桜の木の下で

「サクラ、毎晩毎晩窓に張り付くの止めてくれる?」
翌日、僕は枝の上に座るサクラを見上げながら、毅然と抗議した。サクラはちっとも堪えずににやにやしている。
「いやー、なんか初々しさが楽しくて。だって2人っきりで映画見てるのにちゅーどころか手を握るのもなしってあんた、もーたまらんがな」
そう言っておっさん臭くがははと笑う。見た目美少女の癖に詐欺だ、詐欺。
「そんな、ちゅーとかできるわけないだろ!」
多分僕は真っ赤になっているだろう。
「なんで?」
「なんでって、沙季は僕のこと何とも思ってないんだよ」
あ、自分で言って自分で傷つく。
サクラは呆れたようにはぁっとため息を吐いた。
「あのねぇ、和季。沙季はホラー映画の時怖がってた?」
「え?あ、あぁ、まぁ少しは」
急に話が変わって戸惑う僕に構わずサクラは言う。
「だろ、少しだけだっだだろ?沙季は別に一人でもホラーを見れたんだよ。現に次の日からはホラーじゃない映画を持って来てるわけだし」
「どういうこと?」
「つまり、映画はメインじゃないの。メインは和季、あんただよ」
「え?」
首を傾げているとサクラはにんまり笑っていった。
「つまり、沙季も和季が好きなんだよ。良かったね、和季」
「えぇぇ!?嘘だ!」
絶対からかわれている!!
サクラは得意気に続けた。
「そうじゃなきゃ、いくら幼馴染みだからって毎晩男の部屋に遊びに行くもんか。試しに沙季の手でも握ってみな」
「無茶なこと言うなよ!」
わめく僕には興味をなくしたのか、10輪ほど花開いた桜の花をじっくり眺めてサクラは適当に言った。
「まぁ、玉砕覚悟で当たってみたら?」
他人事だと思って。
僕は肩をすくめて部屋に戻った。今夜も沙季は、映画を持ってやって来る。
その日の映画はコメディだった。かっこいい俳優や美人な女優が真顔でおもしろいことをする、そのギャップに抱腹絶倒の、でも最後はちょっとしんみりできる 邦楽。でも沙季が無邪気に笑ってる横で、僕は落ち着かなかった。サクラの言葉に乗せられて、沙季に触れたくて仕方なかったからだ。でも手をつなぐなんて小 学校の低学年以来、やってない。
エンドロールまで見終えた沙季が僕を見て言った。
「面白かったねぇ」
「ん?うん、そうだね」
ちょっと上の空な返事になってしまったかもしれない。沙季もそれを感じたのだろう、こちらに身を乗りだし、僕の顔を覗いてくる。
「和季、どうしたの?」
僕は沙季の言葉なんてもう聞いていなかった。目の前には沙季の唇。ふっくらとピンク色をしていて、薄く開いた唇の間からは行儀良く並んだ歯がちらと見えている。昼間の、サクラの言葉が頭を回る。
僕は吸い寄せられるようにそこに唇を寄せた。
真空のような空白の一瞬。
あ、柔らかい……と思った時にはどんと突き飛ばされていた。いつの間にか閉じていた目を開けると沙季の長いスカートが見える。見上げると沙季が口をぱくぱくさせていた。
そして瞬時に僕は悟る。いきなりキスなんてするんじゃなかった!
「私、帰るね!」
僕に一言も発する隙を与えず、沙季は出ていった。僕がとっても後悔したのは言うまでもない。
次の日も、その次の日も、その次の日も沙季は来なかった。僕の手元には沙季が忘れて行ったDVDだけがある。
その3日間はとても暖かく、桜が一気に花開き、7分咲になっている。サクラは得意満面でにこにこしている。
沙季が来なくなって4日目の夜、僕はDVDを持って外に出た。レンタルなので、早く沙季に返さないと、延滞料金がかさむと思ったからだ。
けれどまっすぐ沙季の家に行く勇気が持てず、桜の木の下に座り込んだ。
「なぁに、しけたツラしちゃって」
サクラの上機嫌な声。木の上でミータと並んで酒盛りをしている。お酒は祖母が差し入れたものだ。
「絶対沙季に嫌われたよ……」
我ながら暗い声だ。
「接吻したらしいなぁ。やるじゃないか」
「やだ、ミータ、接吻なんて古いよぉ。今はキスとかちゅーとか言うのよ」
対照的な明るい声が降ってくる。
「なぁ、どんな顔して沙季に会えばいいと思う?」
情けない声が出てしまう。眉尻もきっと垂れていることだろう。
「そーね、潔く謝ったら?」
あっけらかんとサクラが言う。
「許して貰え……」
るかなぁ、と続けようとしたのを途中で飲み込んだ。ミータの耳がぴくっと動いたからだ。先日のことで僕も学習している。こういう時は誰かが来るに違いない。
果たして、桜の向こうから沙季がひょっこりと顔を出した。
「沙季!」
思わず背中がぴしっと伸びる。
「何してるの、こんな所で」
沙季は遠慮がちにそっと近づいてくると隣にちょんと座った。木の上の2人(2匹?)は興味津々に押し黙っている。
「今、沙季にコレ返しに行こうと思ってたんだ」
手にしたDVDを見せると、あぁそれ、と沙季が頷いた。頷いたまま喋ってくれない。
僕は意を決して言った。
「沙季、こないだは急に、その……変なことしてごめん。でもからかったわけじゃないんだ。沙季のことが、あの、その……」
言い淀む僕の顔を沙季がじっと見つめる。街灯や民家の窓から漏れる光でにじんで見える真っ白な肌、濡れたような目、やばい、緊張する。
「沙季のことが、好き、だから……」
小さな声ながらもなんとか言い切ると、沙季の表情がふっと緩んだ。
「ありがとう」
「どういたしまして」
何だか間の抜けた返事だ。
「和季、ちゃんと言ってくれてありがとう」
もう一度お礼を言って沙季が続けた。
「私も和季が好き。こないだの、あの……アレにはびっくりしたけど、でも、嬉しかったよ。ただ、恥ずかしくて……」
喋りながら恥ずかしくなったのか、顔を真っ赤にして視線が揺れている。ああぁ、これ、夢じゃないよな!?めちゃくちゃかわいいんですけど!!
悶絶しそうな俺の頭上から、冷静な声が降ってきた。
「おーおー、若いなぁ」
「全く、私たちの存在すっかり忘れちゃってる」
その声を聞いた途端に頭が冷めた。そうだ、僕はもののけや精霊が見える特異体質なのだ。そんな僕と付き合って、沙季は果たして幸せなんだろうか?
「沙季……」
「ん?」
柔らかな微笑みを浮かべて僕を見る沙季。この笑顔を失うかもしれないけど、でも、黙って付き合うなんて僕にはできない!
「落ち着いて聞いて欲しいことがあるんだ」
「どうしたの、改まって」
首を傾げながらも沙季は姿勢を正す。
「実は、僕、特異体質なんだ」
「特異体質?」
「その……精霊と話せると言うか、もののけが見えると言うか……」
あぁ、怪しすぎる!!自分で言ってて怪しすぎるし嘘臭いよ!!
奇異の目で見られることを覚悟した僕にしかし、沙季はけろりと言った。
「うん、知ってるよ?」
「は?」
「だって和季、昔っから何もない所に向かって話したり、猫と会話したりしてたじゃない」
沙季の表情はごく冷静で、言うことも淡々としている。
「だから、気づいてたよ。和季のお父さんもそうでしょ?」
「はは……あはは……」
人は安心すると笑うものらしい。僕はあはは、とひとしきり笑った。沙季もにこにこと僕を見ている。
「じゃあ、僕がもののけが見える体質でも気にしないってこと?」
「もちろん」
力強く沙季は頷く。嬉しい。こんなに嬉しいことはない。僕は思わず沙季の腕を引っ張り、自分の胸の中に沙季を引き寄せた。シャンプーの香りが漂う。今度は、沙季も逃げなかった。
「ありがとう、沙季……」
ううん、と沙季が首を振る。
それから沙季は僕の胸にそっと手を当てると体を起こして言った。
「ねぇ、その精霊だっけ、もののけだっけ?それについて教えてくれる?」
「うん、いいよ。例えばね……」
僕はもう、頭上で酒盛りをしている2人が何を言っても気にならなかった。
明後日くらいには桜は満開になるだろう。そしたら僕らは3年生だ。受験生になってしまうけれど、それほど気詰まりには感じなかった。なにせ、これからは隣に沙季がいてくれるのだ。幼馴染みとしてではなく、彼女として。
高谷実里
作家:高谷実里
桜の木の下で
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