7thリュカ

07 音叉


「行きましょう」
 どこか余所余所しくリュカは立ち上がり、俺を目で促す。
 だが俺は手にしたロザリオを見つめたまま、階段から腰を上げようとしなかった。

 辺りを包む静寂の中、ただ時間だけが過ぎていく。リュカは暫く俺を見つめた後、小さく口を開く。
「あなたがニューエに行くのを躊躇する理由は?」
「…分からない」
「……」
 その瞬間、リュカが懐中電灯の明かりを消した。

 何も見えなくなった闇の中で、俺は慌てて立ち上がりリュカの居る方に手を伸ばす。だが、指先には何も触れることができなかった。伸ばした手の先には、淀んだ空気の流れだけしか伝わってこない。真っ暗な中で、ぐらぐらと足元が揺れるような錯覚に囚われる。
「リュカ…」
「あなたには何が見える?」
 立ち竦む俺の耳に、リュカの声がどこからか聞こえてきた。その声は、鼓膜の奥で音叉のように反響する。
「…分からない。俺は単に見えてた気分になってただけなのかもしれない」
「贅沢ね、あなたは」
 その時突然、リュカが懐中電灯を俺の顔に照らす。飛び込んできた眩い光に目がくらむ。
「う、あっ…!」
 のけぞって階段から落ちそうになる寸前、俺の手をリュカが掴んだ。

08 鼓動


 仄かな灯りに照らされる中、リュカの顔がすぐ間近に見えた。息が触れ合うほど近い距離で、その緋色の瞳が俺をじっと見つめていた。
「あなたをこうして助けるのは、これで7度目になるわ」
「…7度目?」
「ええ。こうしてあなたがニューエへの統合を拒むたびに、移植がやり直されたわ。ここまでの記憶を消し、誘導の環境や方法を変えてね」
「…そんな」
「でもあなたの潜在意識は変わらなかった。これが最後の移植処置だったのに」
「だから…7th…」

 リュカが俺の体をゆっくりと抱きしめる。リュカの銀色の長い髪が、俺の頬をさらさらと滑らかに擦る。
「私もこれで誘導プログラム失格。廃棄されるわ」
「そ…んな」
 リュカの表情は見えなかった。けれど抱き寄せたその鼓動だけが、いつまでも静かに伝わってきた。

09 採取


 道もない砂漠の中を、一台の古ぼけたトラックが走る。溢れたデータの瓦礫を乗り越える度に、座席のスプリングがぎしぎしと軋む。
 ハンドルを握る老人がくしゃくしゃになった煙草を取り出し、震える片手で火をつける。
「んだ?何か可笑しいんじゃ?」
「髭に火がつきそう」
 リュカがクスクスと悪戯に笑う。助手席に無理やり二人で乗っている為、俺はリュカの体を半分膝の上に乗せたような格好になっていた。
「狭いな」
「荷台よりマシじゃろ、あんちゃん」
 老人は煙草を咥えたまま、大声で笑う。

 見渡す限りのデータの砂漠の中を、もう何時間こうして走っているのだろう?太陽が沈まないため、昼夜の区別もつかない。
「廃棄データ以外、本当に何にも無いわね」
 窓枠に頬杖をつき、リュカは溜息をつく。
「現実とニューエの狭間じゃからなあ」
 白い髭だらけの老人は暢気にそう言うと、美味そうに煙草の煙を吐き出す。

「なあ爺さん。どうして俺達を拾ったんだ?」
「ワシゃあ善人だからの」
「移植失敗事例の患者と誘導プログラムのイレギュラーパターン採取、ってところでしょうね」
「どういう意味だ?リュカ」
 俺が尋ねると、リュカは髭面の老人にちらと視線を移す。
「見た目は年寄りのふりしてるけど、ハッカーでしょ、あなた」
「ハッカー!?」
「はて…?爺さんは爺さんじゃよ」
 皺だらけの手で危なっかしくハンドルを操りながら、老人は再び口から白い煙を濛々と吐き出した。

10 存在


 トラックが羅列されたデータの瓦礫を乗り越えるたびに、ガタガタと車内が揺れる。俺はシートにしがみつきながら、リュカに耳打ちする。
「そ、そういえば…、俺の体はどうなるんだ?」
「7回も失敗したんだから、もうニューエにも現実にも戻れないわ。不適合遺伝子として、あなたの肉体は凍結若しくは抹消されるわね」
「死ぬ、ってことか?」
「肉体だけの話よ。ニューエには辿り着けなかったけど、実際にここにあなたの意識は存在してる」
「ニューエと現実の狭間の世界、か…」
「現実に戻りたい?」
 リュカの問いかけに、俺は首を横に振る。窓から吹き込む風に靡く髪をかき上げ、リュカは小さく口の端を上げる。
「これから大変ね。ニューエの追尾プログラムやガードシステムも既に起動されてる」
「逃亡者ってことか。まあ、行くところまで行ってみるさ」
 俺はポケットから取り出した銀色のロザリオを、リュカの首にかける。
「お守りだ」
「赦し、ってこと?人間らしいわ」
 リュカは手にしたロザリオを暫く見つめた後、そっと服の中に入れた。

「あんさん達、世界はニューエだけじゃねえさ。わしだって自分の体がどこに在んのか、もう覚えてねえ」
「聞いてたのか。やっぱりあんたハッカーだろ?」
 俺の言葉にげらげらと笑いながら、老人はおぼつかない様子でハンドルをガタガタと切る。
「姉さん達、これからどこ行くんじゃ?」

「そうね…」
 リュカは揺れる車内で体を支える俺の手をそっと握り、言った。
「世界の果て、かしら」



                        (終)


トルサージ(湧田束)
作家:トルサージ
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