7thリュカ

01 断片


 重たい雨が降りしきる中、小さな溜息とともにレインコートのフードをかぶった。
 ビルの壁面に付けられたホログラムスクリーンに、艶やかな紫苑色の着物を着た巨大な女の映像が浮かび上がる。
 立ち並ぶ黒鉄色の高層ビルの群れ。鉛色のスモッグ。ビルの間を絡み合う高速チューブの灯り。帯のように伸びたサーチライト。排水溝から沸きあがる蒸気。
 けたたましいサイレンを鳴らし、自治警の装甲車が階段の下の路地を通り過ぎていく。

 移民達の訛り言葉が飛び交う闇市の喧騒を抜け、俺と案内人の女は近くの廃ビルに辿りつく。
 地下へと続く鉄扉の入口には、デジタルログの瓦礫が積まれていた。

 立ち止まった女の銀色の前髪から、雨粒が滴る。頬をつたう雫を気にする様子もなく、女が初めて口を開く。
「ここが入口」
「何だ…あんた、話せるのか?」
「言語機能くらい付いてるわ」
 そっけなく言うと、女は山積みのデータを無造作に掻き分け始める。緑色のデジタル数字の羅列がバラバラと崩れ、俺の頭の上に落ちてきた。

「……」
 足元に落ちてきたログデータの断片をつまんでいる俺を横目に、体に付いた起動ファイルの断片を女は手で払う。
「手伝って」
「これ…崩れないか?」
「心配性ね。そっち持って」
 俺は手にしたログを放り投げると、女と一緒に埃のかぶった旧式のメタデータスキーマのデータを持ち上げた。
「誰も片付けたりは?」
 俺の質問に、女はあきれ気味に答える。
「不必要なものを管理しても、無駄でしょ?」

02 案内


 『案内人』といっても、実際はネット上の誘導プログラムの一つに過ぎない。人的感情を考慮して、姿形を人間に似せているだけだ。
 無表情でクラスタデータを片付ける女に、それとなく話しかけてみる。
「あんた…名前は?」
「『誘導プログラム ルーチン0612-05-964β』」
「いや、そうじゃなくて…呼び名」
「擬似外観の設計者は、私の通称を『7thクラックロム=リュカ』と付けてたわ」
「長いな」
「そう?」
「じゃあリュカって呼ぶことにするよ」
「ご自由に。どうせ名前なんて記号に過ぎないでしょ」
 リュカが俺に初めて見せた表情は、皮肉めいた含み笑いだった。

 廃ビルの入口に積まれたデータを片付ける間にも、雨は激しく降りつけてくる。でもそれは、システム上で『雨』の感覚をシュミレートしたに過ぎない。この街は、『ニューエ』に辿り着くまでの仮想現実。

 俺の隣で、リュカは長い髪を揺らし黙々とデータログを片付けている。その濃い緋色の瞳をどこかで見たことのある気がしたが、どうしてもそれが誰だったのか思い出せない。端正なその横顔に見惚れながら、ひとりごちる。
「とてもプログラムだとは思えないな…」
「何か言った?」
「あ、いや…」
 俺は言葉を濁して、テストデータらしき数値の羅列を瓦礫の向こうに投げ捨てた。

 その時、ゴミの下に鈍く光るものが落ちているのに気付く。
「……」
 それは十字架のロザリオだった。雨に濡れた服の袖で拭うと、微かに銀色の輝きが戻る。
「救いの象徴ね。人間らしいわ」
 いつの間にか、リュカが振り返って俺の方を見ていた。俺は卑屈な笑いを浮かべながら、そのロザリオをポケットに入れた。
 止まない雨が、相変わらず俺達を濡らし続けていた。

03 個体


 肉体を捨て、人間の意識だけをネットワークに融合させた世界、それが『ニューエ』。
 身体を持たない以上、人は死ぬこともなく個別の意識体としてネット上で永久に生き続ける。

 俺は今、脳の全ての情報をニューエの中枢サーバに移植している。
 自我意識の解析、記憶や思念のデジタル移行とアップロード処理。その作業が行われる間、対象者は誘導プログラムにより『ニューエ』へと案内される手筈になっている。
 実際の俺は今、手術室で横たわり脳の手術を受けている。
 この街並みの喧騒も、降り続く雨も、地下への階段も、目の前を歩くリュカという女も、全てが仮想の世界。それはシステムから見せられる擬似夢に過ぎない。

 そしてその夢から覚めた俺は、『ニューエ』という世界に辿りつくだろう。思念というひとつの個体として。

04 移住


 目の前のゴミをあらかた片付け終わると、赤茶色に錆びついた鉄製の扉が現れた。
 リュカが観音開きの扉を開けると、耳障りな金属質の音が辺りに響く。
「随分とレトロだな」
「ディテールにこだわるのは、人間の特性ね」
 レインコートのフードを外し、扉から中を覗きこむ。雨に濡れたコンクリートの階段が、真っ暗な地下に続いていた。

 躊躇する俺を横目に、リュカは長い銀色の髪を頭の後ろで束ねる。
「どうしたの?狭いけど一人づつなら入れるわよ」
「あ、いや…本当にこの先が『ニューエ』?」
「あなた、本当に心配性ね」あきれた様子でそう言うと、リュカは俺を押しのけて中に入る。「正確には『ニューロパイフィラメント・エリア』。あんまり悠長にしてる暇はないんだけど」
「分かってるって」
 俺も仕方なくレインコートを脱ぎ、懐中電灯で足元の階段を照らすリュカの後に続く。階段は真っ直ぐに地下に続いていた。

「どのくらいかかる?ニューエまで」
「タイムラグはあるけれど、1時間くらい」
「…そんなに?」
「脳細胞クラスターの分析と中枢神経の移植処理には、それだけの時間がかかるの」
 緋色の瞳を鈍く光らせ、抑揚のない声でリュカは答えた。

トルサージ(湧田束)
作家:トルサージ
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