彼の背中

「だから言っただろ。あいつはただの塾の友達だって」

リュウはあたしの右手をまだつかんだまま、しっかりと瞳を見て言った。

「それなら・・・、それならどうしてあのとき・・・」

あたしは、あのときリュウが髪の長い女の子と楽しそうに話していたことを思い出し、ぐっと涙をこらえた。

「あのときって、いったいなんだよ?」

リュウはあたしの右手を引きよせて、抱きしめようとしてくれたけど、

やっぱりあたしは許せなくて手を振り切った。

いまはそんなことをしちゃいけないと思った。

ちゃんと想った事を口に出せない自分が嫌になった。

あのとき、知らないその女の子は確かに、リュウの腕に抱きついていたのだ。

目撃してしまったことを信じられないということと、

口に出して他の女の子から抱きつかれていたと言うことをリュウに言ってしまったら、

なにか小さなプライドが崩れ落ちて、

もう、あたしとリュウの関係も全てが終わってしまうような気もしてしまったからだ。

「いったいなんなんだよ!」

普段大人しいリュウが怒ってる。それを見て、あたしも口をくいしばって黙りこくった。

しずかで、耐えきれない時間が流れる。

諦めたように、リュウは肩からかけたバッグを持ちなおすと

「じゃあな」

と言って背を向けた。

かすかに、バッグの中で今日の授業で使用した三角定規とコンパスが触れ合う金属音がきこえた。

去年の夏、親が旅行に行った時、

はじめてあたしのうちにリュウがきて、

一緒に夏休みの数学の宿題をしたことを思い出した。

あのとき、うまくコンパスを使えなくてリュウに笑われてしまったこと。

一生懸命やればやろうとするほどどうしてもうまく円がかけなくて、

不器用なそんな私に優しくリュウは教えてくれたこと。

宿題がおわって、冷たい麦茶を取りに行こうとしたときにぐっと腕をつかまれたこと。

始めてキスしたこと・・・。

すべてが頭の中でぐるぐると回り出した。

「これで、終わりにしたくない!」

そのとき、胸の中であたしははっきりと叫んでいた。

あたしは、その背中に何も言えなくて、

けど、

これでリュウを見送ってしまったらもう全てが終わりだと思って、

ありったけの勇気を出して言った。

「待って!背中合わせで喋ろう?」

ふりむいたリュウは、

「え?」ととまどいながらも、あたしたちは背中合わせで話し始めた。

リュウの体温が制服越しに伝わってくる。

ひろい背中。

数学が得意だけど、水泳もかなり上手なリュウ。引き締まった筋肉が良く分かる。

あたしは何も取り柄のないけど、一応笑顔だけは普段心がけるようにしている。

普段の顔を思い出した時、やっぱりあたしの顔は笑顔でいたいと思うから。

荒久 連
作家:荒久 連
彼の背中
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