背中あわせ

そんなある日、明は家族と外食をした。その日は土曜日で、弟の誕生日が近いので焼肉でも食べに行こうということになったのだ。百合の授業も1日お休みとなった。
食べ放題飲み放題がウリの焼肉屋はそこそこの客入りだった。明も弟も次々と肉を食べ、ジュースを飲んだ。両親は気持ち良く酔っ払っている。
飲み物のペースが早いので、家族は時折トイレに行く。明も途中でトイレに立った。用を済ませ、家族のいる席はどっちだったっけ?と思っているところに聞き覚えのある声がした。
「生徒となんてありえないよ!」
この焼肉屋には個室なんてものはない。席同士は目線の高さの壁で仕切られているが、通路からは丸見えだ。明から見て右斜め前のテーブルに、晴海とその友達だろうか、男性と女性2人が座っている。
「でもさぁ~、最近の中学生って発育いいし、ませてるでしょ?」
「そうそう、ちょっといいなと思う子いないの?」
なんつー会話だ、と明は思った。晴海先生も友達は選ぶべきだ。
けれどそれに続く晴海の台詞の方が、明には衝撃的だった。
「ナイナイ!思春期の女子なんて生意気過ぎて範囲外だね。小坂井ってやつがいるんだけどさ、優等生なのを鼻にかけてるし、最近にきびも増えたし、あれは同年代の男から見てもナシなんじゃないかなぁ?」
へらへらと笑いながらそんなことを言っている。
明はかっと頭に血が上るのを感じた。晴海って本当はこんなやつだったのか。思ってても口に出すなよ!
合は確かに少し高飛車なところがある。けれど晴海のように陰で人を馬鹿にしたりしない。にきびも増えて、本人も気にしている。けれど本人が望んでにきびを 作っているわけではないし、半分は明の母親が買ってくるケーキのせいなのだ。毎日チョコレートやら生クリームやらを食べていればにきびも増える。100 の善意で用意されるケーキを断ることが百合にはできないのだ。これはある意味明のせいでもある。
明は晴海に突っかかってやろうかとも思ったが、元 来争い事の苦手な性格で、しかも大人4人が相手では分が悪い。他のクラスメイトの女子をけなすようなことまで口にしている晴海たちを後にして、大人しく家 族との食事の席に戻った。今の晴海の台詞を百合が聞いたら悲しむだろうな、と思いながら。

翌日、百合に勉強を見て貰いながら、明はイライラしていた。
百合が「眼鏡をかけた晴海先生」のかっこよさに参っていたからだ。
「小物っての威力って凄いよね」
と百合は言う。
「晴海先生って普段は気さくなお兄さんって感じだけど、眼鏡かけると一気に理知的になるって言うか。数学の先生なんだから賢いのは分かってるんだけど、ギャップがあってぐっとくるっていうか」
今日たまたま晴海が普段かけない眼鏡をかけていたからなのだが、明としては果てしなくどうでもいい。いや、良くない。不愉快だ。
百合はそんな明には構わず、「先生また眼鏡で来てくれないかなぁ」などと言っている。
自称平和主義者として我慢していた明だが、明の学力の無さに呆れた百合に
「もぅ、明も晴海先生を見習ったら?」
と言われるに至って我慢できなくなった。
「どこがいいんだよ、あんなやつ!」
小さな声だがはっきりと、言ってしまった。
「あんなやつって何よ、晴海先生に失礼でしょ?」
百合は訳が分からない、と言う風にきょとんと明を見ている。
「あいつ、陰で生徒の悪口言ってるようなやつやんだぞ!」
「え?まさか。そんなわけないじゃない」
百合の顔がゆっくりと呆れた表情へ変わってゆく。
「本当だって、こないだ聞いたんだ!」
「晴海先生に限ってそれはないでしょー。何でそんな嘘つくの?」
首を傾げていた百合が不意に納得顔になった。
「分かった、明、あんた妬いてるのね?」
「は?」
今度は明がきょとんとする番だった。
「やっだー、明くんたら。私が晴海先生のことばっかり誉めるから面白くないんでしょ?」
「なッ……違う!」
明は力いっぱい否定するが、百合は心から楽しそうだ。
「もしかして私のこと好きなの?勉強教えて貰って好きになっちゃった?」
言葉だけではあきたらず、からかうように明の顔を指差して、指をくるくる回して見せる。
「違うって言ってるだろ!」
「ほんとにぃ~?」
「誰がお前みたいなのを好きになるんだよ!」
「あれれ、そんなこと言っちゃっていいのかなぁ。勉強教えてあげないよ?」
「うるさい頭でっかちのにきび女!」
しまった、と思った時には遅かった。さっきまで余裕たっぷりだった百合の表情が一瞬で真顔になった上にぴしっと凍りついた。
「あぁそう、そういうこと言っちゃうわけ」
「あ、いや、違……
「毎日見たいテレビも見ずに勉強教えに来てたお返しがそれなわけね」
「あの、百合……
「妬いてくれたのかと思って嬉しがった私が馬鹿でした」
真顔のままふぃっと横を向くと百合は宣言した。
「帰る」
してそのまま、止める間もなくすたすたと行ってしまった。階下で明の母に挨拶をする百合の声を聞きながら、明は頭を抱えた。あぁぁあれは明らかな失言だっ ……最後冷静に敬語だったよ最大級に怒ってるよ……。と、思った所で何かにつまづいた。あれ?最後に百合は何て言ったっけ?
「エ!?」
思い当たった一つの事実に、一人間抜けに頭を抱えたまま明は真っ赤になった。

「ねぇ、昨日言ってた晴海先生のことって事実なの?」
百合の台詞におろおろし、良く眠れなかった明からすればあまりにもいつもと変わらない態度で、百合はいきなり聞いてきた。翌日の、1時間目が始まる15分前のことだ。
鞄から教科書を取り出していた明は視線のやり場に困ってきょろきょろしながら頷いた。
「ほ、ほんとのことだけど……
「そう」
怒りは無くなっていないのだろうか、百合の表情は硬い。けれどその口から出てきた言葉に明はほっとした。
「良く考えたら、人畜無害な明が嘘であんなこと言うわけないのよね。てか明って単純だから嘘つけないし」
ほっとしたものの、良く考えたら喧嘩売られてるように思えるのは気のせいだろうか。それでも誤解が解けたならと明は頷いた。
「だろ、嘘じゃないんだって」
前の席の椅子を勝手に借りて座り、百合は言った。
「ちょっと詳しく聞かせてよ」

授業が始まるまでの15分ですっかり弁明し終わり、明は気が済んでしまった。昨日の妬いてくれたうんぬんのくだりが気になるところだが、はっきり言われたわけでもないし、百合が普段通りに接してくれるなら明としては問題ない。
が、百合はそうでもなかったらしい。
その夜、いつものように勉強を教えに来てくれた筈の百合はおごそかに言った。
「復讐するわよ」
「へ?」
何のことか分からず間抜けな返事をしてしまう。
「晴海をへこませてやろうよ」
「何の為に?」
「私のプライドの為に!」
鼻息も荒く百合は言った。
「そんなつまんない男に憧れてたなんて!私のプライドを傷つけた罪は重いわよ。やり返してやる!」
そしてすっと冷めた表情になると明の顔を覗き込み、ふっふっふと笑う。その目は据わっている。
「その為には明の協力が必要なの。もちろん嫌とは言わないわよね?」
「ハイ……
それ以外に何と答えられただろうか。

というわけで復讐当日。
4時間目の数学の授業が終わり、担任を持っていない晴海が職員室へ戻る途中を狙って明は声をかけた。渡り廊下の真ん中あたりに立ち止まった2人の横を、弁当を持った生徒がぱたぱたと通り過ぎた。それ以外に人影はない。
「何かな?課題は進んだ?」
相変わらずの爽やかな笑顔に怯みそうになるがぐっと耐える。
「先生、先週の土曜日焼肉屋にいましたよね?」
「え?あぁ、参ったな、見られてたかー」
「会話も聞きました」
晴海の目元がぴく、と動いた。
「盗み聞き?良くないな、そういうのは」
「聞こえてきたんです」
「馬鹿な話しかしてなかっただろう」
そう答える晴海は気のいい若い教師にしか見えない。
「先生が女子生徒の悪口を言うのを聞きました」
すっと晴海の目が細くなり、笑っているのは口元だけになった。
「まさか。悪口なんて言ってないよ」
「でも、生意気だとか、にきびのこととか……
「はははっ」
争い慣れしていない明が精一杯言い募るのを小馬鹿にしたように晴海は笑った。
「ああ、言ったよ?でも悪口じゃない」
歪んだ笑顔を貼り付けて晴海は言う。
「事実じゃないか。中学生の女子なんて生意気で、にきびが多くて、色気も無く騒いでいる」
「自分の生徒がかわいくないんですか」
「かわいい?」
はっ、と笑って言い捨てた。
「慈善事業じゃないんだよ。仕事でもなきゃ誰が相手するか。そんなのロリコンくらいだろう」
もう十分だ、これ以上聞きたくない。
そう判断した明は振り返り、少し大きな声を出した。
「百合、もういいよ」
廊下から渡り廊下になる境目の死角に隠れていた百合が出てくる。晴海は開き直っているのか平然としている。
「先生には失望しました」
百合がすたすた歩いて来て、ぴたっと止まってから言った。
「今の話、校長先生や教頭先生が知ったらどう思うでしょうね?」
「さぁね。でも告げ口したって無駄だと思うよ?校長も教頭もそんなに暇じゃないだろうし、生徒の言うことなんて大して信用されないよ」
馬鹿にしたような態度。
「そうですね、証拠がなかったら効果はないかもしれません。でも……明、かして?」
「ん」
ここで明がポケットに忍ばせていた携帯電話を取り出した。百合が少し操作をし、晴海の前に突き出す。するとそこからは、明が晴海を呼び止めてからの会話が再生された。
「なッ……
色を失う晴海に百合が冷静に口を開く。
「私の前の携帯のW54S、何故か16時間の録音機能のついた携帯です」
「そ、それをどうするつもりだ」
「さぁ、どうしましょう?校長先生に聞いて貰いましょうか。処分はされないかもしれませんけど、心証は悪くなりますよ。ね、先生?」
百合はにこにこと楽しそうだ。明は出番が終わったので安心して手持ち無沙汰にしていた。
「ま、どうするかは私たちで決めます。では、失礼します」
ぺこりと頭を下げてから百合はきびすを返した。明も一緒に教室に戻って行く。ちらりと振り返ると晴海が棒立ちになっていた。

高谷実里
作家:高谷実里
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