背中あわせ

というわけで復讐当日。
4時間目の数学の授業が終わり、担任を持っていない晴海が職員室へ戻る途中を狙って明は声をかけた。渡り廊下の真ん中あたりに立ち止まった2人の横を、弁当を持った生徒がぱたぱたと通り過ぎた。それ以外に人影はない。
「何かな?課題は進んだ?」
相変わらずの爽やかな笑顔に怯みそうになるがぐっと耐える。
「先生、先週の土曜日焼肉屋にいましたよね?」
「え?あぁ、参ったな、見られてたかー」
「会話も聞きました」
晴海の目元がぴく、と動いた。
「盗み聞き?良くないな、そういうのは」
「聞こえてきたんです」
「馬鹿な話しかしてなかっただろう」
そう答える晴海は気のいい若い教師にしか見えない。
「先生が女子生徒の悪口を言うのを聞きました」
すっと晴海の目が細くなり、笑っているのは口元だけになった。
「まさか。悪口なんて言ってないよ」
「でも、生意気だとか、にきびのこととか……
「はははっ」
争い慣れしていない明が精一杯言い募るのを小馬鹿にしたように晴海は笑った。
「ああ、言ったよ?でも悪口じゃない」
歪んだ笑顔を貼り付けて晴海は言う。
「事実じゃないか。中学生の女子なんて生意気で、にきびが多くて、色気も無く騒いでいる」
「自分の生徒がかわいくないんですか」
「かわいい?」
はっ、と笑って言い捨てた。
「慈善事業じゃないんだよ。仕事でもなきゃ誰が相手するか。そんなのロリコンくらいだろう」
もう十分だ、これ以上聞きたくない。
そう判断した明は振り返り、少し大きな声を出した。
「百合、もういいよ」
廊下から渡り廊下になる境目の死角に隠れていた百合が出てくる。晴海は開き直っているのか平然としている。
「先生には失望しました」
百合がすたすた歩いて来て、ぴたっと止まってから言った。
「今の話、校長先生や教頭先生が知ったらどう思うでしょうね?」
「さぁね。でも告げ口したって無駄だと思うよ?校長も教頭もそんなに暇じゃないだろうし、生徒の言うことなんて大して信用されないよ」
馬鹿にしたような態度。
「そうですね、証拠がなかったら効果はないかもしれません。でも……明、かして?」
「ん」
ここで明がポケットに忍ばせていた携帯電話を取り出した。百合が少し操作をし、晴海の前に突き出す。するとそこからは、明が晴海を呼び止めてからの会話が再生された。
「なッ……
色を失う晴海に百合が冷静に口を開く。
「私の前の携帯のW54S、何故か16時間の録音機能のついた携帯です」
「そ、それをどうするつもりだ」
「さぁ、どうしましょう?校長先生に聞いて貰いましょうか。処分はされないかもしれませんけど、心証は悪くなりますよ。ね、先生?」
百合はにこにこと楽しそうだ。明は出番が終わったので安心して手持ち無沙汰にしていた。
「ま、どうするかは私たちで決めます。では、失礼します」
ぺこりと頭を下げてから百合はきびすを返した。明も一緒に教室に戻って行く。ちらりと振り返ると晴海が棒立ちになっていた。

「で、それどうするの?」
明の部屋で、携帯を指差し明は尋ねた。今日はあれからばたばたしてゆっくり一緒にいる時間が持てず、結局百合が明の家に来るまで今後のことを話せずにいたのだ。
少し恐々と聞いた明に百合はさっぱりと言った。
「どうもしないわよ?」
「そうなの?」
「今日ので気は晴れたし、晴海の株を落としても面白くも何ともないし。憧れてきゃあきゃあ言ってる子達の憧れをわざわざ壊すこともないでしょ」
「そっか」
もめ事を避けたい明としては大賛成だ。
「それにしても、してやりがいのない相手だったね」
百合が肩を落とす。「え?」と聞き返す明に百合は言い放った。
「あそこで携帯取り上げて真っ二つに割るくらいの根性があれば、遠慮なく盛大に意地悪できたのに」
女の子って怖い……。それとも怖いのは百合だからか?と内心びくつきながら明は疑問点を上げる。
「でもあの場で携帯壊されてたら録音したのも消えちゃわない?」
「大丈夫、想定内。SDカードにデータ移してから晴海に聞かせたから」
ますます怖い。
百合には逆らわないようにしよう……と明が密かに決めた横で、百合が座り直した。放り出していた足を正座にして、膝に両手をついて明の方を見ている。
「どうしたの?」
首を傾げる明に、真っ赤な顔で百合が言った。
「全然関係ない話なんだけど」
「うん」
「晴海のことで喧嘩、したじゃない?その時にばれたかもしれないんだけど……
「うん」
百合はいつから晴海と呼び捨てにするようになったのだろう、などと余計なことを考えていた明に、衝撃の一言。
「好き」
「へ?」
間抜けな返事アゲイン。
「私、明のこと、好きなの。気づいてた?」
……へ?え、あ、あの……
「できれば付き合いたいなぁとか思っているのですがどうでしょう」
気持ちを打ち明けてさっぱりしてしまったのか、落ち着いた口調で尋ねてくる。一方明と言えば脳内はパニック、顔は真っ赤、手は無意味にうろうろする。さっき百合には逆らわないと決めたばかりだし……などとズレたことまで考え始める始末。
その反応を見て百合はダメ押しのように視線で明の目をとらえた。
「ダメ?」
「だ、ダメじゃ、ない……
しどろもどろに答えた明に、百合はにっこりと満面の笑みを浮かべた。
それを見て、明はやっと腑に落ちた。なんだ、俺、百合が好きだったのか。だから晴海の話題に不愉快になったりしていたんだな。
照れ臭く、でも嬉しく思っていた明に百合は言った。
「じゃ、そういうことで。さ、勉強始めよ」
「え!?今から?」
切り替えが早すぎる。
「だってその為にここまで来てるのよ。さ、早くプリント出して」
「ハイ……
結局逆らえずプリントを用意しながら明は思った。
今まで、お互いが見えていなかったのかもしれない。俺は自分の気持ちに気づかなかったし、百合も気持ちを隠していた。側にいたのに、背中あわせになっていたんだ、きっと。でもこれからは向かい合わせで、一緒にいよう。
やっと正負の掛け算まで到達したプリントを広げながら、明は緩みそうになる口元を引き締めた。

高谷実里
作家:高谷実里
背中あわせ
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