桜の木の下で

君に伝えたいことが2つある。
1つは、僕が君をどう思っているかってこと。
もう1つは、僕がみんなに隠している、秘密のこと。

毎朝、僕は自分の学習能力のなさを痛感する。
玄関できちんと靴を履けばいいものを、いつも適当につっかけてドアから出てしまい、2、3歩歩いてから結局きちんと結びなおすはめになるからだ。
そして頭上から声がかけられるのもまたいつものことだ。
「また遅刻?」
「今日は遅刻じゃないよ!」
急いでいるのでつい怒鳴るような口調になってしまう。けれど彼女はそれで気を悪くするようなタイプじゃない。
「馬鹿だな。学校に行く時間なんて毎日決まっているんだから、余裕をもって起きればいいのに」
「うるさいな、非常識な存在のくせに常識的なこと言わないでよ」
気が前のめりになっているせいで、単純な作業に時間がかかってしまう。やっとのことで足が靴に収まると、僕は立ち上がって学校への道を急いだ。
「気をつけてねー」
のんきな声が背中を追ってくる。ちらりと振り返ると、今日も必要以上に派手な格好をしている彼女が見えた。
やおろずのかみ、という言葉がある。
漢字で書くと「八百万の神」だ。
日本語の「はち」には「たくさん」の意味があるから、八の上に万だなんてよほどの数である。日本には、数え切れないくらいたくさんの神様がいるのだ。
いる、と断言できるのは、僕が神様――この言い方が大げさなら、「もののけ」とか「精霊」とかでもいい――を見ることのできる体質だからだ。
どうやら我が家は「そういう」家系らしい。父も祖母――父のお母さん――も「見える」のだ。
さっき声をかけてきた彼女も精霊の1人。桜に住んでいるので僕たちはサクラと呼んでいる。
サ クラは普通の人には見えない。もし見えたら、見た人はぽかんとしてサクラを眺めるか、見なかったフリを決め込むかだと思う。すらりとした脚を惜しげもなく 晒したミニスカートはいいとして、着物と洋服の間のような上着を着て、頭にはうさぎの耳をつけているのだ。しかも髪はピンクで目の色は緋色。白昼堂々そん な人間を見たら、僕なら迷わず目を背けるだろう。因みにうさぎの耳には特に意味はなく、単にサクラの趣味だそうだ。
「和季!やっと来た!」
小走りに学校にたどり着き、教室に入った僕に、ほっとしたような、少し怒っているような声がかけられた。
「沙季……何とか今日も間に合ったよ」
僕は乱れた息を整えながら返事をした。
僕らの名前の字面が似ているのは偶然ではない。お隣さん同士で大の仲良しの僕らの両親が、「何かお揃いのものが欲しいね。そうだ、子どもにはお揃いの漢字をつけようよ!」と安直に考えた結果である。
「終業式くらいは余裕を持って来ればいいのに」
もう、仕方ないなぁと笑いながら沙季が言う。
沙季の、僕のだらしない所を無闇に責めたりしない、でもやんわり注意はしてくれる、そんな態度を僕は気に入っている。はっきり言うとかなり好きだ。沙季は僕の「理想の幼馴染み」。幼馴染み以上には思われていないらしいのが致命的だけど。
「やっぱ朝苦手でさ。低血圧なのかな」
「塩分が足りてないんじゃない?……あっ先生来た!」
慌てて沙季が自分の席へ戻って行く。僕も席へと急いだ。
終業式があっけなく終わり、晴れて春休みとなった。春休みのいいところは、宿題がないことだ。平日の午前中は毎日部活だけれど、昼にはそれからも解放される。親はもう中3になるのだからと勉強勉強うるさいけれど、家から出てしまえばそれも聞こえない。
というわけで、春休み初日の午後を、僕はサクラの傍で漫画を読んで過ごしていた。サクラは膨らんできた自分の木のつぼみを、いとおしそうに眺めている。
僕は漫画に熱中していたので
「いい若もんがそんなもんばっかり読んで」
という声にびくっと震えた。振り返るとミータが長い二股の尻尾をゆらゆら揺らしていた。
「もっと勉強するとか運動するとかせんか」
「母親みたいなこと言わないでよ」
ミータはふん、と鼻を鳴らすとトコトコ歩いて来て、僕のあぐらの上で丸くなった。満足そうに目を細めている。
ミー タもいわゆるもののけの類いだ。猫又、と言えば知っている人も多いだろう。長生きしてもののけと化した猫で、尻尾が二股に分かれている。普通の人にも見え るけれど、近所の人に餌を貰ったりしている所を見ると、どうやら尻尾は1本に見えているようだ。歳を取らないので定期的に住み家を変えているらしく、この 町にはほんの1週間前にやって来た。そのせいかどうか、関西弁ぽい言葉で話す。決まった名前はないと言うので、祖母がミータと呼び名をつけた。やたらと馴 れ馴れしいが、猫又というのは皆こういうものなのだろうか。
「今も昔も人の子ってのは怠け者で困るな」
ミータが話したそうだったので僕は仕方なく漫画を閉じた。
「そうなの?でも大人は良く『今時の子は』って言うよ」
「そんなもん、100年前の大人も言うとったわ」
ミータが馬鹿にしたように笑う。
「ミータは何歳なの?」
てっきりつぼみに夢中だと思っていたら話を聞いていたらしく、サクラが割り込んでくる。
「さぁのぉ、忘れたな。ま、サクラよりは長生きだな」
ゆったりと答えていたミータの耳がぴくぴくと震えた。と、その時。
高谷実里
作家:高谷実里
桜の木の下で
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