少女ふたり

今日からこの学園で生活するのか……。
広大な敷地と立派な建物を前に俺は嘆息した。学園の敷地内には山もあり、グランドや中庭にも贅沢に土地を 使ってある。建物も校舎ではなくどこかのホテルか大きな教会ではないかと見紛う程のたたずまいだ。それでも華美すぎない造りになっており、平和な学園生活 を送れそうな予感がする。
俺は地図を見ながら、建物の右翼――まるで城にでも使うような表現だがそれがふさわしい――にあたる寮に向かった。寮の前庭にはつつじだろうか、刈り揃えられた植え込みがある。
寮 は門こそないものの、頑丈な石造りの建物に、彫刻が施された大きな一枚板の扉がはまっている。各部屋ごとにあるのであろう窓はサッシではなく白く塗られた 木枠で縁取られており、下部に突き出たフラワーボックスもアルミではなく木枠で、しかも凝った模様が施されている。もちろんそこには可憐な花。所々開いて いる窓からはそよ風に揺れるレースのカーテンが見える。まるでの外国のような趣きだ。本当にここが高校の寮なのか疑ってしまう。
外観に圧倒されながらも、俺は寮の扉を開けた。ロビーは2階までの吹き抜けになっており、右手に腰から上がガラス張りになった小部屋があった。ガラスは引き戸になっていて半分ほど開けてあり、中には髪の長い女性がいる。背丈からしておそらく座っているのだろう。
「あの、すみません、今日からお世話になる者ですが……」
声をかけると、女性が立ち上がり、振り返った。同い年くらいの女の子だ。
「こんにちは、転校生の方ですね。お待ちしておりました、寮長の篠崎渚です。学年は貴方と一緒ですので、タメ口でいいですよ」
にっこり笑う口元からは柔らかな声。優しげな雰囲気の人だ。
さっとドアまで歩いて来ると中に引いて開いてくれ、俺が通れるように一歩脇に退いてから話を続ける。
「寮での決まりをご説明致しますので、こちらへどうぞ」
言われるままに中へ入った。中央に机があり、椅子が2脚。壁際には棚があり、ファイルが几帳面に並べられている。
おそらく勉強していたのだろう、寮長は机に広げられていたノートや教科書を手早く片付け、椅子を勧めてくれた。学校で良く見かけるパイプ椅子ではなく、膝置きのついたがっしりした椅子である。
「では、説明していきますね」
篠崎はふわふわした長いスカートを履いていたが、その上からでもきちんと脚を揃えているのが分かる。背筋もすっと伸びている。けれど柔和な印象は変わらず、堅苦しさは感じさせない。
寮長は一番上に寮則と書かれたプリントを指差しながら説明を始めた。
「まず、書いてあるように寮の門限は7時、夕飯は6時から10時です。申告して頂ければ門限は10時まで伸ばすことができます。外泊する場合には届け出が必要です。」
「寮内は男子用区域、女子用区域と共同の区域があります。男子用区域に女子が入ることはできません。逆も同じです」
「普段は、今いる寮監室に寮監さんがいらっしゃいますので、寮内で何かあれば寮監さんか、私におっしゃって下さい。寮監さんと私の携帯の番号もこちらに書いてありますから、遠慮なくどうぞ」
暫く淡々と話していた寮長がそれから、と言って茶目っ気のある目になった。
「門限以降も寮の裏庭は自由に利用できます。利用用途は……今日の夜、確かめておくといいと思います」
どうしてはっきり教えてくれないのか気になったものの、頷いておいた。
「では、こちらが貴方の部屋の鍵です。寮内は迷うことはないと思いますが、間取り図をお渡ししておきますね」
これで説明は終わりです、と寮長が締めくくっている所で部屋の扉がばん!と開いた。
「灯(あかり)ちゃん」
振り向くと、制服のようなチェックのブレザーを着たツインテールの女の子が立っていた。赤色が好きなのか、服も髪を結ぶリボンも赤色だ。この学園に制服はないので、おそらく私服なのだろう。
「おっ、そいつが今日から入寮してきたやつか!」
「灯ちゃん、そいつだなんて失礼よ」
寮長がたしなめるが聞いていない。ツカツカと歩いて来るとはきはきと喋った。
「私は灯、1年生だ。よろしくな!」
えらく元気なお嬢さんである。
灯は寮長の方を見て言った。
「渚、寮則の説明終わったか?」
「終わったわ」
「じゃあ共同の場所の案内してやるよ!」
灯に腕を引っ張られ、俺は勢いに負けて立ち上がった。
「丁寧に案内するのよ」
少し不安そうな寮長に「分かってるって!」と返事をして灯はずんずん歩き出した。

「共 同の場所なんて狭いもんだくどさ」と言いながら灯が案内してくれたのは食堂と裏庭だった。どうやら認識の差があるらしく、食堂も裏庭もどう見ても広い。食 堂は机がゆったりした間隔で配置してあり、裏庭は目線の高さの植え込みで難易度の低い迷路のように入りくんでいた。どちらもまばらに人がいて、ジュースを 飲みながら談笑していたり、散歩していたりする。
「後はー、男子区域の入り口を知っとけば多分寮内で困ることはないと思うな」
と言って灯は踵を返した。どうやら玄関ロビーへ戻るらしい。
「なぁ、男子が女子の区域に入ったら罰則でもあるのか?」
何気ない疑問に灯はにっと笑って答えた。
「1ヶ月の外泊及び土日の外出禁止!なかなかきついぞ~、破るなよ?」
予想以上に厳格なようだ。
玄関ロビーまで戻ると左右を指差しながら灯は言った。
「寮監室の後ろにある廊下が女子区域の入り口、反対が男子区域の入り口だ。本当なら校舎も案内してやりたいけど、今日は荷物も片付けたいだろ?」
頷くと灯はまた歯を見せて笑って手を振った。
「私も部屋に帰るよ。じゃあな!」
男子区域の1階は風呂場や洗濯室、ゴミの回収所などになっていた。途中に階段があり、登ると長い廊下の真ん中に出た。左右に部屋のドアがずらっと並んでい て、ホテルのようだ。部屋の扉にはツル草が絡まったデザインの木のプレートがかかっており、部屋番号が記されている。貰った鍵には201と書いたタグ。左 手に行くほど数字が小さくなるようだったのでそちらへ向かった。
角部屋の自室の中には、木目調のベッドと勉強机、本棚、それから宅配で送ったダンボール箱が無造作に置かれている。壁紙とカーテンは白、水回りは全て共同なので部屋には洗面所もトイレもない。代わりに豊富な収納と、置こうと思えば応接セットくらいなら置ける広さがある。
俺はとりあえず荷ほどきに取りかかった。

荷物が少ないので片付けには手間取らなかった。部屋の体裁を整えてから、隣の部屋に挨拶に行った。
ノックをしてすぐに出てきたのは、茶髪の、少し背の低い男だった。
「あぁ、あんたが隣に入った人かー。初めまして、仁科です。同じクラスだからよろしくな
喋りながら頭のてっぺんから足元まであからさまな視線を這わせてくる。
「ちょうどいいや、一緒にご飯食べに行かない?」
ぶしつけだが、気さくな人柄のようだ。しかも同じクラスだなんてラッキーだ。断る理由もなく了承した。
夕飯時なので食堂はそこそこ人が入っていた。食券を買って食堂のおばちゃんに頼むシステムで、なんだかやっと高校生らしいその風景にほっとした。メニューもカレーやラーメン、和定食など意外と普通である。
空いているテーブルで食事をしながら、仁科が言った。
「今日、寮監室にいたの寮長だったよな?」
肯定するとくぁ~、と羨ましそうな声を出す。
「いいなぁ、俺も寮長と話ししてー。寮の案内とかもして貰った?」
「それは灯とか言う子が来てしてくれたよ」
「灯ちゃんにも会ったの?二人とも美人だろ~」
まぁ、うん、と曖昧に返事をしておく。
「あの二人が学校ん中のツートップだな。タイプは正反対だけど、仲いいみたいで良く一緒にいるよ」
そう言えば仲良さげに話していたな、と思い出す。
さっさと食べ終えると、仁科がそわそわし始めた。
「俺今から裏庭行こうと思うんだけど、お前どうする?」
「裏庭?」
そう言えば寮長が、裏庭を見ておくといいと言っていた。
「俺もちょっと見に行こうかな。」
「あ、そう?じゃあさっさと皿片付けて行こうぜ」
言うなりそそくさと立ち上がる。俺も仁科に続いた。
裏庭までは食堂からドア一枚で繋がっている。外は街灯が付いているものの薄暗い。きょろきょろしていると、仁科が「あ、いたいた」と近くにいた女の子に声をかけた。
「仁科くん、おそ~い」
「ごめんごめん」
どうやら待ち合わせをしていたらしい。
「仁科、もしかして彼女?」
「そー。てことで俺、行ってくるから」
余程彼女と二人になりたいらしく、紹介もせずに行ってしまった。仕方ないので一人でぶらぶらしてみることにする。
ところが。
一 周してみて気付いたのだが、ベンチや街灯の下にいるのは必ずカップルなのだ。一人でいるのは俺だけ。通りすがりに不思議そうにじろじろ見られたりする。昼 間に見たときはこんな風ではなかった。どうやら裏庭は、夜にはカップルがいちゃつく場所と化すらしい。寮長が冗談ぽく言っていた理由が分かった。
そうと分かれば一人でうろうろするのは悲しすぎる。俺はさっさと自分の部屋へ戻った。
11時頃、風呂も済ませ、することもなかった俺は雑誌を読んでいた。寮の中は防音がしっかりしているのか静かである。
ふとトイレに行きたくなって、何気なく部屋のドアを開けた。
すると。
「うわッ」
小さく悲鳴が聞こえ、ドアが開く途中で止まってしまう。
訝しく思って覗き込むと、ドアと廊下の突き当たりの間に顔を押さえた灯がいた。
「は!?一体何して……」
「シッ!でかい声出すな!」
「ご、ごめん」
思わず謝る。
「何してるの?」
「へへ、やぼ用で……」
言葉を途中で切り、灯が身を固くした。何部屋か向こうのドアが開いたのだ。幸いドアに遮られて灯は見えない。俺は不自然だと分かりながら、どうすることもできずドアを開いたまま立ち尽くした。
足音が階段を降りて行くのを確かめてから、俺は灯の腕を引っ張って自分の部屋に引き入れた。
「なっ、なんだよ!」
「それはこっちの台詞だ!」
思わず怒鳴ると灯が肩をすくめる。
「罰則があるって言ってたの、灯だろ!」
灯が舌を出してひひ、と笑った。
「ちょっと遊びでさ」
「遊び?」
「男子の寮室のプレートをくすねる、っていう遊び」
呆れた。
「もちろん後でちゃんと戻すよ」
灯は言い訳のように言うがそういう問題ではない。
「一体どこから入って来たんだ?」
「廊下の突き当たりに窓あるじゃん」
「でも2階だぞ」
「側に生えてる木に登った」
灯はけろりとしている。あまりにも普通の態度なのでちょっと意地悪をしてやりたくなった。
「俺、今から寮監に電話しようかな」
「なっ!言いつけるつもりか!?」
目に見えて灯が焦る。
「言わないでくれ、頼むっ!このとーり!」
手をあわせて拝む姿にぷっと吹き出してしまった。
「嘘、言わないよ。俺の部屋のプレート持ってっていいから、さっさと帰んな」
灯は分かりやすくほっとして見せた。
「お前イイやつだな!」
にこにこ笑う顔は少々幼いが、その分無邪気で見ようによってはかわいい。
俺はドアを開けて廊下に誰もいないのを確認してから、外に出してやった。灯はプレート片手に器用にするすると木を降り、ぶんぶんと手を振ってから帰って行った。
高谷実里
作家:高谷実里
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