むなしくないの?

 灰色の視界の中で、透き通って後ろにあるものが見える水色のウィンドウがいくつも目の前に浮かび上がる。オレはそのウィンドウに書かれた情報にざっと目を通しておかしなところがなければ、ウィンドウの右下にある確認の文字に右手人差し指を押し付ける。オレが触れるとウィンドウから電子音が聞こえて、目の前のウィンドウが一つ消える。けれど、消えた端からウィンドウは浮かび上がりオレの目の前に列をなす。何十、何百のウィンドウがオレの目の前に展開される。その一つ一つに目を通して、オレは確認ボタンを押し続ける。これはそういう単純作業だ。だが、これはそんな単純作業だからこそ面倒なのだ。同じことを何度もするというのは苦痛だし、飽きてくる。集中力も切れてきたし、そろそろこの仕事も辞めようか。そんなことを考えながら、ざっと本日十七個目のウィンドウに目を通すと頭上から透き通るような声が降ってきた。

「お疲れならば、休憩に入りましょうか」

 風の音に消されそうな、空気に染み入るような涼しげな声。しかし、告げている言葉は優しげなのに声に優しげな色もなく、口調もどこか機械染みている。まぁ、機械染みているところは仕方ないんだけど。オレはそんなことを考えながら、頭上の声に目の前に現れた二十個目のウィンドウに目を向けたまま答えた。

「今日はなに出してくれるの? ナデシコは」

 問いかけに頭上から機械的な女性の声が降ってくる。

「今日も変わらず、紅茶とクッキーを。お嫌いですか」

 降ってくる声に抑揚はない。まるで機械のような声だ。だが、それは当たり前のこと。

「お嫌いですっていったらどうするんだよ」

オレは降ってくる声に軽口を返す。すると、相手は寸分の迷いもなくこう答えた。

「廃棄します」
「勿体ない」

 即答の言葉に苦笑を返せば、反論される。だが、そこに拗ねた調子は見られない。紙面に並べられた文字を読み上げただけの声は少し味気ないが、それが彼女の限界なのだからしょうがなかった。目の前には二十三個目のウィンドウ。それにざっと目を通して確認ボタンを押す。この仕事は確認するだけなので、楽といえば楽だ。だが、楽といえば楽だが、やっていると自分の存在価値を疑いだしたくなるのでそこが少しネックだろう。

「けれど、あなたに必要とされなければ何も意味がありません。カガリ」
「はいはい」

 頭上から降る声に適当な返事をして二十八個目のウィンドウの確認ボタンを押す。
 ちなみに俺の名前は東篝火(あずま かがりび)。花も見惚れる高校二年生。この仕事は小遣い稼ぎのために始めた。
 一年前から始めたこの仕事は単純作業で飽き飽きするはずなのに、自然と長続きしている。結構自分が飽きっぽいと思っていたから、それが少し不思議ではある。でも、多分、いつか飽きて止めるんだろうなってことだけはわかっている。だから、それが来るまでせいぜい欲しいものが好きに買えるくらいは稼いでおこうと思う。



 さて、ここでオレの仕事場と相棒を紹介しよう。オレの仕事場は、オレの通う高校の敷地内にある体育館の中だ。現在の教育では体育館を使うことはほぼない ので、ここは正しく言えば昔体育館と呼ばれていた場所で、今は倉庫である。高校で使われなくなった教材が雑然と押し込められているここはほこりっぽい。そ して、そんな中にいるのがオレの仕事上のパートナー。

 体育館の入り口近くに鎮座している高さ七メートル、幅三メートルの白と水色を基調とした機体。
 人が操 れる最大の情報収集兵器「ナデシコ」。
 ネットワークが世界の隅々までいきわたっている世界で、どんな兵器よりも凶悪な兵器。

 というのは昔の話。現在では機 械の手を解さなくても、ネットワーク世界に簡単にアクセスでき、簡単に自分がほしい情報を大量に収集できる脳みそと身体が政府によってつくられている。主 に薬品投与で。だから、今はどんなに平凡な人間でも「ナデシコ」と同じくらいの情報収集能力と理解力がある。ゆえに、彼女はお払い箱になったわけである。 しかし、万が一の場合、例えば薬品不足で情報収集と理解力が極端に落ちた場合に彼女が必要になる。なので、彼女のメンテナンスだけは最低でもしなくてはな らない。

 そこで、彼女のメンテナンスのためにアルバイトが募集された。放課後から午後六時まで、彼女の収集した様々な情報に目を通し、その信憑性を確かめ た後、確認ボタンを押す。これがオレのしているアルバイトの内容だ。自給は八百五十円でなかなか高収入のアルバイトだと思う。その張り紙を見たオレはすぐさまそ のアルバイトをすることに決めた。ちなみに金は教育機関が出しているそうだ。まぁ、その辺はどうでもいいんだけど、お金がもらえれば。

 出された紅茶とクッ キーを食べながらそんなことを思って、オレはナデシコを見上げる。ナデシコの機体は中心部分に人が座れる台座があり、それを囲むようにしてメイン画面や操 作パネルが展開されている。上部にはより情報収集をしやすいようにネット上の情報を視覚化するためのヘッドセットがある。そして、オレはそのヘッドセット をしていつも作業を行っている。視覚化された情報は水色のウィンドウとなってオレの目の前に現れるというわけだ。ちなみに、ヘッドセットをして見える世界 はウィンドウと本体であるナデシコと操作している自分自身以外は灰色に見える。これは旧世代の機体の特徴であり……、まぁこの話はもういいか。休憩するこ との方が大事だし。今更これは確認することもないことだしな。それよりも仕事終わった後のことを考えないと。

 一人暮らしだから夕食の買い物もしなくちゃな らないし、一日の仕事の半分もまだ終わってないから。
 一日のノルマは情報ウィンドウを三百七十個確認すること。けど、まだ今日は二十八個しかおわってな い。
 残り半分以上。やれないわけじゃないけど疲れるのは嫌だ。そんなことを考えていると頭上から声が降ってくる。

「私は機械です。しかも、人がいなければ存在価値すらないガラクタです。ですから、カガリが私に会いに来てくれていつも嬉しいのです」

 抑 揚のない声で告げられてもあんまり嬉しくはない。ちなみに、ヘッドセットをしている状態では食べ物が見えないので何かを食べたり、資料を確認したりする場 合はヘッドセットを外さなくてはならない。これが結構面倒くさいが、旧型ゆえの手間なので仕方ない。ヘッドセットを外して席を立ち、傍の段ボール箱の上に ちょこんとおかれた紅茶のペットボトルとクッキーの入った袋の元まで急ぐ。これは宅配で届けられるものであり、ナデシコが毎回注文しているらしい。受け取 りは学校側でやっているようだ。前に同じものが職員室にあるのを見たことがある。オレは段ボールの上に置いてあるペットボトルのふたを開け、立ったままそ れに口をつける。この職場の面倒くさいところは椅子がないところだ。パイプいすもどこかにあるらしいが、ここが雑然としすぎてどこにあるかわからない。ナ デシコの機体内では飲食が禁止のため、そこでは食事ができない。今度、校舎の方から椅子持って来るかな。そんなことを思いつつ、ナデシコの言葉に呆れた声を 返す。

「それ、前のアルバイトの奴にも言ってんの?」
「はい。誰であろうと私の元に来てくれる人に私は最大の礼を尽くします」

 問 いかけに数秒の遅れもなく肯定の声が返ってくる。そして、続けられる言葉は堅苦しいものだ。だが、彼女が告げている内容は一見誠実そうに思えて実はそうで はない。誰でもいいということはオレではなくてもいいということだ。つまり、それはオレのこの場での存在意義を否定することに他ならない。まぁ、ナデシコ はそんなことは考えちゃいないだろうけど。

「八方美人だな」

 ひとくち飲んでボトルにふたをしてから、相手の言葉にそう呟いた。すると、呟きに疑問の声が返ってくる。

「何故? 私は人のために作られており、人に礼をつくし、人のために働くのが」
「はいはい。いいから、いつもの出せよ」

 つ らつらと告げられる彼女の存在意義の説明を途中で阻んで、オレはいつものを出せと告げる。オレの言ういつものとは仕事の出来の確認表みたいなものだ。薬剤 投与なので情報の理解速度などをあげているとはいえ、こちらは人間だ。その日の体調によってミスもするし、間違いもする。ゆえに、間違いやミスをナデシコ に確認してもらうのだ。今日の効率は悪いし、終わったものにミスがあって賃金を減らされるのも嫌だ。それに仕事のミスがなければやる気もでる。なので、い つもオレはナデシコに休憩のときは自分がどれくらい仕事を出来たか確認してもらうのだ。

「わかりました」

 こちらがそう要求すると即答に近 い速さで返事をする。機械だから切り替えが早いのは当たり前で、旧世代の機体だから人間味も薄いのは当たり前だ。だが、その切り替えの早さに人間であるオ レはどうしても不満を持ってしまう。もうちょっと言い募ってもいいものなのに、これだから旧世代は扱いづらい。


 そんなことを思いながらナデシコが俺の仕 事っぷりの確認を終えるのを待っていると数十秒後に精査を終えた彼女が口を開く。

「お待たせしました。ミスも間違いもありません」
「うし、やる気出た」

 告 げられた言葉に小さくガッツポーズをして、オレは乱暴にクッキーの入った包み紙を開けるとその中のクッキーを一つ、口の中に放りこんだ。子供の掌ぐらいの 大きさのそれはオレの口にあっさり入って噛み砕かれる。チョコチップクッキーだ。軽い音が噛むたびに響き、噛み砕いたクッキーを飲み込んだ後、オレは喉の 渇きを覚えたのでふたたびペットボトルのふたを開けた。そして、喉の渇きを潤してから再び今日の仕事に取り掛かろうとしたところでナデシコがこんなことを 言い出した。

「あの、今日はヤマトにもかまってあげてください」

 告げられた言葉にオレは眉をひそめる。
 ヤマトとはこの倉庫にあるナデシコ と同じ型の情報収集兵器である。だが、ナデシコと違いヤマトは現存しているものの、ほとんどのパーツがはぎとられ、本体部分しか残っていない。本体部分と いうのはヘッドセットとタッチパネル部分のことだ。彼が壊された理由をオレはよく知らない。だが、彼が壊された理由は彼自身の行動が理由ではないことだけ はわかっていた。旧世代の機体のほとんどは意思を持たない。意志を持ったとしても、常に受け身の姿勢だ。ある程度は自分で考える能力があるとはいえ、自ら で何か大きい行動をしようとはそうそう思わない。ゆえに、彼が瀕死の状態なのは人間のせいだと言えた。だから、オレはヤマトを見るのが嫌だった。何故な ら、ヤマトの機体を見るたび、なんだか責められているような気分になるからだ。だが、ナデシコが今日はヤマトもかまえという。電源も入らないそれを、オレ はどうやってかまえばいいというのか。たまに、やっぱりナデシコも故障しているんじゃないかと思う。

「電源入らないじゃん、ヤマトのほうは」

 そんなことを考えながら、苛立たしげにそう呟くと珍しくナデシコが食い下がってきた。一度拒否されれば大抵のことは諦めるのに、ヤマトのこととなると少しだけ口数が多くなるし、お願いも多くなる。

「今日は調子がいいと思うんです。お願いします」
「わかったよ。これが全部終わったらな」

 懇 願され、しかたなく彼女のお願いを聞き入れた。相手は機械でお願いなんて聞かなくてもいいはずなのにいつだってオレは彼女の要求を受け入れてしまう。仕事 が終わったらなんていって、いやなことを後回しにしてオレは再びヘッドセットをかぶった。それから、オレは一時間かけて仕事を終わらせた。三百七十個の情 報を確認し終わり、オレはナデシコの電源を落とす。仕事が終わったらナデシコを休ませるのは規則で決まっていて、起動しているだけでもかなりの電力を消費する彼女 は特異なことがない限り、常時起動させられない。電源を消し忘れようものなら一か月以上の給料が飛ぶ。現代の電気事情は過去の人間の大ポカで非常に厳しいの だ。

 意味不明な八つ当たりをしつつ、体育館の奥の方、ステージの上に鎮座するヤマトの電源を入れる。すると、珍しくすぐに起動音がしてヤマトが目を覚ました。 本体が光ってタッチパネルに起動しましたの文字。そして、ヘッドセットの方から抑揚のついていない男の声が聞こえてくる。

「おはようございます。貴方は誰ですか」

 涼しげな夏の風を思わせる声に、イラッとする。こいつとは過去に二度ほど会っているのだがいつも起動して声を聞くと何故か苛つくのだ。誰だと問われたので正直に名乗ることにする。

「カガリだよ」

 名乗るとこちらの言葉をオウム返しに繰り返し、少し悩むような間を取ってから相手は答えた。

「カガリ……。アルバイト、下っ端の東篝火くんですね。思い出しました」
「下っ端は余計」

 思い出したなら思い出したとだけ言えばいいのに口の減らない奴である。オレがそんなことを思って腹立たしさを前面に押し出した返事をすると、ヤマトはわざとらしく話を先に進めた。

「それで、本日はどのようなご用件でしょう。雑用係の篝火くん」

 しかし、やっぱり口だけは減らない。これでナデシコと兄弟機体だというのだから恐ろしい。少しは妹、姉かもしれないが、とにかく少しは彼女を見習ってほしいものだ。オレはそんなことを思いつつ、雑用係とか下っ端とか言うことに腹を立てながら、相手の疑問に答える。

「ナデシコがお前にかまえっていうから来たんだよ」

 呆 れを含んだ声でそう告げれば、相手はすらすらとそんな気遣いは必要ないというようなことを告げた。ヤマトの話し方は何故かナデシコより幾分か人間味のよう なものが感じられ、嫌味を言われると本当に腹が立つし、諦めたようなことを言われると寂しくなる。だから、オレはヤマトの相手をするのが嫌だった。

「それはそれはわざわざご足労おかけしました。けれど、良いんですよ僕のほうは。もう壊れかけですし。あと十年、いいえ、五年したら完全停止予定ですし」

 あっ さりと告げられる言葉に胸の奥を締め付けられながら、それでもオレは声を喉の奥から絞り出す。機械の完全停止とは、自分自身の死を意味する。だというの に、目の前のヤマトはそんなことをあっさりと告げる。自分の死をまるで悲しくもないという言い様に、胸が痛んだ。だが、それを相手に気取られるのが嫌でオ レは何とか平静を装って言葉を続ける。

「……案外あっさりしてるな、お前」

 だが、少し間をおいて答えた言葉は拗ねたような色を含んでしまった。しかし、そんな色に気が付かず、ヤマトは話を続けていく。

「はい。疑似生命ですし、長く稼働可能だと悪用される恐れもあるし、ここいらで完全停止して終わっとけばいいんじゃないかなと思いますので。機械ですし、あっさりしているものなんですよ」
「ふぅん」

 す らすらと告げられるあっさりとした言葉にオレは何とも言えない気分になる。確かに、大型機械の長期使用は現代では難しい。電力やお金の問題もあるし、機体 自身が長時間の使用に向いていないこともあり、長期間の使用は難しい。大体旧世代の機械はメンテナンスが不十分すぎて現代では使えないものの方が多い。

 つーかメンテナンスぐらいしっかりやれ。
 肝心な時に使えなかったら意味ないじゃん。

 まぁ、それはともかく、ナデシコにかまってやれと言われた以上、話を続 けなくてはならない。機体のほとんどがなくなってしまっているヤマトはナデシコのように情報収集能力がない。それどころかネットワークにアクセスする能力 すら失われている。起動と音声会話は何とかできるが、それ以外に使えることはない。どういう事態になれば、こんな風にされるのか。現代で平和に生きている オレにはわからない。いや、わかりたくないだけなのかもしれない。

 気も遠くなる過去に戦争があったことをオレは知っているし、今でも暴力的な事件が起こる ことを知っている。だけど、オレはそれを見たことがなく、経験したことがない。だから、わからないし、その気持ちをわかろうと思わない。

 痛いのや辛いのは 嫌いだ。けど、目の前で傷つけられている物を見て何も感じないほどオレの心は強くなかった。だから、ヤマトと話すと胸が痛くなる。どうして助けてあげな かったんだと誰かに叫びだしたくなる。ずっと昔に起きたことに憤り、悲しむことは間違っていると思うけど目の前にその片鱗が見えるとやはり憤ってしまうの だ。だって、オレはそこまでできた人間じゃないし。そんなことをつらつら考えていると不意に上から声が降ってきた。

「だから、悲しまなくていいですよ。下男の篝火くん」
「誰が悲しんでるか!」

 ヤ マトのこちらの内心を読むような声に叫ぶような声で反論した。すると、反論の声に一瞬ヤマトは沈黙する。沈黙にオレは焦った。傷つけたかと思ったからだ。 だが、すぐにその考えを否定する。彼は機械だ。機会だから当たり前のように心がない。ゆえに、こちらの言動で傷つくはずがない。ないものに傷がつくはずが ないから。



「まぁ、それはともかく、ナデシコはどうですか? お仕事ちゃんとしてますか?」
「してるよ」

 無理やりに話を変えた彼は、ナデシコのことを尋ねてくる。尋ねに短い言葉を返す。兄弟機体だからか、ヤマトもナデシコも妙にお互いのことを心配する。もしかしたら、親愛のようなものをお互いに感じているのかもしれない。

「寂しがったりしてませんか」
「わかるわけないだろ、そんなの」

 続けられる言葉にわからないと答える。大体、二人とも抑揚のない声をしているのに寂しがっているかどうかなんてわかるわけがない。しかし、わからないと答えると明らかに呆れたような声が上から降ってきた。

「甲斐性なしですね、篝火くんは」
「五月蠅いっての!」

 馬 鹿にするような声に大声で反論すれば、相手が沈黙する。その沈黙はじわじわとオレを責めてくる。けれど、オレが叫んだのはしょうがないことだと自分を正当 化する。だって、誰だってあんなこと言われたら、叫ぶように反論したくなるだろう。でも、なんだか自分が悪いような気もしてきた。もうちょっと優しい言い 方もあったかもしれない。沈黙の中で悶々とそう考えて一人反省会を脳内でしていると相手によって沈黙が破られた。

「僕が停止したらナデシコは一人になってしまいますから。できれば、一緒に止まれれば寂しくなんかならなかったんですけど」

 何事もなかったように話し始めるヤマトに拍子抜けしながら、オレは今更ながらの問いかけをした。

「なぁ、機械も寂しくなんの?」

 すると、こちらの問いかけに素早く答えが返ってくる。その素早さにはいつも感服する。まぁ、機械だから返答が早いのは当たり前なのだが。

「一応、そのようなプログラムをつけられています。昔の人は、案外感傷的で擬人化好きだったんですよ。ですから、僕のフォルムもほら、どこか人間的」

 少しおどけたように告げられる言葉に眉をひそめつつ、心の中でじゃあさっき沈黙したのはやっぱり傷ついたからなのかもと考える。謝った方がいいかもしれない。口を開きながらそう考える。けれど、そんなオレの口からは謝罪の言葉が発せられなかった。

「どこが人間的かわかんねぇよ」
「わからないなんてセンスないですね」
「五月蠅いよ」

 代 わりに嫌みのような言葉が発せられる。謝らなくてはいけなかったのに、オレはその機会を自分で潰してしまった。代わりに告げられた言葉にヤマトは呆れたよ うな馬鹿にしたような声を返してきて、オレはその言葉にもう三度目になる言葉を静かに返した。しかし、そんな返答を無視してヤマトは話を進めていく。

「それはともかく、あとのことは君にお願いしますね。きっと君の方が先に死んでしまうでしょうけど、それまではナデシコを可愛がってください」

 告 げられる言葉に遺言めいたものを感じて、苦しくなった。なんでそんなこと言うんだよ、という思いが胸に広がる。
 直してもらえばいいじゃん。
 お前が傍にいて やればいいじゃん。
 そんな言葉が思い浮かんだのに、唇はその言葉を発してくれない。代わりに、迷子の子供のような心細そうな声が唇から零れ出た。

「やめろよ、そういうの」
「どうしてですか」

 少し震える声でそう告げると疑問の声が返ってくる。こういう返答をされると、やっぱりこいつも機械なのだということが再認識できてオレとしては有難かった。ヤマトの問いかけに少し考えてから、オレは返事をした。

「だって、ナデシコが一緒にいたい相手はオレじゃない」
「そうですか」

 けれど、言葉を選んで告げた言葉に相手はそっけない声を返してきた。それはいつもの合成音声独特の味気ないものだったけれど、オレにはなぜか寂しげに聞こえた。だから、オレは余計なことだと思いながらついついこんな言葉を口にした。

「なぁ、お前はもう治らないのかな?」
「はい、直りません」

 しかし、問いかけには素早い返答がなされる。しんみりとした空気とか、場の暗い雰囲気や会話の間など気にしない素早い返答に少し辟易した。

「即答かよ」

 相手の声に脱力した声でそう告げれば、相手から肯定の声が返ってくる。

「はい。昔に損傷を受けました。けれど、その損傷は僕の誇りです」
「誇り?」

 肯定の声から続けられる言葉は、よくわからないものでオレは思わず相手に聞き返した。損傷が誇りというのはいったいどういうことなのだろう。こちらがそう 思って問いかけると素早く答えが返ってきた。それは、変わらない抑揚のない声なのだが、それは少し誇らしげであるようにオレには聞こえた。

「はい。人を守った証の名誉の負傷です」

 言 い切られる言葉に瞳を瞬かせる。告げられる言葉に少し驚いて、返答を忘れたのだ。

 旧世代や今の世代の機械だって、そんなことは言わない。自分は使われる道 具であるのが当たり前で、生きるも死ぬも人間次第で、人間を守ることは当たり前だから誇りにも思わない。仕事だからただ淡々とこなす。それがオレの知って いる情報兵器というものだった。

 なのに、目の前にいるヤマトは人を守った証が誇りだという。どこまで、彼は人間らしいのだろう。痛々しい機体を見ながらそ う思い、胸が張り裂けそうだった。

 だって、誰も、オレも知らないのだ。彼が誇りと思った名誉の負傷を、どのように彼が負ったのか、知らない。もちろん、ヤ マトはオレが尋ねればいくらでもどのようなことが怒って自分がこうなったか答えてくれるだろう。だが、オレにはそれを聞く勇気も度胸もなかった。常日頃か らオレは弱虫で意気地なしだったから、ヤマトの口から聞かされる言葉がどのようなものであれ、怖かったのだ。だから、彼に起こった出来事を深く聞かず、自 分がその言葉を聞いて感じたことを素直に口にする。

「でも、そんなこと誰も覚えてないじゃん」

 拗ねるような声でそう告げた。多分、オレは こんな風に告げて相手自分の過去を話してくれるように仕向けたかったのだと思う。だけど、相手は機械でヤマトは人の些細な機微を読み取ることが出来るほど 高性能ではないからこちらがそんな風に告げても自分の過去を話そうとなどしなかった。オレの言葉を否定して、涼しげな声でヤマトは告げる。

「いいえ、僕は覚えています。だから、僕はこの傷と一緒に眠るのです」

 あっさりと告げられる言葉に胸が痛い。泣きそうになる。だけど、何とか涙をこらえてこう告げた。これだけは言わなくてはいけなかったからだ。

「ナデシコを残してでもかよ」

 彼 がいなくなったらナデシコは正真正銘の一人だ。いや、彼女は機械だから一人というのはおかしいかもしれないけれど。だけど、そういう感傷や感情のプログラ ムがあるのなら、一人になってきっと寂しいと彼女も思うはずだ。だから、そんな風に壊れることが前提の言葉を告げてほしくなかった。なのに、相手はこちら の新庄になんか気づきもせずに淡々とした喋りを続けていく。

「はい。それに、ナデシコは君にいつかきっと必要になるでしょう。その時はどうかよろしくお願いします」

 頷 いて彼女を一人残すことに微塵も罪悪を感じていない態度に少し苛ついた。それから、続けられる言葉がまた人のための言葉であってそれにも苛つく。こんな時 ぐらい、嘘でもいいから人のことを忘れて自分のことやナデシコのことを考えてほしい。オレはそう思ったのに、その言葉は声にならない。だって、そうやって 告げたところで返ってくる言葉はわかりきっている。人に作られた機械は、人のことを第一に考える。それが、彼らの中での常識なのだ。

「わけわかんないっての」

 だ から、オレは相手の言葉の意味がわからないとだけ口にした。本当にオレはヤマトの事がよくわからなかった。人間性が感じられる言動をするのに自分が全壊寸 前の状態になっても人を信じていて、人を恨まないでいる。そして、それでも人の心配をしている。そんな彼のことが全くと言っていいほどオレには理解できな かった。

「いずれわかる時が来ますよ」

 分からないと告げた言葉に諭すようにそう告げて、ヤマトはそれ以上そのことについて何も言わなかっ た。また、沈黙が場にやってくる。ナデシコはそんなに沈黙を作らないのにヤマトのほうはやたら沈黙を作る。もしかしたら、壊れかけだからこちらの言葉を理 解する速度が不規則なのかもしれない。今更ながらにオレはそう考えた。
 明日、機械修理の得意な知人をここに連れてきてヤマトの機体を見て貰おうか。
 そう思 いながら、急に止まった会話を今度は自分から再開させる。

雪待焔
むなしくないの?
0
  • 0円
  • ダウンロード

1 / 6

  • 最初のページ
  • 前のページ
  • 次のページ
  • 最後のページ
  • もくじ
  • ダウンロード
  • 設定

    文字サイズ

    フォント