てん、てんと並び、ゆらめく灯篭に照らされて、闇の中に化け桜がぼんやり妖しく、浮かび上がる。
それは儚く、夢の如く。
闇の中で灯篭の明かりと、花弁の白と。混ざり合う様は美しく、見上げるものに狂喜を与えた。
ちらり、ちらり、舞う花びらは、まるで灯篭から生まれでた蛍のように、右にはらり、左にはらり。
幻想ともとれる世界を映した酒鏡に、ひとひら、ちらり。
ぼんやり夢うつつにそれを眺めていた娘の唇が、にっこり、下弦の月のような弧を描いた。
そ、とすぼめられるそこに誘われるのは、桜の精気か、清らなる月の雫か。
どこか遠いところでどっと沸いた、誰かの笑い声。喧騒。はるか彼方で賑やかな、けれど近くで厳かな。
ざわりざわりと踊る夜桜に、よい気分になってもうひとたび、酒を煽った。
「うまい」
音を出したのは、猫又だった。
自分の身丈よりも大きな徳利を担いで、ごろごろと喉を鳴らしご満悦。
それを見た娘も、ふぅわりと柔らかく唇を持ち上げ――さらにもう一度、杯を干して、笑う。哂う。わらう。
ああほんとうに、身も、心も、なにもかもを吸い込まれてしまいそうなほどに見事な桜。
こんなあやかしを眺めながら、酒を楽しめる日がくるなんて。
「……苦労した甲斐があるってものね」
愉快そうに喉を鳴らす娘に――まるで喜ぶように、桜が震え。
「……って、ぬぁああんっでおまえらだけで悠々花見酒楽しんでんだぁあああ!!」
――俺はいい加減、我慢の限界で叫んだ。
納得がいかん!と拳を振り上げてわめけば、彼女の緋色の瞳が、きょとんと不思議そうに俺を捕える。
こら、なんだその、「あれ、あんたいたの?」的な目は。
「あれ。あんた、いたの」
「って思った通りの発言しやがってぇえ!!さっきからいたよ!ずっと居たよ!つーかおま、なに一人で酒飲んでんだ!」
「オレちゃまもいるナ!」
「うっせ黙れ化け猫!おまえにゃ言ってねぇっつーか猫の分際で酒飲むな!!なに顔赤くしてんだ分不相応だぞ!!」
「差別ナ!!猫が顔あかくしちゃいけない法がどこにあるナ!!」
「法で定める以前の問題だこのすっとこどっかいが!!」
赤い顔でぷんすか怒ってみせる猫又に、しかし俺の怒りはそれ以上だ。
あたりまえだ。
なんでこいつら、こんなにものんびりマイペースに酒楽しんでんだ。
なんで俺がいることに今の今まで気づかねぇんだ!
っていうかそもそも、なんで俺がこんな理不尽な目に!!
「もー、うるっさいなぁ。出てくるなり騒々しい……ちょっとは静かに夜桜を楽しもうって情は無いの?」
たまらず再び魂の叫びを上げようとする俺の出鼻をくじくように、呆れた声が割り込む。
なんでおまえはそんなに上から目線なんだよ!
樹の根元にごろりと仰向けになりながら、猫又がキヒヒといやらしい笑いを上げた。
馬鹿野郎、おまえ猫ならもちっと猫らしい笑い方しろ。せめて喉でも鳴らしてろ。
「これだからニンゲンは!みやびのみの字も理解できないのナ!」
「いぃ~い度胸じゃねぇかこのクソ猫。その人間様ナメるとどうなるか教えてやろうか、えぇ!?
だーれのおかげで、おまえらのんびり夜桜見物しながら酒飲めると思ってんだ!!」
我慢の限界、とばかりに吼えて訴えれば、彼女の瞳と、猫又の瞳が、まじっと俺の姿を捉えた。
上から下までまじまじ俺の姿を見て――そうだ、まず最初に言うことあるだろ。
あんたいたの、じゃねぇだろ!その前にかけるべき大事な大事なひとことがあるだろ!?
はいおおきく息を吸ってー!!
「ずたぼろになってくれるニンゲンを探し出したあたしのおかげ?」
「ずたぼろになるべきニンゲンを連れてきたオレちゃまのおかげナ!」
「はいおまえらホンッとう、さいてーい!外道な発言ありがとう!!俺ってば泣けてきちゃうぞこの野郎!!」
そうじゃねぇだろぉおお!!
ずびし!と指を突きつけてやけくそに喚けば、俺を見つめていた二対の瞳が呆れたように交わされる。
ずたぼろ、ずたぼろって言ってくれるけどな!誰のせいで俺がこんな絵にも描けない哀れな姿になってると思ってんだ!
「ほんっとに騒がしいなー……これだから、ニンゲンは嫌なのよ」
「だナ。騒々しいにも程があるナ。これだからニンゲンはイヤなんナ」
「猫はともかくとして、ウサギ娘!テメェに言われる筋合いはねぇぞ、おま、ほとんどニンゲンみたいなもんだろ!見た目!!」
「やだ。一緒にしないでよ、全然違うでしょ。あたしの方が可愛いし、存在そのものに価値があるもの」
「……おまえ、もう少し見た目に合った発言しろよ。可愛いとか言うならせめて言葉に気をつかえ」
確かに、歳若い娘の姿で、しかも容姿は整っている彼女。
紅色をした大きな瞳はくりっくりしていて可愛いし、まつげだって長くてきれいなのがそろっている。
頬はほんわりまるみを帯びて、顔の真ん中にちょんとついている鼻も、お行儀よくふくらとした甘そうな唇も、間違いなく美少女と呼べるものだろう。
すらりとした首筋、ちらりとのぞく鎖骨。その先に続くまろみのある曲線は、健康的なごく普通の男なら、誰だって目をやらずにはいられないはずだ。
そのうえ、彼女の頭にはひょこりと長い、獣――うさぎの耳が、生えている。
嗜好が偏っているちょっと不健康気味な普通の男でも、まず間違いなく目を奪われる。色んな意味で。
だけど、だ。
「……女の子は中身だ。外見じゃない。俺はそれを猛烈に学んだ……」
やっぱり女の子は、優しさだ。愛情だ。親切さと癒しだ。
いくら外見が麗しくても、中身が海栗のような女はお近づきになりたくない。
俺はお付きあいするなら、心がささくれ立つような女じゃなくって、ほんわり和むような子がいい。
それで可愛ければなおのことよし!さらにスタイルよければもっとよし!!
「なんだかわかんないけど、用事はそれだけ?だったらもう、帰っていいわよ」
「飽きたんだナ。どうでもいい話をきくより、酒を飲んだほうがいいナ!」
「だよねー」
「だナー」
あはは、ナハハ、と笑い合うウサギ女とクサレ猫に、俺は忘れかけていた怒りが再び蘇るのを感じた。
そうだ、そもそも俺は、俺の女の子理想論を暴露しに来たわけでは断じてなくて!
っていうか、別に来たくてここに来たわけでもないんだけど!!
「あのなぁ!それよりおまえら、俺に礼の一つも言ったらどうだよ!!」
そうだ!俺は、それが言いたかった。
こいつらが夜桜を楽しんでいるのは、別にいい。
いやあのちょっと、これどんだけデカイ桜なの?どこまで桜なの??桜並木なの、え、一本なの!?と頭をかかえたくなるような馬鹿でかい化け物桜のことも、いまは置いておくことにする。
あっちこっちから到底ニンゲンとは言えない輩の、楽しそうな声が沸きあがっているのも強引に無視!
それはいいとして、だ!
「……なんであたしが、あんたにお礼??」
「わっけわからんナ!」
「俺はおまえらのその無関心さが意味わかりませんけどね?!おま、俺がどんだけ苦労してこの桜咲かせたと思ってんだよ!!」
可愛らしく小首を傾げて見せた彼女と猫又に、けれど俺はブチ切れた。
いやいや、ここは怒っていいところだよ。俺。
むしろ人として切れていいよ。逆切れじゃないよ。
だってさぁ!!
「あのなぁ!そもそも、桜の樹が枯れかけてるから助けてくれって、俺に泣きついてきたのはどこのどいつらさまでしたかねぇ?!」
そう。
俺は、なにも最初から、こんな奇想天外な生物とお知り合いだったわけじゃあ、ない。
ごくごく一般的な家庭環境に育ち、ごくごく一般的な経歴――まぁつまり、ただの高校生なわけだけど。
可も無く、取立て大きな不可もなく。警察にごやっかいになることもなく、真面目にこつこつ生きてきた。
そんな俺がなんだってこんな人外と知り合い、むしろ人間種族の姿が見えませんがー??的なところでひたすら叫んでいるかというと、だ。
「ぜんっぶぜんぶぜんぶ、おまえらが俺をハメたからだろーがっ!!」
そう、こいつらが!
最初は人畜無害な顔をして、突然俺に『助けて欲しい』とすがってきたのだ。
不思議な生き物を目の前にして目が飛び出るほど驚いた俺だけど、まぁ、なんというか……可愛い女の子に涙目でうるうるっとお願いされちゃあ、な。うん。
拒絶する方が、男として、むしろ人間として、おかしいだろ?
それが、ちょっと頭にコスプレ的な耳がついてようが、服装がイマイチ変わってようが、まぁ、そんなものは『可愛い女の子に頼られる俺』像の前では、埃よりも軽い扱いだったわけだ。うん。
――……。
だって最初はわっかんなかったんだよぉおお!!
こいつら可愛い顔の下でとんでもねぇ外道だって知らなかったんだよぉお!!
俺の青春かえせ!トキメキかえせばっきゃろー!!
「はぁ?確かにあんたが役に立つからって頼んだのはあたしだけどさ。頷いたのは、あんたじゃない。
その結果がどう転ぼうと、それはもうあんたの責任でしょ。嘆くなら自分の無能ぶりじゃないの?」
「おまえ本当性格悪いな!言うか、そういうこと?!嘘でも口先だけでも、“感謝してる”とかないの!?」
半眼でしれっと言ってのけたこの女は、本当にとんでもない性格をしていると思う。
「うまい酒が飲めるのは感謝してやってもいいナ!」
「おまえもう黙れクソ猫。酒に溺れてしまえ!」
「言われなくても、今日は呑むナ!宴だナ!!」
酒の徳利を抱いてごろごろご機嫌に喉を鳴らす猫又は、睨みつける俺の視線などものともしない。
クッソ、この超ド級のマイペース猫め!!
「そりゃ、俺が力になれるなら、って頷いたよ。けどおまえ、人間の俺がちょっと手助けしてくれれば桜が蘇るっつーただけだろ!
人外生物に囲まれて集団リンチくらったり、木の根に巻きつかれて地の中引きずり込まれたり、あまつ桜が咲くための養分にされそうになるのは俺の常識では『ちょっと手助けvv』とかってゆーレベルじゃねぇ!!
完全無欠に詐欺じゃねぇかこの詐欺女!!」
「誰がサギよ、あたしはウサギよ!!」
「見りゃわかるわぁあああっ!!」
ああ、もう、いやだ!俺もうやだ!くじけそう!!
可愛いお願いに頷いてみれば、これでもか、これでもかというほどの命の危機の連続!
俺、本当普通の男子高校生なんだよ!一般的な男子高校生なんだよ!!
オリンピック目指してるとかそういうのと違うんだよ、山の樹のオババに集団で追いかけられたら怖くてちびりそうになるくらい普通なんだよ!!
……よく走って逃げられたな、俺。
凄いぞ俺。誰も褒めてくんねーから、自画自賛しちゃる。
「だってしょうがないじゃない。化け桜が綺麗に咲くには、人間の精気を与えるのが一番だって聞いたんだもの」
「きいたんだもの、じゃないだろ。可愛く言っても笑えねーことさらっと口にすんな」
ぶぅ、と桃色の唇を尖らせて言う彼女は、やっぱり可愛い。
むっと拗ねるように寄せられた眉も、不貞腐れた表情も、「しかたないなぁ」と許してしまえそうになるくらいには可愛い。
けどな。
「ちょっと桜に吸われるくらい、いいじゃない……ね?そこまで酷いことにはならないわよ」
「骨と皮が一体化するほどヨボシワになるまで吸い尽くされることのどこが酷くねぇっての??」
言うことがぜんっぜん可愛くねぇんだよこいつは本気で!
うるっと潤んだ大きな瞳で下からのぞきこまれるが、流石にもう俺、騙されないぞ。
うぞろうぞろとうごめく樹の根のひしめき合う穴に、無情にも蹴り落とされたことは忘れちゃいねぇ!!
じとぉっとした目で睨みつければ、俺が欠片も納得していないことに気付いたのだろう。
ぶりっ子ポーズをやめて、杯を片手に腰に手をあて、「なんなのよぉ」と途端に女王様だ。
俺、こんな可愛げのないウサギは初めて見たぞ。正直。
「あーあー、わかったわよぉ。あんたのおかげ、あたしが美味しいお酒呑めるのも、桜が綺麗でみんな楽しんでるのも、ついでに御伽噺にしか聞いた事のなかった人間に出会って右往左往する様子で散々爆笑させてもらったのも、みぃいんなあんたのお・か・げ!
どう?これでいい?」
ぷんっ、と拗ねるようにそっぽを向く彼女は、やっぱり可愛いと思う。
――けどな。
「おまえいま、最後にさらっと畜生なこと言わなかったか?」
「畜生はニンゲンのあんたでしょ」
「おまえみたいなのを鬼畜っつーんだ!なに華麗に暴露してんだもういい加減泣くぞ俺ッ!!」
俺はこんな女の楽しみのために、生まれて初めて『死』というものを意識させられたのか……。
ついこのあいだまでは、そりゃあ平々凡々だったってーのに。
強烈すぎるぞ、今の俺。
「てーかさぁ。せっかくの花見の宴だってのに、あんたいつまでそんなぼろきれみたいな格好でいるの?」
猫又の徳利から新たな酒を注いで、くいっと一息に飲み干す。
いい呑みっぷりですね。おまえ本当、酒好きだよな。
でも俺には一言も「呑む?」がねぇよな。そういうやつだよな。
まぁ、俺、未成年ですけどもね。いやでも、なんてーの?そういう気遣い、っての??あるだろ。普通。
てか、今頃になって俺の格好に目がいくわけ?
本当にどんだけ冷たいの。
「……あのですね。俺ってばついさっきまで桜の養分にされかかって、そりゃもう必死でもがいてたわけですよ。
ただでさえズタボロだったところに、今度こそ駄目かと観念せざるを得ない状況だったわけですよ。
土の中から必死こいてはいずり出てみりゃ、おま……桜はきれいに咲いて、そりゃ別にいいけど。いいことですけど、そのために頑張ったんだから桜はむしろ咲いてもらわないとこまるわけですけど」
「あら、じゃあいいこと尽くしね。嬉しいでしょ」
「目から汗が出るくらい嬉しいわぁあっ!!なんっで人が苦労してるすぐ側で、おまえらすでにお酒盛って楽しんじゃってるわけ!?」
「そのために適当なニンゲンを探して生贄にしたんだナ」
「さらっと本音だしやがったなこのクソ猫!!誰が生贄だこの野郎!!」
こいつらの酒のために、桜に食われてたまるかっつーの!!
両手をわななかせて怒る俺に、彼女がぶぅっと怒ったような表情になる。
え、なんで俺がそんな目で見られないとなんないの??
「もう!つまり、なにが言いたいのよ!さっきからごちゃごちゃごちゃごちゃ、怒ってばっかりで、せっかくの花見が台無しだわ!!
言いたいことがあるのなら、いい加減はっきり言いなさいよ、鬱陶しい!!」
「う……うっとーしい、って、おま、」
「言いたいことないなら、黙ってるか用は済んだから棲み処に帰んなさい!」
びしっと言われ、俺は面食らった。
あ、やべ、今の俺、ちょっと汗が目に沁みそう。
言いたいことって、言いたいことなんて。
そりゃあさ、悔しいけれど、彼女の見目にころっと騙されて、深く考えもせず「力になるよ」なーんて格好をつけたのは俺ですよ。
俺が浅はかでしたよ、でも仕方ないだろ、だって俺、今まで人に騙されるとかそうそう無かったんだぞ。
なんてったって、平凡だったんだぞ。
命にかかわるような詐欺に合う状況なんて、普通に生きてきてあるわけないだろ――いや、あったけど。
桜を蘇らせるときだって、ただ、ただ、必死だったんだよ。
死にたくない、って何度も思ったよ。やってらんねぇって、何度も口にしたよ。
でも俺、今まで生きてきた中で、一番必死だった。色んな意味で。
いろんなことを思い出したし、ちょっとかっこ悪いけど怖くなって泣きたく――まぁ、ぼろっといっちまったこともあった。
おまえたちに騙されて、腹も立ったし今だって頭にきてるよ。
けど本当にむかついたら、もうお前らの顔なんて見たくないって、そう言ってこんなとこまでのこのこ来ないだろ。
相手が男だったら一発殴らせろぐらいは思うけど。
むしろそこの猫又は逆さにして、さらに尾を裂いてやりたいとこだけど。
そういうんじゃないんだよ。
ただ、俺が必死になってやったことは、だ。
ひたすらになって、がむしゃらで、右も左も考える余裕も無くなって、ただ目の前だけを見て駆けて駆け続けて、逃げるように走って、そんで。
「……」
見上げる空には、淡い炎。
大きな化け桜の輝きは、まるで空が燃えているみたいだ。
それはうっかりすれば魂ごと喰われてしまいそうなくらいに、綺麗で。
もういっそ、こいつと一つになれるのなら、吸われちまうのも悪くないかなぁ、なんて思わせる程度には、人の心を狂わせる。
これが、俺の駆けた道だ。
俺が必死になって、伸ばした先の手に、つかんだもの。
この夜桜が、俺の――そして、それを眺める、こいつらが。
「……いい」
「え?」
「もう、いい。俺がそれを言ったら、全部無駄になる気がする」
「はぁ??」
なにが言いたいのか、なんて。
もしもそれを俺が口にして。
こいつらが、「なぁんだ!」ってあっさりそれを認めたりして。
そうしたら、俺はそれで満足するのだろうか。……しないんだろうな。我ながら面倒くせぇと思うけど。
「それ」は、俺が願ったら駄目なんだ。
俺が望んじゃ、駄目なんだよ。
俺が思い描いて、願って、望んで、そうして求めてきたものだから、俺から口にしちゃ、意味がない。
「……ま、おまえらにゃ、言っても通じないだろうけど。人間の考えることなんて、わっかんねぇだろ?」
「そりゃ、そうよ」
「わからんナ。わかる必要もないナ」
「……だよなぁ」
俺には俺の考え。
こいつらには、こいつらの考え。
人間には人間の考え。
それ以外のやつらには――やっぱり、そいつらなりの考えがあるんだろう。
言葉で伝えても、仕方がないんだ。
だから。
「あー……くそ。目に沁みるくらい、綺麗だなぁ……化け物桜」
「ばけもの、じゃなくて。化け桜よ」
「どっちだってかわんねぇや」
化け物桜だろうが、化け桜だろうが。
俺が必死になって咲かせた桜だってことは、変わりはしない。
そう考えると、ちょっとだけこの桜が可愛く思えてきて……まぁ、枝に締め上げられて大事なものが絞りだされそうになったことは、忘れてやってもいいかな、と思う。
……。俺、本気でこの桜に狂わされてるんじゃねーの?
焔のように、火の粉のように、ちらり、ちらり、灯篭の明かりと交わりながら、桜のはなびらが舞い降りる。
どんだけこいつらに悪態ついてみたところで、やっぱり綺麗なもんは、きれいで。
「ほぉら!いい加減、あんたもぶつくさ言ってないで、一気にぐぐっといきなさぁい!!」
ぼんやり桜を見上げていたら、目の前に朱色の杯がずいっと差し出された。
ぱらりと跳ねた雫が、白と桃の色を映して、まるで真珠のように綺麗だ。なんだ、口の中が甘くなるような。
「……って、俺は未成年だって!!」
「男がぐだぐだ言わないっ!あたしの酒が飲めないってぇの!!」
「オレちゃまの酒だナ!!」
「酒癖悪ィな!!」
丁重にお断りをすると、細い腕がするりと俺の首に伸びた。
どきり、と胸が高鳴る――
――間もなく、締め上げられる。
「ぐぇええ……っ!ぎ、ギブギブギブ!!」
「ほら!今夜は特別よ、とくと飲め!!」
「絞まってる!!アルハラで訴えるぞ!!」
「今夜は無礼講よっ!」
「飲んで歌うナ!!」
「おまえらいつだって無礼千万だろうが!!」
おー!と完全に意気投合して騒ぐこいつらに合わせるよう、なぜか周囲からもどっと笑いが沸きあがる。
ああもう、本当こいつらって!!
「みんなで笑って、酒飲んで、騒いでればいいの!楽しければそれが一番よ!」
言い切った彼女の笑顔は、言葉の通り、そりゃもう素直に嬉しそうで。
そもそも俺に気遣いだとか遠慮だとかそういうものの一切ない相手なわけだから、気持ちを取り繕う必要なんて欠片もなくて、つまりこいつは今、とことん上機嫌であること間違いなし、ということで。
それがどうしてかっていえば――この桜の樹の下、ふざけた宴会のおかげで。
「……はぁ。夜桜って、マジで人の心を狂わせるんだな」
心からの、感謝の言葉がもらえなくても。
心からの、喜んだ笑顔が見れたなら――俺の苦労も、ちっとは報われたかな、なんて。
考えちまう、お人よしな自分がイヤだ。
あーほんと、馬鹿馬鹿しいったらありゃしねぇ。
「……しまりのないカオしてるナ!」
「うっせ!こうなったら、俺にもその酒よこせ!!」
「こ、これはもうダメだナ!!ニンゲンはミセーネンだから酒ははやいナ!!」
「この世界にゃ、人間の未成年、なんて法律はねぇだろ!!」
「法でさだめる以前の問題なんだナ!!」
よこせ、いやだ!と追いかけっこになる俺と、猫又。
気付けば周囲から声援が上がって、やれ逃げろ、負けるなニンゲンと、好き放題に叫んでやがる。
そいつらみぃんな、人間とは思えない風体だってのに、なんでか笑顔だなってことだけは伝わっちまって。
「……ちっきしょー!花見の夜はこれからだぜ野郎共ぉおおっ!!」
ノリで叫んだ、一声に。
オォオオ……と地の底から響いた地鳴りのような歓声は、もしかしたら久しぶりに綺麗に花開いた、化け桜の喜びだったのかもしれない。
――と、思っておこう。
人間ってのは、単純だから。
そう考えるだけで、猫又と、ウサギ女と。わけのわかんねぇヤツラに囲まれて、笑顔になれるんだよ。
ってことで、だれか、俺にオレンジジュースください。
お願いします。