美希がくろがね荘に住むようになり、高校に通いだす頃に瞬と美希は知り合った。きっかけは朝のゴミ出しだった。まだ来たばかりの頃の美希は島とは違う街のルールがわからなかった。駅での券売機、見たことのない量の車の数、夜でも明るい道、美希にとってはすべてが初めて見るものだった。ゴミ出しも、島ではせいぜい燃えるゴミと燃えないゴミぐらいしか分けていなかったが、ここでは様々な種類に分別しなければならなく、美希にとっては難しい問題だった。
ある朝、美希がアパートのゴミ出し場にゴミを捨てに行ったとき、美希はゴミ出し場の整理をしている同い年のような男の子と出会った。
「こんにちは」
美希は挨拶をしてゴミ捨て場にゴミ袋を置いていった。
「あ、ちょっとまって」
突然美希はその男の子から声を掛けられた。
「困るよ、今日は資源ごみの回収はしてないんだよ。資源ごみは来週の金曜に出して。あと資源ごみに出すペットボトルはちゃんとラベルを剥がして中を洗う」
男の子は少しいらついた調子で美希に話しかけてきた。
「すいません」
「きみ、最近引っ越してきた子? ちゃんとゴミ分別の紙見たの? これくらいのルール守ってもらわないと困るんだけどさあ。あと最近燃えるゴミの中に缶が混じってんだけどもしかして君のせい……って大丈夫?」
美希は泣いてしまっていた。男の子はおろおろしながらあやまった。
「ご、ごねんね、ちょっときつく言いすぎちゃったね。大丈夫、怒っていないから」
「別に謝ってほしいわけじゃないんです。ただ自分がなさけなくて……」
美希はぽつりと言って男の子に背を向けると走って部屋まで戻っていった。
「やっちまった」
瞬はゴミ袋を持ったまま立ち尽くしていた。
部屋に帰った美希は学校に行くぎりぎりまで布団にうずくまっていた。学校に着いてからもずっと暗い顔をして教科書を眺めていた。昼休みに弁当を食べている時も浮かない顔をしていた。
「なんかあったの?暗い顔して」
由紀が心配そうに聞いてきた。由紀は美希が街に来て初めて出来た友達だった。水泳部に所属していて泳ぐことが好きで、よく美希の島の近くの海へ泳ぎに行くらしい。自己紹介の時、出身の島の名前を言った事を覚えていたらしく、ひとりでごはんを食べている時に向こうから話しかけてきたのがきっかけだった。由紀は変な奴だった。それでも美希と由紀はフィーリングが合うらしく、互いに一緒にいると気楽だった。
「ううん、なんでもないよ」
美希は無理やり笑顔を作って答えた。
「美希って嘘をつくのがヘタすぎるね」
由紀は人の嘘を見抜くのが得意だった。
「美希はまだこっちに来て日が浅いんだから分かんないことだらけでしょ? わかんない事があったら私にじゃんじゃん聞いていいんだからね」
「大丈夫だよ、もうだいぶ慣れてきたから」
「昨日横断歩道の前で信号が変わるの延々と待ってたじゃん。あれ押しボタン式だったんだよ?」
「……なんでそんなこと知ってるの?」
「うん、コンビニで立ち読みしてたら見えた」
由紀は神出鬼没である。
「まあ、そのうち慣れるから大丈夫だよ」
由紀は美希にとって街の暮らし方の先生だった。美希はおかずをつまみながら聞いた。
「ねえ由紀、街ではゴミ出しを間違えたら怒られるの?」
「ゴミを違う回収日に出したところを大家さんに見つかって怒られたから今日はそんなにテンション低いんだ」
「なんでわかるのよ……」
「美希はアパート暮らしで街のルールがいまいちわかってなくて今朝から暗い顔してる上にゴミ出しについて聞いてくる。ここから導き出される答えはひとつなのだ」
由紀は探偵向きだ。
「あ、でも大家さんってとこは違うかも。注意してきたのまだ高校生みたいだったもん」
「あれ、はずれちゃった。次はもっと精度の高い推理をしなくては」
残念そうな由紀を見て、美希はようやく自然に笑えた。
放課後、美希は買い物を済ませてアパートに帰ってきた。部屋のドアの前で今朝の男の子がうろうろしていた。
(まだ何かダメな事をしたんだっけ)
美希はどこかへ逃げだしたい気分を抑えて部屋に近づいていった。男の子が美希に気がついたのか振り向いた。
「あの、今朝は失礼しました」
「今朝は本当にすいませんでしたっ」
「……え」
ふたりは同時に謝っていた。
「えっと、ルールを守らなかったのは私が悪いんですし……」
「いやでも泣かせちゃったのは俺の方なんで俺が悪かったです。本当にすいませんでした」
「いや、気にしていないですから」
男の子は必死になって謝っていた。美希はなぜこんな必死に謝っているのだろうと思った。
「本当に今朝の事は気にしていませんから。そんなに謝らないで下さいよ」
「すいません…… あ、ドーナツはお好きですか?」
「えっ、好きですけど」
「じゃあ良かったらこれ食べて下さい。駅前の美味しいドーナツなんで」
男の子は笑顔でドーナツの箱を美希に差し出してきた。美希は唐突過ぎてなにがなにやらわからなくなっていた。
(街の人は謝りに行くときに必ずドーナツを渡す習慣があるのかな……)
美希はまだまだ自分は街のルールがわかっていないんだな、と自己解釈していた。
「いや、そんなルールあるわけないじゃん」
男の子は大笑いしていた。ドーナツを渡されてそのまま何もしないのは悪いと思った美希は謝ってきた男の子を部屋に上らせていた。男の子は瞬という名前で、二つ隣の部屋に住んでいると言った。高校一年生らしい。美希とは違う高校に通っていた。
「でも、あんな必死な様子でドーナツ食べて下さい、って言っていたから街にはそんなルールがあるんじゃないかって勘違いするじゃん」
美希はお茶と貰ったドーナツをテーブルの上に置きながらふくれていた。
「でも君は変わってるね。普通今朝会ったばかりの男を部屋に入れないよ。危ないじゃん」
「私の住んでた所だと、人からおすそわけを貰ったら家に上げてお茶を飲んでいって貰うことになってたの」
「そりゃ田舎だから変な奴も居ないから出来るんじゃん」
「そうかもしれないけど……」
この瞬という男は自分の思ったことを素直に口に出してしまう男らしい。今朝の事も悪気があって言った訳ではないようだった。
「でも今朝、怒られたのはちょっと傷ついたよ。あんな言い方しなくてもいいのに」
「それに関してはホントすいませんでした。なんかいつも言い方がキツくなっちゃって、母親にいつも怒られているんだよ。んでいつも母親に『不愉快な思いをさせた人には誠心誠意謝りなさい』って言われてるんだ」
「だからわざわざドーナツを?」
「このドーナツ屋さんで母親が働いてるんだ。俺が小さい頃は母親が一緒にドーナツ持って謝りに行ってたんだ。今は自分でやっちまったって思った時は今日みたいにドーナツ買って謝りに行くんだ」
「……そっちも変わってると思うけど」
瞬の話は子供っぽくて楽しかった。
「そういえば美希は島から来たって言ってたよな」
お茶を飲みながら瞬は尋ねた。
「うん、ここから遠い場所だよ」
「親がいなくて寂しくない?」
「それは寂しいけれど仕方ないよ。親だって無理してここの高校に通わせてくれてるんだし」
「寂しいんだったら晩飯ウチで食べない?」
「……はい?」
瞬の話はいつも唐突だった。
「いやさ、ウチも母親帰ってくるの遅いしひとりでご飯食べるのやっぱ寂しいんだよね。ってか小さい頃から誰かと晩ごはん食べるなんてほとんどなかったから。それに美希と話してると楽しいし」
「でもそっちのお母さんに迷惑がかかるし、やめた方がいいんじゃないの?」
「大丈夫大丈夫、ウチの母親優しいし、晩ごはん作ってるのいつも俺だし、誰か居た方が楽しいしちょうどいいじゃん」
滅茶苦茶な話だったが、美希もひとりでご飯を食べるより誰かと食べる方が好きだった。
「とりあえず今度ウチの母親に会いに来なよ。母親の作る唐揚げ、すげー旨いんだぜ」
なぜか瞬は楽しくてたまらない様子だった。