないわけじゃない。
梨々香を頼っていないわけじゃない。
頼れないのは、僕の弱さだ。
3.
耳に慣れたお囃子。
ひらり、と舞落ちる桜の花びら。
大きな桜の樹。その下に佇む、少女。
ようやくここまで来た。そう思う。
格好が少し、普通じゃなかった。
着物だが、肩が見えている。丈は短く、下に赤いスカートを履いていた。なんというか、そう。アニメやゲームの巫女さんみたいだ。
なによりも。
「……兎」
僕は少女の頭を見て呟く。
銀色の髪の毛から、兎の耳が生えていた。
少女が振り返る。
「ああ、来た」
そういって笑う。瞳が赤い。
小学校の時、裏庭にいた兎みたいだ。
「ここまで来るなんてね」
くすくすと笑う、赤い唇。
「君は……?」
少女は口を開き、
「私は――」
「レポーロ」
目覚めた僕は、耳に残った言葉を呟く。
私は、レポーロ。確かに少女はそう言った。
漢字に変換出来ないし、日本人名ではないのだろう。あんな外見で、とは思ったが、あんな外見だからこそ国籍が不明でも不思議ではない。
そこまで考えて、少し息を飲む。
僕はまるで少女が、レポーロが、普通に存在しているかのように考えていた。
でも、それはおかしい。
彼女は、僕の想像の産物だ。僕の夢に生きるものだ。
この世界にはいない。
国籍だろうと名前だろうと、そんなもの関係ない。
一つ息を吐く。
疲れているのかもしれない。同じ夢を何度も見るから。
だから、レポーロの存在をこんなにも強く意識してしまうのかもしれない。きっとそうだ。
立ち上がり、制服に袖を通す。
夢から醒めたら、学校に行かなければならない。