7thリュカ

03 個体


 肉体を捨て、人間の意識だけをネットワークに融合させた世界、それが『ニューエ』。
 身体を持たない以上、人は死ぬこともなく個別の意識体としてネット上で永久に生き続ける。

 俺は今、脳の全ての情報をニューエの中枢サーバに移植している。
 自我意識の解析、記憶や思念のデジタル移行とアップロード処理。その作業が行われる間、対象者は誘導プログラムにより『ニューエ』へと案内される手筈になっている。
 実際の俺は今、手術室で横たわり脳の手術を受けている。
 この街並みの喧騒も、降り続く雨も、地下への階段も、目の前を歩くリュカという女も、全てが仮想の世界。それはシステムから見せられる擬似夢に過ぎない。

 そしてその夢から覚めた俺は、『ニューエ』という世界に辿りつくだろう。思念というひとつの個体として。

04 移住


 目の前のゴミをあらかた片付け終わると、赤茶色に錆びついた鉄製の扉が現れた。
 リュカが観音開きの扉を開けると、耳障りな金属質の音が辺りに響く。
「随分とレトロだな」
「ディテールにこだわるのは、人間の特性ね」
 レインコートのフードを外し、扉から中を覗きこむ。雨に濡れたコンクリートの階段が、真っ暗な地下に続いていた。

 躊躇する俺を横目に、リュカは長い銀色の髪を頭の後ろで束ねる。
「どうしたの?狭いけど一人づつなら入れるわよ」
「あ、いや…本当にこの先が『ニューエ』?」
「あなた、本当に心配性ね」あきれた様子でそう言うと、リュカは俺を押しのけて中に入る。「正確には『ニューロパイフィラメント・エリア』。あんまり悠長にしてる暇はないんだけど」
「分かってるって」
 俺も仕方なくレインコートを脱ぎ、懐中電灯で足元の階段を照らすリュカの後に続く。階段は真っ直ぐに地下に続いていた。

「どのくらいかかる?ニューエまで」
「タイムラグはあるけれど、1時間くらい」
「…そんなに?」
「脳細胞クラスターの分析と中枢神経の移植処理には、それだけの時間がかかるの」
 緋色の瞳を鈍く光らせ、抑揚のない声でリュカは答えた。

05 笑顔


 どのくらい歩き続けただろう?
 懐中電灯の灯りが揺れる中、カツンカツンという足音だけが暗闇の中に響く。ひたすら続く殺風景な階段とカビ臭い空気に、眉をひそめる。
「なあ…ちょっと休憩しないか?」
「疲れなんて感じないでしょう?私達は実際に歩いてる訳じゃない」
 前を歩くリュカが、無表情のまま振り返る。
「こう圧迫感があっちゃ、気が滅入る」
 大きな溜息をついて階段に座り込む俺を見て、リュカの口から乾いた皮肉が漏れる。
「…やっぱり、人間は感情の動物ね」
「だからニューエなんて理想郷に行きたがるのさ」
「……」

 リュカは首筋から数本の外部ケーブルを引き出し、ニューエの統括メタデータスキーマにアクセスし始める。
「聴覚域に少しぶれがあるけど、コネクタは正常に作動してるわ。あなたの移植手術も63パーセントが完了している」
「順調ってことか」
「そういうこと」
 耳の裏に内蔵された音声域の調節をしながら、リュカは壁にもたれかかる。懐中電灯の仄かな灯りに、少し吊り気味の瞳が照らされる。

 その時、唐突にリュカが口を開いた。
「あなた、まだ学生でしょう?ニューエへの移植、家族は反対しなかったの?」
「早かれ遅かれ、全ての人間はニューエに意識統合されるんだろ?」
「……」
 リュカの首筋のコネクタがチカチカと瞬く。俺の家族や周辺環境のデータは当然リュカも知っている筈なのに、どうして改めてそんな質問をするのか分からなかった。
「バグじゃないわよ」
 考えを見透かしたように、リュカは小さく笑って俺の隣に座る。初めてみせる笑顔だった。

06 選択


「移住者が意識下に潜在的な不安要因を残していると、ニューエのブレイン・インターフェースにノイズが生じるわ。カオスアトラクターという現象。だから常に対象者の思念を把握しておかなければならないの」
「アフターフォローも万全ってことか」
 俺の皮肉に乾いた笑みを返し、リュカは束ねた髪の留め具を外す。

 汎思念世界ニューエの構築が始まったのが50年ほど前。本格的に人の意識移植が可能になってからは、未だ数年しか経っていない。
 今は本人の希望により、18歳からニューエへの移住は認められている。だが肉体を失うことに対する唯物観的な抵抗により、実際に現実からニューエに移住する人間はまだ少なかった。

 俺は膝を抱え階段に座り込んだまま、リュカに尋ねる。
「なあ、リュカ。人が肉体を捨てることが正しい選択だと思うか?」
「私は単なる案内プログラム。人の感情までは把握できない」
「じゃあ…ニューエってどんなところだ?」
「ネットワーク化された人の記憶、感情、意識の集合体」
「そうじゃない、リュカ自身の考えだ。AIでも人の思念は解析できてるはずだろ?」
「……」
 珍しくリュカは小さく首を傾げる。それは分からないというより、答えを知っているが教えていいのか迷っているような表情だった。暫く考え込む素振りをした後、リュカは空中に視線を向けたまま呟く。
「…擬似楽園」

 俺は階段に座り込んだまま、さっき瓦礫の中で拾ったロザリオを取り出す。
 金属のチェーンが、じゃらりと鈍い音を立てた。

トルサージ(湧田束)
作家:トルサージ
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