短編集「ガラスの蝋燭」

ガラスの蝋燭( 1 / 6 )

「コンコン」
「ハーイ今行きます」と言って僕は毎日見慣れている自分のちょっと草臥れた靴が置いてある玄関に向かった。
「はい、どなた?」と言ってチェーンはかけたままドアの隙間から外の様子を伺ってみた。そこには去年の冬、彼女の誕生日にプレゼントした靴が並んでいた。勿論彼女もそこに居た。
「やあ、こんな時間にどうした?」と言って僕はチェーンを外す為に一度ドアを閉めたのだが、その時の彼女の仕草が少し気になった。「ん?」と思ったのだが、ドアが閉めてあるので、彼女にはその反応は見えなかったようだ。僕は取り急ぎ、チェーンをはずし、ドアを開けた。
「お待たせ」と言って彼女に笑顔を投げかける。
「うん。この子ちょっと預かって欲しいの」と言った彼女は、ペットとして飼っているミニチュアシュナウザーのヒルダを連れていた。
「ああ、いいけど旅行にでも行くの?」と僕は彼女と一緒で犬が好きな為、反射的にしゃがんでヒルダの頭を撫でていた。
「そう言う訳じゃないんだけど・・・・・・」とちょっと語尾が弱弱しかった。
「うん、いいよ。ヒルダも俺を好きみたいだしね。ほら」と言って先程まで呑んでいたビールのおつまみの匂いでもしているからだろう、ヒルダはペロペロと僕の指を健気に舐めていた。

ガラスの蝋燭( 2 / 6 )

「今からどこか行くの?上がってかない?」と声をかけると、彼女は、
「ううん。帰る」と言った。
「そう、寒いし、夜も遅いから気をつけて」と言うと、
「うん。ありがとう。ばいばい」と言って彼女は帰って行った。
 僕はヒルダというお客さんを持て成す為に、「何か飲むか?」と言って、冷蔵庫を漁りに行った。
 電子レンジでチンして少し暖めた牛乳をヒルダにあげたのだが、どうもいつも見ていたヒルダと様子が違った。ま、いつもは彼女の家で見ていたからだろう。場所が変わって落ち着かないんだと、無理に納得してその事は流すことにした。

僕はヒルダを眺めながら、彼女との事を考え出した。


ガラスの蝋燭( 3 / 6 )

「お邪魔かな?ヒルダとの仲を裂く妖怪が現れて」と言って僕は少しおどけて見せた。
「あら、靴が汚れているわよ。早く上がって寛いでいて。ふふっ」と言って読みかけの推理小説を置いて、僕の世話を焼いてくれる彼女がとても嬉しかった。
 僕は彼女のベッドをソファーがわりにして座っていたが、外で何か音がしたので、窓の外の様子を伺う為に、窓越しに覗いてみた。
 その窓はいつも綺麗に掃除がなされて、汚れ一つなかった。僕は窓の外よりその事が気になって、彼女にこう言った。
「いつも綺麗にしているね。窓もピカピカだね」と言うと、
「そうよ、その窓から貴方を眺めるのよ。来るときと帰るときにね。いつも後姿だけど」と言って振り返って欲しい事を仄めかす彼女のセリフに、
「じゃ、今日の帰りには手を振るよ」と言ってお互いに微笑んだんだった。そう、彼女はとても綺麗好きな女性だった。僕の靴の汚れまで気遣ってくれるような。ん?待てよ。
 先程の玄関での彼女の靴、汚れていたんじゃ・・・
 
 と思って回想から我に返ると、ヒルダの様子もやはりどこか不自然に感じる。
 とりあえず彼女の自宅に電話を入れるが、幽霊も相手にしてくれない。勿論彼女もだ。
 そこで僕は胸騒ぎを覚え、ヒルダを連れて、彼女のアパートまで行ってみることにした。ポンコツの車に拍車をかけ、彼女の家の玄関まで辿り着く。

ガラスの蝋燭( 4 / 6 )

 ノックをしたのだが、彼女の反応はない。帰ると言っていたのに不自然だ。鍵はかかっているが、合鍵は以前彼女と交換してお互いが持っている。
「がちゃ。ぱちん」玄関を開け、電灯をつけて彼女の姿を求めるが、どこにも彼女はいない。とりあえずヒルダを部屋の中に入れるが、僕には彼女がどこに行ったのか。見当もつかない。
 暫く部屋の中で様子を見ていたのだが、何かいつもと雰囲気が違うように感じられた。どこか居心地が悪い感じだ。彼女が居ないだけで、これだけこの部屋の居心地が悪くなるのかな、などと思っていたが、ヒルダの様子がいつもと違って何かを訴えている感じだ。
 ヒルダは窓の下を少し引っかいて舐めている。
「どうした?」と言って僕はヒルダを抱き上げるが、落ち着きがなく、嫌がって抱かれるのを拒否する。
 僕は何気に窓の外を覗いてみるが、そこには閑散としたいつもの夜が闊歩する道路が横たわっているだけだった。しかし、やはり何かが違う。
 少し窓に寄って見ると、この季節室温の関係で窓が白く曇った。
 そこにはいつも彼女らしくなく、指の跡が残っていた。僕はそれを目で追う。
「気付いて・・・」
 僕はこれだけ読んで他にも文字が隠れてういることに気付き、はっと息を吐きかけた。
「気付いてくれるかな。知幸」
 
星兎心
作家:星兎心
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