島と街、二部屋分の距離

美希はこのアパート「くろがね荘」に一人で暮らしていた。美希が生まれ育ったのはここから遠く離れた小さな島だった。美希の島には小学校と中学校はあったが高校は無く、十五になる頃に島で生きていくか、島を出て高校に通うか選ばなければならなかった。そして多くの子供たちが島を出ていってしまった。美希も例外ではなく、島を出て高校に通う決断をした。たいていの子供たちは先に島を出ていった親戚や知り合いをたよって島から比較的近い高校に通うのだった。しかし美希は他の子供たちと違い、島から離れた坂ノ上高校に通うことにしたのだった。

 島にいた頃、美希は天才少女と呼ばれていた。小学校から中学校までテストは毎回一番で、上級生たちよりも物覚えが早かった。中学校の先生も美希の両親も、美希にはよりレベルの高い所で勉強して欲しいと願っていた。美希は先生や両親の期待通り、県内ではトップクラスの高校に合格したのだった。島を出る時には島民の期待を一身に背負い、盛大な送別会も開かれるほどだった。しかし坂ノ上高校の近くには美希の親類も知り合いもいなかった。仕方なく美希の両親は高校に程近いこのくろがね荘の一室を借り、美希を住ませることにしたのだった。

 美希がくろがね荘に住むようになり、高校に通いだす頃に瞬と美希は知り合った。きっかけは朝のゴミ出しだった。まだ来たばかりの頃の美希は島とは違う街のルールがわからなかった。駅での券売機、見たことのない量の車の数、夜でも明るい道、美希にとってはすべてが初めて見るものだった。ゴミ出しも、島ではせいぜい燃えるゴミと燃えないゴミぐらいしか分けていなかったが、ここでは様々な種類に分別しなければならなく、美希にとっては難しい問題だった。

 ある朝、美希がアパートのゴミ出し場にゴミを捨てに行ったとき、美希はゴミ出し場の整理をしている同い年のような男の子と出会った。

「こんにちは」

 美希は挨拶をしてゴミ捨て場にゴミ袋を置いていった。

「あ、ちょっとまって」

 突然美希はその男の子から声を掛けられた。

「困るよ、今日は資源ごみの回収はしてないんだよ。資源ごみは来週の金曜に出して。あと資源ごみに出すペットボトルはちゃんとラベルを剥がして中を洗う」

 男の子は少しいらついた調子で美希に話しかけてきた。

「すいません」

「きみ、最近引っ越してきた子? ちゃんとゴミ分別の紙見たの? これくらいのルール守ってもらわないと困るんだけどさあ。あと最近燃えるゴミの中に缶が混じってんだけどもしかして君のせい……って大丈夫?」

 美希は泣いてしまっていた。男の子はおろおろしながらあやまった。

「ご、ごねんね、ちょっときつく言いすぎちゃったね。大丈夫、怒っていないから」

「別に謝ってほしいわけじゃないんです。ただ自分がなさけなくて……」

 美希はぽつりと言って男の子に背を向けると走って部屋まで戻っていった。

「やっちまった」

 瞬はゴミ袋を持ったまま立ち尽くしていた。

 

 部屋に帰った美希は学校に行くぎりぎりまで布団にうずくまっていた。学校に着いてからもずっと暗い顔をして教科書を眺めていた。昼休みに弁当を食べている時も浮かない顔をしていた。

「なんかあったの?暗い顔して」

 由紀が心配そうに聞いてきた。由紀は美希が街に来て初めて出来た友達だった。水泳部に所属していて泳ぐことが好きで、よく美希の島の近くの海へ泳ぎに行くらしい。自己紹介の時、出身の島の名前を言った事を覚えていたらしく、ひとりでごはんを食べている時に向こうから話しかけてきたのがきっかけだった。由紀は変な奴だった。それでも美希と由紀はフィーリングが合うらしく、互いに一緒にいると気楽だった。

「ううん、なんでもないよ」

 美希は無理やり笑顔を作って答えた。

「美希って嘘をつくのがヘタすぎるね」

 由紀は人の嘘を見抜くのが得意だった。

「美希はまだこっちに来て日が浅いんだから分かんないことだらけでしょ? わかんない事があったら私にじゃんじゃん聞いていいんだからね」

「大丈夫だよ、もうだいぶ慣れてきたから」

「昨日横断歩道の前で信号が変わるの延々と待ってたじゃん。あれ押しボタン式だったんだよ?」

「……なんでそんなこと知ってるの?」

「うん、コンビニで立ち読みしてたら見えた」

 由紀は神出鬼没である。

「まあ、そのうち慣れるから大丈夫だよ」

 由紀は美希にとって街の暮らし方の先生だった。美希はおかずをつまみながら聞いた。

「ねえ由紀、街ではゴミ出しを間違えたら怒られるの?」

「ゴミを違う回収日に出したところを大家さんに見つかって怒られたから今日はそんなにテンション低いんだ」

「なんでわかるのよ……」

「美希はアパート暮らしで街のルールがいまいちわかってなくて今朝から暗い顔してる上にゴミ出しについて聞いてくる。ここから導き出される答えはひとつなのだ」

 由紀は探偵向きだ。

「あ、でも大家さんってとこは違うかも。注意してきたのまだ高校生みたいだったもん」

「あれ、はずれちゃった。次はもっと精度の高い推理をしなくては」

 残念そうな由紀を見て、美希はようやく自然に笑えた。

 放課後、美希は買い物を済ませてアパートに帰ってきた。部屋のドアの前で今朝の男の子がうろうろしていた。

(まだ何かダメな事をしたんだっけ)

 美希はどこかへ逃げだしたい気分を抑えて部屋に近づいていった。男の子が美希に気がついたのか振り向いた。

「あの、今朝は失礼しました」

「今朝は本当にすいませんでしたっ」

「……え」

 ふたりは同時に謝っていた。

「えっと、ルールを守らなかったのは私が悪いんですし……」

「いやでも泣かせちゃったのは俺の方なんで俺が悪かったです。本当にすいませんでした」

「いや、気にしていないですから」

 男の子は必死になって謝っていた。美希はなぜこんな必死に謝っているのだろうと思った。

「本当に今朝の事は気にしていませんから。そんなに謝らないで下さいよ」

「すいません…… あ、ドーナツはお好きですか?」

「えっ、好きですけど」

「じゃあ良かったらこれ食べて下さい。駅前の美味しいドーナツなんで」

 男の子は笑顔でドーナツの箱を美希に差し出してきた。美希は唐突過ぎてなにがなにやらわからなくなっていた。

(街の人は謝りに行くときに必ずドーナツを渡す習慣があるのかな……)

 美希はまだまだ自分は街のルールがわかっていないんだな、と自己解釈していた。

maruma
作家:丸中丸
島と街、二部屋分の距離
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