花は散るけど

5章 12月1日( 1 / 3 )

 休みがあけて、月曜日になった。よりいっそう冷えるようになった朝の冷たい空気と、近づいてきた期末テストとその先の冬休みにそわそわと浮かれている廊下を、歩く。

  教室に入ったぼくの目に飛び込んできたのは、自分の机の上に置かれている、一通の白い封筒だった。少し角が丸くなったその封筒は、間違いなく金曜日までぼくがかばんにずっと入れていたものだった。

 どくんと、外の空気よりも寒いかたまりが、ぼくの心臓を鷲掴みにした。

ぼくは、楽しそうに話をしているクラスメートたちに勘付かれないように、静かに自分の席に腰を下ろした。平気な顔をして、そっと封筒をかばんにしまう。

櫻木さんは、これを受け取ってくれなかったんだろうか。宛名も、文面も、何も書いてないポストカードなんて、気味が悪かったのかもしれない。

いや、もしかしたら、何かの拍子に机から落ちて、誰かに落とし物だと勘違いされたのかもしれない。そうだったら、いい。もし、櫻木さんの手に渡らないままぼくの元に戻ってきていたなら、まだ救いはある。もう一度、渡せるからだ。

 

でも、あの放課後の静けさなんかどこにも残っていない、朝の挨拶や冬休みの予定を話し合う声がひびく賑やかな教室で、一つ前の机に封筒を入れる勇気はなかった。ただ静かに、苦しいくらい寒くて重いものが、ぼくの胸の中いっぱいに広がっていく。

その重さに、じっと耐えていると、朝のチャイムが鳴って先生が教室に入ってきた。日直の号令で朝の挨拶をしたあと、少しだけ改まった顔で先生は口を開いた。

 

「先週の土曜、櫻木がご家族の急な都合で、転校した」

 

 ざわり、と教室が揺らぐ。ぼくの胸に満ちていた寒くて重いものが、ざぶりと大きく波打った。

 

「で、だ。櫻木はたしか園芸委員だったな。代わりに、山下、やってくれ。さっそくだけど今日の放課後、学級菜園の草抜きあるから」

 

 マジカヨ先生。 文句ヲ言ウナ、アト一ヶ月モ無インダゾ。 チェ、櫻木、最後ノ仕事クライヤッテカラ転校シロヨナ……頭の上で飛び交う声は、何処か遠いところを飛び交っていた。

 

ただ、ただぼくには、今の先生の言葉が信じられなかった。

 

あの金曜日の放課後、櫻木さんはもうすでに自分が転校すると、知っていたんだろうか。だから一人で、草抜きをしていたんだろうか。もう、できなくなるから。

あの日、カモミールティーを飲む前に、けっきょく喉から出て来なかった台詞と、たった今浮かんできた疑問が、ごちゃまぜになって頭の中をぐるぐる駆け巡っていた。

 

自分でも知らないうちに飲み込んだ、つばのごくりという音が、やけに大きく頭に響いた。

 

5章 12月1日( 2 / 3 )

 気がつくと、放課後になっていた。

 ぼくは逃げこむように図書室に向かっていた。司書の先生の姿も見えない。珍しく、誰もいないようだった。

 静けさに満たされた図書室で、何をしたらいいかわからないまま、かばんから、あの白い封筒を取り出す。よく見ると、封筒の封は一度剥がされていたようだった。誰かが中を見たのだろうか。

 もし、中に入っているポストカードが、誰かにイタズラされていたら……そう考えると、いてもたってもいられなくなった。ぼくは急いで封筒の封を開け、ポストカードを取り出した。

 表に印刷されたカモミールは、あいかわらず白と黄色の対比が鮮やかだった。ずっと封筒に閉まったままだったからか、本屋で見かけたときと同じくらいきれいなままだ。

 

 今度は、ひっくり返して裏を見る。そこには、丸っこいけどどこかしっかりした文字で、「ありがとう」とだけ書かれていた。

 

 これがどういう意味なのか、ぼくにはわからない。

 ぼくが、櫻木さんにしてあげたことといえば、9月のあの日に、園芸委員になったと教えてあげたことくらいだ。それくらいだった。

 むしろこれは、ぼくが櫻木さんに言わなきゃいけない言葉のような気がした。お茶をもらったときに反射的に言った「ありがとう」以外にも、いっぱい言いたいことが、ぼくにはあったのに。

 

「……」

 

 ポストカードを見つめたまま、唇を開く。だけどやっぱり、ぼくの頭にぐるぐると渦巻くものは、言葉になって喉から出てくることはなかった。

 

 

 図書室の窓から見下ろす学級菜園には、あちこちに、それぞれのクラスの園芸委員たちが散らばっていた。文句を言いながら、でもにぎやかに「強制労働」に取り組んでいた。

 

 

 だけどそこに、週に一度の朝、いつもぼくが見ていた櫻木さんの姿は、ない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夏川 いつき
花は散るけど
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