天使の指輪

第一章 愛するということ( 1 / 91 )

プロローグ 序章

僕はアリーを見て、なんて愛おしいんだろうと真面目に思った。

40を過ぎたいいオヤジが、こんな事を言っては冷笑されると思うが、人を愛するという事は、なんてすばらしい事なんだろうと思う。

僕は大昔に、自分のせいで恋人を目の前で死なせてしまい、自分自身も精神異常になってしまった過去がある。

それ以来、自殺未遂をした回数は数えきれない程あり、僕の手首は傷だらけだ。

でも結局死にきれずに、正確には死ぬ勇気がなくて40過ぎまで生きている。

そんな僕が今、新しい恋をして、自分の新しい生き甲斐を見つけようとしている。

人間はとても弱い生き物だ。

狂ったように働くのも、自分がなぜ生きるのかという大きな疑問に、正面から向き合う事を避けるために、自分をただ忙しくしているだけだと思う。

僕は過去の経験から、決して僕とアリーの間にハッピーエンドがないことは知っている。

でも先の事は考えず、僕は今、自分が夢中になるものに夢中になりたい。

僕の仕事は一瞬の隙に大金持ちにもなれるけれど、その反面、一つ判断を間違えれば簡単に破産もする。

僕は仕事柄たくさんの人と競争をしなければならないし、時には人の生活を踏みにじってしまう事もない訳ではない。

強くなければ生きていけないと割り切って生きているつもりだが、過去に僕はたくさんの人を結果的に不幸にしてきた。

でもそれは仕事だから仕方がない。

不安で気持ちが揺らいでいても一歩戦いの場に出れば、僕は近寄ってくる者を全て切り倒していく自信がある。

そうやって一人で戦って今まで生き残って来た。

でも未だかつて、こんなに気持ちが揺らいだことはなかったかもしれない。

僕はアリーと付き合いだしてから1年半になるが、ここ何ヶ月かは僕の気持ちも変化して来て、見返りを求めない無償の愛を実践できないかと思うようになってきた。

今までの自分の過去を正直に見つめ直した結果、自分の幸せや満足を基準にするのではなく、相手の幸せの為にひたすら尽くしていく事に、自分の基準を求めようとしているのがわかる。

こんな気持ちの変化の中で、再び仕事の修羅場に戻った時に、躊躇なく相手を叩きのめす事ができるかどうかが、ちょっと不安になる。

きっと自分は大丈夫だと思うが、感覚が狂って自分が負けてしまったとしても、それはそれで面白い人生の結末かもしれない。


アリーは34歳だが、10年間会社勤めをした後で退職をして大学に戻り、今はバイトをしながら学校に通っている。

アリーは30半ばになり、このまま会社で働き続けるのは自分の人生によくないと判断して会社をやめ、将来の自分の人生設計のために大学に戻る事にした。

しかし、一方において大学を出直しても、その時には40近くになっている訳で、本当の自分の人生の目的について大いに悩んでいる。
 
アリーの人生には色々な悲しい出来事が過去にあり、その過去を引きずって今でもつらい思いをしている。

僕はアリーを心から愛する人間として、自分にできるだけの事を、見返りを求めずにしていきたいと心から思っている。

無償の愛を実践する事が、僕自身の魂の救済にもなるのではないかと思っている。

アリーと一緒の時間は僕を何よりも幸せにするし、僕はアリーとの時間を何よりも大事にしたいと思うが、一方において僕は、僕がありたいと思う精神的な境地にまだ至っていないので、アリーとの生活での些細な事が僕を非常に不安にさせる。

人が生きていくうえで一番大事なテーマは、人を愛するという事、人を愛する意味、そして、人が生きる目的はどういう事なのか知ることだと思う。

そんな事を人前で話す事自体が、青臭いと言う人もたくさんいると思うし、僕はその考え方を否定しない。

もしも僕に今、アリーがいなかったら僕もきっと同じ事を言うと思う。

でも僕にはアリーがいて、僕はアリーを心から愛している。

実際にアリーがその問題で苦しんでいる時に、僕としてはアリーの問題を僕の問題として捉えて、青臭いと言われようとも一緒に悩むというチョイスしかない。

僕はアリーの不安を取り除きたくてアリーの役に立つには、どうしたら良いのかをただただ考え続けている。


第一章 愛するということ( 2 / 91 )

2006年06月3日  友達の背任行為

今日の朝はひどい雨だった。

車のワイパーの速度を最大限にあげて、フロントガラスに顔をつけるように車を運転して仕事場に向かった。

僕は昼間仕事をしている時には、だいたいストーンズの音楽をかけている。

基本的にアドレナリンを満タンにしていないと僕の仕事はもたないので、40代の老体に鞭をうって、強気に攻める時にはストーンズの曲が必要なのだ。

僕はストーンズを十代の時から聞いているが、一番懐かしいのは僕がNYに移り住んで暫くして、ちょうど94年のアメリカでのワールドカップサッカーの時に、久しぶりにストーンズがワールドツアーをした時だ。

当時、僕はアイルランド人の移民が多い地区に住んでおり、アイルランド系の友達がたくさんいた頃だった。

彼らと酒を飲みながら車のステレオの音をマックスにしてボストンまで車を飛ばしてストーンズを観に行った。

今でもそのことを思い出すと、一人でいても妙に頬が緩んでしまう楽しい思い出だ。

でも、その時一緒にボストンに行った仲間の何人かは、2001年9月11日の同時テロで死んでしまった。

ストーンズには語りきれない思い出が僕にはある。

今週、本当はカリフォルニアに仕事で行かなければいけなかったのだが、何となく行く気がしなかったので、代わりの人にカリフォルニアに行ってもらい、僕はニューヨークに残った。

お陰でアリーに毎日逢えるので文句はないのだが、行きたくなかった本当の理由は他にある。

本当の理由は、僕が十年来信頼していた友達の山藤が、背任行為を行ったので、任せていた会社から解雇しなければいけなかったからだ。

何もなかったところから皆で苦労をして一つの会社を創り上げ、山藤もリスクを取って安定していたそれまでの仕事を辞め、その新しい会社の社長になり一緒に会社を大きくして来た。

山藤が変わり始めたのはここ数年だったのだが、僕らはその間、山藤が背任行為を始めていた事に関して全く気がつかなかった。

ふとした事で山藤の背任行為が発覚し、今回の解雇という形に発展した。

金と権力は人をたまに変えてしまう。

僕は弁護士に手続きを頼み一人ニューヨークに残った。

僕のオフィスの壁には山藤と僕が、仕事で出かけたフィリピンのマニラのバーで取った写真がまだ飾ってある。

その写真を見て会社を立ち上げた当初、苦労をともにしていた頃の山藤との苦しかったけど楽しかった日々を思い出した。

あの時は二人とも若くて無垢だったなあと思いながら、白くなって来た自分の髭を触ってみた。

オフィスの中で仕事をしていると、大学の講義を終えて家に帰ったアリーから電話があった。

僕は仕事を片付け、アップタウンにあるアリーの家に向かった。

アリーはダウンタウンに自分のアパートを持っていたが、大学に戻るにあたって学費を捻出する為に、自分のアパートを人に貸し、家賃をアパートの返済にあて、自分はアップタウンの小さなアパートを借り、そこで新しい生活を始めたばかりだ。

アパートの建物は、第二次大戦前に建てられた古い石造りの為、夏場はかなり暑くなるような気がする。

そのため、そのアパートの住人はよく建物の玄関の階段に腰を下ろし、夏の風にあたって世間話をしている。

建物の玄関に人がたむろするのは、マンハッタンの夏の風物詩だ。

これがもう少し暑くなると、外にラジカセを持ち出し音楽をかけ、道端の消火栓を開き、道を水浸しにして暑さをしのぐようになる。

僕はアリーの家のアパートの前に車を止め、中に入って行った。

マンションの階段を一つ下りて右に回ると見慣れたドアがあり、ドアの隙間から部屋の明るい光がこぼれていた。

廊下が暗いのでドアを開けると、明るい光で一瞬目がくらみ、その光の中でアリーは微笑んでいた。

アリーの笑顔を見ると僕のくだらない一日のくだらない問題は、僕の頭から一時的になくなってしまう。

僕はこの笑顔を見るために一日一日を生きているような気がする。

アリーの家に僕の荷物を置いた後、二人で80丁目のイタリアンレストランに行き夕食を楽しんだ。

天気が怪しかったけれど、折角なので表通りに面したオープンテーブルに僕らは座った。

でも、やはり途中で雨が降りだしてきた。 

結構、アリーは強情なので、最後までテーブルを移るのを嫌がったのだが、大粒の雨が降り出したので、最後はアリーも諦めて室内のテーブルに移動した。

小さいテーブルを挟んで食事をしながら、アリーの一日の話を聞き、アリーの家族や友達の問題なんかに耳を傾ける。

話によってアリーは笑ったり表情を曇らせたり、鼻に皺をよせたりする。

僕はその話に相打ちをうちながらアリーの表情を見つめている。

僕にとっては一番癒される時間だ。

アリーと色々夏のプランについて、食事をしながら計画を練ったが、アリーの大学の講義の都合や試験などで、なかなかスケジュールを合わせるのが難しい。
 
どこかで休みをやりくりして、ロンドンとパリに遊びに行く予定なのだが、その日が試験だとか、その日は出張だとか色々話していると、急にアリーが僕の方を向いて、
『若い学生と付き合っているという実感が湧いて来て楽しいでしょ』と鼻に皺を寄せるアリーの独特の笑みで言われた。 

30過ぎのアリーに若い学生と言われるのは、こちらとしても言いたい事はあるが、それでも10歳近く歳が離れているのだから、あまり反論もできず
『大変嬉しいです』と答えた。

学校の事、先生の事、試験の事、自分の継母の仕事の事、アリーの姪っ子の事、今の仕事の事等を色々話し、雨が止んだのを見計らって家に帰る事にした。

家に帰りがてら僕はアリーに、
『願い事が一つ叶うなら、君を僕の立場に立たせてみたい』と言って笑った。
 
するとアリーは笑いながら、
『そうしたら、貴方は、私が貴方の事をどのくらい恋しいと思ったかわかるはず』と言ってキスをしてくれた。
 
それはこっちの台詞だぜと思ったが、僕は何も言わずにアリーにキスのお返しをした。

アリーの家に帰って、二人で裏庭に少しライトアップの飾り付けをした。

今度の週末には少し植木を入れたりして、裏庭を奇麗にするつもりだ。

庭で食事ができるようにテーブルとベンチをおき、大きめのグリルも買ったので、夏の間に庭を有効に使えるように計画をしている。

ニューヨークの夏は暑くて長い。

緯度的には北海道と同じくらいの緯度だと聞いた事があるが、真夏にはコンクリートの照り返しもあり、40度近くに気温が上がる事もある。
 
冬には体感気温がマイナス10度に落ち込む事もあり、人に優しい環境ではないが、僕はここで十何回目の夏を迎えようとしている。

僕は後どの位、季節の移り変わりをアリーと一緒に見る事ができるのだろうか?

明日の事は誰にもわからない。

車道の真ん中に、突然ガス抜きの煙突が突き出ているようなニューヨークでは、本当に一寸先は何が待っているのか全く予想がつかない。

そこがニューヨークの魅力でもあるんだけど。

アパートの裏庭に少しライトアップの飾り付けをしたあと、アリーは今度のテストの勉強を始めた。

僕は、なんとなく自分の居場所がなくなり、ビルの屋上に涼みに出かけた。

雨はやんだけど、どんよりとした天気だったので日没を見る事はできなかったが、曇り空が紫色っぽくなり、次第に黒くなっていく様を、僕はビールを片手にアパートの屋上で眺めていた。 

知らない間にアリーが屋上まであがって来たようで、後ろからアリーに優しく抱きしめられた。

僕はアリーに後ろから抱きしめられたまま、アリーの手を握って、二人で暫く空の色が変わるのを眺めてから、
『部屋に戻ろうか?』と言った。

今度の試験頑張ってね。

来週、僕は3日間ほどカリフォルニアに仕事に行かなければいけない。

ちょっと慌ただしいけれど、アリーと一緒にいる時は気持ちが癒されるので、多少強情で我侭でも文句は言えない。

僕の仕事のベースはニューヨークだが、東京とカリフォルニアにも会社を持っていて、ヨーロッパでも仕事があるので、月のうち3~5日を東京、3日をカリフォルニアで、残りをニューヨークで過ごし、2~3ヶ月に一度のペースでヨーロッパに行くようにしている。

カリフォルニアの会社を買ったのは2003年で、会社を買収した後、人員を整理したが、他の会社の乗っ取り屋がやるように買収した会社をバラバラにして売り飛ばすような事はせず、なんとか会社を解体せずにビジネスモデルを変更して、会社が再生するように努力をしてきた。

最初、買収をした時に社長をしていた人間と、その右腕だった副社長を信用して会社を任せようとしたが、結局二人には金目当てだけで苦しい時に裏切られ、その会社にいた右腕でもなんでもなかった男を社長にして、まさに地獄から這い上がる気持ちで毎日仕事をした。

社長になってもらった男の名前はビリー。

レバノン国籍のレバノン人だが、会社にかける気持ちは並大抵のものではなく、全身全霊を傾ける仕事の仕方が次第に会社のモラルを上げて行き、まだまだ会社は厳しい状態が続いてるが、ビリーの御陰で、ここまで会社を建て直す事ができた。

レバノン人と日本人は、気質的にも似ている所が多いようで、非常に頑固だが、義理にあつく自分の名誉、誇りを何よりも重んずるところが古き良き時代の日本人を彷彿させる。

カリフォルニアの会社も、一時の危ない状況から立ち直ったとはいえ、依然として厳しい状況が続いており、僕もカリフォルニアに出向いて陣頭指揮を取らなければいけない。

そんな中でもビリーは、彼が預かる40人の従業員と会社、買収をした際の僕らとの約束、そして自分の名誉を守る為に、一歩も逃げる事なく日々会社のきりもりに奔走している。

ビリー達は時代の波に押し流されながらも、なんとか自分が生き抜く為に、自分の存在意義を確かめる為に毎日を必死で生きている。

厳しい状況の中で必死に生きる人たちを見ていると、自分もいい加減な事はできない。
 
カリフォルニアの会社を買って、僕はまた人として勉強をさせられたなあと思う。 

そういった真剣な人達と互角にやって行く為には、自分も真剣にならないといけないし、そういう人達に信頼されるにはどうしたらよいのかな?と考えた結果、結局、自分のひとつひとつの行動をする時に、それが自分として本当に恥ずかしくない事なのかをしっかり考えて行動するという事を学んだ。

真摯な態度で人に接することは、一期一会みたいな日本の考え方と同じだし、僕もビリーのように誇りを持ち、名誉と約束を守る為に最後の最後まで頑張り続ける人間でありたい。

僕は今回のカリフォルニアでの仕事で、誇り高い人たちに囲まれて自分の限界に挑戦できることは、なんて幸せなんだろうとつくづく感じた。

 

 

3日間のカリフォルニアでの仕事を終えて、僕はニューヨークに帰ってきた。

飛行機の遅れでケネディ国際空港に着くのが夜中になってしまい、かなり疲れた。

空港は時間によって色々な顔を見せるが、夜遅くの空港は、一番人間の人間臭い表情を見せているような気がする。

疲れた表情で飛行機待ちをする人、仮眠を取っているカップル、既に寝てしまっている子供を抱えている片親。
 
皆一応に生活の疲れを表情に浮かばせているが、昼間の喧噪とは違い、なぜか僕の心に響く。

家に帰って真っ暗の家の電気もつけずに、冷蔵庫から飲み残しの白ワインを取り出し、ベッドに潜り込んで死んだように寝てしまった。

本当はずっと寝ていたかったけれども、寝る前にカーテンを閉め忘れたので、朝日があがる頃には太陽の光で目が覚めてしまい、冷たいシャワーを浴びて目を覚ませた。 

ジムに行こうかと思ったが、それはやめて、濃いめの紅茶を飲み仕事に向かった。

気持ちがシャキッとしない時には、僕の車の音楽はストーンズと決まっている。

タバコをくわえてニコチンで脳を覚醒させながら、ストーンズの”Jumping Jack Flash”(ジャンピング・ジャック・フラッシュ)が徐々に僕の眠っていた体にアドレナリンを送り始める。 

一日なんとか仕事を乗り切り、夜の8時過ぎにアリーの仕事場にアリーを迎えに行った。

僕がバイト先に着いたと同時くらいにビルの回転ドアから、僕の愛しいアリーが、両手に一杯の荷物を抱えて外に出て来た。

仕事の道具に、大学での勉強道具に、やっぱり勤労学生は大変そうだ。
 
車の中に滑り込んで来た可愛い勤労学生にキスをして、車をダウンダウンに走らせた。

車の中ではまるで家庭教師と生徒のように、今度の試験問題の確認をした。

口をとがらせて予想問題への解答をする真剣なアリーの横顔を見ていると、あまりの真剣さに急に可笑しくなった。 

でも僕が笑うときっとアリーは怒るだろうと思ったので、笑いを隠す為に車を運転しながら、助手席のアリーの顔を僕の方向に向かせてキスでアリーの口を塞いだ。

するとアリーの方が笑い出した。

今日のデートの場所は、最近流行のミートパッキングディストリクトにできた新しいイタリアレストランだ。 

14丁目まで車を走らせ、ユニオンスクゥエアで右折をして、ハドソン川沿いまで行くとミートパッキングディストリクトに入って行く。

金曜日の夜という事もあり、周りのレストランは、どこもかしこもたくさんのお客さんで賑わっていた。

レストランの席についてアリーは、僕とテーブルを挟んで、ロウソクの光越しに僕を見て微笑んだ。
 
あの鼻に皺をよせて笑う独特の笑い顔を見て、仕事の忙しいにスケジュールもそれで報われた気がした。

3日間会っていなかったのでその間、アリーにあった色々な話、フロリダの家族の話、学校の授業の話等をたっぷり聞いた。

僕はアリーの話を聞いて相づちをうったり、コメントをしたり、頷いたりしているだけなのだが、アリーと一緒にいるだけで心の底から癒される。

アリーと付き合うようになってから、僕は随分出張を削り、できるだけニューヨークにいるように心掛けるようになった。

それでも、まだ色んなところに行かないといけないが、少なくともこの1年ぐらいは、僕の時間のかなりの部分をアリーの為に割くようになった。

本当は来週、ドイツのディッセルドルフで仕事があるのだけれども、他の人に頼んで行ってもらう事にした。

その分人を雇うコストもかかるのだけれども、お金は墓場に持って行く事はできなし、自分と自分が愛する人が幸せになるように、お金と時間を使いたいとようやく思うようになった。

レストランを出て家に帰る時に、朝かけていたストーンズがまた音楽を奏ではじめた。
 
ストーンズの”Wild Horses”(ワイルド・ホース)が、夜中を回った1番街をアップタウンに流す車の中に広がった。

僕のアパートのリビングは川を向いているが、仕事部屋の窓は坂に面しており、坂を上り下りする車の流れを見ながら仕事をしている。
 
昼間は様々な色の車が坂を上り下りし、夜になると、たくさんのフロントランプ、テールランプが、クリスマスツリーの灯りのようにキラキラと光る。

今日は日中ちょっと晴れたが夜遅くになり雨が降り、夜中零時をまわって人通りのすくなくなった坂は、雨のおかげで路面を光らせ、黄色に光るナトリウムライトの街灯が、坂の所々にできた水たまりに、ぼうっとしたオレンジ色の光を反射させている。 

たまに車が一台二台と行き交っている。

僕は夜中に仕事の合間、この坂の景色を見つめるのが好きだ。

雨に濡れナトリウムライトでオレンジ色に染まった坂道を、赤いテールランプを輝かせながら一台の車が上がって行く。

その車のドライバーは一人で運転しているのだろうか?

これから家路に帰るところなのだろうか?

家に帰ると家族が寝ているのだろうか?

それとも一人暮らしで灯りのついていない家に帰るのだろうか?

とか、どうでも良い事が次から次へと頭に浮かんでくる。 

その見た事も無い、決して会う事も無い、通りすがりの一台の車を運転する人の生活をふと思い、その人が幸せだったら良いなと漠然と願うのは、おかしいと思うのだが、僕は仕事場の窓からこの坂を眺める時だけ、そういった見ず知らずの人の生きる哀しみを感じてしまい、そういう思いに駆られてしまう。

僕の人生も、一台の車で闇の中を走り続けているようなものに思える。

たまに助手席に人が乗っている事はあるが、基本的にはたった一人で、行き着けるかどうかも判らない行った事の無い場所を目指して、一人夜の道を運転しているような気がする。
 
頼りなげな赤いテールランプを灯しながら。

僕の灯すテールランプは人にどう映っているんだろう。

何杯目かのレッドワインのグラスを空け、まだ降り続ける雨に、キラキラと輝く星のような車のヘッドライト、テールライトを見つめていると、遠い昔の過去が蘇ってきた。

何とかして忘れよとしても決して忘れる事ができず、タンスにしまった昔の亡霊のように、こんな雨の日には必ず現れる過去の思い出。

その思い出を飲み干すように、僕は空になったワイングラスにまた赤ワインを注いだ。

第一章 愛するということ( 3 / 91 )

2006年07月05日  独立記念日

今日は朝から素晴らしい天気だった。

午後2時過ぎにアリーのアパートに向かった。

僕はFDRと言うニューヨークの東端を南北に走るハイウェイを通って、アリーのアパートのあるアッパーイーストまで車を走らせた。
 
まだイーストリバーでの花火大会までには、6時間以上の時間があったが、既に川沿いには場所取りをしている人がいた。
 
僕はそれらの人を横目で見ながら、まだ交通量の少ないハイウェイをアリーのアパートに急いだ。

いつもの通り80丁目に駐車スポットを見つけ路上駐車をして、アリーのアパートのあるビルまで僕は小走りで向かった。

僕はアリーの事をもう5年位知っているし、付き合うようになってからもう1年以上立っているが、毎日逢っていても僕はアリーと会うのが何よりも楽しいし、少しでもアリーと一緒にいたいと思う。

なので、自然とアリーに会いに行く時の足取りは軽く早くなってしまう。
 
こういうのを老らくの恋って言うのだろう。
 
でも歳を取ったら恋をしてはいけないっていう決まりは無いのだから、僕は自分の気持ちに正直でいたいと思っている。

アリーの家では別に何をするという訳ではなく、二人で改造途中の裏庭に出て、買って来たばかりの椅子に座って、太陽の光を楽しみながら話をしたり、部屋の中に戻ってテレビをみたり、とりとめの無い事で時間を過ごした。

3時過ぎにTVのスペイン語放送でワールドカップのドイツ-イタリア戦を見た。

アリーは若い頃にドイツに留学していた事があり、ドイツに親しい幼なじみがいる事もありドイツを応援していた。

僕は不良中年に憧れているのでイタリアを応援し、必要以上に熱狂的なスペイン語のアナウンサーが絶叫する中、アリーとソファに座りながら、大騒ぎでTV観戦を楽しんだ。

試合に熱中していたので料理の準備をすっかり忘れてしまい、家での手料理は諦め、近くのイタリア料理屋に食事に出かけた。

そのイタリア料理屋は、外からではレストランかどうかわかりにくく、外から見えるのは通りに出された一つのテーブルと二脚の椅子だけで、そこにはレストランのオーナーの老人と、彼の友達がいつも葉巻を吹かしながらワインを飲んでいると言う、面白いレストランだ。

オーナーの老人は僕達二人の事を良く知っているので、僕らが道を歩いていると、葉巻をくわえたまま僕らの方に向かって、大きく手を開いてやってきて、イタリア式の挨拶をして僕らを迎えてくれた。

レストランの中にはあまりお客がいなかったので、二人で貸し切りのようにのんびりとすることができた。

 
僕らは、白ワインのボトルを開け、この国の誕生日を二人で祝い、僕ら二人、僕らの友達、愛する人々の幸せと健康を祈って乾杯をした。

少し飲み過ぎてしまったので、酔いを醒ます為、手をつないで二人で川沿いの街を暫く散策した。

涼しい川からの風がアリーの後ろ髪を乱すたびに、髪の毛をかきあげるアリーの仕草が愛らしい。

よくみると夏の落日が彼女の白い肌を少し赤く染めていた。 

アパートに帰って暫くすると、アリーは僕の隣で可愛い寝息を立て始めた。

僕はアリーを抱き上げベッドにうつし、部屋の電気を暗くしてTVを見ていた。

TVは独立記念日の様々なニュース、花火の事、スペースシャトルが発射されたが、既に故障が発見されている事、テポドンが発射された事、イラクでの死傷者の数が増えている事、イラクで負傷し病院でリハビリをしている兵士の話など、救いの無いニュースを山のように流していた。 

ベッドでは僕の最愛の女性が可愛い寝息をたてている。
 
その近くでTVは本当に天国などというものがあるのだろうか?と言いたくなるような救いの無い現実を垂れ流し続けている。 

僕は暫くしていたたまれなくなってTVを消した。

TVの残像がアリーの寝顔をわずかに青く照らしている中、アリーはずっとスヤスヤと眠っている。
 
僕はアリーの寝顔を見ていたが、理由はわからないが何故か涙がこぼれてきた。

 

僕は日本を離れてから常に一人で仕事をしている。 
たまに何人かの共同作業をする事もあるが、それはあくまでもプロジェクトベースで、基本的には常に単独行動だ。

もともと日本を離れたのも、組織が嫌いだったり、自分一人でどこまでできるか挑戦してみたかったというのもあるし、同じ職場に毎日通うような人生をおくりたくないとか、他にも理由がいくつかあったのだが、その代償として僕は日本を離れて以来、常に孤独だった。

僕が日本を離れた頃、日本を飛び出し世界に羽ばたこうとしていた日本人スポーツ選手は、野球の野茂とF1の中嶋悟ぐらいで、まだイチローもいなければ中田もいなかった。

僕はまだ外国で活動を始めたばかりで、理想と現実のギャップを目の当たりにし、いかに自分が井の中の蛙であったかを、外国人から容赦なく思い知らされている時だった。
 
そういう時に野茂の活躍を聞き、中嶋の苦闘を聞き、同じ日本人として、世界の中で勝負をしている求道者達の姿に励まされたものだった。

アメリカに来てからは殆どの場合、外人だろうが英語が喋れようが喋れまいが、一切おかまいなしのスクラッチ勝負が基本なので、それぞれの人間が自分に誇りを持ち、自分のルーツに誇りと自信を持ち、あくまでも強気で攻めて行く事を当然要求された。

外国にいると、嫌でも自分が日本人である事を色々な場面で確認させられる。

特にニューヨークは移民の街なので、自分のルーツに自信を持っていない人は、信用されないというか相手にされない傾向がある。

あと面白いと思ったのは、例えば日本人の誰かが、ニューヨークのコミュニティーで何か達成して評価をえたりすると、彼らはその日本人を紹介する時に
『こいつはリアルサムライだ』というような賞賛をする事が多い。

これって裏を返せば、やっぱりニューヨークのコミュニティーで生きている人たちは、それぞれのルーツや祖国を意識しているということだと思う。

僕は外国に出てから、より強く自分を意識し、自分のルーツである日本や、日本人を強く意識し、日本人である事を強みにして、少しでも勝ち残れるように、自分の気持ちを高めようと努力をしている。

その為に、外国に出てから日本の事をたくさん勉強するようになった。

誤解をされるかもしれないが、僕の仕事場のドアを閉めると、ドアの内側には旭日旗がかかっている。
 
別に僕は右翼でもなければ戦争崇拝者でもないが、外国で退路を断って、一人日本人として闘い続ける心を奮い立たせる象徴として、ドアの裏側には旭日旗がかかっている。

ドアの裏側なので普通は仕事場の人は決して見る事が無い。

僕が一人になりたい時、脳漿を絞り出すような思いで次の手を考える時、僕は仕事場のドアを閉め、旭日旗と対峙し、日本人として恥ずかしくない闘い方、仕事をしようと、その都度自分に言い聞かせる。
 
多くの日本の先人達がそうしたように、僕も恥ずかしくない闘い方をし、結果を恐れず凛とした姿勢で物事に対処したいと思う。

 


第一章 愛するということ( 4 / 91 )

2006年07月07日  七夕

日本には七夕の時に短冊に願い事を書くという風習がある。
 
七夕の話は切ない。

一年に一度しか会えないなんて残酷な話だ。
 
子供の時には何とも思わなかったが、日本の昔話は結構切ない話が多い。

小学校の時に授業で先生から七夕の話を聞き、皆で短冊に願い事を書いた。

クラスメートの優しい女の子が【彦星さんと織姫さんをもっと逢えるようにしてください】と短冊に書いてたことを思い出した。

しかし、自分が何を書いたのかは全く思い出せない。 
自分の将来なりたい仕事?夢?なんかを書いたような気がする。

それから何十年もの月日が経ち、僕は異国の地でたった一人、なんとか生き延びている。

子供の時には、こんな事になるとは夢にも思わなかった。

あれから何十年もの月日が経ち、僕は生き残る為に、どんどんずるく汚くなり、僕の両手は罪で汚れ、嘘をつき人を騙した。
 
でもそれが大人になるという事なのかもしれない。

僕が、最後に七夕に短冊を飾ったのはいつだっただろう。

まだ日本に住んでいる頃、20代の前半だった気がする。 

僕は当時、恋人のエリカという女性と一緒に暮らしていて、二人とも音楽で喰って行こうと苦闘している頃だった。
 
デモテープを色々なレコード会社に送り、ライブハウスを周り、楽器代と生活費を稼ぐ為にいくつものバイトをしている頃だった。

エリカは福生の基地の近くに住んでいた女の子で、親のいない子だった。

父親は米兵だったらしく、エリカは褐色の肌を持っていた。
 
唄が大好きで、唄が凄くうまくて、いつのまにか、東京の福生市界隈にたむろしていたゴロツキと一緒にバンドを始めた。
 
僕もそのゴロツキの一人だった。

PXをまわって基地のクラブで音楽をやっている頃が一番楽しかった。
 
でもいつしかもっと、夢を追いかけたいと思うようになり、PXまわりでは満足がいかなくなった。

僕はデモテープを聞いたあるレコード会社の人が、ボーカルの女の子はイケルけど、バンドはいらないと言っているのを聞いてしまった。

僕はエリカだけでも夢を掴んでほしくて、エリカには理由を言わずにバンドをやめ、音楽をやめた。

僕はエリカに、バンドをやめ音楽をやめた理由を消して言わなかったけれど、エリカは何となく感づいていたようで僕の事を随分せめた。 

僕は音楽以外の仕事を始め、エリカは音楽を続けながら、僕らは毎日冗談を言いながら楽しく暮らしたが、決して音楽の話をする事はなかった。

今から考えればお互いに引け目を感じながら、無理をしていたんだと思う。

ある時、僕が仕事でアメリカに出かけ日本に帰って来た時に、エリカが成田空港まで雨の中、車で僕を迎えに来てくれた。 

僕はエリカが乗って来た車(カマンギア)の助手席に乗り、雨の高速を横浜方面に向かったが、エリカはカーブでハンドルを切りそこね、事故を起こしてエリカは僕の目の前で死んでしまった。

僕は病院で生死の間を彷徨ったが生き残り、病院を退院して少しして、死んだエリカが妊娠していた事を知った。

エリカのお腹の中には、僕の子供がいた。

エリカは、愛の為に生きるという事がどれだけ壮絶なものかを僕に身を以て教えてくれた。

その後、僕は精神に異常をきたし、しばらく記憶をなくし、亡霊のようにヨーロッパを彷徨った。

それから僕は自分の罪の重さに耐えかねて、自暴自棄になり自分の命を縮めるような生活を送り続けた。

ただ、捨て身の人間がまわりに与える恐怖心のお陰で、僕は逆にいくつもの修羅場を奇跡的に生き延びた。

そんな中で僕はアリーに出会った。

アリーは、毎日死ぬのを待つかのように、あえて危ない橋を渡るような僕を、無防備な微笑みで、両手を広げ包み込んでくれた。

僕が最後にした七夕は昔の恋人のエリカと一緒に住んでいた東神奈川のアパートのベランダに竹を買って来て、短冊に願い事を書いたのが最後だった気がする。

あれから20年の月日がたち、僕も立ち直り大人になった気がする。

昔は辛かったけど時間が経つにつれて、自分が生きている理由がきっとあるはずだと思うようになった。
 
七夕の昔話では無いけれど、一年に一度ではなく、僕が死んだらあの世で会いたい人がたくさんいる。

その人達が僕の事を忘れずに待っていてくれればいいな。

堀田一輝
作家:エンジェルカズキ
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