特に華蓮の母、玲奈は、楓が叔母さんと呼ぶたびに注意をする。
楓は実親ではない玲奈を母と呼ぶには少しばかり抵抗を持っているが、しつこく言われるのはご免なので、いまは、母さんと呼んでいる。
彼女がいないここでならわざわざ訂正をする必要はないが、先ほどは癖のようにそうした。華蓮はそれに対しては何も言わなかった。特に関心がないのだろう。
それよりも彼女の頑なまでの無動が信じられず、彼女に呆れを向けた。
「華蓮も行けば良かったのに。読書と研究ばかりだと肩がこるわよ」
「周りは大人ばかりですから、邪魔になるだけです。それに、私は人ごみや集団が苦手なんです。それは知ってますよね」
その質問自体を嫌がるような口調だった。珍しく尖っている。
人が入り乱れている中に入りたくないという気持ちは分かる。が、これで良いわけがないと思い、その先を言おうと口を開く。知ってる、と、肯定したうえで、彼女を軽く諌めた。
「でも、あまり引きこもってるのも問題よ。このまま一生をここで過ごす気?」
「それはしたくても出来ません。ここでしている研究だけで生きて行くのはどう考えても無理ですから」
困ったような微笑を返す。良い答えだとはいえないが、生粋の箱入りである彼女でも両親に甘えていられないことは分かっているらしい。楓はその答えには満足した。
「その通り。で、華蓮はこの先何をして生きたいの?」
「……まだ分かりません。楓さんは旅立った後のこと、考えてるんですか?」
華蓮は質問に質問を返した。本当に分からないのだろう。それは楓も同じだった。それを言い、行動することを宣言した。
「だからこそ、力をつけて旅に出るの」
決定事項を自信げに言った後、一緒に行かない? と、加えた。
「私は体力に自信がないですから。多分、足手まといになりますよ」
しかし、答えは否定的なものだった。楓は先ほどから後ろ向きなことばかりを口にする華蓮に少しではあるが苛立ち始めた。内向的な性格は構わないが、これではこの先、当人を含めた誰もが困る。
楓はそれを何としてでも阻止したいという思いで、言葉を返した。
「何、言ってるの? そう考えてると、どこへも行けないわよ」呆れたように言い、柔らかいソファから立ち上がった。「決めた。一緒に行こう」
「決めたってそんな勝手に……」
華蓮は、決定という言葉に困惑しながらも、何か続く言葉を言おうとしていた。が、楓はそれを聞く耳を持たず、一方的に説得を始めた。
「一度出て、本当に駄目だと思ったら帰れば良いわ。実を言うと、私も最初から一人はちょっと心細いかなって思ってるの」
本音を言う。が、華蓮はそれを真っ直ぐには受け取らなかった。
「本当ですか? 楓さんは一人でどこへでも行けそうにみえますよ」
「そうみえるだけ。華蓮も意外に私のこと分かってないわね」
冗談交じりに言ったのだが、華蓮は、かもしれません、と、謝るように言った。それにより、二人の間にある空気が少しだけ重くなる。楓はそれを振り切るように、簡単な計画を話し始めた。
「私が卒業するまで約半年。それまでに旅を始められる準備をしましょう。まずは……」楓は言葉を止めた。腕を組み、座っている華蓮をじっと見下げた。
「何ですか?」
「その服装ね。華蓮、そういうひらひらしたドレスしか持ってないでしょう」
たじろいでいる彼女に、似合ってるとは思うけど、と、残念そうに言う。そう言われた彼女は自分の服を改めるように見て答えた。
「そうですね。好きですから、どうしてもそういう方向に行くんです」
「それだと歩き回れないわ。せめてミニスカートにブーツよ。一番良いのはパンツルック。明後日、買いに行こう」
楓は華蓮の意見を聞くこともせず、言い切った。本当は、明日と言いたいところだが、生憎きょうと同じように学校の授業がある。終わった後に行けないこともないが、それではじっくり選ぶことが出来ない。優柔不断な華蓮と一緒なら尚更時間がかかるだろう。
しかし、その彼女は良い顔をしなかった。
「気が早くないですか? お母さま達にまだ何も言ってませんし」
「別に言わなくても良いじゃない。言う前に行動してたほうが、反対されずに済むわ」
楓は言いながら、そうするしかないと思った。彼女の両親は娘たちが遠出をすることには寛容ではない。楓が学校行事で長期の合宿に行くときでさえ、良い顔をしなかった。
華蓮が自ら動くことを避けるのは、彼女の天性だけではなく両親のせいもあるのだろうと思う。その彼女はまた後ろ向きな発言をした。
「買った物を没収されることになるかもしれませんよ」
「そうなったら、ただ阻止すれば良いだけよ。そんなに外に出るのが嫌?」
後半、強く言うと、華蓮はうつむいた。楓も逸れ以上は言わず、沈黙が落ちる。が、二十秒もしないうちに楓が痺れを切らせた。
「言い過ぎたなら謝る。けど、旅のことについては行く方向で考えてほしい」真面目に言い、華蓮に背を向けた。「じゃあ、また後で」
「待ってください。私も行きます」
何も言わないと思っていたが、華蓮は意外にも手早く止めた。楓はその意を決した声に、ドアに手をかけたまま振り向いた。
「良いの?」
「この歳で隠居みたいなことはしたくありませんから」
真っ直ぐに楓の顔を見て言う。彼女は、本当に、と、訊き返したい気分だったが、あまり珍しがっていると、華蓮は発言を訂正するかもしれない。そう思い、彼女の決意だけを
飲んだ。
「明後日、本当に行くわよ。よろしく」
言い残し、部屋を出る。自室に戻る足は軽い。楓は嬉しさ半分にほっとしていた。
学校にも女子はいるが、彼女たちは楓のおぼろげな展望には理解を示さない。それよりも、将来にも絡むパートナー探しに夢中になっている。
結局のところ、どこか世間知らずな華蓮だけが理解者だということになるが、それで十分だった。博識な彼女と力を合わせれば、何か良い化学反応が起こるだろうと期待もしている。