秋の桜を愛でましょう

 程なくして、俺に泥棒猫が下座していた。
「すいませんでした……」
 背中のひょうたんの方が大きくて、覆い被さられている感じがする。
「ホントにもう! 今度こんなことしたら花見に連れてきませんからねっ」
「そそそそそそれだけは! それだけは、どうかお許しをっ」
 猫の頭が地面についていた。
「うちのミモリがすいません……もし、よろしければコレを使ってください」
 女の子が頭の後ろをごそごそして、一枚の絆創膏を渡してきた。
「あ、ありがとう」
 絆創膏には、デフォルメされたウサギのキャラクターがプリントされている。
 少しもったいない気もしたけれど、早く使ってくださいと言いたげなイナバの視線に、俺はついつい負けてしまった。
 絆創膏をつけた手の甲をさすっていると、イナバが満足そうな笑顔になった。
「えっと、イナバさん? 花見ってなんですか?」
「一年に一度、処暑の夜にだけ咲く桜の樹があるのです。ミモリと一緒に毎年来ていて、これから行く所だったのですよ」
 俺の目の前にいる女の子は、電波か何かを受信しているようだ。
 残暑が残る今の時期に桜?
 しかし、イナバの表情からは、どうも嘘をついているようには見えなかった。
「桜、ですか」
「はいっ! それはもう、すっ――                      ごく! きれいなんですからっ!!」
 息を止めて少し赤くなったイナバの表情は、更に無邪気になっていた。
「イナバさま、それ以上よそ者に桜のことを話しては、後々やっかいなことになりますよっ」
「いいの。ミモリは黙ってて」
 話すために顔を上げていた泥棒猫が、また深々と頭を垂れる。
「じゃ……じゃあ、この猫が俺からタオルを盗ったのも、その桜に関係あるんですか?」
「ほえ? タオル?」
 イナバが首を傾げる。
 俺は、土下座したままでいる泥棒猫に視線を落とすと、それにつられてイナバも視線を落とした。
 イナバの眉間にしわが寄るのを、俺は傍目でしっかりとみた。
 泥棒猫は小さく震えただけで、土下座したまま固まっている。
「ミモリ、面を上げて正直に言いなさい」
「はっ、はいぃぃっ」
「忘れた手ぬぐいは、すぐに取って戻ってくるから待っててねって、私言ったよね?」
 鬼気迫る、とはきっとこういうことを言うのだろう。
 泥棒猫――もといミモリの事が、俺は段々と哀れに感じてきた。
 その後、ミモリからタオルを返してもらった俺は、傷とタオルの詫びにと花見に招かれることになった。
 断って家に帰ろうとも考えたが、
「ここはもう、異界に続く道の途中ですので、下手に迷うと一生迷ったままになりますよ?」
 と言われ、
「人を食べる妖怪たちもいっぱい集まってきますけど、私の客と言ってしまえば誰も手出しが出来なくなるので大丈夫です」
 と言われた。
 一体、どこがどう大丈夫なんだとツッコミたかった。
 だが、幸いにも明日は土曜日で仕事は休み。
 ズボンのポケットからスマホを取り出してみたけれど、こんな街中なのに圏外と表示されている。
 夕暮れ時なのに、さっきから誰ともすれ違わないのも気になっていた。
 もしかしたら、ミモリを追いかけている時に迷い込んだのかもしれない。
 ミモリが背負っているひょうたんには、極上の酒を染み出す山苔から一年がかり集めたモノが入ってるという。
 家に帰っても笑顔で迎えてくれる嫁がいるわけでもなく、安い酒を飲んで寝るだけだった俺にとってみれば、思いも寄らないタダ酒の機会。
「お願いします、あなたの無事は約束しますから!」
 イナバは、俺の手を握ってそう言った。
 久しぶりの女の子の手は、やわらかくて暖かかった。
 怖くないわけじゃない。
 むしろ、すごく怖かった。
 さっきからイナバが話しかけてきてくれるけど、正直何を質問されて何を答えたか覚えていない。
 ミモリも何か言っていた。
 俺の手を引いて、道案内をしてくれるイナバの手は温かいけど、さっきの口ぶりからして彼女も人間ではないようだった。
 夕日が落ちて、すっかり空が暗くなった頃には、街中ではなく木々に囲まれた道を歩いていた。
 あんな上手いことを言っておいて、その場についたら俺をツマミにして花見をするのもかもしれない。
 いっぱい妖怪が来るとか言ってたしな。
 俺は、死ぬのか?
「死にませんよ」
 気がつけば、イナバは足を止めていた。
「あなたは死にませんし、死なせません。私が保証します」
「心を読んだのか?」
「ずっと、暗い顔をしていましたから……ごめんなさい」
 ゆっくりと、イナバの髪の毛が二カ所立ち上がった。
 髪の毛と思ったそれはピンと立って、ウサギの耳のように見える。
「人と妖怪がこうして同じ場所に立っている事なんて、普通ならあり得ないことなんです。私も、つい舞い上がっちゃってあ
ささのは
作家:ささのは
秋の桜を愛でましょう
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