7thリュカ

06 選択


「移住者が意識下に潜在的な不安要因を残していると、ニューエのブレイン・インターフェースにノイズが生じるわ。カオスアトラクターという現象。だから常に対象者の思念を把握しておかなければならないの」
「アフターフォローも万全ってことか」
 俺の皮肉に乾いた笑みを返し、リュカは束ねた髪の留め具を外す。

 汎思念世界ニューエの構築が始まったのが50年ほど前。本格的に人の意識移植が可能になってからは、未だ数年しか経っていない。
 今は本人の希望により、18歳からニューエへの移住は認められている。だが肉体を失うことに対する唯物観的な抵抗により、実際に現実からニューエに移住する人間はまだ少なかった。

 俺は膝を抱え階段に座り込んだまま、リュカに尋ねる。
「なあ、リュカ。人が肉体を捨てることが正しい選択だと思うか?」
「私は単なる案内プログラム。人の感情までは把握できない」
「じゃあ…ニューエってどんなところだ?」
「ネットワーク化された人の記憶、感情、意識の集合体」
「そうじゃない、リュカ自身の考えだ。AIでも人の思念は解析できてるはずだろ?」
「……」
 珍しくリュカは小さく首を傾げる。それは分からないというより、答えを知っているが教えていいのか迷っているような表情だった。暫く考え込む素振りをした後、リュカは空中に視線を向けたまま呟く。
「…擬似楽園」

 俺は階段に座り込んだまま、さっき瓦礫の中で拾ったロザリオを取り出す。
 金属のチェーンが、じゃらりと鈍い音を立てた。

07 音叉


「行きましょう」
 どこか余所余所しくリュカは立ち上がり、俺を目で促す。
 だが俺は手にしたロザリオを見つめたまま、階段から腰を上げようとしなかった。

 辺りを包む静寂の中、ただ時間だけが過ぎていく。リュカは暫く俺を見つめた後、小さく口を開く。
「あなたがニューエに行くのを躊躇する理由は?」
「…分からない」
「……」
 その瞬間、リュカが懐中電灯の明かりを消した。

 何も見えなくなった闇の中で、俺は慌てて立ち上がりリュカの居る方に手を伸ばす。だが、指先には何も触れることができなかった。伸ばした手の先には、淀んだ空気の流れだけしか伝わってこない。真っ暗な中で、ぐらぐらと足元が揺れるような錯覚に囚われる。
「リュカ…」
「あなたには何が見える?」
 立ち竦む俺の耳に、リュカの声がどこからか聞こえてきた。その声は、鼓膜の奥で音叉のように反響する。
「…分からない。俺は単に見えてた気分になってただけなのかもしれない」
「贅沢ね、あなたは」
 その時突然、リュカが懐中電灯を俺の顔に照らす。飛び込んできた眩い光に目がくらむ。
「う、あっ…!」
 のけぞって階段から落ちそうになる寸前、俺の手をリュカが掴んだ。

08 鼓動


 仄かな灯りに照らされる中、リュカの顔がすぐ間近に見えた。息が触れ合うほど近い距離で、その緋色の瞳が俺をじっと見つめていた。
「あなたをこうして助けるのは、これで7度目になるわ」
「…7度目?」
「ええ。こうしてあなたがニューエへの統合を拒むたびに、移植がやり直されたわ。ここまでの記憶を消し、誘導の環境や方法を変えてね」
「…そんな」
「でもあなたの潜在意識は変わらなかった。これが最後の移植処置だったのに」
「だから…7th…」

 リュカが俺の体をゆっくりと抱きしめる。リュカの銀色の長い髪が、俺の頬をさらさらと滑らかに擦る。
「私もこれで誘導プログラム失格。廃棄されるわ」
「そ…んな」
 リュカの表情は見えなかった。けれど抱き寄せたその鼓動だけが、いつまでも静かに伝わってきた。

09 採取


 道もない砂漠の中を、一台の古ぼけたトラックが走る。溢れたデータの瓦礫を乗り越える度に、座席のスプリングがぎしぎしと軋む。
 ハンドルを握る老人がくしゃくしゃになった煙草を取り出し、震える片手で火をつける。
「んだ?何か可笑しいんじゃ?」
「髭に火がつきそう」
 リュカがクスクスと悪戯に笑う。助手席に無理やり二人で乗っている為、俺はリュカの体を半分膝の上に乗せたような格好になっていた。
「狭いな」
「荷台よりマシじゃろ、あんちゃん」
 老人は煙草を咥えたまま、大声で笑う。

 見渡す限りのデータの砂漠の中を、もう何時間こうして走っているのだろう?太陽が沈まないため、昼夜の区別もつかない。
「廃棄データ以外、本当に何にも無いわね」
 窓枠に頬杖をつき、リュカは溜息をつく。
「現実とニューエの狭間じゃからなあ」
 白い髭だらけの老人は暢気にそう言うと、美味そうに煙草の煙を吐き出す。

「なあ爺さん。どうして俺達を拾ったんだ?」
「ワシゃあ善人だからの」
「移植失敗事例の患者と誘導プログラムのイレギュラーパターン採取、ってところでしょうね」
「どういう意味だ?リュカ」
 俺が尋ねると、リュカは髭面の老人にちらと視線を移す。
「見た目は年寄りのふりしてるけど、ハッカーでしょ、あなた」
「ハッカー!?」
「はて…?爺さんは爺さんじゃよ」
 皺だらけの手で危なっかしくハンドルを操りながら、老人は再び口から白い煙を濛々と吐き出した。

トルサージ(湧田束)
作家:トルサージ
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