――冬に桜は咲かない。だからこれは夢なんだ。
あと少しで雪が降り出しそうな十二月の半ば、高校生最後のクリスマスを恋人と過ごそうと彼女作りに追われていた和真は途方に暮れながら夜道を歩いていた。自分で勝手に決めていた彼女候補たちに次々と彼氏が出来、良さげな関係だった女の子に嫌われ、このままでは例年どおり男友達とチキンの早食い競争をすることになりそうだったからだ。その男友達も最近部活の後輩と良い雰囲気になり、このままでは高校生最後にして最悪のクリスマスを迎えそうだったからだ。
「はぁ、やっぱりあの変なジンクスのせいかなぁ」
和真の加入しているテニス部には代々伝わる言い伝えがある。それは「一年生の秋の大会で一回戦負けした奴には絶対に彼女が出来ない」というものだった。この言い伝えはもともと一年生に「秋の大会で絶対に結果をだせよ」というプレッシャーを与える為のものだったらしい。ところが過去一回戦負けした一年部員たちは、本当に彼女が出来なくなってしまったらしい。その言い伝えはもはや呪いの様に変化しているようで、中学校から付き合っていた彼女と大会後別れてしまったOBや、男前で性格も完璧な去年の副キャプテンですら何故か変態扱いされ、女子から避けられていたなど数々の伝説が和真のテニス部には残っている。部室には古ぼけた一冊のノートが残されており、一回戦負けした一年生たちの末路と怨念がそこに記されている。新入部員歓迎会では部長がそのノートに書かれている伝説を怪談仕立てで語り聞かせるのが伝統になっている。嫌な伝統だが、その効力は抜群で毎年秋の大会では無類の強さを誇る高校として名を馳せている。
和真もこの言い伝えに恐れをなして一年の秋の大会で全力で戦ったのだが、運悪く相手は去年の優勝者、太刀打ちできる相手ではなかった。こうして和真は伝統ある彼女が出来ないノートに名前を連ねることになってしまった。その後の和真の高校生活は、それなりに充実するも女の子と無縁の物となってしまった。三年の夏、それなりに活躍して終えた最後の大会後、それなりに日頃の行いが良かった和真はそれなりに成績もよく、担任からそれなりの大学の推薦入試を薦められ、見事一足先に受験戦争を終え、気ままな生活を送っていた。しかし今までつるんできた男友達らに彼女が出来始め、和真は焦り始めてきた。特に元テニス部だった友達が文化祭の時に他校の女の子と手をつないで歩いているのを目撃した時はショックだった。
「彼女が欲しい……」
誰かを好きになったわけではない。ただ漠然と自分もアイツみたいに女の子と一緒に過ごしてみたい、という欲求から和真は彼女が欲しくなったのだった。そんなフワフワした想いから和真はテニス部のジンクスに立ち向かう事になったのだ。
和真は特別カッコイイ高身長だとか周りのみんなを笑わせるひょうきん者のようなタイプでは無かった。ごくごく普通の高校生だった。背は少し低いがテニスをやっていたせいか割とがっちりした体格だった。一年の頃にテニス部の呪いを聞きつけた男たちと仲良くなり、そいつらと遊びに出掛ける事が好きな普通の高校生だ。特別モテないという訳ではなさそうだが、テニス部の呪いを跳ね除けるには少々頼りない男だった。
そんな和真の彼女作り計画はまず、女友達がいない和真はいつも遊んでいる友達づてに女の子と知り合いになろうとすることだった。しかし時期が悪く、他の友達は受験勉強に追われ、推薦合格した和真の相手をしてあげられなかった。そもそも受験シーズンに恋人が欲しいと思っている女の子は少なく、友達を頼る計画はあっさり終了した。それならと和真は次に後輩を狙おうとした。しかしテニス部の後輩にはテニス部の呪いのうわさが広まっており、とても親密な関係にはなれそうもなかった。他の部活の後輩とは全く接点が無く、話すきっかけすらない。他校の生徒となればなおさらだった。そう、和真は、心の中では「だれか突然告白してこないかな」といつも考えてはいるが自分から行動に移すことのできない男だったのだ。つまりへたれである。呪いを打ち破るには全く頼りない男だった。
和真の心の中では一種の諦めの様な感情があった。一年の秋に自分はこうなる運命だったと決められてしまった。だから何をしても自分には彼女なんか出来るわけがない、そんな想いが和真の心を縛り付けていた。だから十二月も半ばになった今でも彼女作りになんの進展が無くとも和真はそれほどおちこんでいなかった。
――甘い花のかおりがした気がした。
和真の目の前を白い欠片が横切った。雪でも降ってきたのかと和真は顔をあげた。雪は降っていなかった。かわりに満開の桜と降り注ぐ花びら、そしてその下で和真を見つめる女性が目に入った。
「冬に桜は咲かない、だからこれは夢なんだ」
そういって女性はクスリと笑った。
「こんばんは、男の子」
その女は和真にゆったりとした様子で話しかけてきた。
「こ、こんばんは」
和真は咄嗟に返事をしたが頭の中は混乱していた。無理もない。家に帰るなんの変哲もないアスファルトの道が突然、春の桜並木に変化したからだ。そんな様子の和真をみた女はおかしそうに笑いながら話しかけてきた。
「ずいぶん混乱しているみたいね。当然か、最近の子供はこういう事に慣れていないからさ」
身体も頭も言う事を聞かず固まっていた和真はおそるおそる聞いた。
「あのう、あなたは誰なんですか?」
「相手の名前を知りたかったらまず、自分の自己紹介を済ませてからにしたらどうさ?」
女は首をかしげながら言った。まだ身体が硬直している和真だったが頭は少し働く様になってきた。
「僕は県立坂ノ上高校三年の中野和真です。あなたのお名前は?」
少し堅苦しい挨拶になってしまったと思ったが相手の女は気に掛けずに答えた。
「私はウサギ。百三十歳。皆からはサキって呼ばれているわ。よろしくね」
和真の思考はまたしても停止した。
「さて自己紹介も済んだところだし、酒盛りを再開するとしますか」
サキはそう言って手を二回たたいた。するとひときわ大きな桜の陰からひょうたんを抱えて二足歩行で歩いてくる猫がやってきた。
「この子はブチっていうの。まだ化け猫になったばかりだから人間の言葉は喋れないけれど、言っていることは理解できるから安心してね」
何が安心なのか和真には解らなかったが、とりあえず訳のわからない場所に来てしまったということはかろうじて理解できた。
「ここはね、君たち人間が住む世界とは違う世界なの」
杯になみなみと注がれた酒を一気に飲み干してサキは言った。
「もともとこの道は神様の通り道だったんだよ。ほら、神様は人とは違う道を歩くから人間の世界と離れた所に通り道を作るんだ。それがこの辺を仕切っていた神様が引退しちゃってね、この道誰もつかわなくなっちゃったんだ。」
「でもだれも使わないのはもったいないじゃん。せっかく作ったんだから有効利用しなきゃってことでこの道私が譲ってもらったんだよ。」
和真はブチから注いでもらった緑茶を飲みながらサキの話を聞いていた。サキの外見はどこにでもいる大学生のようだった。髪は白く光り、腰に届きそうなほど伸びていた。しかし酔ってくると変身が解けてくるのか途中からうさぎの耳の様なものが頭から飛び出てきていた。
「わたしはね、一年中花見がしたかったの。この神様の道、他の所と時間の進み方が違うからここに桜を植えたらきっと一年中花見が出来ると思ってさ。」
ブチはお酒やおつまみになりそうなものを二人の前へ運んできた。桜餅とお月見団子が一緒に並ぶのは珍しかった。
「それでどうして普通の人間の僕はここに来れたの?」
和真は団子をつまみながら聞いた。和真の心の中では何故かこの奇妙なお花見を受け入れていた。サキが最初に言った「ここは夢だ」という言葉を信じていたわけではない。ただ、ここの桜は些細なことを忘れてしまうほど美しかったからかもしれない。もしくはウサギだと名乗るサキに興味を持ったからかもしれない。
「それはねえ、わたしがあなたを呼んだからさ」
「どうして僕を?」
和真は聞き返した。サキはいたずらっぽく笑って答えた。
「君に面白いものが取り付いていたからだよ」
そういってサキはまた杯を空っぽにした。
「世の中には不思議な現象が山ほどあるの。でも人間界で起きる怪奇現象の大半は科学で解き明かされていたり、人の思い込みだったりする偽物の怪奇がほとんどさ。それでもごく稀に、人間界で本物の怪奇現象が起きる時がある。あなたはその本物にとりつかれた運の悪い人というわけ。だからこっちに呼び寄せたの」
サキは、訝しげな顔をする和真に向かってゆっくりと話し始めた。
「人間は私たちのような怪異みたいに奇妙な力は持ち合わせていない。その代わりに人には何かを強く願ったり、想ったりする力がある。怪異が肉体的に超人なら、人は精神的な超人というわけ。人が持つその力は自分を強くしたり、時には本物の奇跡を起こすこともできる。でも、その力が負の方向に働けばそれも大きな力と本物の怪異を生み出す事になる」
サキは和真の眼をしっかりと見つめて言った。
「さて人間、あなたには負の怪異がとりついている」
和真はサキと出会ったときの様に混乱していた。しかし和真にはなぜか、サキが嘘をついていると思えなかった。不思議の真っただ中にいるので、どんな事でも受け入れようとしているのかもしれない。ただ、最初にサキと話した時から和真はサキの言うことを無抵抗に受け入れてしまっていた。もしかしたらサキには人を簡単に納得させる力があるのかもしれない。和真は聞いた。
「僕にはいったい何がとりついているのですか、それでどんな悪いことが起きるのですか?」
サキは目を細めた。
「案外せっかちだね。結論を先に求めるのは悪いことじゃないさ。でも物事には順序ってものがある。今の段階ではなにが、いつ、どうやって、なんのためにとりついたのかわからないさ。ただ、そいつはずいぶんでかい負の感情を抱えているみたいだね」
「・・・・・・それだけ僕の事を恨んでいる人がいるんですか?」
「そいつはわからないさ。運悪くあなたにとりついたのかもしれないし、死ぬほど恨んでいる奴がいるかもしれない。」
「それで、その怪異っていうのは退治できるのですか?」
サキはニヤッと笑った。
「もちろんさ」
和真は少しほっとした。
「当然、対価は頂くけどね」
和真はどんな存在を相手にしているのか、ようやく思い出した。