桜の木の下で

「和季!やっと来た!」
小走りに学校にたどり着き、教室に入った僕に、ほっとしたような、少し怒っているような声がかけられた。
「沙季……何とか今日も間に合ったよ」
僕は乱れた息を整えながら返事をした。
僕らの名前の字面が似ているのは偶然ではない。お隣さん同士で大の仲良しの僕らの両親が、「何かお揃いのものが欲しいね。そうだ、子どもにはお揃いの漢字をつけようよ!」と安直に考えた結果である。
「終業式くらいは余裕を持って来ればいいのに」
もう、仕方ないなぁと笑いながら沙季が言う。
沙季の、僕のだらしない所を無闇に責めたりしない、でもやんわり注意はしてくれる、そんな態度を僕は気に入っている。はっきり言うとかなり好きだ。沙季は僕の「理想の幼馴染み」。幼馴染み以上には思われていないらしいのが致命的だけど。
「やっぱ朝苦手でさ。低血圧なのかな」
「塩分が足りてないんじゃない?……あっ先生来た!」
慌てて沙季が自分の席へ戻って行く。僕も席へと急いだ。
終業式があっけなく終わり、晴れて春休みとなった。春休みのいいところは、宿題がないことだ。平日の午前中は毎日部活だけれど、昼にはそれからも解放される。親はもう中3になるのだからと勉強勉強うるさいけれど、家から出てしまえばそれも聞こえない。
というわけで、春休み初日の午後を、僕はサクラの傍で漫画を読んで過ごしていた。サクラは膨らんできた自分の木のつぼみを、いとおしそうに眺めている。
僕は漫画に熱中していたので
「いい若もんがそんなもんばっかり読んで」
という声にびくっと震えた。振り返るとミータが長い二股の尻尾をゆらゆら揺らしていた。
「もっと勉強するとか運動するとかせんか」
「母親みたいなこと言わないでよ」
ミータはふん、と鼻を鳴らすとトコトコ歩いて来て、僕のあぐらの上で丸くなった。満足そうに目を細めている。
ミー タもいわゆるもののけの類いだ。猫又、と言えば知っている人も多いだろう。長生きしてもののけと化した猫で、尻尾が二股に分かれている。普通の人にも見え るけれど、近所の人に餌を貰ったりしている所を見ると、どうやら尻尾は1本に見えているようだ。歳を取らないので定期的に住み家を変えているらしく、この 町にはほんの1週間前にやって来た。そのせいかどうか、関西弁ぽい言葉で話す。決まった名前はないと言うので、祖母がミータと呼び名をつけた。やたらと馴 れ馴れしいが、猫又というのは皆こういうものなのだろうか。
「今も昔も人の子ってのは怠け者で困るな」
ミータが話したそうだったので僕は仕方なく漫画を閉じた。
「そうなの?でも大人は良く『今時の子は』って言うよ」
「そんなもん、100年前の大人も言うとったわ」
ミータが馬鹿にしたように笑う。
「ミータは何歳なの?」
てっきりつぼみに夢中だと思っていたら話を聞いていたらしく、サクラが割り込んでくる。
「さぁのぉ、忘れたな。ま、サクラよりは長生きだな」
ゆったりと答えていたミータの耳がぴくぴくと震えた。と、その時。
「何してるのー?」
「わーッ!!」
いきなりかけられた声に叫んでしまった。ミータに声をかけられた時とは段違いの驚きだ。もののけと話している所を人に見られたら、間違いなく奇人扱いされる。ばっと振り返ると僕の勢いに驚いている沙季がいた。
「お、大声ださないでよ、びっくりするじゃない」
「あ、いや、ごめん、いつからいたの?」
「今、来た所だけど?」
首を傾げる沙季はいつも通りなので、多分ミータやサクラとの会話は聞かれていないのだろう。僕はほっとして尋ねた。
「どうしたの、何か用?」
「用ってほどじゃないけど。その猫、野良?」
僕の横に腰を下ろして、沙季はミータを指差した。シャンプーだろうか、いい香りがする。
「紹介しろよ」
とミータが言った。おそらく沙季にはニャーニャー聞こえていることだろう。
「うん、野良。この辺に住み着いたみたいで最近良く来るんだ。ミータって呼んでる。ミータ、この子は沙季。幼馴染みなんだ」
ミータが挨拶がわりなのだろう、しっぽをゆらゆら揺らす。
「和季って変わってる」
沙季がくすくす笑う。
「え?どこが」
「だって、普通猫に幼馴染みを紹介する?」
しまった。確かに普通の猫に友達を紹介なんてしないかもしれない。サクラが木の上で「馬鹿だな」と笑った。
「い、いや、一応、紹介した方がいいかと思って……」
しどろもどろな僕には構わず、沙季は指を伸ばしてミータの喉を撫でた。
「よろしくね、ミータ」
ミータが喉をごろごろ鳴らす。沙季が気にしていないようなので僕も気にしないことにした。
「ミータ、和季は沙季が好きなんだよ」
沙季が聞こえないのをいいことに、サクラがさらっとミータに告げる。僕は耳が赤くなった。沙季に気付かれませんように。
「へぇぇ、そうなのか。青春しとるなぁ」
ニャニャニャ、とミータが笑う。僕は平常心を取り戻そうとミータの背中を撫でるのに専念した。
「桜のつぼみ、大分大きくなったねぇ」
一人状況が読めていない沙季が、上を見上げてのんきに言った。
「あ?あぁ、そうだね」
「いいなぁうちにもあったらいいのに、桜の木」
見上げた桜の木の上で、サクラが誇らしげに胸を張っている。
「そんなに好きなの?じゃあ咲いたら一枝あげ……イターッ!」
腕に鋭い痛みを感じて下を向くと、ミータが引っ掻いたようで腕に赤い筋ができていた。
「何するんだよ!」
「馬鹿もん、取り消せ。沙季に桜はあげられんと言うんだ」
「は?」
「いいから。また引っ掛かれたいか?」
僕は腕の怪我を覗き込んでいる沙季に言った。
「やっぱナシ!桜はあげられない!」
「え?あ、うん、それより傷、消毒した方がいいと思うよ?」
心配げな沙季にうんうんと適当な返事をして、僕はミータを腕に抱えて立ち上がった。
「じゃ、消毒してくるから!」
「う、うん」
状況についていけずただ頷く沙季を後に、僕は家の中に逃げ込んだ。
「で、どういうことなわけ?」
ベッドでくつろぐミータに僕は詰め寄った。
「『桜折る馬鹿梅折らぬ馬鹿』と言ってな」
ミータは偉そうにふんぞり返って言った。
「桜は折ったらあかん。折った所から腐りやすいからな」
「そうだったのか……」
知らなかった。
「だからサクラを折るのは止めてやってくれ。最近は腐敗を止める薬があるらしいが、そんなもん持っとらんのだろ?」
「うん」
僕はしおらしく頷いた。でも。
「でもさ、もっと穏便に忠告できなかったわけ?腕、痛いんだけど」
「男のくせに怪我の一つや二つでがたがた言うんじゃない」
ミータは全く意に介していないようだ。
「それより、サクラに謝っとけ」
「分かったよ」
僕の部屋は1階にあり、窓を開けるとちょうど目の前に桜が植わっている。僕はミータの言葉に従って窓を開けた。左右を見回したけれど、沙季はもういなかった。
高谷実里
作家:高谷実里
桜の木の下で
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